第十一話 不可解なメーヴェの秘密
「ソル、お願いがあるんだけど」
朝食とも昼食とも言えない様な時間帯の食事の時、メーヴェは意を決してソルに向かって言う。
これまで闇商人の物品自慢に付き合っていたせいか、毎回お小遣いを置いていってくれているので、割とお金も貯まってきた。
ちょっとした買い物も楽しめるくらいの金額になっているのに、残念ながら使いどころが無い。
使い道はあるのだ。
まずは何より新しい服と下着、靴が欲しい。
それを買えるだけの金額はあるのだが、残念な事に売ってある場所へ行く事が出来ないのである。
出来れば買い出しをソルに頼みたいところだが、それが上手くいかない事は既に実証済みである。
メーヴェが頼みたいのはそう言う事ではない。
もっとソルに向いている事だった。
「私に戦い方を教えてくれない?」
「はぁ?」
メーヴェの頼みに、ソルは気が抜けた様な声を出す。
「……はぁ?」
ソルが食事の手を止めて、メーヴェの方を見る。
確かにメーヴェは戦う事には向いていない事くらい、言われなくても自覚している。
しかしソルがその事を確認してきたと言う事は、彼なりにメーヴェの事を心配してくれているのだろうか。
数日とはいえ期間寝食を共にしていると言えなくもないので、メーヴェの美貌に気付いて情が沸いたのかもしれない。
だとすると、素晴らしく良い傾向である。
「だって、自分の身は守れるようになっておきたいし」
「お前がぁ?」
ソルは眉を寄せている。
案外心配性なのだろうか。それとも、メーヴェに危ない事はさせられないと気を使ってくれているのだろうか。
メーヴェが怪我でもして美貌に傷でも付いたら大変な事で、それはかなり大きな損失と言っていいはずだ。
そうならない為にも、メーヴェは最低限自分の身を守る術を身に付ける必要があるのだ。
と、言う結論に行き着いたのだが、ソルの表情を見る限りではどうも理解されていないように見える。
なんでだろう?
しごくまっとうかつ当然の帰結点のはずだが、ソルは何故こうも妙な顔をするのか、メーヴェには理解出来なかった。
「自分の身を守るって、それがどれほどの事か分かっているのか?」
「え? どれほどって?」
一通り剣の扱い方を知れば、自分の身を守る事は出来るのではないのだろうか。
貴族の学校で女子は習わないのだが、男子は最低限自分の身を守れるようにと言う事で武器の使用法の授業があった。
アレさえ習っておけば身を守れる、と言う事では無いのだろうか。
と、メーヴェが尋ねると、ソルは深々と溜息をつく。
「言っても無駄だとは思うが、一応言っておこう。どれほど武芸を身につけても状況や環境次第で自分の身を守る事は出来なくなるぞ」
ソルはそう言うと自分の左腕を見る。
そこにあるはずだった腕。
だが、メーヴェは別に魔窟の最深部を目指そうと言う訳ではない。
街に買い物に行った時に、もし万が一襲われる様な事になった時に撃退出来るくらいになればそれでいいのだ。
その事をソルに説明したのだが、
「物凄く簡単に言うけど、不可能だからな、それ」
ソルは呆れて溜息すら出なくなっている。
「街に買い物に行きたいのか?」
「え? 行ってくれるの?」
「誰が行くか。どうも勘違いしているようだから教えておくが、街の連中の危なさは魔窟で言えば中層クラスの危険度だ。法律があるぶん、魔窟よりタチが悪いぞ」
ソルは吐き捨てるように言う。
彼にしては珍しく感情を表に出している。
別に無感情と言う訳ではないのだが、大抵のことに無関心なので、ここまで感情を出す事は滅多になく、少なくともメーヴェは初めて見た気がする。
何しろ剣を向けるときにさえ、殺気は向けても感情を表に出さないような男である。
「それに、戦う術を身に付けたとして、その相手は街の連中と言う事で良いのか?」
念を押されると、メーヴェも答えに詰まる。
「俺はまったく構わないんだが、お前、街の人間を切るのか?」
そう言われると、そう言う事になってしまう。
何がどうなっているのかはメーヴェにも分からないが、メーヴェは街の人から探されている。それも保護目的ではなさそうのだから、見つかったり捕まったりするわけにはいかない。
その為に戦う術を身に付けようと思ったのだが、それはソルが言う通り、街の住人を切ると言う事にほかならない。
「い、いえ、私が切るんじゃなくて、身を守る為だから……」
「身を守る為だというのなら、戦う方法を考えるのではなく、いかにして戦わないかを考えるべきじゃないのか」
らしくない物言いであるが、その言葉にも一理ある。
「それに、俺自身戦い方を教わったわけじゃないから、教える事も出来ない」
「何かあるでしょ? コツみたいなモノとか」
「腕がもげるくらい、剣を振れ」
「……もげる?」
メーヴェは首を傾げたが、ソルは食事を再開する。
話は終わりだ、と言う事を態度で示している。
この態度や言葉から、お金を払っても教えてくれそうには無いのは分かる。
それにソルが言う通り、街の住人から襲われた時にメーヴェが剣で切るのかと言われると、そこは躊躇ってしまう。
もちろん、いざとなれば切らないといけないだろう。
そもそも下々の者がメーヴェに危害を加えると言うのが身の程をわきまえない、通常では考えられない暴挙である。
それであれば切って捨てる事もやむを得ないところで、その事については仕方が無いと思う。
はっきり言えば、自分の手を血で汚す事に強い抵抗があるのだ。
相手が魔物であったとしても、心清らかな自分には耐え難い事だと言うのに、街の住人であれば尚の事だ、とメーヴェは思う。
考えてみると、戦う術を身に付けると言うのがメーヴェらしくなかったかもしれない。
メーヴェは誰の目に見ても、万人が認める美少女であると自負している。絶体絶命のピンチに陥った際には必ず誰か、助けに来てくれるはずだ。
木に登った時にも、どうしようもないと覚悟した時ソルが助けてくれたように、きっと誰かが助けてくれる。
でも、出来ればソルじゃない方が良い、とメーヴェは思う。
こんな冴えないオッサンではなく、もっと身奇麗できちっとした騎士の様な美男子こそが、メーヴェを救いに来る英雄にしかるべきではないだろうか。
ふとそう思って、メーヴェは改めてソルを見る。
髪はボサボサで、時々自分で適当に切っているみたいだが、綺麗に整えるだけでもかなり違うはずだ。
無精髭にしてもそうで、一度綺麗に剃っているところをみたのだが、意外なくらいに悪くなかった。
今ではまた無精髭が伸びてきているのだが、髭を剃って髪を整え、服装も改めたらソルも見た目はそう悪く無い。と言うか、かなり良い。
今はただの冴えないオッサンなのだが、それはソルがそう演じているだけで、さすがにメーヴェと並ぶと見劣りするオッサンではあるが、それでもまともにすれば従者としては多少の見栄えがする。
美男子、と言う訳ではなくても多少は見栄えがするソルであるものの、その身辺に女の気配が全くないのも多少気になるところである。
薄々怪しんでいたところではあるのだが、ソルは異性に興味が無いのではないか、と下世話な疑いを持ってしまう。
頻繁に通ってくる闇商人も、メーヴェに物品自慢に来ているのではなく、実はソルに会いに来ているのではないだろうか。
だとすると、メーヴェは邪魔者になっているのではないか。
「旦那、今日のアレ、何かおかしくないか?」
「アレがおかしいのはいつもの事だから、気にするな」
闇商人が首を傾げているのに対し、ソルは呆れて言う。
メーヴェが妙にこちらをチラ見している事に苛立つのだが、だからといって何か言ってくるわけでも何かしてくる訳でもない。
今朝は戦う術を身に付けるだの訳のわからない事を言い出していたが、それも驚く程あっさりと引き下がった。
メーヴェには妙なところが多過ぎる。
微細な魔力の流れも感知出来る神懸かり的な鑑識眼を持っているかと思えば、本人はまったく魔術を行使する事が出来ないと言う。
ソルは魔術を使えない体質であるが、メーヴェの場合はそう言うわけでも無い。
街の生活に疎いソルでも、貴族の暴虐は知っている。統治者であるクラウディバッハ家はその中でも最強である。
力でねじ伏せる一族である以上、恨みも買う。
その割にメーヴェは、身を守る術を何も持っていないと言うのも奇妙に映る。
「なあ、少し調べてみてくれないか」
「何を、と言いたいところではあるが、旦那の頼みとあっちゃ仕方が無い。もし旦那が調べて欲しい事が、領主の娘の事であれば一つ情報がある」
闇商人が、ソワソワしながらこちらをチラ見しているメーヴェを見て眉をひそめると、ソルに向かって言う。
「英雄ウィルフは知っているよな?」
「ああ、よく知っている。ウィルフがどうした?」
「噂なんだが、領主の娘を恐れているのは、英雄ウィルフも一緒みたいだって話だ」
闇商人の言葉に、ソルは眉を寄せる。
魔窟探索に携わる者の中でも、ウィルフは英雄視されている。
それは本人の容姿もそうなのだが、本人が極端なくらいに正義の味方に憧れ、それを規範として行動するほどの変人であるため、『英雄』の二つ名を持つ。
しかし、そう言うウィルフにしてはメーヴェの処遇に関しては、らしくない行動を取っている。
ウィルフであれば、逃げる娘を見逃すより周りの反対を押し切って保護する方が彼らしい行動であるはずなのに、ウィルフはもっともらしい事を言いながら自分でメーヴェを守ろうとはしなかった。
だが、現時点で魔窟最深部の装備を身につけているウィルフは、少なくとも街の常識に当てはまらない攻撃力と防御力を誇る。
そのウィルフが、魔物の子供に対してさえまともに戦う事の出来ないメーヴェを恐れるようなところなど、少なくともソルには何も思い浮かばない。
「どうにも引っかかるな。領主の娘ってのには、何か一般的には知られていない秘密があるんじゃないのか?」
「多分、ある」
闇商人は呟くように言う。
「だが、旦那。それはちょっと調べるのは勘弁してくれないか」
「何故だ?」
「すでに死人が出てんだよ」
闇商人が言うには、領主の娘であるメーヴェと言う存在に疑念を持った人物がいたのは今に始まった事ではなく、メーヴェが生まれた時から定期的に現れていたと言う。
圧政を強いる領主の弱点になり得る一人娘であるので、交渉の材料としても調べる価値はあったのだろう。
だが、その人物達は何らかの成果を表に出す前に、この世を去る事になった。
つい最近では、クーデター直前にこの闇商人の同僚も同じように不可解な死を遂げている。
裏稼業である以上は命を落とす事もあるのだろうが、その同僚はただ命を落としただけではなく、その家族も惨殺され、家も荒らされていたらしい。
しかも、それは魔物によって引き起こされた可能性が高いと言う。
「領主が召喚士だった事を考えると、そこは警戒して然るべきだったんじゃないか?」
ソルの言葉に闇商人は頷く。
「それは当然警戒していたが、それでもダメだったんだ。一人娘の事は、領主の立場だけじゃなく、統治者としても、人の親としても知られてはいけないような秘密があったんじゃないかと、俺の周りでは言われている。それ以降、その事を調べるのはタブーになってるんだ」
「余程だな。とてもそんな秘密があるとは思えないんだが」
少なくとも、本人を見る限りでは。
そうは言っても、裏稼業の者達も警戒は怠らなかったはずだが、それでも守る事も躱す事も出来ずに命を落としたと言うのは無視出来ない。
しかし考えていくと、一人腑に落ちない人物も浮かび上がってくる。
ハンスである。
ハンスは分別のある大人で、非常識なレベルの記憶力を持ち、それを活かして魔窟の地図まで作った『神の眼』の異名を持つ人物だった。
ハンスも貧民街の出身なので、街や貴族に対する恨みを抱えた人物でもある。
そんな人物がクラウディバッハ家でどんな役職に就いていたかはソルにはわからないが、メーヴェを逃がす為にその命を懸けたと言う。
しかも『英雄』ウィルフではなく、ソルの方に逃がした事も奇妙だ。
ハンスはウィルフの事も、ソルの事もよく知っている。
メーヴェの事を考えるのならば、彼女を守るべき人物としてはウィルフの方が相応しい事も知っていたはずだが、それでもハンスはウィルフにはメーヴェを逃がした事だけを伝えたようだった。
逃げた先を伝える事無く、である。
ウィルフの言っていた事でハンスが残した情報は、メイフェアの仇についてとメーヴェを逃がした事のみ。
ハンスの知り得た情報がそれだけだった、と言う可能性もあるのだが、あれほどの人物がただの下働きだったともソルには考えられない。
おそらく、ハンスは何らかの秘密を知っていたが、それをウィルフに伝える事なくメーヴェをソルのところに逃がしたと思われる。
しかし、それも可能性の話でしかない。
本人がこの世を去った今となっては確認する事も出来ないのだが、ハンスの最期の行動にはソルとしては奇妙に映って仕方が無かった。
ハンスほどの男が守ったのが、アレか?
ソルと闇商人が何気なくメーヴェの方を見ると、メーヴェは慌てて視線を逸らし、またこちらをチラ見している。
誰の目に見ても、アレは命を懸けてまで守る価値があるとは思えない。
ついでに言えば、危険極まりない秘密があるようにも見えない。
「どうだ? ソレは幾らくらいだ?」
闇商人はメーヴェに見せていた物品の値段を確認する。
「え? あ、あ、コレ? コレは大したモノじゃないわね。そんな高くはつけられないわよ」
メーヴェは慌てて答えている。
今日見せていたのは短剣なのだが、メーヴェが言うには華美な造りに見えるが偽物だと言う。
宝石を散りばめたように見えるのだが、その宝石そのものが偽物らしく、あまりにも下卑た華美さなので美術品としての価値も下げている。
また、切れ味なども魔力を込めた武具と比べると格段に落ちるので、武器としての価値も低いと言うのがメーヴェの評価だった。
宝石云々の話はソルにはわからないが、武器として見た場合の評価はメーヴェのソレと一致している。
まともに戦う事も出来ないくせに、メーヴェは武器の価値と言うモノをよくわかっている。
その点だけは、ソルも高く評価しているところである。
しかし、その才能を隠すにしてはあまりにも大袈裟で、領主が魔物を使ってまで隠そうとした秘密では無いだろう。
「旦那、もしも本人に心当たりがあるのなら、本人に聞いてみると言うのも選択肢の中にはあるんじゃないか?」
「まず間違いなく本人は何も知らないだろう。そんな腹芸が出来るほど賢いとも思えないからな。貴族の娘ってヤツは」
「旦那、そりゃ固定観念ってヤツで、賢いのは油断ならないくらい賢いよ。ま、領主の娘はどうか知らないが」
闇商人はメーヴェから短剣を受け取ると、小屋を出ていこうとする。
「待て。街の様子を少し調べてくれないか。具体的には街の中心人物の中で、ウィルフと距離を取りたがっているヤツがいるかどうか、だ」
ソルバルトの言葉に、闇商人は首を傾げる。
「どういう事だ?」
「ウィルフは英雄と言われるくらいで、意外と融通の効かない堅いヤツだ。街の中心人物の中でウィルフを煙たく思っているヤツがいれば、それは何かウラがあるって事だからな。おそらく領主の娘をウィルフが恐れていると言う噂もそいつが流したものだろう」
「なるほど、調べておこうか」
そう言うと、闇商人は小屋を出て行った。




