一話 ある日の遠景
彼が見るのはいつもと同じ、これまでに何度も繰り返されてきた悪夢。
幾つかのものを得て、それらを含む殆ど全ての、とても貴重な大切なものを失うまでの夢。
それでも、今となっては夢の中でしか会えない者達に会えるのだから、例え悪夢であってもそれを待ち望んでいた。
だが、その日は違っていた。
その夢を見る時には最後に失われるところまで見て、絶望的な気分で目を覚ます事が常なのだが、その日に限って夢の途中で目を覚ました。
それがどの時点だったのかは思い出せないが、目を覚ましたのが真夜中だった事も常とは違っていた。
今すぐ眠れば、いつもの悪夢と分かっていても続きが見られるかもと期待したが、妙に目と頭が冴えて眠気も霧散してしまっている。
数回寝返りを打ってみたが、けっきょく眠る事は出来ず、頭を掻きながら上体を起こす。
差し込む月明かりに照らし出されるのは、家主を表す様な空虚な空間と、部屋の隅に整理されることなく散らかされている生活必需品。
多少整理されていると思えるのは作業台の上に置いている、生計を立てる為に彫っている木彫りの彫像くらいだった。
今回の納品分は既に制作済みである為、コレを納品すれば数日は生活に困る事はない。節制すれば十日は持つはずだ。
そう考えていた時、すでに彫るべき木の備蓄が無くなっている事を思い出した。
このまま寝床でゴロゴロ無意味に寝返りを打っていても眠れそうに無かったので、寝床を離れ近くの森へ向かう事にする。
簡単な身支度と、何か良くない予感のようなモノもあったので護身用でもある愛用の剣を持つと、外へ出る。
「……火事、か?」
街の方が紅く色付き、煙が夜空を汚していたのだが、街外れのここまでは何も届いてこない。
もっとも、街で何があっても関係無い。
もうとっくの昔に街への未練も断ち切り、今では彼の彫像を買取に来る男と、ごく僅かな生活必需品を購入する程度しか繋がりは無い。
極端な話をすると、今、この瞬間に街が無くなったとしてもさほど問題は無いのだ。
そう考えながら、彼は森へと入っていった。