第十七話 森が戦っている
俺は今、何を見ているんだ?
ソルはこれまでの彼の常識が覆される、考えられない光景に絶句していた。
彼にしても、闇商人の男にしても、街の連中を過小評価していた事は認めざるを得ない。
すでにこの一帯は街の者による想定外の大規模なローラー作戦が展開済みであり、森には数百人を超える追手がメーヴェ探索を行っていた。
闇商人の男もソルも、その事に対して後手に回っていた事は確かと言える。
本来なら魔窟が逃げる先の大本命でありそこに人を配置するところだが、闇商人の情報操作によって森に逃げたと思わせる事が出来た為に森より魔窟方面の方が手薄であるが、それでもメーヴェ一人を向かわせたのは致命的な失策だった。
そうならなかったのは、森に展開していた追手が、森にいた魔物の伏兵に襲われた為である。
その事が不可解なのだ。
森に住む魔物と言っても、その正体は魔窟のもっとも浅い層から出てきた程度の、取るに足りない魔物でしかない。群れてはいるものの、統率がとれていると言う訳でもなく、それぞれの種族が争いを避けて隠れ住んでいるというのが実情である。
その為、と言う訳でもないがソルは森に食材や木材を取りに行く時も、大した武器を持ち歩かない。
もし魔物に出会ったとしても、足元に落ちている木の枝で叩いたり、場合によっては石を投げつけるだけで追い払う事が出来るのだ。
そんな臆病な魔物が、森に展開する者達に自ら襲いかかっている。
ソルはそれを見ていないのだが、逃げるに逃げられなくなっていた闇商人の男が、木の上に隠れて一部始終を見ていた為、彼と合流した時にその話を聞く事が出来た。
もう少し話を聞きたいところであったが、この状況下でのんびり立ち話と言う訳にもいかない。
ソルにとっては、それでも苦戦するような魔物ではないのだが、これまでに見た事の無い動きを見せる魔物に対して警戒するのは当然である。
結果としてそれは無用の警戒だったのだが、そこでも奇妙極まりない事が起きた。
誰の目に見ても凶暴化しているとしか思えない魔物達が、森の中で街の人間を襲っているのだが、ソルには襲いかかってこないのだ。
魔物から見ると、街の人間との区別をつけられるとは思えない。
だが、魔物の中には明らかにソルに気付いているモノもいたのだが、ソレはそのまま素通りしていった。
実力を見抜いて避けた、と言う事ではない。
そうであれば、街の人間にすら襲いかかる事は無いはずだ。
事実、魔物の死体は多数転がっているものの、街の住人に怪我人は多く出ているものの死者は魔物に対してかなり少ない。
それだけの実力差があるにも関わらず、魔物は人間への襲撃を止めない。その中で露骨にソルは避けられている。
奇妙奇怪な事だったが、考えても仕方が無い事でもあったのでメーヴェを追って魔窟への道を急いだ。
そこで、いよいよ目を疑う事が起きていた。
大雨の中、小さな魔物が二体ほど魔窟への道を進んでいるのが見えた。
縄張り意識が強いと言うより、姿を隠す事が出来ると言う一点から森を出る事の無い魔物の中でも、子供は特に警戒心が強く臆病である。
その魔物が森から出る事も、しかも子供だけで魔窟を目指す事も、これまでにソルが見た事が無い光景ではあった。
二体の魔物の子供は、お互いに体を支え合う様にして弱々しい足取りながら、確実に魔窟へ向かっている。
ソルの歩調であれば歩いても追い抜く事は出来るし、こちらも先を急いでいるので魔物の子供は無視して走ろうとしたのだが、その魔物の子供の状態を見て足を止めてしまった。
二体の子供の内一体は両腕を切断され、もう一体は腹部を裂かれて内臓がこぼれるのを手で押さえて歩いているのだ。
どちらも致命傷であり、激痛でのたうち回るか、そのまま命を落としているはずの状態であるにも関わらず、二体の魔物は歯を食いしばって魔窟を目指している。
ソルの知っているこの種の魔物の生命力と精神力を、遥かに上回っている。
それを子供が行っている事が、歴戦の勇士であるはずのソルの動きを止めた。
魔物の子供二体も、こちらに気付く。
牙を剥いて威嚇してくるか、問答無用で襲いかかってくるかと警戒したのだが、魔物の子供達は襲いかかってくる事は無かった。
それどころか、魔窟の方を指差して先に行けと言わんばかりである。
俺を味方だと思っているのか?
そうであれば、魔物達の行動も納得はいくのだが、何故魔物達はソルを味方だと思っているのかが分からない。
鎧こそ身につけていないが、街の者から奪った剣を持つソルは片腕と言う特徴はあるものの、同類の魔物には見えないはずだった。
何だ? 一体、何が起きている?
ソルに思いつく原因はただ一つ、メーヴェの存在である。
食事中に適当に相槌を打ってやると、会話に飢えているのかメーヴェはいろんな事を話したがった。
ソルはそのほとんどを聞き流していたのだが、あの花の冠を被って戻ってきてからはゴブリンの子供に懐かれて困ると言う事を言っていた。
この二体の子供がそうか? 俺からメーヴェの気配を感じているのか?
もしそうだとしたら、それは途轍もない事である。
魔窟の中でも、弱い魔物を従えて集団で行動するリーダーと言うのは存在している。浅い階では基本的に腕力で従え、中層以降からは魅了していたり従属させていたりする。
が、これはそのどちらでもない。
そんな次元の話ではない。
魔物達は心酔しているのだ。まるで、神に対する敬虔な信者、あるいは狂信者の信仰に近い。
と言うよりそのもの、場合によってはそれ以上である。
メーヴェの口振りから、彼女は魔物の子供達には懐かれていたとしても、その親達とコンタクトを取っていた訳では無さそうだった。
ゴブリンの親を見た、と話していたような気もするが、メーヴェの性格から考えるとその魔物と接してみようとは思わず、すぐさま尻尾を巻いて逃げ出すだろう。
ここに至る道中、魔物の死骸はゴブリンだけにとどまらず、種々雑多なモノだった。
しかも、野犬なども仔犬まで含めて街の者に襲いかかったのか、魔物達の死骸に混ざっていた。
それらの事実は、メーヴェの為に懐いているゴブリンの子供達だけではなく、森に住むゴブリン以外の魔物も、それどころか野生生物まで含む森のほぼ全てが彼女の為に街の者達と戦っていると言う事になる。
メーヴェに懐いた子供達の中に、森の魔物の支配者でもいたのかもしれないが、その事が全ての魔物が死を恐れず戦いを起こしていると言う事の説明にしては弱い。
もちろん、メーヴェが全てを引き起こした中心人物であるとする説の方が、根拠として圧倒的に弱いし有り得ない事は、ソルでなくても分かる。
今の事態で分かっている事と言えば、魔物が本来の戦意や生命力、精神力を大きく上回る実力で、街の者に襲いかかっていると言う事実だけだ。
守ってあげてね。
夢の中でメイフェアは、ソルにそう言った。
これは本当にあのメーヴェが起こしている事態なのか? それともまったく別の何かが起きていて、偶然が重なっているだけなのか?
ソルは悩みながら、魔物の子供達からせっつかれるようにその場から走り去り、魔窟へ向かう。
致命傷を受け、本来動くことも出来ないはずの魔物の子供達はソルを見送りながらも、自分達の歩みを止めようとはしなかった。
それが例え、魔窟までは持たないとわかっていたとしても魔物の子供達は前に進んでいた。