第六話 奇妙な光景
何やってるんだ?
朝食を終え、蓄えている食材も無くなったので軽く何か採ってこようかと思っていたソルは、奇妙な光景を見かけた。
メーヴェが木に登り、その下に魔物の子供が集まっているのだ。
せっかくの姿隠しのローブも、頭を出しているので効果は薄いらしい。
餌付けでもしているのだろうかと思うのだが、メーヴェは木の上からピクリとも動こうとしない。
何をやっているのか彼にはよくわからないのだが、魔物の子供と言うのは非常に警戒心が強い。
このような日中に、しかも頭を出しているとはいえ姿を隠す魔力の込められたローブを纏う人間の元に集まると言う事は、まず有り得ない。
ソル自身が世捨て人なので街の情勢と言うものに疎いのだが、それでも統治者が召喚士と魔物使いを兼ねた人物だと言う事は聞いた事がある。
案外その血筋によるところか、魔物から好まれるのかもしれない。
この調子で餌付けしてやれば、数体の魔物を引き連れて魔窟探索も出来るだろうが、どうやら本人は自分の性質と言うモノにまったく気付いていないらしい。
さて、どうしたものか。
そのまま素通りしようかと思っていたのだが、先にメーヴェに気付かれてしまった。
「そ、ソル! 助けて!」
メーヴェが泣き叫びながら、ソルに助けを求める。
助けるも何も、あの魔物達は別にメーヴェに襲いかかるつもりもなく、どちらかと言えば落ちてこないか心配しているか一緒に遊んで欲しいみたいなのだが、本人にはそう見えていないようだ。
メーヴェが叫んだせいで魔物の子供達もソルに気付き、慌てて魔物の子供達は逃げ散っていく。
結局ソルが何かするまでもなく魔物は散っていったのだが、メーヴェに貸している剣を振ればあの程度の魔物など簡単に切り捨てる事も出来るだろう。
まあ、あれほど怯えていてはそんな事は思い付きもしなかったらしい。
ソルは魔物も散ったのでメーヴェのところに近づいてみるが、メーヴェは動こうとしない。
「何してるんだ?」
ソルバルトが見上げると、メーヴェは木の上で泣きじゃくっていた。
「だ、だ、だって、魔物が、魔物が」
泣きべそをかきながら、メーヴェは言葉をなんとか紡ぎだそうとしているのだが、嗚咽以外に出てこない状態になっている。
怖かったらしい。
あの程度でここまでの恐怖を感じられるのは、ある意味では羨ましい限りである。
今のメーヴェくらいの歳の頃にソルは魔窟探索を行い、一人で中層まで行けるかどうかと言うところまで進んでいた。
魔物の子供どころか、それなりに危険な魔物の群れとも一人で戦い、全てを切り殺していた。
そこに恐怖の入り込む余地は無く、恐怖を塗りつぶす何かを持って立ち向かい、命を奪う事が日常だった。
ここまで違うものなのだな、と今になってソルは感心していた。
食事や生活なども、彼は基本的に一人でやって来た。腹が減ったのなら自分で食材から用意しなければならなかったし、衣服や住居なども自分でどうにかしなければならなかった。
メーヴェを見ていると、貴族と言うのはそう言う生活はしていないみたいだ。
ソルはもちろん、共に魔窟探索を行っていたメイフェアやウィルフも貧民街の出自だったので、生活水準に大した違いは無かった。
その為、生活すると言う事はそう言うモノだと思っていたのだ。
同じ貧民街出身でもハンスなどと知り合ってから、どちらかといえばソル達の方が例外だと言う事を知識としては知っていたが、こうやって目の当たりにして比べると言う機会はあまり無かった。
「……で、何やってるんだ?」
魔物から逃げるために木に登ったのだろうか。正直、その判断はどうだろうと思わなくもないが、これほど泣きじゃくっているところを見ると、本格的に冷静な判断が出来なかったのかもしれない。
「だって、魔物は来るし、私が採った果物も持っていくし、うわーん!」
メーヴェは木の上で泣きながら文句を言っている。
と言う事は逃げる為に木に登ったのではなく、最初は果物を採る為に木に登ったのだが、その果物を落としたところ、集まっていた魔物の子供達に持って行かれたと言う事らしい。
馬鹿じゃないのか? と口から出そうになったが、ソルの口から出たのは言葉ではなく溜息だった。
命に縁がある事、道具の識別鑑定能力がある事、魔物から慕われる事など、能力だけを見れば魔窟探索にかなり向いた能力を持っていると言えるメーヴェである。
が、実際に魔窟探索に行くとなると、使い物にはならない事は容易に想像出来る。
こんな事で絶望出来るほど余裕のある生活をしている人物もいる一方で、ソルのように幼い頃から野良犬と呼ばれ、魔物の命を奪う事でしか生きていけない生活を強いられるモノもいると言う事だ。
「そうか。もういなくなったから、降りてきたらどうだ?」
「……降りられないのぉ」
メーヴェは震えながら言う。
「ソルゥ、助けてぇ」
ここまで来ると腹も立たず、むしろ哀れに思えてしまう。
ソルは大きく溜息をつくと、メーヴェを見上げる。
「それくらいの高さからなら、飛び降りたって怪我もしねえよ」
「だ、だって、怖いんだもん」
プルプルと首を振って、メーヴェは訴えてくる。
「ソル、受け止めてよ」
「無茶言うな。俺は片腕だぞ」
「ふぇーん」
ソルバルトがそう言うと、メーヴェはまた泣き出す。
子供だな。
実際にメーヴェは十六歳なので少女と言うべき年齢なのだが、その実年齢以上に幼い印象が強い。
「しょうがない。まずは剣を下に落とせ。そのままじゃ俺が切られそうだ」
ソルは下からそう言うと、メーヴェは何度も頷きながら剣を下に落とす。
「それじゃその枝にぶら下がる感じで足から降りて来い」
ソルの言葉通り、メーヴェは恐る恐るではあるがゆっくりと木の枝にぶら下がる。
「受け止めてやるから、手を離せ。足から降りるんだ」
「ちゃ、ちゃんと受け止めてよ」
「心配するな」
その言葉を信じてメーヴェは手を離すが、ソルは立っているだけでメーヴェを受け止めようとはしない。
そんな必要も無かったからである。
が、メーヴェは受け止めてもらえるものだと思っていたらしく、思っていたより強い衝撃に悲鳴をあげている。
「いったーい!」
「ほら、降りられた」
ソルの言葉に、メーヴェが座り込んだ状態から泣きながら睨みつけてくる。
言うまでもなく、怖くもなんともない。
それだけの気概があるのなら、魔物の子供くらいいくらでも蹴散らせそうなものだ。
ソルは睨みつけてくるメーヴェを無視して、木の方を見る。
木の表面に剣によって付けられた傷があり、どうやら最初からこの木を狙っていたというのが分かる。
この森も少なからず魔窟の影響を受けているので、毒草なども多い。
そんな中できっちりと食べられる果物を選んでいるのだから、メーヴェの目は確かなようだ。
食べ物を探しに来たのだから、ソルとしてもここでこの果物を採っておくのは悪く無い。
ソルはひょいひょいと木に登り、上の方に成っている食べ頃の実を一つ採って降りる。
実が大きく、片腕のソルには幾つも採って降りられなかったのだ。
そんな彼を、メーヴェはまだ睨み続けている。
「何だ?」
「……私が見つけたのに」
「あ?」
「私が見つけたの! 私が見つけたんだから、私の物なの!」
メーヴェは座ったまま、ソルバルトに噛み付きそうな勢いで言う。
お前は鳥にでも同じ事を言うのか、とも思ったのだが、そう言いたくなる気持ちは分からないでもない。
魔窟探索でも似たようなことはある。
魔物との戦いの際、手負いになった魔物に逃げられ、別の魔窟探索者に倒される事もあった。その時にはソルも今のメーヴェと同じように駄々をこねたのだが、メイフェアとウィルフから諭された事があった。
こればっかりは仕方が無い、と。
ソルはまだメーヴェが拾っていない剣を拾うと、大きな果実を半分に割る。
「ほら、お前の物かはともかく、確かにお前が見つけたと言えなくもないからな」
ソルは半分に割った果実と剣をメーヴェに渡す。
今まで睨みつけていたメーヴェは、目の前の事が信じられないと言うようにキョトンとしている。
正直に言うと、ソルバルト自身も自分の行動に驚いていた。
こんな小娘を気にかける必要も無いし、恨まれようと野垂れ死のうとソルには痛くも痒くもないはずで、情けをかける事こそ無意味なはずだった。
夢、だろうな。
ソルバルトはそう結論付ける。
いつも見る悪夢なのだが、その悪夢は最終的に全てを失うところまで見るから悪夢であり、その結論に至る前に目を覚ませば、それは懐かしい仲間達と共に苦労しながらも歩んできた輝かしい日々である。
いつもなら結末に至るまで目を覚まさないはずなのだが、このところ断続的に夢を見るものの、まだ最終局面まで夢が進んでいないのだ。
今では夢でしか見る事の出来ないメイフェアの笑顔と、彼女の言葉がソルの気持ちをおおらかにしているのかも知れない。
半分にした果実を囓る。
かなり酸味が強く癖のある味ではあるが、それも慣れると悪く無い味である。
だが、これ以上メーヴェに肩入れするつもりもない。
面倒を見ると言っても、彼には彼なりの考えもある。
それはメーヴェの為に尽くすと言う事では無いのだ。




