第十二話 メーヴェの剣訓練
毎日のように来ていた闇商人は、それから三日ほど姿を見せなかった。
喧嘩したのかな、とメーヴェは心配そうにソルを見ていたが特に変化は見られなかった。
メーヴェは改めてソルバルトに戦い方のコツを教わろうとしたのだが、返って来た答えは、
「腕がもげるくらい、剣を振れ」
と言うモノだった。
それのどこが戦い方だと言いたくなったのだが、よくよく考えてみると剣を振り慣れているかどうかと言うのは、戦闘においては意外と重要なのかもしれない。
貴重な話し相手である闇商人がいないとヒマになり、ソルも会話を楽しむ様なタイプではないので、メーヴェは剣を抱いて外に出る。
一応果物を取ろうとした時に剣を振ったのだが、同じところを狙おうとするとけっこう難しかったのを思い出す。
腕がもげるまで、と言うのはともかく、素振りというのは必要だ。
剣の鍛錬と言えば、素振りと言うイメージはメーヴェにもある。
メーヴェはそう思いながら、果物の木の方へ向かう。
別にあの木自体に恨みは無いのだが、なんとなく練習台として選んでしまった。
もしかするとまた(子供だったとは言え)魔物の群れがいるかもと言う恐れもあったが、今日はそんな事は無かった。
メーヴェは剣を抜くと鞘を足元に置き、両手でしっかりと剣の柄を握る。
この剣は一級品であり、市販されている剣と比べると軽く、その硬度や切れ味なども遥かに上回る。
腕前さえあれば、この木も両断出来るのではないかと思うのだが、さすがにメーヴェにはそこまでは出来そうにない。
剣の振り方などもけっきょく教えてもらえなかったので、まずは自己流で剣を振ってみる。
剣を振る上で気をつける点は、極端に言えば一つだけである。
刃の部分を当てる事。
借り物の剣は基本的には片手剣であるのだが、それはあくまでも基本的であり、使用者が筋力に優れた男性である事を想定されている。
メーヴェもまずは片手で振ってみたのだが、素振りであればある程度振れたとしても、木に向かって打ち込んでみると、衝撃を片手で受け止める事が出来ず手首や肩を痛めそうになった。
剣も木に食い込みはするのだが、それはかなり浅く、引き抜く事もさほど難しくない。
両手で振ってみると、全力でなければ比較的狙ったところに当てる事は出来る。
それはまるで、剣の方から導いてもらっているかの様な感覚だった。
剣を振る時、声を出した方がそれっぽいかな、とメーヴェは思う。
「……えい、やあ」
ど素人のメーヴェが遠慮がちにでも声を出して振ってみると、思いのほか気分が乗ってきた。
「やあ! とあー! きえー!」
ちょっと楽しくなってきて、どんな気合の掛け声が良いのかを試してみる。
これまで貴族の令嬢としての立ち振る舞いを最重視してきたので、こうやって大きな声を上げる事自体が無かったメーヴェである。
実は興味があったのだ。
男子の格技の時間など、奇声を上げてぶつかり合うのを見ながら、男って野蛮よねとか、はしたないとか言いながら、実はやってみたかったと言う一面は確かにあった。
この森の中には誰もいないので、思い切りやってみる。
考えてみると、ここに来て色々と大胆に行動しているとメーヴェ自身が思う。
川で水浴びしたり木登りしたり、とても貴族の令嬢としてあるまじき行為であり、ここへ来なければ水浴びはともかく、木に登ったり大声を上げて剣を振り回す事など無かっただろう。
ただ、こんな事をしている場合では無い事くらい、メーヴェにもわかっている。
両親はどうなったのだろう。家の使用人は、ハンスはどうなったのか。
家は焼け落ち、原型を留めていなかった。
ただの火事であるはずがない。
街でも別格の実力を持っていたはずの両親は、あの屋敷の中で何があったのか。
何故自分が狙われているのか。
身の危険は逼迫したものであり、メーヴェはどれほどの大金を手に入れたとしても街に近づけないのだから、買い物も出来ない。
何とかしないと。
それにはまず他の者の手を借りなければならないのだが、ソルはやっぱりダメだ。
ソルがメーヴェに対して直接的な害意を持っているわけでは無さそうだが、あの男には協調性と言うモノや、女性に対する気遣いと言うモノが欠落している。
ソルがどんな人生を歩んできたかをメーヴェは知る事が出来ないにしても、メーヴェほどの美少女にはそうそう会っていないはずだ。
それにも関わらず、まったく関心を示さない。
あの闇商人と初めて会った時の会話を思い出すと、ソルの好みは恐ろしくマニアックと言う事になりそうなので、メーヴェの美貌もあまり効果が無さそうだ。
その他に協力してくれそうなのは、あの闇商人くらいしかいない。
話してみると気さく、とまでは言えないもののソルより知的で分別のある人物である。
ただし無法者であり、反社会勢力側の人間である以上、領主の娘としては出来るだけ接点を持たない方が良い人物でもあるのだ。
しかし、もし協力を求めるとしたら闇商人になるだろう。
ソルにはすでに断られているので、他に選択肢が無い。
今度来たら、頼んでみようかな。
代金が幾ら請求されるかも怖いところではあったが、メーヴェの手元には大金とまでは言えないまでも、それなりに貯まってきている。
両親の無事が確認出来れば、足りない分も払ってくれると思う。
それに闇商人は馬鹿ではないのだから、領主に恩を売れるチャンスとなれば、メーヴェを助けてくれるかもしれないし、何よりあの闇商人はメーヴェに好意的なところがある。
……多分。
十分有り得る事だ。よし、次に闇商人が来たら頼んでみよう。
次の行動が決まったところでメーヴェは一息ついて周囲を見回すと、まったく気付かないうちに魔物の子供が数体近付いて来ていた。
また果物を採ってもらえると思っている、と言うようには見えない。
魔物の群れは手に木の枝を持ち、メーヴェに気付くとそれを剣の様に振り回したり、奇声を上げて飛び跳ねたりしている。
威嚇しているのか、とメーヴェは身を固くする。
もしかすると、この果物の木は魔物達にとっては御神木に当たる木で、それを守りにきたのかもしれない。
と、メーヴェは警戒しながら後退りしたが、魔物達はメーヴェを真似てか果物の木を手に持った枝で叩き始める。
御神木と言う訳ではないように見える。
と言うより、魔物の子供達はメーヴェの真似をしているようにしか見えない。
メーヴェは戦う為の技術を身に付けようとして剣を振っていた。それを真似ていると言う事は、この魔物達も戦う技術を身に付けようとしているのかもしれない。
メーヴェはそっと足元の鞘を拾う。
こっちには武器がある。それに対して魔物の側はせいぜい木の枝なので、武器の優劣については話にならないレベルでメーヴェの方が優れている。
問題は数だ。
子供に見えるとはいえ、魔物の数は五体。いかに名剣を持っているとはいえ、メーヴェはど素人であり、五対一では勝負にならない。
ここは逃げた方がいい。
戦士であればそれは恥かもしれないが、メーヴェは戦士ではなく、か弱い美少女である。貴族の娘であれば、戦う事より危険を避ける事を優先させるべきだ。
魔物達は果物の木を枝で叩きながら、それでも時々メーヴェの方を見て奇声を上げている。
襲いかかってくるかもしれない以上、ここから早く逃れるべきなのだが、メーヴェは相変わらずスリッパなので全力疾走には向かないのだ。
剣を魔物の方に向けながら、メーヴェは少しずつ後退りする。
助けを求めなければならないが、この近辺で言えば小屋にソルがいるだけであり、それ以外に助けてくれそうな人物はいない。
小屋はそう遠くないのだが、今すぐ全力疾走した場合すぐに魔物に追いつかれる。
魔物の内一体が、後退りするメーヴェに気付いたらしく、メーヴェの方に木の枝を向ける。
来るか、とメーヴェは身構えたが、魔物の子供はメーヴェに枝の先を向けた後、すぐに木の上の方に枝を向ける。
襲いかかってくるような雰囲気では無いのはわかるが、相手は魔物。こちらを油断させて襲いかかってくる事は十分考えられる事である。
警戒するメーヴェに、別の魔物も同じ行動をとり始める。
最終的には、五体の魔物が全て同じ行動を取っていた。
もしかして、果物を採ってくれと言っているのだろうか。
だとしたら、冗談ではない。魔物の子供に採ってやるくらいなら、自分で採って食べている。
大体、可愛くない。
これが小鳥だったり小動物であれば頑張ろうと思うのだが、この魔物の子供達にはまったく情が沸かない。
可愛くないどころか、ちょっと怖いくらいだ。
そんな魔物の為に、木に登ろうとは思わない。
メーヴェはいつでも逃げ出せるように身構えながら、魔物の様子を伺う。
メーヴェが動かないところを見ると、魔物達は枝を捨ててお互いに協力しながら木に登り始める。
何よ、自分達で採れるんじゃない。
頑張って無理だったから、採ってきてほしいとでも言えば可愛げもあるのだが、それさえ無いのであれば憎たらしいだけである。
むしろ子供と言っても動きは俊敏で、メーヴェより運動神経は良いかもしれない。
これはスリッパだからとか言う以前に、全力疾走しても追いつかれそう。もう、今から逃げた方が良いかも。
段々不安になってくる。
魔物の子供の腕は細いので腕力などはそれほどでも無いはずだが、それはメーヴェにも言える事である。
剣のアドバンテージだけでは、いかに子供が相手でもやはり五体は厳しすぎる。
メーヴェは不安になっていたのだが、魔物の子供達はメーヴェが想像もしていなかった行動をしてきた。
魔物達は木の高いところまで登って果実を採ってくると、それを手にメーヴェの方にやって来たのだ。
今は武器になる枝も持たず、大きな果実だけを持ってメーヴェの方にやってくる。
これはどういう事? この前のお返し? 魔物が?
メーヴェは剣を向けたままだが、魔物はその剣に恐れを見せるような事も無く、メーヴェに果実を差し出している。
メーヴェの胸までも無い大きさの魔物が、果実を差し出してジッとメーヴェの方を見ている。
これはどうした方が良いんだろう。
今ではお金もあるので、気分次第であったとしてもソルから食べ物をもらう事も出来るので、この酸味が強い果実を囓る必要も無くなったし、誇り高い貴族の娘が魔物から施しを受けるような屈辱に甘んじる事も無い。
だが、これを払いのけると襲いかかってくるかもしれないと言う恐怖がある。
それに、いくら魔物であったとしても子供の純粋な目を向けられると、さすがに剣で解決しようと言うのも無粋極まりないと思えてしまう。
一応剣は抜いたまま、メーヴェは魔物の子供から果実を受け取る。
しかし、受け取ったものの魔物の子供はメーヴェを見たまま動こうとしない。
まだ何か要求しているみたいだが、言葉が通じないので何を要求しているのか分からない。
飛びかかってくるつもりじゃ無いでしょうね。
メーヴェは恐る恐る魔物の子供を見るのだが、魔物の子供はじっとこちらを見ている。
食べるのを待っているのかな?
メーヴェは果実を囓ろうとしたのだが、別の魔物の子供も果実を持っているのが見えた。
もしかして……。
メーヴェは剣を使って果実を半分に割ると、それを魔物の子供に渡す。
どうやら正解だったらしく、魔物の子供は飛び跳ねて喜んでいる。
同じように別の魔物の子供が果実を差し出してきたので、仕方無く同じように半分に割ってやると、その魔物の子供は、半分の実の片方をメーヴェに差し出してきた。
魔物の子供は五体で、持っていた果実は三つ。それぞれを半分ずつにしてやると、半分余る事になる。
メーヴェはその半分の果実をもらうと、魔物達は一斉に果実を食べ始める。
……あれ? 何か、可愛いぞ? コレ、魔物よね?
見た目には不細工で、醜悪と言っても差し支えないレベルの魔物の子供達なのだが、どこか愛嬌のようなモノを感じる。
キモ可愛いって、こういうの?
魔物の子供の一体が、枝を持って来てメーヴェに見せてくる。
おそらくメーヴェが剣を持っているので、それを真似ての事だろう。
よくよく考えてみると、クラウディバッハ家は召喚士と魔物使いの家系である。
召喚した魔物との契約の元で魔物を使役していると思っていたのだが、魔物から好かれるから魔物使いとして名を馳せてきたのかもしれない。
メーヴェはふとそんな事を考えていた。
だとしたら、先祖代々魔物使いだったクラウディバッハ家の血に感謝だわ。
キモ可愛いと思えるようになった魔物の子供達を見ながら、メーヴェは微笑んでいた。
ただし、クラウディバッハ家は先祖代々魔術師、特に召喚士としての家系であり魔物使いとしての血筋とは疑問符がつくと言う事を、メーヴェは知らなかった。




