第十話 決着の夜
その日の夜、おそらくこの街が出来てからもっとも大きな騒ぎとなっただろう。
マクドネルとオスカーといったソムリンド家の者だけでなく、ローデ家の長女も街側につき、この二人のつてもあって貴族側からもそれなりの数の協力者が現れていた。
それによって情報を遮断出来ていた事が何より大きいと言えただろう。
街側の民衆も大半が反乱軍に加わり、街の主要な場所は昼の内から制圧していたので夜になってから貴族邸に襲撃をかけたのである。
圧倒的な数の差によって一気に貴族邸は飲み込まれ、戦闘態勢を整える前に打倒されたという。
貴族が民衆に対してどの様な事を行っていたのかが伺えるほど民衆の士気は高く、はっきりと敵対しているとは言えない様な状態の貴族でさえ殺されたらしい。
この奇襲はオスカーの提案だった。
事を起こす場合、必ず一晩でケリをつける。
そうでなければ貴族の財力によって整えた装備は街の戦力で集められるものではなく、またその財力によって街側の戦力を買収に動く事も十分に考えられる為、超短期決戦こそ勝機と言えた。
オスカーの戦術眼は見事で、その奇襲はこれ以上ないくらいに成功を収め、貴族邸を夥しい血で染めながらも街の制圧に成功したと、街の宿に逗留していたウィルフの元にも入ってきた。
「ウィルフ様! ウィルフ様、いらっしゃいますか!」
自分の役目を終えたと思っていたウィルフは、今回の騒動に直接関わっていない宿で食事をとっていたところだった。
「はい?」
街の喧騒とはまったく無関係と考えているウィルフは、呑気な声で答える。
「ウィルフ様! 急いで一緒に来て下さい! 大変な事なのです!」
「はぁ。でも、僕が?」
慌てて入ってきた魔術師風の女性の慌てぶりに対し、ウィルフはきょとんとしている。
「オスカー様が、急ぎお連れせよと」
あの切れ者の次男がそれほど慌てていると言う事は、本当によほどの事なのだろう。
「でも僕は無関係な部外者ですけど」
「とにかく、急いで下さい!」
妙に腰の重いウィルフに痺れを切らしたらしく、魔術師風の女はウィルフの手を掴む。
彼女は指定した座標へ空間移動する魔術の使い手の転移者だったらしく、次の瞬間にはウィルフは宿の食堂から戦場へ飛ばされていた。
と言っても、最前線ではなくオスカーの電撃作戦によって、すでに戦いの終わったところへ連れられてきたらしい。
凄まじい戦闘が行われた事が容易に予想出来るほど、邸宅は破壊され見るも無残な有様となっていた。
「ウィルフ様」
オスカーに呼ばれ、何かわからないままにウィルフはそちらに行く。
そこで、急ぎの理由もはっきりと分かった。
「……ハンスさん?」
そこには瀕死のハンスが倒れていた。
「ハンスさんが、何故?」
「この期に及んで、領主に与するとは。何を考えていたのやら」
領主の館に攻め込んだと思われる魔窟探索者の男が、倒れたハンスを見て言う。
「ハンスさんが? そんな馬鹿な」
「……ウィルフ」
ハンスがうっすらと目を開ける。
しかし、その目にウィルフの姿が見えているかは疑わしい。
「はい、僕を呼んだのはハンスさんだったんですか?」
「……ソルに、お嬢……」
それだけ言うと、ハンスはそのまま息を引き取った。
「……領主は?」
「それが」
オスカーはふと視線を別のところに向ける。
ハンスは長く魔窟探索を行ってきた人物で、引退したとはいえ凄腕と呼ぶに相応しい戦闘能力を持っていた。
その防波堤を失った領主は長くは持たなかったらしく、夫妻ともに見るも無残に切り刻まれ、さらにその死体は吊るされ歓声が上がっている。
「領主夫妻は、よほど恨まれていたみたいですね」
「領主を恨んでいなかったのは、おそらくこの街でローデ、ソムリンドの両家当主だけでしょう。アレを止める事は出来ません」
暴徒と化した街の戦力が、遺骸にすら暴行を行っていると言う蛮行を、しかしオスカーであっても止めることは出来ないと言う。
ソムリンド家の次男と言う立場であるオスカーがそこまで言うのであれば、領主クラウディバッハ家と言うのはよほど暴虐の限りを尽くしてきたのだろう。
しかし、では何故ハンスはここに至って領主側について命を落としたのだろうか、とウィルフは疑問に思う。
ウィルフだけではなく、オスカーも同じ疑問を持ったはずだった。
このクーデターの首謀者であり、ほとんど全ての計画を立てたのはハンスらしかった。
それについての疑問は無い。
参謀役だったハンスとオスカーが練った電撃作戦は、これ以上は望めないほどの効果をもたらした。
ここでハンスが領主側に付くべき理由は皆無である。
「領主の娘はどうした?」
オスカーにそう尋ねたのは、以前見かけたいかにも貴族なエヌエル家の者だった。
しかも一人ではなく、カエルに貴族の服を着せた様な、魔窟で見かけたら切り倒しそうな貴族風の男も一緒にいた。
「これは、エヌエル家、エヴィエマエウ家、両家の方々が何用ですか」
「領主の娘だ! メーヴェはどうした?」
カエル似の貴族は親子だったようで、子供の方が唾を飛ばしながらオスカーに食いついてくる。
「娘? いや、見かけていませんが」
「探せ! アレは生け捕りにしろ!」
エヴィエマエウ家の貴族らしいカエルの親子が、周りに喚き散らしながらどこかへ去っていく。
「……アレは?」
「貴族の鼻つまみ者ですが、領主に対する恨みは誰よりも強かったので、今回は色々と働いてもらいました」
「随分と娘に固執していた様でしたけど」
「領主の娘は美しいからな。以前からあの二家、特にエヴィエマエウの連中は領主の娘に執心と言うのは有名な話だ」
マクドネルがカエル親子と入れ替わる様にやって来て、ウィルフに説明する。
「ハンス殿も長く領主の娘の教育係をやって来たので、もしかすると情に流されたのでは?」
マクドネルの言葉も分からなくはないが、それはハンスらしくないとウィルフは思う。
思いはするのだが、あの最期の言葉。
アレは『ソルにお嬢様を託した』と言う事を伝えようとしたのではないか。
ソルとはかつてウィルフと共に魔窟を探索した者であり、その直接的な戦闘能力の高さはウィルフを除くと、魔窟でも追従する者もないほどだと言うのがウィルフの評価だった。
その人物に託したとなれば、そう簡単に街側の人間に領主の娘は奪還出来ないだろう。
「一応、ソルに報告しておきますか」
「……これで良かったのでしょうか」
オスカーがハンスの亡骸を見下ろしながら呟く。
「何をいまさら」
「いや、この事ではなく、ソムリンド、ローデの両家の戦力を魔窟に追いやった事です」
弱音を吐いていると思ったマクドネルが言ったが、オスカーの心配事はまったく別の事だった。
「敵対勢力として、両家の勢力は街にとって迷惑になるのでは? まして魔窟。もし魔窟探索者を味方に付ければ、このクラウディバッハ家や貴族社会を再興させるかもしれません」
「まず心配いらないでしょう。魔窟でモノを言うのは家柄ではなく『力』です。それを得るのは、少なくともその経験が無い者が考えているほど簡単な事ではありませんから」
「だが、アルフには『仮面』(ペルソナ)の力があるのでは?」
マクドネルがウィルフに尋ねる。
もし『力』こそ至上と言うのであれば、この世の常識から外れた『力』を有する『仮面』は何よりも魔窟向きと言う事になるのではないか、とマクドネルは考えたらしい。
「街に限らず、『敵』と言う存在は完全になくしてしまわない方が良いのは、オスカーさんならわかるでしょう?」
「それは、ええ、分かりますが」
「ご兄弟を悪く言うのは気が引けますが、あの三男にそれほどの力はありません。『仮面』に力があっても、それを扱えなければ意味がない。それに、『仮面』の連中には魔窟の常識を勘違いしている者が多いので、力をつけるほど生きていられるかどうか」
「と言うと?」
オスカーはすぐに尋ねるが、マクドネルも不思議そうにウィルフを見る。
「魔窟は攻略される為に存在する、エンターテイメント空間ではない事を理解していないんですよ、『仮面』の連中は」