第十四話 雨の夜
その日はかなり強い雨が降っていた。
この小屋は雨漏りこそ無いが、風が強い時にはそのまま潰れるのではないかとメーヴェは不安に思う。
ソルはこの小屋にずっと住んでいるのだから、きっと大丈夫だと信じたいのだが、片腕の割に信じられないほど器用な男なので、小屋が潰れたら新たに建て直したりしているかもしれない。
もう一つ、雨の日の問題がある。
外に出られないのだ。
外に出ても友人などはいないのだが、ここ数日は魔物の子供達が戯れてきた。
友達とは言えないが、愛らしさも感じてきた。
が、昨日魔物の親も来た時には本気で焦った。
子供達はキモ可愛いところもあるが、その親ともなるとキモ怖いだけで、場合によってはキモキモい生き物である。
魔物の子供はメーヴェの胸までもない程度の大きさなのだが、その親はメーヴェどころかそれなりに長身のソルより縦も横も大きく、醜さにも磨きが掛かっていて威圧感すらある。
魔窟から出てくる魔物と言うのは、魔窟の中でも極めて浅い階、大体最初の一層から出てくると聞いていたし、一層の魔物は取るに足りない魔物で、多少武器を扱えればあしらう事も簡単だと聞いた。
実際にソルはメーヴェに魔窟で稼げと言っていたのだが、あの魔物の親を見る限りではとても簡単にはいかないと思われる。
少なくともメーヴェでは、あの魔物の親と喧嘩になったら一方的にボコボコにされるのは目に見えている。
子供から戯れられる分には構わないが、親まで参加となるとさすがに遠慮したい。
外に出られない事による弊害は他にもある。
ソルと一緒にいなければならない事だ。
特にメーヴェに対して何か不愉快な事をすると言う訳ではないのだが、口数が多いとは言えない上に、基本的にメーヴェの事をいないモノとして扱うので息苦しさを感じるのだ。
メーヴェが好んで外に出ていくのもそれが原因なのだが、雨が降っていてはその息苦しさもさらに増している。
ソルはというと、相変わらず黙々と『審判』の女神像を彫っている。
それ以外に作らないのかと気になる。売り物と言うのであれば、必ずしも女神像に拘らなくても愛らしい動物などでも良さそうなモノだ。
それだって十分取引出来ると思うし、ディティール的にも簡単そうに見えるので、お金が欲しいのであれば良い方法だと思うのだが。
まあ、ソルが金儲けの為だけに彫像を彫っているとは考えにくい。
こう言う時に趣味があれば良いのだが、メーヴェには趣味らしい趣味と言うのが無かった。
日中は学校があり、家に帰ると貴族としての作法やらの習い事が多く、夜には十分な睡眠を取る事を心がけていたので、ある意味多忙だったのだ。
そんな中でも絵を書く事は好きだったのだが、この小屋には画材なども無い。
せめて会話を楽しめれば良いのだが、ソルにその意思が無いのは明らかだ。
魔物の子供だってあんなにメーヴェを楽しませようと努力してくれたのだから、大人の余裕として、かつ紳士の嗜みとしてソルも少しくらい気を遣ってくれても良いのではないかとメーヴェは思う。
こう言う時には、やはり年上の方からアプローチをかけて緊張をほぐしてくれるモノでは無いのだろうか。
メーヴェはそう思いながら、ソルを見る。
だからと言っていきなり何かされても困るのだが、少しくらい楽しく会話してくれても良さそうなモノではないか。
例えば魔窟探索の話とか。
木に登った時の動きは人間離れしていたし、まだメーヴェが借りっぱなしの名剣も魔窟探索で手に入れた一品のはずだ。
ハンスが指名するほどの人物と言う事もあり、きっと数々の武勇伝を持っているのだろうから、話のネタが無いはずがない。
その中にはすべらない話もあるだろうし、恋バナもあるかもしれない。
そんな事を期待していたのだが、メーヴェの視線に気付いていないのか意図的に無視しているのかは分からないが、ソルは彫像から視線を動かそうともしない。
素振りでもしようかな。
メーヴェは抱いている剣を見るが、この狭い小屋の中で切れ味抜群の剣を振り回すのはさすがに迷惑だろう。
うっかり屋根に穴でも開けてしまっては、せっかく雨漏りいない小屋が台無しになってしまう。
さすがにそれは避けたいと思うし、場合によってはまた剣を向けられる事も考えられる。
キモ怖い魔物と比べると見た目は向こうの方が怖いが、危険度で言えばこっちの方が数倍危険なので、素振りは止めておく。
あの子達、大人しくしてるかな。
メーヴェはすっかり懐いた、五匹の魔物の事を考えていた。
最初はまったく見分けがつかず、近寄られる事にも抵抗があったが、毎日見ていると見分けがつくようになってきた。
リーダー格の子は、全員で並ぶと若干体付きが逞しい。
その子をライバル視しているのが、リーダー格の子より少し細く、ちょっと背が高い子だった。
正直なところ、五体の魔物の子供達の中でこの二体の見分けが一番難しいと言える。
いつも空を見上げてぼんやりしている、おっとりした子もいた。
リーダー争いをしている二匹とは明らかに違い、鳥や蝶を目で追いかけている事が多いので分かりやすい。
指を咥える癖のある子もいる。
残念ながら見た目に可愛くないので、その仕草も可愛くはないのだが、甘えん坊そうな雰囲気を醸し出している。
残りの一体は、ひょっとすると女の子かもしれないとメーヴェは思っていた。
いつもメーヴェの隣にいて、一番懐いている。
ぼんやりした子や甘えん坊な子がメーヴェのところに行くとリーダー争いしている二匹が怒るのだが、その子だけはいつもメーヴェの近くにいても怒られない。
花の冠を作ったりしたのも、この子である。
メーヴェの頭の上に何か乗せたがる子なので、メーヴェの方から花の冠をその子の頭に乗せてやると、歯を剥き出しにして満面の笑みを浮かべていた。
その笑顔も正直怖いのだが、他の子達がキモ可愛いのに対し、その子は不細工でも気持ち悪くは感じないので、ブサ可愛いに変わっていた。
言葉が通じないので『会話を楽しめない』と言う点ではソルと一緒だが、あの子達はメーヴェを楽しませようとしてくれる。
そういう意味では、ソルと一緒に小屋に閉じ込められているよりマシである。
しかし、あの魔物の子供の行動範囲は森までで、メーヴェにどんなに懐いていても森から出る事は無い。
この小屋までついて来ていない事でも、それはわかる。
なので、遊びに来ると言う事も無い。
まして今はかなりの豪雨である。いかに魔物でも、この雨の中外で遊んでいると言う事は無いだろう。
……多分。あの子達なら、逆に喜んで走り回っているかもしれないけど。
魔物の子供達、特にリーダー争いしている二体は自分達をメーヴェの護衛のつもりになっているようだが、実際の戦力はまったくアテにならない。
以前メーヴェと魔物の子供達の前に仔犬の野犬が現れた事があった。
小汚く見窄らしい姿で、もし街で見かけたら追い払っていただろうが、今のメーヴェの目にはこれ以上無いくらい愛らしい生き物に見えた。
短い尻尾を盛んに振ってメーヴェのところに来たのを、魔物の子供が遮ろうとする。
それに対し、仔犬は『ひゃんひゃん』となんとも頼りない吠え方をした。
それだけでメーヴェの後ろに隠れるくらい、まったく話にならない護衛である。
アレじゃ役に立たないわね。もっと修業してもらわないと。
街では忌み嫌われ害獣扱いを受けている魔物だが、ここまで懐かれると言われるほど危険でもないのかも知れない。
メーヴェはそう思っていたが、この部屋には特に見るものも無いので一心不乱に彫像を彫っているソルを見ていた。
あの作りかけの像を完成させる気は無いのだろうか、と疑問が沸く。
アレは別格の完成度なので、逆に彫る事が出来ないのかもしれない。
その事を口にすると剣を向けられかねないので、黙っている。
そんな暇を持て余していたメーヴェだったが、それを引き裂く事が起きた。
「旦那、まだいるか?」
小屋にしばらく顔を見せていなかった闇商人が、慌てた様子で走り込んできた。
「どうした? らしくない慌て方だが」
ソルバルトは闇商人に言う。
「旦那、それどころじゃない。今すぐ逃げるんだ!」
闇商人の逼迫した雰囲気に、メーヴェもソルバルトも眉を寄せる。
「何があった」
「街の連中がやって来るぞ。領主の娘を差し出せってな」
「え?」
メーヴェは思わず声を上げる。
街の連中と言われても、ここしばらくメーヴェは街の人間には会っていないし、あの魔物の子供達や小魚達から情報が漏れたとは思えない。
ソルにしてもほとんどこの小屋にいるし、この小屋を訪ねてくるのは闇商人くらいで、それ以外の人物をメーヴェは見た事が無い。
闇商人に対しては正体を隠していたので、バレていないはずだ。
「差し出せと言われてもな」
「武器を持ってここへ来る。逃げるとしても、魔窟くらいしかない。色々話したい事はあったが、とにかく時間がない。急いで逃げてくれ」
闇商人はそう言うと、メーヴェの方を見る。
今のメーヴェはフードを払っているので、闇商人は初めてメーヴェの顔を見たはずだ。
「あんたには稼がせてもらったからな。生き延びろよ。魔窟でも金は役に立つはずだ」
そう言うと、闇商人は小屋を出て行こうとする。
「旦那、悪い。俺に出来るのはここまでだ」
「ここまでやってくれれば十分だ。礼を言う」
ソルの言葉に頷くと、闇商人は豪雨の中へ去っていく。
「魔窟へ逃げる、か。だとすると、食物はあった方が良いな」
まだ状況を把握出来ていないメーヴェと違い、ソルはテキパキと動く。
「え? ちょ、どう言う事? 何がどうなってるの?」
メーヴェは混乱しながら尋ねる。
ソルは面倒そうに思ったのか答えるのをためらったのか、一瞬の間があったが、軽く溜息をつく。
「どうやら、領主の娘には賞金が掛かっていたらしい。しかも、どうやら生け捕りでないと賞金は出ないそうだ。それに釣られた奴らが、ここにお前を捕まえに来るって事だ」
ソルの言葉に、メーヴェは数日前に街へ行った時に聞いた会話を思い出す。
たしかあの時は、今回敗れた貴族の残党や貴族としての格が低すぎるエヴィエマエウ家にとって、メーヴェはシンボルとして役に立つと言うような内容だったはずだ。
シンボルとして活用したいのであれば、メーヴェは生かして捕らえなければ意味がない。
貴族としての箔をつけたいと思っているらしいエヴィエマエウ家にとっては、最悪死体でも構わないのかもしれないが、利用価値は雲泥の差と言えるだろう。
と言う事は、下手に抵抗しなければメーヴェに危害は加えられないのではないか、とも思う。
思うのだが、それじゃ捕まって流れに任せよう、と言うところまで楽天的にはなれない。
街で偶然聞いた限りでは、街の者がメーヴェを保護する為に来てくれたと言う事は考えられないので、街の者から逃げなければならないのはわかる。
では一応の貴族家である、エヴィエマエウ家はどうか。
街の者達とは目的が違うので、もしかすると保護してもらえるかも知れない。箔を付けると言っても、それは討伐する事だけを指す訳ではない。
ましてエヴィエマエウ家の父も息子もメーヴェにベタ惚れなので、まず間違いなく生かして保護してもらえると思う。
そこだけで考えるなら、ここで無理に土砂降りの中、しかも魔窟に逃げるよりマシだと思えるのだが、問題はその後だ。
とにかく酒癖の悪い一族なので、保護した以上自分達の方が上だと思うであろう連中がメーヴェに何をしてくるか分からない。
ある意味ではソルは紳士的と言え、ここのところずっと一つ屋根の下で二人きりであるにも関わらず、メーヴェに指一本触れてこなかった。
しかし、あの貴族とは思えない下賤な一族もそうとは限らない。
と言うより、絶対そんな事は無い。
クラウディバッハ家から出入り禁止を言い渡されたのも、親子揃って酔っ払ってメーヴェにセクハラ発言を繰り返した事が原因である。
発言だけでなく、実行出来るようになった場合、あの一族がメーヴェに何をしてくるかを考えれば、エヴィエマエウ家より魔物の保護を受けた方が遥かにマシに思えてしまう。
あの魔物の子供達を見ていると、衛生面では非常に問題がありそうではあるが、少なくともメーヴェの事を大事に思っていて、彼女に尽くそうとしている事も分かる。
ある意味、最近メーヴェの周りで一番貴族として扱ってくれていると言えた。
街の住民や貴族モドキ共より、むしろ魔物の保護を受けた方がマシと言うのもおかしな話なのだが、現状ではそうとしか思えない。
あれほど恐れていた魔窟が、今ではもっとも安全な場所の一つとなっているのだ。
行動の指針が決まると、メーヴェも動き始める。
まずは先程闇商人が言っていたように、お金は何かと使い道があるのでしっかりと貯めたお金の入った小袋を腰に巻きつける。
剣もしっかり抱いているので、メーヴェの荷物はこれくらいしか無い。
「おい、コレ持て」
ソルバルトはそう言うと、メーヴェに背負袋を放り投げる。
「きゃっ! な、何?」
「食物だ。魔窟でも手に入りはするが、意外と足りなくなるからな。他に荷物は無いか?」
無い、と答えようとしたのだが、一つだけ心残りがある。
あの作りかけの彫像を持っていけないだろうか、と言う事だ。
荷物は少ない方が良い事は分かるし、それを持つのが自分だと言うのであれば尚の事余計な物は持ちたくない。
だが、あの彫像は小さいし重量もまったく大した事が無い。この背負袋の中と言わず、メーヴェが腰に下げているお金を入れた小袋にだって入る。
持っていったらダメかな? 遊びじゃ無いって怒られたりするかな?
「行くぞ」
「ちょ、ちょっと待って」
ソルが小屋を出ようとしたので、メーヴェは慌てて引き止める。
やっぱり勿体無い。アレはここに置いていって良いモノじゃない。
メーヴェはソルの視線も気になったが、思い切って『審判』の女神像が並んでいる机の上から、あの作りかけの彫像を持って行く。
ソルバルトはそれに対して何か言いかけたが、溜息をつくだけでメーヴェに対して何も言わなかった。
あれ? ソル、丸腰?
メーヴェは剣の他に背負袋を担いでいるし、お金も持っている。それに対してソルは武器どころか傘も持っていない。
雨合羽など雨を避けるモノも身につけていないので、武器を持っていないのは誰が見ても分かる。
それとも隠し武器を持っているのか。
メーヴェが心配する必要も無い事だとは思うが、本来剣を使えるソルこそメーヴェが抱いている剣を持つべきなのではないのだろうか。
そう思っていたのだが、ソルはそんな事は気にせずに小屋の扉を開ける。
そこには、今まさにノックしようとしていた男が立っていた。