第四話 ソルから見たメーヴェ
ソルが目を覚ました時、昨日から部屋の隅を陣取っているメーヴェの姿は無かった。
言われた通り魔窟に稼ぎに行ったのか逃げ出したのかは知らないが、剣も持っていったみたいだ。
彼は伸びをしながら、周りを見る。
あの娘、メーヴェ・クラウディバッハの面倒を見る必要性など無い。いなくなっているのなら、それはそれで構わないのだ。
少なくとも身を守るなり魔窟で稼ぐ為なりの武器は渡したのだから、最低限の義理は果たしたはずだ。
もっとも、そんな義理を果たす必要さえ無いのだが。
年齢から考えると妻であるメイフェアを殺された時、メーヴェは生まれているかどうかと言うところだろうが、それでも妻と生まれてくるはずだった娘の仇の家の者である。
むしろ最低限の義理を果たす必要すら無いはずだ。
それで考えると、ハンスの行動の方が謎である。
姪を殺された貴族家に潜入した目的はなんだったのか。もし復讐であればその目的は達成した事になるが、何故命懸けでその娘を逃がしたのか。そもそもハンスは貴族どころか、街そのものを憎んでいたはずだ。
それに逃げた後の事をソルに託した事も、大きな疑問だった。
ハンスは魔窟探索をしている時に、ソル、メイフェア、そして魔窟の英雄と言われるウィルフの事をよく知っている。
もし貴族の娘を逃がす為に託すのであれば、世捨て人となったソルではなく英雄と言われるウィルフに託した方がマシだったのではないか。
英雄が保護すると宣言すれば、いかに領主の一人娘だったとはいえ簡単に保護出来るはずだ。
この街はもちろん、魔窟でも相当深い階層に行かない限り、今のウィルフには傷一つ付けることは出来ないのだから。
それにウィルフが並外れた良い格好したがりな事も、ハンスなら知っている。
例え襲撃の首謀者であったとしても、敵の一人娘に罪が無いと主張して保護させる事は出来たはずだし、いかにもウィルフが好みそうなシチュエーションだ。
そんなウィルフに頼らず、世捨て人のソルに仇の娘を預けると言うのは、あまりにもハンスらしくない。
あの娘に何かあるのか?
現状を正しく認識できていないような、頭が相当残念な小娘で、貴族に生まれたからといってそれで全てが思い通りに行くと思っている。
魔窟探索を行っていた時にも、そう言う貴族崩れは少なくなかった。
自分の生まれだけを誇るのだが、それが通用しない環境と言うのを考える事が出来ない。
その事は別に悪くないけどね、と言って妻のメイフェアはよく笑っていた。
それが通用しない環境と言う場所に置かれない限り、それは通用し続けるのだから考えられないと言うより、考えつきもしない事なのだ、と。
問題は、その環境に置かれた時に考え方を変えられない事だ。
貴族崩れはもちろん、圧倒的大多数の人間が自分の常識が通用しない場所に放り込まれた時、その場の常識に順応すると言うのは簡単では無いと言う事を理解していない。
もしメイフェアが生きていたら、貴方はどうなの? と、やはり笑いながら言ってきただろう。
本人も認めるお節介かつ世話焼きな女で、とにかくよく笑うと言う印象だった。
ソルは、新たな木材を家の前から取ってくると『審判』の女神を彫り始める。
メイフェアが指摘しそうな事を考えた時、残念ながらソルも自分の常識を引きずり新しい常識を身に付ける事は出来そうにない。
片腕を失って魔窟探索を離れ、一人でこの小屋で暮らして十数年。
魔窟から離れた時点で街の常識で生きるべきだったのだが、それが出来ていないのだからあの娘の事をどうこう言えないところはある。
ソルの生活には法則もなく、寝たい時に寝て、起きたい時に起き、思いついた時に像を彫る。
目を閉じても彫れるくらい『審判』の女神を彫ってきたが、ソルはこの『審判』の女神が好きだった。
美しく、気高く、容赦の無い姿。
容姿や事情に斟酌せず、罪の大小のみで断罪するその姿が好きだった。
実際の神と言うモノはソルも見た事が無いが、魔窟の深層にはこの世のモノとは思えない魔物も存在している。
おそらくこの『審判』の女神のモデルになった存在もいる事だろう。このような美しい女性の姿ではないだろうが、何かを超越したのがわかる存在。
見てみたかったが、片腕になったソルが戦っていけるほど魔窟の深層は甘くない。
ソル達が誰よりも深い階層に潜る事ができたのは、それぞれが卓越した能力を持ち、絶対の信頼からなるチームワークに優れていたというだけではなく、幸運にも恵まれていたからだ。
あの貴族の残念娘も命に縁があると言う点では、幸運に恵まれていると言えるかもしれない。
案外魔窟探索でも長生き出来そうではある。
そんな事を考えていた時、ソルはふと気になる事が出てきた。
あの残念娘に剣を渡した時、あの娘は剣に対して驚いていた。
剣を渡された事に驚いていたのではなく、渡された剣に驚いていたのだ。
あの剣は中層くらいで手に入れた剣なので、ソルやウィルフにとってはさほど重要ではない剣なのだが、街に出回る武器の中では最上級の物である。
魔窟探索者の間の不文律なのだが、魔窟探索で得た武具を街で売るのは中層の比較的浅いところまでで、中層中頃より深い層の武具が街に出回る事はほとんど無い。
あの残念な小娘がそれを知っているとは思えないのだが、あの娘はあの剣の価値が分かっているかのような驚き方だった。
領主の娘と言う事で、街でも最高級品を見て育ったと言う事も考えられるのだが、それでもあの娘は剣が鞘に収まった状態であってもその価値に驚いていたのだ。
例えば鞘までが一級品であればすぐにわかるだろうが、あの剣は剣だけが一級品であり、鞘は街で作ってもらった安物である。
鞘に収められた状態で渡された剣なので、見た目だけで言えば安物の店売りの剣と同じだったはずなのだが、あの娘はそう言う風には見ていなかった。
魔窟探索者の中にも、極稀にではあるがそんな能力を持つ者がいた。
非常に地味ではあるのだが、魔窟探索においては素晴らしく有用な能力でもある。
魔窟で手に入る武具、特に中層以降から入手出来る物の中には、使用者に対して不利益をもたらす物も存在する。
新たな武具を入手出来たからといって、それが戦力増強に直結すると言う訳ではない。
それが問題なく扱える物なのか、せっかく入手した新たな武具が本当に強力な武具なのかが分からなければ、それを扱う事も出来ない。
各階層にはそれぞれ拠点めいた場所があり、そこに行くとアイテム鑑定人もいるので鑑定する事が出来るが、その場合は有料、しかもそれなりに高価な料金を取られる事になる。
それが無料で、しかもその場で出来ると言うのはかなり有効なのだ。
もしかすると、あの残念娘はかなり魔窟探索に向いているのかもしれない。
あくまでも能力で考えた場合、である。
あの甘やかされた苦労を知らないわがままな性格や、自分に都合のいい事だけしか頭に入ってこない残念な考え方では、能力の高い低い以前に長生きする事など出来そうにない。
ソルの理想としては、魔窟に潜って勝手に野垂れ死にしてくれるのが一番手っ取り早く、彼自身も深く考えずに済む。
魔窟とはそう言う場所なのだ。
と、そんな事を期待していたのだが、夜になってあの小娘が戻って来た。
「ね、ねえ、頼みたい事があるんだけど」
剣を大事そうに抱いた残念娘、メーヴェがソルに向かって言う。
面倒な事だ。いっその事魔窟で野垂れ死にするか、街の奴らに捕らえられていれば良かったのに、と口には出さないが顔に出る事を隠そうともせず、ソルはメーヴェの方を見る。
「頼み、だと?」
興味はさらさら無いのだが、一応メーヴェに尋ねてみる。
「そ、そう! 私の代わりに屋敷を調べてきて欲しいの!」
目を輝かせてメーヴェが言う。
興奮し過ぎて、掴みかかってくるかと思うほど身を乗り出してきたので、ソルは眉を寄せてメーヴェを押しのける。
「屋敷を調べる?」
「そう! 街で何かあったみたいだから、貴方、ちょっと調べて来て!」
本格的に自分の状況を分かっていなかったみたいだ。
ついでに言えば、態度の大きさも自分の状況を分かっていないモノになっている。
というより、状況が分かっていないと言うより、自分に何が起きたのか分かっていないとしか思えない発言だった。
ここに逃げ込んできた事も、何故自分が逃げる必要に迫られていたのかも、今のメーヴェには分かっていないらしい。
人は許容量を超えた出来事は正しく認識出来ないと言うし、魔窟探索を行っている時に仲間を失った衝撃に耐えられず記憶障害を起こした者もいた。
程度に差があり過ぎる気もするが、貴族の小娘の残念な脳ではそれに耐えられないのだろう。
とは、さすがに思えない。
いくらなんでもそれは都合が良過ぎるとしか思えないし、ソルの脳は貴族を基準にしていないので、とても共感出来ない。
しかし、そうは言ってもこの小娘は腹芸が出来るような感じではない。良くも悪くもこの程度の頭なので、騙して都合よく動かしてやろうと言う作為的なモノを感じないのも確かである。
「ほ、報酬なら、ちゃんと考えてるわよ」
用意している、と言う訳ではないところがいかにもメーヴェらしい。
「屋敷を調べてくれれば、私の描いた絵を一枚くらいなら上げてもいいから」
「いらん」
思わず即答してしまった。
彫刻家と言えなくもないソルなので、絵画にまったく興味が無いかと言えばそうでもないのだが、だからと言ってそれを貰っても置き場などに困る。
少なくともこの家の中には、そんな絵を飾るような場所は無い。
それにメーヴェには甚だ失礼なのだろうが、彼女が素晴らしい絵を描けるような雰囲気を感じていなかった。
「え? 私の絵なのよ? 私の絵をいらないって、どう言う事?」
断られるとは夢にも思っていなかったと言わんばかりに、メーヴェは大きな目を見開いて驚いている。
「いらん。どうせなら、その絵を売った金を前金で寄こせ」
ソルは突き放すように言う。
どうにも噛み合わない。
「え? 本当に私の絵なのに、興味が無いの? 領主の娘、街の至宝、画伯と称されるこの私、メーヴェ・クラウディバッハの絵よ?」
知るか、と言う言葉が口をつきそうになった。
彼は詳しくは知らないのでイメージの話になるのだが、メーヴェの口振りからすると、彼女の絵がどうと言うより領主の一人娘と言う立場こそが最重要であり、その実力や絵画的価値などは求められていないようにも聞こえる。
よほどの好事家でもない限り、絵画を貰っても困ると言う事を分かっていないのも問題だ。
「と言うより、お前、本気で言ってるのか?」
ソルの言葉に、メーヴェは何を言われているのかわからないと言う感じで首を傾げている。
メーヴェは屋敷を調べろと言うくらいだから何かあった事くらいは分かっているみたいだが、自分の家が 滅んだ事を本当に知らないらしい。
着の身着のままで自分の家から逃げ出し、まったく何の面識も無いソルのところに逃げ込んできたのは何故か、と言う事は完全に頭の中から消えているのがわかる。
だからどうと言う事もない。
困っている人間がいるのだから、助けなければならないと言う事もない。
何の縁もゆかりも無く、助ける義務も見返りも無い状態で、年頃の娘が困っているのだから助けなければならない、などと考えるほど彼は底抜けの間抜けじみたお人好しではないのだから、現時点でメリットが無いメーヴェの手助けなどするつもりになれなかった。
その為の武器は渡している。
メーヴェはまだ、何もしていない。
自分で何かを成そうとする前に、楽をしようとしているだけにしかソルには見えなかったので、尚の事やる気にならないのだ。
「じゃ、じゃあ、幾らなら調べてくれるの?」
「前金だ。それでなければ、俺は協力しない」
ソルはメーヴェの方を向いて、はっきりと言う。
メーヴェが無一文な事は、いまさら言うまでもなく分かっている。
我ながら大人気ないと思うところもありはするが、ソルの常識と言うのはどうしても魔窟探索の常識である。
魔窟探索におけるチームワークの鉄則は、自分以外を信用し過ぎない事。
信頼しない事、ではないのだが、自分がやるべき事を徹底的に行い、それを他者に求めない事が重要になってくる。
奇妙に聞こえるかもしれないが、魔窟探索のチームワークと言うのはそう言うモノなのだ。
もちろんコレはソルが行き着いた答えであり、魔窟探索者全員の統一見解ではないので、反論もあるだろう。
だが、絶対の信頼と滅私奉公によるチームワークを考える者達もいたものの、結局のところもっとも深くまで魔窟探索を行ってきたのはソル達であった。
そんな命懸けの戦いの中で身につけた常識なので、そう簡単に街の常識に塗り替える事も出来ない。
だからこそソルは街での生活ではなく、この魔窟近くの小屋で世捨て人として生活している。
最低限として、全力を尽くす事。
それがソルにとって、譲れない条件だった。