第十一話 かつての英雄の会話
眠り姫はまだ起きないので、彼は情報を得る事は出来ずにいた。
話す相手がいないのであれば、無音結界も張る必要もないので解除する。
急いでやるべき事も無く、またこの女の正体の判明も彼にとっては最優先事項と言うべきものでもない。
一つの考え方として、彼女の正体を知らないままでもこのまま叩き出して、全てを無かった事にすればそれでも構わないのだ。
そう考えながら家の前に置いていた木材を室内に入れる為、彼は扉を開く。
そこで、この家に近付いて来る異様に目立つ男を見つけた。
純白のマントと、黄金の鎧。左手の盾と一体型の篭手には、不思議な紋様が刻まれている。
綺麗に整えた金髪の、しかし奇妙に印象の薄い美男子は、それだけを見ると聖騎士を体現している姿と言える。
「やあ、ソル。久し振りだね。十数年振りかな」
「挨拶に来たのか?」
彼はその美男子を見て言う。
かつては一緒に魔窟を探査した仲であり、彼の知る限り最強戦力の実力者である事は疑いない。
「僕はひとまずの夢を叶えた。その報告だよ」
「その割には浮かない顔をしているみたいだが」
彼の言葉に、その美男子は疲れた様子の苦笑いを浮かべる。
「僕の目的は、弱者の開放で、あとは市民の代表者に任せる事にします」
「……何の話をしているんだ?」
「昨夜、統治者を討伐して貴族社会から開放する事に成功したそうです。これから街は大きく変わっていく事でしょう」
そう言われて思い出した。
魔窟で一緒に探索していた時、夢を語り合った事があった。
その時、この美男子は言っていた。
今の差別社会を無くす為に、貴族制度を撤廃させると。その為であれば、手を血に染める事も厭わないと話していた。
あの時自分は何と答えただろうか。彼女はどう答えていただろうか。
それを思い出す事は出来なかった。
「そりゃおめでとう。心から祝福するよ。それじゃあな」
彼はそう言うと、美男子に背を向ける。
「メイフェアの仇も取りました」
その言葉に、彼は足を止める。
「仇、だと?」
「ええ。メイフェアの命を奪った貴族と言うのは、統治者であるクラウディバッハ家で間違い無いと言う事です。メイフェアの叔父だった、ハンスさんの言葉なので間違い無いでしょう」
美男子の言葉に、彼は眉を寄せる。
「ハンスが? どう言う事だ?」
魔窟探索を行っていた者で、『神の眼』ハンスの名を知らない者などいない。
彼が現役を引退するまでに残した魔窟の地図は、どうやればそんな物が作れるのかを疑いたくなるほど正確な物だった。
数多く模写されているハンスの地図は、現時点では第六階層まで作られている。
ハンス自身はもっと深くまで探索した事はあるのだが、ハンスなりに考えがあっての事だと言っていた。
彼らも一時的にハンスと行動を共にした事はあったし、何より彼女の親族だったので詳しく知っている。
現役引退後の事は知らなかったが、地図で築いた財産で有意義に過ごしているものだと思っていた。
彼女の葬式の時に見たのが最後だったが、その時に何を話したのかまで思い出せない。
彼女の葬式自体を思い出したくない、と脳が拒絶しているのかも知れない。
「ハンスさんは姪の死に責任を感じていたみたいです。自ら内偵として貴族家に潜入して、情報を集めていたみたいです」
「……つまり、統治者があいつを殺したのは間違い無いって事だな」
「ハンスさんの命懸けの情報ですから、間違いありませんよ」
「ハンスは、死んだのか?」
「ええ、乱戦に巻き込まれて。私がハンスさん会った時には、すでに瀕死でしたので」
美男子は申し訳なさそうに言うが、正直なところ彼とハンスの間に入るべき人物がいなくなってしまったのだから、その関係は切れている。
ハンスには悪いが、今となってはハンスがどんな顔をしていたのかもあやふやだった。
「……そうか、あいつの仇は統治者、クラウディバッハで間違い無いのか……」
「伝えておこうと思って。余計なお世話を承知で、足を伸ばしてみました」
「ああ、余計なお世話だったな。英雄様は、こんなところで落伍者の相手をしている場合じゃ無いだろう? クーデターが終わったからお役御免です、てのは無責任だろう。お前の戦場に戻れよ」
「そうします。思っていたより、元気そうで良かった。それでは」
美男子はそう言うと頭を下げて、彼に背中を向ける。
「そう言えば、夜中に統治者の娘を探しているって連中がウチに来たんだが、娘は逃げたのか?」
「はい。私としては親の罪が子に及ぶとは思っていないのですが、街の中には過激な人もいますので」
「娘を残しておくのは、後顧の憂いを残すんじゃないか? 賞金でもかければ、すぐにでも見つけられると思うぞ? たかが小娘一匹、いつまでも逃げ回れるとは思えないからな」
彼の言葉に、美男子は首を振る。
「彼女に罪は無い、とまでは言えないかもしれませんが、それが死罪に値するとは思えません。もし復讐であったとしても、それが彼女の生きる目的になるというのなら、私は敵になりますよ」
「お優しい事で」
「ハンスさんの遺言でもありましたから」
彼が背中を向けると、今度は美男子の方から彼の背中に声をかけてきた。
「ハンスさんは、仇の娘まで恨みきれる人ではなかったみたいです」
それ以上はお互いに会話も無く、そのまま別れた。
彼は抱えた木材を適当に転がすと、まだ目を覚まさない女を見る。
この女は、自分をクラウディバッハだと名乗った。
確かに、この女には直接の関係は無いだろう。
彼女が殺された時には、まだ生まれてもいなかったかも知れない。
それで彼女を恨むと言うのは、出来た人間であれば逆恨みだと責めて来るだろう。
だが、彼は出来た人間ではない。
彼女の死に責任があるとすれば、その時にそばにいなかった自分にこそ最大の責任がある。
それは分かっている。
彼も彼女の死の責任を、その時生まれてもいなかった娘に押し付けて恨もうとは思っていない。
それでも、この女を嫌う理由としては充分だった。
ある時、感情が爆発して切り捨ててしまうくらいに嫌っても、それは仕方が無いくらいに自然なくらいなはずだ。
あの男が甘いのはともかく、ハンスはそれほど甘かっただろうか。街の連中の方が正解であり、統治者を殺したのであれば、その娘も、統治者の血族は根絶やしにするべきなのだ。
彼はそう考えていた。
今なら、眠っている女の首を刎ねる事は簡単だ。
別に眠っていなくても簡単ではあるのだが、泣かれたり喚かれたりしないに越したことはない。
彼は剣を抜こうとするが、やめておく事にした。
わざわざ手を汚すまでもない。街の連中に、ここに統治者の娘がいるぞ、と伝えるだけで事は済むのだから。