第二十一話 魔窟の奥へ
す、凄い。
メーヴェは先程の無礼も忘れて、見蕩れていた。
あの名剣が喜んでいる。本来の持ち主の元に戻り、本来の使い道に戻った事で剣が歓喜しているのがメーヴェには分かった。
数回振っただけだが、風切り音が違い過ぎる。
まるで名剣が謳っているようだ。
剣が謳っていると感じた事など、街にいる時にはほとんど無い。
貴族達の中には剣の達人を呼称する者もいたが、メーヴェが見た限りではハンスがもっとも優れた実力者に見えた。
そのハンスでさえ剣の風切り音が応えている様には聞こえても、ここまで謳っているようには聞こえなかった。
ソルは別に剣を身構えている訳ではないし、露骨に襲いかかる雰囲気も無い。
それなのに、追手は圧倒的な数的有利であるにも関わらず、たった一人の男に呑まれて身動きが取れずにいる。
外での戦いの時、メーヴェはソルの戦闘能力は桁が違うと思ったが、それは間違いだった。
桁が違うのではなく、格が違う。
片腕で、数本の矢が刺さった手負いの状態。まともな装備品もなく、頼れるのは名剣とは言え剣が一本のみ。
そんな中年男性一人であるはずなのに、メーヴェと追手の間には絶対に越える事の出来ない壁が立ち塞がっている。
「お、お前は何もわかっていない! その女は、領主の娘、メーヴェ・クラウディバッハは街の繁栄に絶対に必要な人柱なのだ!」
「人柱、だと? なるほど、ハンスがウィルフじゃなくて俺を選んだのはその辺か」
エヴィエマエウ家の父親の方が喚く言葉に、ソルは引っかかりがあったようだ。
確かにメーヴェは街の至宝であり、繁栄の象徴と言えるような存在なので街には絶対に必要な人材である事は自負している。
ソルもようやくそこを理解したのかも、とメーヴェはまったく状況を理解していないような事を呑気に考えていた。
「そうだ! わかったらさっさと差し出せ!」
「断る! さっさと帰れ!」
即答だった。しかも、メーヴェが予想もしていなかったくらい、強い口調でソルは拒絶した。
「お前ら、正気なのか?」
ソルバルトは喚くエヴィエマエウ卿ではなく、その周辺にいる追手達に向かって言う。
「綺麗事を言うつもりはさらさら無いが、たった一人の小娘に全てを背負わせて街の繁栄とか言うつもりなのか? 領主の娘ってのがどれほどかは知らないが、たった一人いないだけで街が繁栄出来ないってのは異常だろ?」
怒鳴っている訳ではない、ただの問い掛けであったにも関わらず追手達は雷に打たれたかのように動揺が走る。
「お、お前が正気なのか? その娘一人で街の住人数十万、いや百万人以上の人間が救われるのだぞ? お前はそれを邪魔しているのだ! お、お前に、お前如きに街の住人百万人の命の責任が取れると言うのか?」
「取れる訳無いだろ」
平然と無責任な事を言う。
ソルらしいと言えばらしいのだが、あまりにも無責任過ぎる発言である。
「だったら……」
「そんなモンは街に住んでる百万人で連帯責任じゃないのか? 百万人もいて現状維持の為に全力で一人の小娘に責任をおっかぶせようとしているのなら、そんな街は滅んだ方が良くないか?」
メーヴェの価値観で言えば、エヴィエマエウ卿の言っている事の方が圧倒的に近い。
学校でもそう習ってきた。
貴族と言う者は選ばれた人間であり、他者より優れていると。
だからこそ、他の者の規範にならねばならない。
中でも最高位であるクラウディバッハ家の者となれば、より高くを望まれる。
それをよく知っているので、面前で欠伸したりしないように十分睡眠は取っていたし、料理人が他の人の前で恥をかかない為にも美味しくないモノは美味しくないと言うようにしてきた。食材を無駄にしないように、嫌いなモノはそもそも料理に使わないようにしてもらっても来た。
だが、どういう事か、今この場に限って言えば貴族の常識であるはずのエヴィエマエウ卿の言葉より、ただの無責任発言を繰り返しているだけのソルの言葉の方が正しい事を言っているように聞こえてくる。
と言うより、ソルって何者なの?
状況をまったく把握出来ていないメーヴェとしては、目の前の事に言葉を失っていた。
圧倒的に格が違う戦闘能力だけではなく、そもそも同じ人間かと疑いたくなるほどの存在感。
腕や足、背中に数本刺さっている矢を見ても、そのみすぼらしさとは裏腹に身体の強さが既に人間離れしている。
「それに貧民街の事はどうするんだ? 現状維持なら、貧民街の住人は貧しいままだろ? 貧民街まで現状維持の為に別の小娘を生贄にするのか? 学のない俺では、それで解決するとは思えないんだがな」
エヴィエマエウ卿だけではなく、多くの追手達もソルの言葉を否定出来ないでいた。
これまで戦闘能力だけで抑えられていた追手の行動だが、今では言葉で揺さぶられ、完全に一人の男に呑まれている。
「え、ええい、黙れ黙れぇ! だ、誰か、あいつを殺してメーヴェを奪い返せ!」
半狂乱で喚くのは、空気を読まない能力に恵まれたエヴィエマエウ卿である。
奪い返せと言われても、別にメーヴェはソルに誘拐されてここにいると言う訳ではないし、幾ら喋っている内容がメーヴェの価値観に近いからと言って、ソルの元から離れてエヴィエマエウ卿に庇護してもらおうとは思えなかった。
当事者であるメーヴェが自称救出者の立場のエヴィエマエウ卿に対してそう思うのだから、ただ雇われているだけの追手も命を懸けてソルと戦おうとは思わないようだ。
それでも全員ではない。
「言いたい放題だな、落伍者」
エヴィエマエウ卿に色々と口出ししていた男が前に出ると、それに続いてソルに飛び膝蹴りを喰らったクロスボウを持つ男や、その他二人が続く。
合わせて四人。
おそらくそれぞれが実力者であり、それなりに魔窟探索による装備もある為に過去の人であるソルにも勝てると考えたのだろう。
とんでもない判断ミスだ、とメーヴェは口にしそうになる。
装備の優劣や長いブランクなどで埋まる様なものではない、話にならないほどの差があると言う事が分からないのだろうか。
「何のつもりか……」
誰かがソルに脅し文句を言いかけたのだが、その時すでに動いていた。
さすがのソルも飛び道具を向けられる事は無視出来ないと判断したのかもしれないが、前に出たのが四人と言う事を確認した時点で、全力で飛び出していた。
最初に出てきた黒装束の男は、それだけ見ると闇商人に見えなくもないが、闇商人と違ってかなり長い剣を持っている。
その男とクロスボウを持つ男はソルの突進を避けたが、何か言おうとしていた男はそれを避ける事が出来ず、体当たりの直撃を受けて魔窟の外まで吹っ飛ばされる。
その後ろにいた男も巻き込まれて、一緒に魔窟の外まで吹っ飛ぶ。
ソルはそれを確認する事なく剣を振り、自分に向けられたクロスボウを弾くとそのまま体を回転させて、後ろ回し蹴りで男の即頭部を蹴り飛ばす。
一瞬で一人になった黒装束の男はようやく長い剣を構えようとしたが、ソルに剣を叩き落とされて、その剣を足で踏みつけ自分の持つ剣の切っ先を黒装束の男に向ける。
「良い事を思いついた」
まだ矢が刺さっているのだが、ソルはそんな手負いの雰囲気などまったく無く、黒装束の男に剣を向けたまま言う。
追手の半分はソルの突進を見て逃げ出し、エヴィエマエウ卿親子は逃げ損なっていた。
「見ての通り、この程度じゃ俺を倒して小娘を奪う事なんて出来そうにない。俺としてはお前ら全員皆殺しにしたいと思っているし、街なんか滅べば良いと思ってる。どうしても街の現状維持の為に小娘を取り返したいって言うのなら、追って来て奪い返せばいいじゃないか。街で宣伝して回れば良いだろ? ソルに領主の娘を攫われたってな。今よりマシな戦力が整うんじゃないか?」
そんな事を言うと、ソルは足で抑えていた剣を魔窟の外へ蹴り飛ばすと、メーヴェの方へ戻ってくる。
「それまで、この小娘は預かる。魔窟の奥まで追ってくるんだな」
「……え? それだと、悪者じゃないの?」
メーヴェはきょとんとしてソルに尋ねる。
「魔王に誘拐された姫様の役がお前だ。気に入らないか?」
いや、そこは問題無い。と言うより、その役割の適任者にメーヴェ以上の美少女はいないだろうという自覚がある。
だが、本来であれば騎士役であるはずのソルはそれで良いのだろうか、と思う。
まあ、ソルの見た目では騎士には向かないし、魔王と言うにも実力はともかく外見は余りにみすぼらしい。
隻腕だけでも見劣りすると言うのに、伸び放題の髪や髭がいただけない。本当に誘拐犯になるつもりなら、今すぐこの場で身なりだけでも整えて欲しい。
「と言うわけで、お前は今から誘拐されるんだが、悲鳴上げたり助けを求めたりしなくて良いか?」
ソルにそんな事を言われても、そう言う事は前もって言っておいてもらわないと、こちらにも準備と言うモノがある。
と思っていたのだが、ソルは待ってくれなかった。
「それじゃ、街の諸君、また会おう!」
そう言ってソルバルトはメーヴェを伴って魔窟の奥へ行く。
こうして不本意ではあっても、二人の逃避行を兼ねた魔窟探索が始まった。