夏に降る雪(卅と一夜の短篇第14回)
科学の暴走が人類に害をもたらした事件を基にした物語です。この物語の資料を手繰る時、執筆時、ずっと加古隆の『パリは燃えているか』の旋律が頭の中で響いていました。
夏休み!
日本との戦争中で男手が足りないと言われていて、姉さんが工場に働きに出ているけれど、ハイスクールを卒業したばかりのわたしたちにとっては大切な最後の夏休み。キャシーやシンディー、キャロライン、そしてわたしの四人でキャンプをしに出掛けるの。
場所は山脈が向こうに広がる沙漠の近く。先住民の居住区や陸軍の研究所が何十キロか先にあるらしいけれど、つまりはそれくらい何もないような場所。
キャロラインが従軍しているお父さんの自動車を借りて、みんなで交代して運転して出掛けるの。
お母さんは難しい顔をしていたけれど、遊んでいられるのも今のうちだけとお父さんが許してくれたわ。みんなの家でも似たようなものだったみたい。
戦争中といえども普段と変わらない生活を送るのが気持ちとして大切。銃後できりきりしていても兵隊さんたちを不安にさせてしまう。精神的に余裕を持って、そして自分なりの役割を果たすのが大事と言い聞かせられてきて、その通りに過してきている。それに、わたしたちは学期が終了してハイスクールを卒業したから、これから軍需工場や通信関係の仕事に就くようになるし、シンディーはナースになる為の学校に進むと決めている。
最後の夏休みに女ばかりで小さな冒険をしてみたっていいじゃない。
それぞれの荷物を持って自転車でキャロラインの家に集合。
「サンドラ、早いじゃない」
キャロラインが家から慌て気味に出てきた。
「おはよう、楽しみで早く目が覚めちゃったのよ。でも時間通りじゃない」
「車で行くんだから、心持ちゆっくり来てくれても良かったのに。だいたい、キャシーもシンディーもまだ来ていないわよ」
ガレージに自転車を置いて、車に荷物を乗っけてて、とキャロラインは準備の為にまた家の中に戻っていった。
そうこうしているうちにキャシーもシンディーもやって来た。
「おはよう!」
みんなで荷物を積んで、忘れ物はないか確認していると、キャロラインのお母さんが出てきて、声を掛けてくれた。
「みんな大人の自覚があると思うから大丈夫だと思うけれど、充分気を付けて行ってらっしゃい」
「はい、小母様、大丈夫です。わたしたち用心深いですから」
どうしてこう親たちはわたしたちをいつまでも幼稚園の子どものように言うのかしら。みんなもう慣れてしまって、クスクス笑いをしながら答えてしまう。
「マム、行ってきます」
キャロラインは口角を下げていたわ。
出発してしまえばもうこっちの勝手。ハイウェイを飛ばして、半日くらい。そこを降りて、幾つかの牧場を通り過ぎたところで、適当に車を停めた。
座席でこちこちになった体をう~んと伸ばして、周りを見渡す。
自然のままの環境。
「素敵だわ」
みんな口々に言った。乾燥した夏の日差しとどこまでも広い地平。西には国立公園があって、東には沙漠、そして山脈が彼方にある。
「何もないって、かえって面白いわ」
「わたしたちの場所」
「わたしたちがここの主みたい」
「親も男の子の目もないのって気楽よね」
わたしたちは浮かれちゃって、テントを組むのを忘れそうになった。自動車の中で四人はとてもじゃないけど休めない。急いで、みんなでロープを引っ張ったり杭を打ったりとテントを広げ、組み立てた。
缶詰を開けて、持ってきたパンやジュースで乾杯。
何もない、電灯のない場所だから、見上げる星空も綺麗。夜空を見上げて冷えてきたら、テントに入ってお喋り。飽きることがなかった。真夜中過ぎに雨が降ってきた。
「もう寝ましょう」
誰が声を掛けたか覚えていないけれど、眠かったから、イエスもノーも返事をせず、眠ってしまった。
ぱっと強い光が差し、少し間を置いてすごい音が響いた。地響きかと勘違いするほどの強い音。眠気も何も吹き飛んで、わたしは起きた。
「何時?」
シンディーが寝惚けながら腕時計を見た。
「五時半過ぎ、まだ六時になってないわ」
同じく寝惚けた様子でキャシーが頭をもたげた。
「何? 地震?」
「光ったわよね?」
こわごわテントの外を見てみた。別に様子は変わりないような気がする。
「サンドラ、危なくない?」
わたしはテントを出て、周囲を見回してみた。
「変な雲が出ていて、お日様が隠れているわ」
「雲? 夜に雨が降ったからじゃないの?」
「でもさっきすごい光が差したわよ。変なの」
シンディーとキャロラインも出てきて、一緒に周りを見てくれる。
「変な形の雲。ハリケーンの雲とも違う。キノコみたい」
「嫌だわ、こんな天気見たことも聞いたこともない」
キャシーは怖がってテントから出てこなかった。
何が何だか判らなかったので、ひとまず朝ごはんを食べることにした。朝ごはんといっても、お湯を沸かして、ゆで卵を作り、パンを温め、コーヒーを淹れた程度。お祈りをして、ご飯を食べた。昨日のような気楽な気分がなかなか戻ってこない。なんだか不安で胸が詰まりそう。
「あれ?」
声を上げたのはシンディーだった。
「雪かしら?」
雪? 今日は7月の16日、夏のニューメキシコ州に雪なんておかしい。でもシンディーの言う通り、外を見ると白いモノがちらちらと降ってきている。
「何かしら?」
シンディーとわたしはテントを出て、降ってくるものを手に取ろうとした。冷たくない。でも雪のように綺麗なさらさらした粉みたいなもの。
キャロラインも出てきて、触ろうとする。キャシーは見詰めるだけで、出てこない。
「キャシーったら怖がりなのね」
「見たこともないものには用心した方がいいもん」
「綺麗だわ、この粉何なのかしら。蜘蛛の子がふわふわ飛んでいるような現象なのかしら?」
白い雪のような粉はずっと降り続けた。
キャシーが怯えるので、キャンプは予定よりも早く切り上げることにした。本当は三日間のつもりだったのに、二日で終わりにした。
盛り上がっていた気分が一気に下降。でも仕方がない。こんなにキャシーが怖がっているのだから、無理は言えないし、休みはまだあるから遊ぶ機会もあるはず。
何だかだるくて、テントを片付けて車に積むのがひどく重いような感じがする。シンディーもキャロラインも寝不足みたいな顔をしている。キャシーの心配が移ったのかしら。
交代で車を運転していても、なんだか疲れてしまって、キャシーが頑張って運転してくれた。
途中の休憩の為、見掛けた牧場に寄った。ここの牧場にも白い粉が降っている。
「ミルクを買わせてください。それと近くで休憩していいですか?」
声を掛けると、牧場の小母さんが愛想よく応えてくれた。駆け寄ってきた牧場の犬が粉だらけだったのをぱっぱと払ってやったら、犬の毛が抜けてきた。毛が抜けただけじゃない。むき出しになった皮膚が赤くただれている。
そこへここの牧場主なのだろうか、小母さんに男の人が慌てたように呼び掛けてきた。
「牛たちの様子がおかしいぞ。火傷したみたいな水ぶくれになっている奴がいる」
小母さんはわたしたちの相手をしているどころじゃなくなった。
「急いで牛を小屋に入れましょう。
あなたたちには悪いわね。休憩していってもいいけれど、もっと端に車を寄せててちょうだい」
わたしたちは顔を見合わせた。小母さんに言われたとおりに車を動かして、気持ちを落ち着けて、出発した。
そのうちシンディーが驚いたように悲鳴を上げた。
「どうしたの?」
「ぶつけた訳でもないのに、腕にあざができている」
シンディーが左腕を見せた。腕から肘に掛けて大きなあざができている。キャンプの前にこんなあざはなかったし、キャンプの間もシンディーは転んだりぶつかったりの事故に遭っていない。どうしたんだろう。
わたしは怖い。ひどくだるくて、気分が悪くなってきた。
キャロラインやキャシーは大丈夫だろうか。
「キャシーは大丈夫?」
「今のところは大丈夫よ」
「キャロラインは?」
後部座席から助手席のキャロラインに言ったけれど、キャロラインも気分が悪そうで、ろくに返事をしない。ねえ、と後ろから突いてみると肩が揺れて、キャロラインの髪の毛がパラリと束になって落ちてきた。
わたしは思わず口を押さえた。
「どうしたの?」
運転中のキャシーを動揺させないように、わたしは「なんでもない」と答えてしまった。ホントはなんでもないなんて言えるような状況じゃない。
「とにかく早く家に帰りましょう。それが一番良さそう」
「ええ、そうね」
カーラジオからは軍の研究所で爆発事故があったが、犠牲者はなしとニュースが流れていた。
犠牲者はなし、頭の中で、そのニュースの内容がずっと響いていた。
キャシーは自動車を飛ばして、キャロラインの家まで運転してくれた。予定よりも早く帰ってきたので、キャロラインのお母さんは驚いていたけれど、キャロラインの様子を見て、もっとひどく驚いた。 キャロラインは髪が抜け、貧血を起こしたようになっていた。
キャロラインのお母さんは、わたしたちの家族にそれぞれ迎えに来てくれるように連絡してくれた。
キャシー以外は誰もがふらふらだった。自分の荷物も持てなかった。
家に着いて、わたしは寝付いてしまった。
寝付いたまま、家族から、みんなの容態を聞かされた。キャラロインはお医者さんにひどい貧血だと診断されて、増血に効く薬を処方されて休んでいるって。シンディーはあざが全身に広がって、間もなく亡くなったそう。わたしはベッドから出られるどころじゃなくて、お弔いにいけなかった。
わたしは体に力が入らない。キャロラインと同じく貧血かと思われたけれど、歯茎から出血が始まって、白血病の疑いがあるから大きな病院に行きなさいと言われたばかり。
キャシーは今のところ変わった様子がないそうだ。
わたしたちとキャシーを分けたもの。あの、雪か霜のような白い粉。それしか考えられない。キャシーはテントの外に出てもスカーフやハンカチを使って白い粉に極力触れないようにしていた。一体あれはなんだったのかしら。
1945年の7月16日、わたしたちに、そして立ち寄った牧場、辺りを覆った白い雪のような粉。
その正体を知らないまま、わたしは死んでしまうのかも知れない。
神様、教えてください。雪でもなければ、命をつなぐマナでもない、あの空から降ってきた白い粉の正体は一体何だったのでしょう。
それとも知らぬまま、誰をも憎まず、恨まず、身許に赴くのが仕合せなのでしょうか。
18歳で、命の灯が消えようとするわたしを憐みください。
1945年7月16日の早朝、それは人類初の原子爆弾が炸裂したトリニティ実験の日。
実験はニューメキシコ州の沙漠で行われた。先住民の居住区や牧場があるのが確認されていたが、軍事機密、そして開発した科学者にも原子爆弾の威力が未知数だった故に、警告も退去命令も出ていなかった。
トリニティ実験の行われたニューメキシコ州、そして大戦後数々の地上核実験が行われたネバダ州では、今でも強い放射線を確認できると伝えられている。
webニュースで、トリニティ実験の際に、何も知らずにキャンプをしていた女子学生が被曝したと読んだのがきっかけでこの話を思い付きました。執筆にあたって、そのニュースを再度見付けることができませんでしたが、『プルトニウムファイル』(アイリーン・ウェルサム著 渡辺正訳 翔泳社)によると、トリニティ実験で放射性物質や死の灰の拡散について科学者はほとんど考慮しておらず(というより予想できておらず)、科学者たちの健康管理をしていた医者たちが近くの居住者への影響を見て回った程度で、長期の追跡調査さえされていませんでした。
トリニティサイト付近の住民への健康調査が始まったのは今世紀、オバマ大統領の時代でした。
臨界事故ではないのに、症状が出るのが早いと感じられる方もおいでかもしれませんが、短篇でまとめる為、登場人物への影響をすぐに出たように描きました。
ご不快に感じられる方がいらっしゃるだろうと思います。でも書かないではいられませんでした。
ここでお詫び申し上げます。