第十九話 『袋』
魔窟と言う場所は常識が通用しない場所なのだが、その分かりやすい例として山に出来た洞窟であるにも関わらず、特に光源も無いのに明るく視界も確保されている。
詳しく調べれば正体も分かるかも知れないが、今のメーヴェが優先するべきは魔窟の明るさの正体より、死に瀕している魔物の子供を救う事である。
魔窟の入口からは一本道が続き、それなりの長さは迷うこと無く進む事が出来る。
ただしゆるやかにカーブしているため、ある程度進むと出入り口の様子を見ることは出来なくなってしまう。もちろん、出入り口からも見る事は出来ない。
ソルはその事を知っているので、途中で殿軍として追手を食い止める為に残り、メーヴェは一人で魔窟の奥に進んでいく。
以前魔窟に来た時には、入ってすぐに何かにローブを引っ張られたので悲鳴を上げて逃げ出したのだが、今回はその時より奥に進んでいるものの、そういう事は無い。
何者にも出てきて欲しくないと思う反面、このまま誰とも遭遇しなければ魔物の子供を救う事も出来ないので、それも困る。
メーヴェ一人であればとっくに悲鳴を上げて逃げ出しているところだが、今は一人では無い事や使命感もあって、前に進む事が出来ている。
しかし、すぐにソルがいない事に心細さを感じ始めた。
近くにいたからといって積極的にメーヴェを助けてくれると言うタイプではないが、あの破格の戦闘能力は頼りがいがあるどころの話ではない。
そんなソルが殿軍を勤めているので、魔窟の出入り口から追手が来る事は無いだろう。
メーヴェがそう思いながら魔窟の奥へと進んでいると、背負っている魔物の子供ではない何者かに、ローブを引っ張られた。
「ひっ!」
メーヴェは思わず悲鳴を上げて、振り返る。
後ろからは絶対に誰も来ないと思っていただけに、飛び上がりそうになるほど驚く。
『そ、そんなに驚かないで欲しいッス。前も逃げられたッスから』
メーヴェの後ろに立っていたのは『袋』だった。
ソルが言っていた存在をどうやって探せば良いか疑問だったが、『袋』は見た瞬間にコレを指していると言うのが分かった。
身長はメーヴェの腰くらいまでしかなく、背負っている魔物の子供よりさらに小さい。
頭からすっぽりとローブ、と言うより薄汚れた袋状のモノを被って目元と手の部分に穴を開けている。
その袋を被った小さな何者かは、さらに身長と同じくらいの大袋を肩から担いで、それを引き摺りながら歩いているのだが、足音も大袋を擦るような音も立てない。
「アナタが『袋』なの?」
『まぁ、そう呼ばれる事が多いッスねぇ。名前はちゃんとあるッスけど、『袋』で呼んで下さいッス』
声は女性の声なのだが、若いのか年寄りなのか分からない不思議な声である。
しかも袋を被っていて声がこもっているので、余計にわかりにくい。
「ソルから回復薬をもらうように言われてるの。この子を助けて!」
『あー、旦那の知り合いッスか、久し振りッスねぇ。元気にしてるッスか?』
「そんな事良いから!」
何か思い出話を始めそうな『袋』だったので、メーヴェは遮って魔物の子供を降ろして地面に寝かせる。
まだ息はあるが、そのはか細く、消える寸前だった。
『助ける? 魔物ッスよ? しかもザコ敵ッス。こんなの、この先にいっぱいいるッスよ? 回復薬はそれなりに貴重品ッスけど』
「そんな事、関係無い! お金だったら払うわよ!」
『あー、いやいや、そんな事は言ってないッス。分かったッス。怒らないで欲しいッス』
怯えたように『袋』は言う。
メーヴェも大概ではあるが、『袋』の小心者っぷりはそれを上回りそうだ。
怖がっている『袋』は肩から担ぐ大袋の中から、一つの小瓶を取り出す。
『コレが回復薬ッス。まぁ、貴重っつっても本人立ち会いじゃ無くても受け渡し出来る程度のモノっちゃモノッスけどね。アイテムランクでいうと二か三ってところッスか?』
ブツブツ言いながら『袋』は回復薬をメーヴェに渡す。
「で、コレってどう使えばいいの?」
『一般的には飲ませるッスけど、まず喉に刺さってる矢を抜かないといけないッスね。あー、でも場所が場所なだけに飲ませてもそこから流れてくるかも。ピューって。あひゃひゃひゃひゃひゃ』
まったく笑えない事を言って爆笑する『袋』を、メーヴェは睨みつける。
『じょ、冗談ッス。怒らないで欲しいッス』
慌てて『袋』はそう言う。
『傷口にかけても多少の効果はあるッスから、まずは矢を抜いて薬をかけてから、それから飲ませてあげれば良いと思うッス。もしくは口に含ませておいて、矢を抜くと同時に飲み込めるようにしておくとかッスか?』
怒らせた事へのフォローのつもりか、『袋』は色々とアイデアを出す。
「そうね、そうしましょう」
『どうするッスか?』
「コレ、口に含んで」
メーヴェは魔物の子供の口に薬を当てると、少量を流し込む。
「まだ飲まないで」
メーヴェはそう言うものの、今の状態では飲まないようにすると言うより吐き出させないようにしなければならない。
もう魔物の子供に意識はほとんどなく、一刻の猶予も無い。
最大の難関は、喉に刺さった矢を抜く事である。
「お願い、抜いて」
メーヴェは『袋』に言うと、『袋』は体ごとブンブンと左右って拒絶する。
『無理ッス、無理無理! そんな怖い事出来ないッス!』
メーヴェが怖いと思う事は、当然ながら『袋』も怖いと思うらしい。
それに躊躇っていては、本当に魔物の子供の方が死んでしまう。
今度は私が守ってあげるって言った時、私はこの子を助けると誓ったんだ。他の子達は守る事も、助ける事も出来なかったけど、せめてこの子だけは。
メーヴェは自分にそう言い聞かせると、両手で自分の頬を叩いて、魔物の子供の方を見る。
「それじゃ、ちょっと押さえておいて」
『えー? あ、はいはい、やるッス。お手伝いさせてもらうッス』
嫌がる『袋』だったが、メーヴェに睨まれてすぐに協力体勢に入る。
メーヴェは念のため回復薬を魔物の子供の喉にかけると、そこから出ている矢を掴む。
恐怖に震え、力が入らないのだが、それでも唇を噛んで必死にその矢を引き抜く。
激痛のせいか、魔物の子供の体が仰け反る。
『ヒギー! やっぱ無理ッスー! 怖いッスー! ピギャー!』
「押さえて!」
悲鳴を上げて逃げ出そうとする『袋』をメーヴェは怒鳴る。
生きてる証拠だ! もうちょっと! コレを抜いてあげれば、この子は助けられるんだ!
メーヴェはそう思い込む事で、手に力を込めると一気に矢を引き抜く。
魔物の子供の喉から鮮血が溢れるが、メーヴェはすぐに魔物の子供を助け起こして、回復薬の小瓶に入っている液体を魔物の子供の口に流し込む。
メーヴェは魔物の子供の体を抱き起こすが、魔物の子供はぐったりして動こうとしない。
まさか、まさかダメだったの?
そう思うと声を上げて泣きたくなったが、メーヴェが泣き出す前に、メーヴェの手を握る手に力が込められる。
魔物の子供が目を開くと、数回瞬きして、片手はメーヴェの手を握り、もう一方の手で自分の喉をさすっている。
わずかに傷跡は残っているものの、すでに穴は塞がって血も流れていない。
『おお! 本当に助かったッスか? すげえッス! 信じられないッス!』
驚嘆の声を上げている『袋』だが、メーヴェも、助けられた魔物の子供も驚いていた。
『なんスか、この魔物。一般的に知られてるヤツとは違うッスか?』
そんな事を『袋』は尋ねてくるが、メーヴェは魔物の事には詳しくないので答えようが無い。
「大丈夫なの?」
メーヴェは魔物の子供に聞くと、魔物の子供は何も無かったように立ち上がると、両手でメーヴェの手を握ってぶんぶんと振っている。
物凄く元気だ。数瞬前まで死にそうだったとは思えない。
メーヴェは思わず、魔物の子供を抱き締める。
守る事が出来た。助ける事が出来た。
その事が何よりも、涙が出るほど嬉しかった。
「そうだ。ソルに知らせなくちゃ!」