第十六話 私の小さな騎士達
メーヴェがそう思った時、激しい雷光が周囲を白く照らす。
あまりにも良いタイミングで助けに来てくれたので頼りにしてしまったが、その子達は野犬とは言え仔犬にすら怯えるほど貧弱な存在だったと言う事を、メーヴェは失念していた。
雷光は、雷鳴と共に惨劇を映し出す。
男が剣を抜いて、魔物の子供を切り裂いたのだ。
倒れていた男を木の棒で打っていた、甘えん坊だった魔物の子は男の剣によって腹部を切り裂かれ、鮮血と内臓をまき散らす。
「……え?」
メーヴェは、目の前の惨劇に落雷の恐怖も忘れて言葉を失った。
魔物を街の者が討伐する事は珍しい事ではないし、逆に魔物を討伐しなければ街での生活に支障をきたす事になるのは分かっている。
だが、言葉や知識で知っていたとしても、それを目の当たりにしたことは無い。
まして、魔物の子供が自分を助けてくれる事や、その子供が殺される事になるなど考えた事も無かった。
魔物の子供は腹部を押さえて倒れるが、もはや治療の方法も無い致命傷である。
立ち竦むメーヴェと違い、魔物の子供達は勇敢だった。
いつも空を見上げながらぼんやりおっとりとした子は、牙を剝き出しにして男に咬みつこうとする。
リーダー格の子は、木の棒を拾って男に襲いかかる。
のっぽの子は一度メーヴェ達の方を振り返ると、メーヴェ達に逃げろと言うかのように手を振っている。
魔物の子供達は、文字通り命を懸けてメーヴェを逃がそうとしているのだ。
姫の危機に駆け付けた、小さな騎士達。
奇跡と言うのならば、この小さな騎士達が駆け付けた事が奇跡以外の何物でもない。
ただし、騎士と言うには余りに非力であり、勇敢と言うには余りにも無謀な蛮勇だった。
現実は無謀に対して、容赦なく代償を求めてくる。
いつも指を咥える癖のある子がいた。
多分、優しくて気弱な子だったのだろう。メーヴェが手招きすると、大喜びで彼女の元へやって来た子で、甘えたかったのかもしれない。
もっとも争い事に向かない性格だったはずだが、その子が最初にメーヴェを助けてくれた。
他の子達より勇猛果敢に、暴漢に対して立ち向かった。
その代償として、その子は腹部を切り裂かれ、内臓を露出して死に瀕し、もはや助けようもない。
いつも鳥や蝶を目で追いかけている、のんびりした子がいた。
正直なところ独特過ぎる毎日の過ごし方をしていたので、メーヴェにはあまり懐いていないのではないかとも思ったが、この子は野犬に怯えた様子は無かったので意外と肝が据わっていたのかもしれない。
その子も怒りと共に牙を剝き出しにして、咬みつこうとした。
だが、その牙も届かず、男の持つ剣で頭を割られる事になった。
いつも皆をまとめている子がいた。
体つきも少しだけ大きく、仲間思いである事は行動からも見て取れた。
現状では彼らの持つ唯一の武器である木の棒を拾い、剣を持つ男に向かって立ち向かっていく。
その結果、両腕を切断された。
意地っ張りで、負けず嫌いなのっぽの子がいた。
リーダー格の子と張り合っていた印象は強いが、ぼんやりしている子や甘えん坊の子の事も気にかけ、はぐれたり孤立したりしないように誘導していたしっかり者でもあった。
今も他の子達は敵である男に集中している中、メーヴェとメーヴェの手を引く子に逃げるように指示を出していた。
その隙に他の子より細長い首を斬り飛ばされる事になった。
魔窟の浅い階層の魔物は、武器を持つ大人の敵ではないと言うのは、街に住む者であれば常識のようなものであり、しかもその魔物が子供であればなおさらである。
メーヴェにも分かっていたはずだ。
事実、ソルは魔窟に行って魔物を倒して生活費を稼げと、勧めてきたくらいだ。
それでも言葉を失うほど、目の前の事が信じられなかった。
茫然とするメーヴェだったが、仲間を失ったはずの残る一体は、メーヴェの手を強く引いてこの場から彼女を逃がそうとしている。
この子は直接戦闘を行っている訳ではないが、それでも命懸けで戦っている事は間違いない。
目の前の惨劇にも負けず、他の子達の望みであったメーヴェの救出を、最後の一体になったとしてもそれを成し遂げようとしていた。
メーヴェは自分の胸くらいしかない、小さな魔物の子供に手を引かれながら崩れ落ちそうになるのを必死に堪えて、魔窟への道を走る。
命を落としているのは、魔物なのだ。
街の価値観で言えばそれは害虫の様なモノであり、生かしておく意味も理由も無く、むしろ駆逐するべき害獣だったはずだ。
その生き物を街に住む者が駆除しているという事のはずなのに、メーヴェは奪われる命に涙していた。
忌み嫌われていた魔物達が、今はその命を顧みず自分を助けようとしている。
何の見返りも求めず、ただ、メーヴェを助ける為に。
まるで剣や槍で貫かれたように、胸が痛む。
せめて、この子だけでも助けてやりたい。もう少し行けば魔窟が見える。魔窟は魔物の巣窟なので、この子にとってはホームのような空間のはずだ。
メーヴェはそう思うと、走る足に力が入る。
近付く事さえ恐れていたはずの魔窟に自ら向かい、今は一刻も早く到達しようとしている。
雨は弱まる事を知らず、激しく降り続いている。
その視界の悪さの中でも魔窟の入口が見えて来た時、メーヴェの手を引く魔物の子供が突然前のめりに倒れた。
一生懸命走っていた上に、足元も悪いので転んだのかとメーヴェは思い、助け起こそうとした。
が、そこで魔物の子供がただ転んだだけではないと分かった。
魔物の子供には首に後ろから矢が刺さり、喉にまで突き出ていたのである。
「ようやく追いついたか、魔女め」
メーヴェが魔物の子供の傍らに膝を付いて助けようとしていた時、後ろから声を掛けられた。
やって来たのは三人の男。
声を掛けてきたのはクロスボウを持つ男で、残る二人の内一人は、メーヴェを捕えながら魔物の子供達に妨害された、山賊の様な男だ。
彼女の小さな騎士達は、全て失われてしまったという事である。
「しかし、恐ろしい事だな。魔物を自在に操る能力か。クラウディバッハの魔女の正体は、母親では無く娘だったという事か」
クロスボウを持つ男が、メーヴェに向かって言う。
クラウディバッハの魔女と言うのは、母の二つ名であったと思う。もちろん表立って言われるモノでは無かったものの、召喚士の父とそれを操る母の図式によって付いた、畏怖を込めた異名であったはずだ。
それに魔物を自在に扱う能力と言うのも違う。
今となってはだが、メーヴェはこの子供達には逃げてほしかった。
助けに来てくれた時は嬉しかったが、それも最初の子が腹部を切り裂かれるまでだった。
余りに無謀な戦いを挑む子供達に、無理せずに逃げてほしかった。
もしメーヴェが魔物を操っているというのであれば、もし自在に操れるのであれば、魔物の子供達は親元に逃げているはずだったのに、メーヴェを助ける事に命を懸けた。
ある意味では、メーヴェが命じようとした事に逆らっているのだから、まったく操れていない。
それでも、他の者から見るとメーヴェが魔物を操っているように見えるのだろう。
その結果、唯一生き延びていた魔物の子供まで致命傷を受けた。
まだ息はあるようで、メーヴェの方を見ながら震える手を伸ばしてくる。
メーヴェは追手の男たちではなく、魔物の子供の方を見て、その小さな手を握る。
魔物の子供は弱弱しく、それでも一生懸命にメーヴェの手を握って、魔窟に逃げろと伝えようとしている。
もう助からない事を分かっていながら、それでもメーヴェに逃げろと言っているのだ。
メーヴェの胸までも無い小さな体で、メーヴェの半分も生きていないだろう子供が、死に瀕しながらも彼女の事を思っている。
この男達は、メーヴェを捕える為にやって来た。
メーヴェがこの場で降伏して、この子の命乞いをすれば助けてもらえるだろうか。
そんな有り得ない淡い期待も頭に浮かんだが、魔物の子供の命を懸けた行動を全て無にする事になる。
この子を守る。今度は、私が!
メーヴェはそう決意すると左手で魔物の手を握り、左脇で鞘を抑えると右手で剣を抜いて、男達に向ける。
「抵抗する気か? 小娘の分際で」
そう言ったのは、先にメーヴェを捕えた山賊の様な男だった。
街の人間を切るのか?
ソルの言葉が、メーヴェの中で蘇る。
切れる。
今なら、切る事が出来る。
この子達、いや、もうこの子だけになってしまったけれど、その為にだったら、私は切れる。
メーヴェは強い決意の元、剣を追手の三人に向ける。
その時、激しい雷光がメーヴェの視界を白く不吉に照らし出す。
だが、続くべき雷鳴は無い。
その光の直後、男達はメーヴェの方に緊張と恐怖の目を向ける。
それはメーヴェの剣に対する恐怖ではない。
メーヴェの左手が、力強く握り返される。
喉を貫かれている魔物の子供が、ゆっくりと震えながら、メーヴェの体に縋りながら、それでも立ち上がってきたのだ。
牙を剝き、憎悪の目を男達に向けながら、魔物の子供は立ち上がる。
呼気は乱れ、耳にするのも痛々しく、生命力の全てを焼き尽くすようなその姿は、臆病で非力な魔物の子供の迫力ではない。
それでも、その恐怖は一瞬のものでしかなかった。
いかに牙を剝き、相手を威嚇したとしても、すでに瀕死の魔物の子供である事に変わりは無い。
クロスボウを持つ男が、魔物の子供の方に向ける。
メーヴェは魔物の子供を守ろうとするが、魔物の子供の方がメーヴェをクロスボウの射出口から遠ざけようとする。
瀕死の状態でありながら、魔物の子供はメーヴェを守ろうとしているのだ。
「この女、予想以上に危険だ。貴族の坊ちゃんは傷一つ付けるなって事だったが、無傷でと言うのは難しいな。この魔物を支配する能力は魔窟の中層クラス以上の能力だ。貴族の坊ちゃんの手に負える化け物ではない」
クロスボウを持つ男は、メーヴェに向かってそう言った。