第三話 街の様子
直線距離で言えば、魔窟や森は街からそれほど離れていない。徒歩でも一応往来する事は出来る。
出来れば乗り物が欲しいところでもあるのだが、贅沢は言っていられない。
メーヴェは剣と空きっ腹を抱いた状態で街の前に来て、そこで足を止めていた。
街でもっとも高いところにあり、もっとも大きく豪華な建物であるはずの、クラウディバッハ家の屋敷が見えないのだ。
街の入口から見えるのは、屋敷跡とでも言うような何かである。
クラウディバッハ家の屋敷だけでなく、その近辺に見えるはずの貴族の邸宅も見えない。
火事? それで延焼した?
そう考えれば確かに焼け落ちた跡に見えるのだが、クラウディバッハ家にはどれほどの火事であっても、消火出来るくらいの魔術師は揃っているはずなので、屋敷が全焼する様な事は考えられない。
このまま引き返した方が良い気がしてきた。
メーヴェは街に入る前に、立ち竦んでいた。
何かあった、と言う事は見ただけで分かる。しかも、領主であり統治者の屋敷、メーヴェの両親をも巻き込んだ何かだ。
屋敷が全焼と言う事は、どういう事だろう。
他の貴族邸ならともかく、クラウディバッハ家の設備も使用人も火事に対する対処くらい十分過ぎるくらいに出来ている。
不審火を感知した場合、水を発生させて消火するマジックアイテムもあるし、両親も魔術の心得はある。
しかも父は召喚士であり母が魔獣使いでもあるのだから、屋敷が全焼全壊する様な事態は、それこそ両親が全力全開での戦闘行為を行うくらいでないと起こり得ないのだ。
いや、そんな事態が起きたのかもしれない。
メーヴェも資質は充分と言われていたのだが、成人するまでは学業に専念するように両親から言われていたので、戦闘能力は皆無と言える。
だからハンスはここから逃がしたのではないか?
正確に思い出す事が出来ないが、この身隠しのローブはハンスから渡された事は覚えている。その時は、すでに身に危険が迫っていたのかも知れない。
ではハンスは、両親はどうしたのだろうか。
この街の連中がどれほど束になって反逆しても、父が召喚する魔獣に対処出来るはずはないので、屋敷は焼け落ちたかも知れないが、今は反逆者を裁いているのかもしれない。
メーヴェはそう考えようとしたし、それが一番自然だと信じようとしたのだが、それが出来ない思考の棘の様なモノがあった。
ソルと闇商人の会話である。
あの時には自分の正体を隠す事を最優先にしていたので会話の内容までは覚えていないが、街で何かあったと言う様な会話だった気がする。
その中に不穏な言葉が混ざっていた。
貴族がいなくなる、とかそう言う単語だったと思うのだが、それはどう言う意味だろう。
貴族がいなくなると言う事は、統治者であるクラウディバッハ家を無くさない限り有り得ない。
そんな事、出来るはずがない。
その考えは間違い無いはずなのだが、メーヴェは街に入る事が出来なかった。
本当の事は知りたいのだが、このまま進んでしまっては何か取り返しのつかない事になりそうな恐怖があった。
少なくとも、一人では無理だ。誰か一緒に、メーヴェを助けてくれる人が一緒でなければ、とてもこれ以上進めそうに無い。
と思いながらも、メーヴェは街の裏道であり屋敷への隠し通路の出入り口近くまで、まったく無意識に歩いていた。
ふと我に返った時、街の住人が通りに見えたので、メーヴェは慌てて隠し通路に入って身を隠す。
「貴族の残党狩りってやってんの?」
裏道に入ってきた二人は、話しながら歩いている。
声が近かったので、メーヴェは思わず悲鳴を上げそうになったが、その二人は隠し通路の存在には気付いていないみたいだった。
会話の内容が内容なだけに、ちょっと脇道に入ったと言う事かも知れない。
「やってるみたいだぜ。領主の娘が逃げてるんだろ? 他の逃げた貴族の連中はどうでも良いけど、娘だけは見つけ出せって躍起になってたからな」
何でよ?
「何でだ?」
メーヴェが考えたと同時に、会話している男の一人が質問する。
「さあな。やっぱり反撃が怖いんじゃねえの? どれだけ腐っていたとしても、それで甘い汁を啜ってた奴ってのはいるんだし、街の住人の全てが今回の首謀者の商会やらエヴィエマエウの連中に賛同しているわけじゃないんだ」
「なるほどねぇ。でも、領主の娘ってだけで、そこまで求心力があるもんかねぇ?」
「シンボルってのはわかりやすいほど効果があるモンさ。領主の一人娘、しかも年頃ともなれば能力がどうのは目を瞑れる程度の問題だ。それにエヴィエマエウ家って貴族は、貴族としての影響力は無いらしいから、領主の娘を捕らえたって実績で箔を付けたいんじゃないのか?」
「へえ、情報通だねぇ」
と、男は相槌を打っているが、メーヴェもまったく同感だった。
ひょっとすると、貴族邸の出入り業者か何かだったのかもしれない。
しかし、情報通の男の正体より、この惨状の首謀者が分かった事の方が大きかった。
商会と、エヴィエマエウ家が反逆? ふざけた事を!
メーヴェの今の苦境がそいつらのせいだとわかると、ふつふつと怒りが込み上げてくる。
クラウディバッハ家は統治者として取り締まるべき立場である。なので商会とは揉める事もあったのはメーヴェも知っているが、それは定められた法や税の徴収であり、恨みを買う様な事では無いはずだ。
エヴィエマエウ家に至っては、ただの逆恨みだ。
アルコールが入った途端に大暴れして身を滅ぼしたのは、領主には何の責任も無い。それどころか、あの家の格を下げたのはクラウディバッハ家だけでなく、貴族による評議会で満場一致だったのだから領主だけを恨むのは筋違いだ。
情報通の男が言っていたように、メーヴェを捕らえて家格に箔を付ける事が目的と思われるが、別の目的も考えられる。
自他ともに、万人が認める絶世の美少女であるメーヴェに、邪な事を考えている恐れもある。
冗談じゃない!
メーヴェは剣を抱く。
エヴィエマエウ家なんか、家格を下げるだけでなく取り潰しにしてしまえば良かったのだ。
と、今さら言っても始まらない。
それに、怒りと空腹でイライラしていながらも、妙な事に気付いた。
商会やエヴィエマエウ家が手を組んだからと言って、何ができるのだと言う問題である。
統治者であるクラウディバッハ家、特にメーヴェの父が召喚し使役する魔獣は、そんじょそこらの貴族家の戦闘能力で対処出来る程度では無いはずだ。
両翼と例えられるローデ家とソムリンド家が協力したとしても、そう簡単では無いはずであり、それより遥かに格が下がるエヴィエマエウ家や一般市民である商会では、ちょっとやそっとの傭兵を雇ったところで敵では無い。
むしろその程度であれば、ハンス一人で対処出来る問題だ。
ハンスであればわざわざ武力による解決でなくても、交渉術で丸く収められるだろうし、もし万が一にも話がこじれたとしても黙らせられる実力があった。
何か起きたのだ。メーヴェの知らない何か。
今メーヴェが纏っているローブはハンスから渡された物であり、その時の事を正確に思い出す事は出来ないが、逃げろと言われた様な気がする。
実際にメーヴェの服装を見ても、外出用の服装では無い。
靴ではなく室内のスリッパで逃げ出したと言う事を考えても、かなり切羽詰まった状況だったはずだ。
貴族とは名ばかりの、しかも格下げまで受けた没落一歩手前貴族と民間人の集まりでしかない集団が、ハンスや両親を出し抜く事が出来るものだろうか。しかも、屋敷を全焼させると言う恐れ多い事まで成功させる事など、出来るはずがない。
何かあるのだ。
特殊な武器や魔術、もしくは魔窟探索者の中でも相当な実力を持つ者を傭兵に雇ったか。
それも無いとは思うのだが、そもそも魔窟探索者と言う人種をメーヴェは理解する事が出来ないので行動を予測する事は出来ないのだが、もし金で雇われるのであれば領主の方がいい条件を出せそうだし、強い敵を求めてと言うのであれば領主じゃ無くても魔窟であればいくらでも相手はいる。
魔窟探索者と言う人種は、それこそ隻腕のあの男の様に何か欠落した特殊な人種なので、一般的な常識は通用しないと言う事はメーヴェも知っていた。
なので、利害さえ一致すれば、さらに言えば興味さえ合ってしまえば、常識や良識などもどこかに飛んで行く者もいるだろう。
そんな輩に襲撃されたのかと思うと、恐怖より怒りの方が強くなる。
仮にそんなならず者共に遅れを取ったとして、ハンスや両親は無事だろうか。
屋敷は全焼してしまっているので、ならず者も残っていないと思うのだが、このまま進むのもやはり怖い。
一人と言う事が最大の問題だ。
両翼であるローデ、ソムリンド家の跡取りであればある程度の信頼は出来そうだが、逆に考えるとこの屋敷を全焼させられる実力があるのも、その両家である可能性が高い。
誰か信用できる人物が一緒であれば。
第一候補となるのは当然ハンスなのだが、そのハンスがいないからこそ大きな問題になっているので、そこは諦めるしかない。
同じように両親も、すぐに合流出来る状態では無いはずだ。
と、言う事はメーヴェにはピンチに今すぐ助けに来てくれる人物はいないと言う事になる。
い、いやいや、私、友達とかいっぱいいるし! 今はたまたま誰とも連絡が取れないだけで、連絡が取れれば助けに来てくれる人とかいっぱいいるし!
誰に言うわけでもないが、メーヴェは空腹と剣を抱えたまま、心の中で慌てて言い訳する。
だが、その人物達もどうしているかわからない。
ソルに助けを求めて下さい。
ハンスからつい最近そう言われた気がするが、アレが助けてくれるとは思えない。それに信用だって出来ないし、何より無礼極まりない。
が、敵対している訳ではない事はわかる。
金カネうるさいが、金さえ払えば協力してくれそうでもあった。
食事は与えてくれないし、この剣だって有料、宿泊料まで取るつもりでいるのだが、現時点での支払い能力が無い事を知っていながら、積極的に追い出そうとはしないし代わりの何かを要求してくる訳でもない。
それであれば、この屋敷探索で得たモノを報酬として分け与えれば協力してもらえるのではないか、とも思える。
そうだ、それがいい。片腕とは言え、きっと役に立つ事だろう。手先も器用だし。最悪、盾にはなるわけだし。
メーヴェはそう考えると、ソルの小屋に戻る事にした。
もう外から話し声も聞こえてこない。
あの二人はメーヴェに気付いた様子も無かったし、単純に立ち話をしていただけで内容が内容だけに人に聞かれたくなかったのだろう。
メーヴェはフードを深く被り直し、剣を抱いて立ち上がる。
傍から見れば不審極まりないほど周囲を見回しながら、メーヴェは街から出る。
お腹空いた。ソルは助けてくれるかなぁ。
そんな事を考えながら、メーヴェはとぼとぼと森へと歩いて行った。
ソルの小屋、遠いなぁ。