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嫌われ者達の魔窟逃避行  作者: 元精肉鮮魚店
第一章 メーヴェとソル
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第十五話 雨の中の逃避行

 虚を突かれた男は棒立ちになっていたが、メーヴェも同じように棒立ちになっていた。

 こんなに早く来るとは思っていなかったのだ。

 しかも男はすでに剣を抜き、臨戦態勢に入っている。

 唯一棒立ちになっていなかったソルだけは、行動に移るのが早かった。

「ソ……」

 小屋の前に立つ男が何か言いかけた時、ソルは右手の掌底で男の顎を打ち抜き、一発で意識を飛ばすと男を蹴り飛ばし、持っていた剣を奪う。

 ノックしようとしていた男一人で小屋を訪れていた訳ではなく、小屋の前には他に三人が立っていた。

「行け!」

 ソルはメーヴェに言うと、剣の柄で周りにいた男の鳩尾を突き、右隣の男にハイキックを見舞う。

 そこに出来た隙間へメーヴェは飛び出し、土砂降りの中を走る。

「逃げたぞ!」

 ハイキックを見舞われた男は、当たりが浅かった事もあり意識を留めていた為に声を上げる事が出来た。

 しかし、この場でメーヴェを追える者はいない。

 一人無事な男が追おうとしたのだが、それはソルに阻止された。

 小屋から魔窟までは、大した距離は無い。

 だが、目と鼻の先と言う訳でもない。

 メーヴェの足では二、三時間。土砂降りである事と、メーヴェの足回りが相変わらず室内用のスリッパである事を考えると、徒歩の通常速度では三時間以上かかる。

 小屋を経由してくる場合、ソルが何とかしてくれるはずだ。

 が、街から魔窟へ向かう道は何も小屋を経由しなければならないと言う事も無い。

 むしろ小屋は回り道である。

 街からの追っ手は、メーヴェが魔窟へ逃げようとしている事を知っているのだろうか。

 知らない、と思う。

 だが、街から逃げるとすれば、それは魔窟くらいしか無いと言う事も分かっているだろう。

 せっかくの姿隠しのローブも、この土砂降りであれば雨や水滴のせいでその役目を果たさず、すぐに見つかってしまうのではないか。

 と、メーヴェは不安に思う。

 実際にはより視認性が悪くなるので効果が上がるのだが、メーヴェはそんなふうに考える余裕が無く、不安に押しつぶされそうだった。

 ダメだ、余計な事を考えちゃダメだ。

 メーヴェは必死に自分に言い聞かせながら、剣を抱いて魔窟へ向かう。

 恐怖がメーヴェにのしかかってくる。

 雨のせいで視界が悪い。土砂降りの雨音のせいで、近づいてくる者の足音も聞こえない。

 ソルの小屋を出る時に立っていた男は、すでに剣を抜いていた。

 脅す事だけを目的としているかもしれないが、少なくとも傷付ける事に躊躇いは無い連中だと言う事だろう。

 そんな追っ手がこの雨に紛れてやって来る。

 身を隠すところはいくらでもある。

 魔窟までの道は森、と言うほどではないにしても木々はある。整備されている道では無いので、身を隠す事も出来そうな大きな岩もある。

 それでなくても、魔窟の入口前には待ち構えているかもしれない。

 だとすると、むしろメーヴェが姿を隠し、ソルが来るまでやり過ごして合流する方が良いのではないか。

 だが、そこを追っ手に見つけられたら、まず逃げ切れない。

 どうしよう、どうしたらいいんだろう。

 メーヴェの足は、自然と止まっていた。

 土砂降りの中で立ち止まっているメーヴェは、やはり自然な流れで雨宿りの為に近くの木の下へ移動する。

 そこがいかに危険な場所であるか、先程自分でも考えていたにも関わらず。

 雨足はさらに強くなり、雷鳴の唸りが空から響いてくる。

 ただでさえ視界が悪く、雨音のせいで音も聞き取りづらいのだが、メーヴェは目深にフードを被っているので更に視界が狭くなっていた。

 轟く為に唸り燻る雷鳴も、これ以上はないほどに不安を煽るので、メーヴェは身を固くして剣を力一杯に抱き締める。

 剣をこう言う風に持っていてはいざと言う時に使う事が出来ないのだが、メーヴェにとって剣の存在は精神的な拠り所なので手放す事も出来ない。

 それが悪い方に働いた。

 突然、メーヴェは後ろから抱き竦められる。

「え? きゃああああああ! な、な、何、何?」

 あまりに突然の事に、メーヴェはパニックを起こして叫び暴れるが、その腕は太く強く、メーヴェが暴れてもびくともしない。

「捕まえたぞ、領主の娘」

 聞き覚えは無いが、野太い男の声だった。

「ち、ちちちち、違うわよ! 私は、そんな立派なお方じゃ無いわ!」

 メーヴェは必死に抵抗しながら叫ぶ。

「わ、わ、わた、私は、ソルに拾われた魔物よ!」

「下手な嘘だ。何も知らないとでも思っているのか?」

 笑うような声で、男がメーヴェの耳元で言う。

「さて、どっちに売れば儲かるのかな。エヴィエマエウか、エヌエルか。だが、その前に」

 片腕でメーヴェの体を抱き、空いた手でフードを払いのける。

「こりゃ良い。変態の貴族のぼっちゃん達に売るのが惜しいくらいだ」

 メーヴェの美貌を見ながら、男は下卑た顔でゲスな事を言う。

 メーヴェを捕らえた男は、街にこんな男がいたのかと思うような髭面の、まるで山賊のような男だった。

 体付きも逞しく、身長はソルと同じくらいかもしれないが、体の幅は明らかにこちらの方が大きい。

 メーヴェに懐いている魔物の子供達の親と同じような体型、と言うより何もかも魔物と同じかと思える。

 魔物がすっかり懐いたせいか、人とはこれほど醜いものだったのか、とメーヴェは改めて思う。

 あの子供達の親を見た時には醜く恐ろしいと思ったが、この男ほど悪意や欲望の権化ではなかった。

 あくまでも醜く恐ろしい魔物であってもそれは見た目だけで、むしろ魔窟の魔物と言うのであればこの男の方がソレに近い危険さがある。

 メーヴェは剣を抱いたまま抱き竦められているので、この状態から剣を抜いて戦う事も出来ない。

 喉が裂けるほどに悲鳴を上げ、出来る限りの抵抗をしているのだが、メーヴェとこの男とでは単純な腕力が圧倒的に違う。

 どれほどメーヴェが必死になっても、男の拘束から逃れる事は出来ない。

「へっへっへ、いいねえ。暴れろ、暴れろ」

 男はそう言って笑うと、メーヴェに顔を近付けてくる。

 ソルは何をしてるの? 早く助けに来てよ!

 悲鳴を上げながら、メーヴェはそんな事を思っていた。

「ただまあ、ちょっとばかり味見してもバチは当たらないよなぁ」

 男が、メーヴェに囁きかける。

 あ、味見? 嘘、私、食べられるの?

 メーヴェは恐怖に引きつった表情で、男の方を見る。

 今ではこの男は、魔物にしか見えない。この魔物じみた男であれば、頭から貪り食われるのではないかとさえ思える。

「いやああああああああああ!」

 メーヴェは悲鳴を上げるが、それも落雷の轟音に掻き消される。

「へっへっへ、叫べ叫べ。誰もお前なんか助けようとはしねえんだよ」

 男は怯えるメーヴェの反応を楽しむように言うと、彼女の頬を舐めあげる。

 ほ、本当に私を食べるつもりなの? 他に食料くらいあるでしょ? こいつ、街に住んでるのよね? 魔窟から出てきた魔物じゃないの?

 これまでの、それこそ先月までのメーヴェであれば、稲光や雷鳴だけで十分過ぎるほどの恐怖を感じていた。

 あまりの恐怖に、ハンスに何とかしろと泣きながら訴えた事もある。

 だが、今日は違う。

 雷鳴や雷光は、これまで通り怖いのは変わりない。

 それでも今はより逼迫した恐怖が、文字通り口を開いているのだ。

 殺される? それとも、生きたまま食べられるの?

 もはや悲鳴すら上げられない。

 さほど寒い訳でもないのに、体の震えが止まらない。全身が強張っているのに、全身に力が入らない。

 助けて。誰か、助けて! 

 恐怖に涙が溢れ、声も出せないメーヴェは本能的に身を縮めようとする事しか出来ない中で、強くそう祈っていた。

 祈る事しか出来なかった。

 ハンスは? ハンスはどうしたの? 助けに来てくれないの?

 今まではメーヴェが困った時には、傍にいて助けてくれた。いつもメーヴェの事を気にかけてくれていたし、こういう不貞の輩を近付けない事もハンスの役割だった。

 屋敷内において、メーヴェは両親より長くハンスと共にいた。

 そのハンスも、メーヴェの前に現れてくれない。

 唯一頼れるのは、いつもメーヴェをいないモノとして扱う失礼極まりない片腕の男、ソルのみなのだが、そのソルもすぐには来れそうにないだろう。

 メーヴェは男の不快な荒々しい鼻息を耳元で聞かされながら、必死に祈り続けた。

 この数日の生活でそうやって祈っても誰も助けてくれない事は、イヤと言うほど思い知らされていたのだが、メーヴェに出来る事はそれくらいしかない。

 それでも、男の行動が変わったのは極限状態のメーヴェでも気付いた。

 これまでは暴れるメーヴェを抑える事を主としていたはずだったが、片腕でメーヴェを抑える事が出来ると分かったためか、自由に動かせるようになった右手で、メーヴェの体をまさぐり始めたのだ。

「ひぃっ!」

 メーヴェはあまりの不快さに、息を飲む。

 こ、この男、まさか……! 嘘でしょ? こんな、外で、土砂降りの中で? せめて綺麗なベッドで……って、違う! 逃げなきゃ! この私が、こんなヤツに……!

 せめて両手が自由にならなければ、抵抗のしようがない。

 ひたすら体を捻って男の手から逃れようとするが、男はそれさえも楽しんでいる。

 絶対的優位に立っているという事、メーヴェがどれほど抵抗しても腕力で負ける事は無いと言う事が分かっている事などが、男に楽しむ余裕を与えていた。

 抵抗は無駄だとメーヴェ自身も感じ、諦めが彼女を支配し始める。

 もう、何もかも諦めて身を委ねても良いのではないか。どうせ魔窟へ逃げたところで、魔窟の魔物に殺されるだけである。それだったら、ここでこの山賊みたいな男に穢され、街の者なりへっぽこ貴族なりに身売りされるのも、大差無いのではないだろうか。

 そんなメーヴェに喝を入れるように、雷鳴が轟く。

 激しい雨と頻発する落雷の激しい雷鳴と雷光は、必ずしもメーヴェにとってだけ不利益と言う訳ではなかった。

 メーヴェにも伝わってくるほどの衝撃を後ろから感じ、そのままずるずると男が前のめりに倒れる。

 え? 雷?

 もしそうだとすると、メーヴェも無事では済まないのだが、今の彼女にはそれらの判断が出来る状態ではなかった。

 メーヴェが恐る恐る振り返ってみると、後ろから男に襲いかかったと思われる魔物の子供が、太い木の棒を持って大きく肩で息をしていた。

 その子に遅れて、残りの四匹の魔物の子供がやって来る。

 森が行動範囲の限界値だったはずの魔物の子供たちが、森から出てまでメーヴェを助けに来てくれたのだ。

 魔物の子供の一体が、メーヴェのローブを引っ張る。

 逃げようと言っているのだ。

 その子、メーヴェの目には唯一の女の子ではないかと思われる魔物の子供が引っ張っているのは、森の方ではなく、魔窟の方へ向かおうとしているのも分かる。

 メーヴェは頷くと、魔物の子供達と一緒に木陰を出ようとした。

 しかし、いかに不意を突いたと言っても非力な魔物の子供の一撃であり、それだけで意識を飛ばしたり、絶命させる事も出来なかった。

 倒れた男が、左手で後頭部を押さえ、右手でメーヴェの足を掴んだのだ。

「逃がすか、小娘が」

 泥まみれになった男が、憎悪に歪んだ顔をメーヴェに向ける。

 それは魔物より恐ろしく、醜い形相だった。

 それに気付いた魔物の子供の一体、最初に殴りかかった子は、獣のような咆哮と共にメーヴェの足を掴む男に棒で殴りかかる。

 その行動からリーダー格の子かと思っていたのだが、よく見ると今闘争心をむき出しにしているのは、指を咥える癖のある甘えん坊の子だった。

 他の子達もその子の援護に行き、メーヴェの元にはローブを引っ張って逃げようと訴えている一体だけになった。

 ここは、この子達に任せよう。

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