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死神は、鎌を振るう

第五章

 立石組初代組長、立石麟太郎は、書斎の文机の前で端座しつつ、腕組みしていたのであ

った。時は更深、既に月曜となっている。現地入りした旨の連絡を黒石より受け既に数時

間。勇猛なる若頭の声は、相も変わらぬ頼もしさではあった。しかし

「気に入らんなぁ」

眉根に深い皺を刻んだまま、知らず、その様な一言が口をついて出る。この一件を引き受

けていらい心身にまとわりつき離れる事のない違和感に、彼は苛立っていたのであった。

それは今日に至るまで彼の生命の安全と地位の確立に、大いに貢献して来たのである。そ

の違和感に敏感であったがゆえ若輩の頃は武闘派としてならし、幾度となく弾雨、白刃を

潜り抜け、負傷しつつも生き残ったのである。背中の傷を負ってから違和感はそれに集約

され一種のアンテナと化していたが、今回はそれが終始感応し続けている。危機を告げる

何物かを受信し続けているのである。確かに正体不明の敵の存在は気懸かりではあった。

しかし、感応は敵の宣戦布告(斧堂が井竹らを痛めつけた事を指す)以前より続いている

のであり、それが薄気味悪さを伴い彼を苛立たせるのである。黒石を始め活きのいい若い

の(ばかりでもないが)を三十名近く投入した、これが大きな戦争の契機となるのであろ

うか?ならば、これ程まで苛立つ事もあるまい。修羅場は彼等の住処である。かつてピス

トル一丁、匕首一本で標的を狙う、いわゆる『鉄砲玉』に事欠いた事は無かった。彼等の

戦いは一種のゲリラ戦であり、正面からの総力戦、といった事態は滅多にない。それが戦

争を長引かせる事にもなりかねないのであるが、今回の場合手打ちまで『鉄砲玉』が切れ

る事もあるまい。足りねば更なる増援も不可能ではない。しかし

「…気に病みすぎ、かねぇ?」

古傷の疼き、それは、恐らくは単なる年齢的なもの、季節の変わり目といったありがちな

要因が大であろう。そう振り切る様に小さく溜息をつき、首を振る。その程度で拭い去り

きれる様な不安でないと、重々承知しつつ。


 月曜日の早朝、いつもの様に斧堂と嶋本は落ち合い、学校へと向かっていた。いつもな

らば、二人きりの時には殆ど会話はない。今日は、昨日の吉川が助っ人として参加した試

合(結果は惜敗であった)について嶋本の方から話題を振ってみるが、斧堂はさしたる関

心を示す事もなくおざなりな相槌に終始し、直ぐに会話は途切れて沈黙が降りてくる。そ

れに耐えられなくなった訳でもないであろうが、再び嶋本が果敢にも口を開く。

「あの…斧堂さん?」

躊躇いがちに、声を掛ける。

「何でしょうか?」

素っ気なく斧堂が答える。視線は走査線を放つかの如く忙しなく周囲を行き交い、ほんの

いっとき彼女の上に留まる事もない。

「この二、三日、あの人達を見かけませんでしたね?」

あの人達、とは井竹と高田の事であろう。

「そうでしたか」

「その…あなたに痛めつけられてから、でしたよね?」

「そういう事に、なるでしょうか」

「ですから…その…」

「有り得ませんね」

嶋本に皆まで言わせず、そう断言する。嶋本は、気落ちした様に目を伏せた。

「少なくとも、彼等はあなたの通う学校と本名を知っていた、そうですね?」

「…はい」

「それがどういう意味を持つのか、あなたに関する情報が、一介のチンピラ風情に入手し

うる様な、帳簿屋のファイルに納められている様なものなのか…聡明なあなたなら、理解

していらっしゃる筈ですね?」

「…」

「彼等のバックにあるもの、組織があなたの身柄確保を画策、失敗している現状で、あの

程度の打撃に撤退するとはとうてい考えられません。我々が突き止めた彼らの正体につい

て考えるなら、なおさらその感は強くならざるを得ません。むしろより強硬な手段も辞さ

ない覚悟で」

騒々しいエンジン音が斧堂の口を閉じさせる。二台の車が背後から近付いてくる。先頭の

車が二人を追い越すや急ハンドルを切り、二人の行く手を遮るべくリアを滑らせ停車した。

二台目は二人の背後で同様に道路を塞ぐ。進退窮まった二人を挟む様に剣呑な雰囲気の男

達が続々と降り立つ。前方に四人、後方には二人。嶋本は体を強張らせ、斧堂はMTBを

横倒しに置く。

「へっ、こんなガキ共に今まで手こずってた、ってのか?」

二人の眼前に立つ、三十代半ばと思しき見知らぬ高級スーツ姿の男が、二人を睨め付けつ

つ、嘲笑混じりに呟く。周囲を素早く見回し、背後を窺う斧堂。

「手間掛けさせやがって!こんな片田舎まで出張る羽目になったろうが!」

恫喝しつつ近付いてくる男。他の男達(みな彼よりは若そうである)は上着の下、腰に手

をやっている。恐らくは銃のグリップに手を掛けているのであろう。

「とっとと来いや!」

嶋本の右腕が乱暴に捕まれ、引かれる。小さな悲鳴を漏らすのにも構わず、引きずる様に

男は彼女を引き寄せる。不安に面を歪め斧堂を見返す嶋本を取り戻すべく一歩踏み出した

斧堂へと、一斉に銃口が向けられた。一歩退がると、男は斧堂へと嫌らしい笑みを見せた。

「あんたにも来て貰うぜ。色々と、聞かせて貰わなにゃあ?」

男の視線を受け、斧堂の背後を押さえていた男が小さく頷き、右腕を振り上げた。その手

にはリボルバーピストル(スナブ・ノーズのサタデーナイトスペシャルである)が握られ

ている。振り下ろされたグリップが斧堂の後頭部を強打する、その寸前。このとき、男達

に少なからぬ油断があった事は否めまい。この状況で、斧堂に何らなす術のあろう筈がな

かったのである。

「あ?」

斧堂の姿は男の眼前より消えていた。回転する様な体捌きで男の背後へと回り込んだので

あった。男の首に左腕を回しかき切る様に引くと、鈍い音とともに男の首がほぼ直角にね

じ曲がる。脱力した男の右手から銃をもぎ取り、隣の男へと銃口を向ける。全ては無駄の

ない、流れるが如き動作であった。銃口を向けられながら心身共に事態の急変に全く追従

出来ぬままあてど無く銃と視線を彷徨わせつつ呆然と立ち尽くすばかりの男。

 一発目の銃声。弾丸は右耳の下部より入り、左のこめかみに抜けた。血をしぶかせつつ、

男は膝から崩れた。事態に対処出来なかったのは嶋本も同じであった。彼女は二人の男の

死を直視してしまったのである。殊に、銃創より噴出する凶々しき真紅、一瞬膨張したか

に見えた頭部のその有様などは、尋常ならざる衝撃を彼女に与えたのであった。

「ひっ」

短い悲鳴を漏らす。顔を逸らすが後の祭りである。全ては一瞬の出来事であった。

「てめ!」

それでもさすがは、というべきであろうか。男達が思考停止していた時間は僅かであった。

再び斧堂を照準し直そうとするが、もはや死体である仲間を盾にされ躊躇する。それは致

命的であった。その間にも、斧堂は次の標的を定めていたのである。嶋本を拘束している

男であった。その隣の男が、彼女を背後へ押しやるのが見えた。二発目、三発目の銃声は

殆ど繋がって聞こえた。二人の眉間より、深紅の噴水が迸る。幸い、こちらは嶋本の視界

には入らなかった。即死の男達は滝の如き流血もそのままに地面へと仰向けに倒れる。瞠

目したままである。その双眸が現世の姿を映す事はもはや無い。

「畜生!」

生き残り達が発砲する。それは三人が車に収まるまでの牽制にすぎなかったが、十分にそ

の役目は果たしたのであった。一人が開かれたままの後部座席に、半ば放心状態の嶋本を

押し込み奥へと押しやりつつ扉を閉める。途端に窓ガラスに二発着弾する。三十八口径の

弾丸は、しかし防弾ガラスに弾き返された。車には車体価格に匹敵する改修費を掛けた高

度な防弾装備が施されていたのであった。

「早く出せ!」

嶋本に銃を突き付けつつ、後部座席の男が運転手席に声を掛ける。

「判ってらぁ!」

サイドブレーキを解除しつつ、ステアリングを握った男が返答する。その声に銃声が重な

り、反射的に男は身を屈めたのであった。

「やはり三八〇ACPでは無理ですか」

MTBに跨ったまま、斧堂は銃を構えていた。奪った銃は弾切れで捨てた。今構えている

のは小型のセミオートマチックピストルである。M一九一〇(『天才』ブローニングの設

計である)。非常にシンプルな機構を持つ携帯性に優れた銃である。デイパックの隠しポ

ケットより取り出したものであった。それを手早く元に戻すとペダルに足を掛け、漕ぎ始

める。ハンドルを切り、背後を塞ぐ車の横を擦り抜けてゆく。

「畜生、逃げやがった!」

スマートフォンを胸ポケットに仕舞いつつ、僅かに下ろしたパワーウィンドウを再び上げ、

後部座席の男は横で失神している嶋本を忌々しげに睨み付けた。斧堂への反撃のためウィ

ンドウを細く開き発砲しようとした男であったが、その腕に飛びついた嶋本を僅かな揉み

合いののち振り払った。その拍子に彼女は背後の窓ガラスへ後頭部を強打したのであった。

「畜生、浅井の兄貴を殺りやがって!もう生け捕り指令なんざ糞食らえだ、今ここでブッ

殺してやる!」

「熱くなってんじゃねぇ、馬鹿野郎!」

忙しなく手足を動かしつつ、運転席の男が叫ぶ。

「うるせぇ!中井ぃ、てめぇなに冷静こいてやがんだ?!」

「ふざけんな!今はこの小娘を若頭の所へ連れてくのが一番だろうが!」

ギアレバーがローとバックの間を忙しなく往来する間に、ステアリングを左右に切る。足

は三つのペダルの上をアップテンポで踊る。そうして、遂に車のフロントが車道を向いた。

バックからローへ、ギアを入れ直そうとレバーに手を伸ばしたその時であった。

「おい、奴だ!」

背後を悔しげに見詰めていた後部座席の男が声を上げた。反射的にバックミラーを覗いて

みれば、斧堂の漕ぐMTBが急速に接近してくるのが見て取れる。

「このままぶつけちまえ!」

「馬鹿言うな、兄貴達を轢く気か!」

そのままバックすると死体を轢く事になるのである。今までも、死体を避けて切り返すの

に苦労していたのであった。そうこうするうち、斧堂は車の横を擦り抜けていった。追撃

するべくアクセルが踏み込まれようとした、そのとき。

「?何をする気だ?」

車の前方、三十メートル程の距離を置きMTBが停車したのであった。停車まぎわ車体を

ドリフトさせ正対する様に。肩越しに、背後に右手を伸ばす。デイパック上方の隠しポケ

ットより引き抜かれたのは、一見して電動ドリルを思わせる銃であった。アサルトライフ

ルのフレームにささやかなカバーの付いた短いバレル(簡単なフロントサイトが取り付け

られている)とストックを取り付けただけのカスタム銃である。ストックも、金属棒に半

円形の金具が付いたもので、あるいは金属製の松葉杖にマガジンを装着した様にも見える。

グリップを握ったままストックに腕を押し付けると、半円形の金具が腕を左右から挟み込

み固定する。コッキングレバーを引き、放すと初弾がチャンバに送られる。グリップより

手を放しハンドルを握り直す。

「ガキが、タイマンのつもりか?!」

運転手が唸る。

「へへ、こいつぁいい、殺っちまえ!」

「言われるまでもねぇ」

エンジンが唸りを上げる。力を溜め込みつつ、今まさに、空母の飛行甲板上スチームカタ

パルトにより射出されるのを待つ戦闘機の如く、疾走の時を待っていたのであった。力強

く、再び斧堂がペダルを漕ぎ出す。それを合図に、エグゾーストノーズとブラックマーク

を曳きつつ加速を開始する車。しかし、防弾装備による重量増加にエンジン、足回り等の

強化が追い付いていない様で出足は鈍い。それに対し、斧堂のMTBは滑らかに加速して

ゆく。ラピッドファイア型のギアスイッチを指で弾く様に操作してギアを入れ替えつつ速

度に乗る。海へと突入してゆくレミングの群れに似て死を求めるかの如く、MTBは何の

躊躇も無く車との衝突コースを突き進む。激突寸前、MTBは跳んだ。

「お?!」

バニーホップでボンネットに乗り上げたMTBは、フロントグラスを駆け上がった。斧堂

は右手をハンドルからグリップへと持ち替えるとセレクトレバーをセーフよりフルオート

に切り替え、屋根の上で銃口を下へ向けトリガを引く。指切り三連射で徹甲弾が屋根を貫

いた。屋根にも一応の防弾は施されていたが、徹甲弾は難なくそれを撃ち抜いたのであっ

た。昨今の防弾ガラスの性能を考えれば、フロントグラスへの射撃は、被弾経始の強い部

位でもあり徹甲弾をもってしても弾かれる可能性が高く、たとえ貫通したとしても弾道が

大きく逸れ、最悪の場合嶋本を襲う可能性すら考えられるのであった。そういった判断か

ら敢えて車上に跳び乗るというリスクを負い、最も防弾が手薄であろう屋根上から射撃し

たのである。一発目は運転手の左足を、二発目は右腕を、そして三発目は頭頂部を貫通し

た。ほぼ即死であった。それまで握っていたステアリングの上に倒れ込む運転手。車体が

左へと曲がり始める頃には、MTBはトランクの上を駆け抜け空中で百八十度回転をきめ

着地すると、斧堂は車の有様を見届けたのであった。電柱に左のフロントを引っかけ、テ

ールを振って道路を塞ぎつつ停車する。

「ってぇ!畜生、ブチ殺してやるぅ!!」

助手席に思い切り頭頂部をぶつけ蹲る男。彼は、運転席の同僚が血をしぶかせつつ前のめ

りに上体を突っ伏すのを目の当たりにしていた。来る時には彼を含め六人いた。非常に他

愛のない、楽な仕事の筈であった。それがどうであろう、今は彼ただ一人である。たった

一人の少年に、彼等はいともたやすく粉砕されたのである。ほんの十分余り前の気楽な雰

囲気が、遙か昔の事の様であった。

「何なんだ、あいつは?!」

少年は何の躊躇もなく人に銃口を向け、トリガを引いたのである。彼等とて荒事を生業と

する者達である。時に殺人を厭わない事も吝かではない。しかし、彼等の基本戦術は奇襲

による特定人物の殺傷であり、これだけの人数をもってその奇襲を仕掛けた挙げ句ただ一

人の前に返り討ちにあう事など、夢想だにしなかったのであった。

「くそ!おい、起きやがれ!」

気を失ったままの嶋本の頬を乱暴に張り覚醒させると、引きずる様に車外へと出る。車が

斧堂への障壁となる筈であった。しかし件の少年はその障壁を軽々と跳び越え、ドリフト

を掛けつつ停まり男と対峙したのであった。

「逃がれられると思っていたのですか?」

斧堂は右手で銃を構えていた。M一九一〇である。MTBを降りスタンドを下ろす。

「へっ、随分とでけぇ口を叩くじゃあねぇか!状況が判ってねぇのか?!」

必死の抵抗を試みる嶋本を左手一本で押さえ込みつつ、男は右手のセミオートマチックピ

ストル(トカレフ、より正確には五四式自動拳銃である)を彼女のこめかみに突き付ける、

と、息を詰まらせ嶋本の動きが止まる。

「銃を捨てな、お前に勝ち目はねぇ、この女がいる限りな!」

「…」

怯えに揺れる嶋本の視線を、無言で斧堂は受け止める。

「早く捨てやがれ!」

声を荒げ、更に強く、嶋本のこめかみに銃口を突き付ける。

「…良いでしょう」

男を見据えたまま腰を落とし、銃を路上に置く。

「一歩下がれ!」

言われた通り一歩下がる。それを見届けて初めて、男の表情に余裕の笑みが浮かぶ。

「いい子だ、ご褒美だ、良いモンくれてやるぜ…死ねや!」

右腕を真っ直ぐに伸ばし、銃口を嶋本より斧堂へと向け直す。照準は眉間を捉えていた。

この距離で外す事はまずあるまい。トリガが引き絞られる。嶋本が短く悲鳴を上げる。し

かし

「うっ…?」

微かな風切り音。指の動きが止まる。その右肩、小さなフレシット状の飛翔体が突き刺さ

っていた。本体は透明なチューブでありその外周に三枚、申し訳程度の安定翼が付いてい

る。

「な、何だぁ、こりゃぁ!」

右腕が動かない。指一本動かせない。長時間体の下に敷いていたかの如く、痺れているの

である。左手で腕に刺さった物体を引き抜くが状況に変化はない。呆然とする男の腕を擦

り抜け、嶋本は自由を取り戻した。それと入れ替わる様に、斧堂が男に歩み寄る。銃を取

り上げると右手で首を掴み、一気に締め上げた。引き剥がそうともがくがびくともしない。

白目をむき、泡を吹いて、放尿と共に間もなく男は絶命した。放せば、首に掌の痣も鮮や

かに糸の切れたマリオネットの如く路面に倒れ伏したのであった。

「いったい、何が?」

突然の逆転劇に事情の飲み込めていない嶋本が、わななく口で尋ねた。

「”お母さん”に、手助けして頂きました」

嶋本家の方を見遣り斧堂は短く答えた。嶋本家のベランダでは”お母さん”がライフルを

構えていたのであった。ライフル、とは言っても空気銃である。それであのフレシットを

放ったのである。チューブの中には、即効性の麻酔薬が充填されていたのであった。

「家に戻りましょう。早急に手を打たなければ」

「どうするのですか?」

油断無く周囲へ視線を配りつつ、斧堂は優しく嶋本の右手を取った。

「荷物を纏めたら、”避難所”へ移動します」

騒々しくなり始めた周辺を後目に、MTBを押す斧堂と嶋本は足早にその場を後にする。


 応接セットの下座側には、二人の男女が陣取っていた。女性は扶桑国際警備の警備部門

担当副社長、見吉八重香である。その傍らの若者は、電子情報分析室で見吉からディスク

を受け取った青年であった。名を川瀬準一かわせ じゅんいちという。二人の表情は

共に硬い。川瀬のそれからは緊張が見て取れるが、見吉のそれはまた異なる。彼女は怒り

を覚えていたのであった。何に対してであろうか?これより見える人物の迂闊さに対して、

であった。

 扉が開かれる。姿を現したのは二人の男であった。五十台と思しき年輩者と、川瀬と同

年代と思しき青年である。二人は立ち上がった。間もなくテーブルを挟み正対する。

「本日はご多忙の中、緊急の会合に応諾頂きまして有難う御座います」

見吉が頭を下げると、川瀬もそれに倣う。

「いやいや。例の件について重大事が判明したとか。ならば早急に話し合いが必要ですか

らな」

年輩の男が応じる。見吉は川瀬を紹介する。続いて見吉は彼に相対する男達を小声で紹介

した。年輩者を須藤崇明すどう たかあき、青年を平井巧ひらい たくみといっ

た。須藤から握手を求められ川瀬は応じた。須藤が見吉達に着席するよう仕草で示すと、

四人はソファに腰掛けた。

「早速ですが、判明した重大事について説明願えますか?」

穏やかな口調で促す須藤に、一つ頷き見吉は口火を切った。

「まずは特殊事由者KSー〇一〇二に関する情報漏洩源調査のための情報提供有難う御座

いました。それをこちらの川瀬が分析致しまして、情報の引き出された端末を突き止めま

した」

見吉が合図すると、今度は川瀬が語を継ぐ。

「提供頂いたログ等を解析しましてつきとめた端末がこちらです」

テーブルのクリアファイルを取り上げ一枚のコピー用紙を抜き取る。それをテーブルのほ

ぼ中央に置いた。それにはログの抜粋と、とあるコンピュータ端末のID、そしてユーザ

名が記されていたのであった。その名は、須藤崇明。

「これは…まさか、私が漏洩源だと?!」

驚愕に瞠目した須藤の声は震えていた。

「…少なくとも、使用された端末はそうです。ですが、ログの日付をご覧下さい」

促され、小さな文字を追う。コンピュータ端末からのアクセス要求を受け付けた日時に赤

ペンでアンダーラインが引かれている。三週間近く前の日付である。当日の事を思い出そ

うと遠い目をしていた須藤の表情が苦々しいものとなる。同じくコピー用紙を覗き込んで

いた平井と小声で言葉を交わす。

「予め、関係者各位のスケジュールは確認させていただきました。そのログにある日付に、

心当たりがお有りですね?」

「ええ、そうですね。この前日から出張していたもので。戻ったのは、三日後ですか」

「今更説明の必要も無いでしょうが。特殊事由者関連のデータベースが構築されたワーク

ステーションはスタンドアロンで、ネットワークとは一切繋がっていませんね?アクセス

可能なのは十台余りの専用端末で、その一台があなたの執務室にある。つまりは、それが

あなたの不在の間に不正利用された、という事なのではないでしょうか?」

川瀬は言葉を切り、須藤と平井を見比べる。

「…そういう、事でしょうな…」

須藤は力無く答えた。それは専用端末の管理者である彼の失態だからである。セキュリテ

ィに対する認識の甘さを糾弾されたとしても、仕方のない事態であった。

「専用端末を使用出来うる人物に、何か心当たりは?」

「私以外に使用出来る者はいない、と言いたい所だが…」

この一件に関する限り、見吉達に対し一切の誤魔化し、言い訳は利かない。曖昧にして良

い問題でも決してない。事は国家機密に準ずる情報に拘わるのである。険しい表情で須藤

は黙考した。思いつく限りの人物を思い浮かべ、可能性を検証してゆく。

「有りませんか?」

「うむ…いや、あるいは…」

須藤が悲痛な表情を浮かべる。脳裏に思い浮かべた人物ファイルのページを捲る手が止ま

ったのである。その人物に対する疑念を打ち消そうとして理性がそれを許さない、相克の

苦悶。しかし、やがて少なくとも表面上は平静を取り戻した須藤は、平井に何事か耳打ち

する。と、彼は慌てて部屋を出ていったのであった。

「実は、今から一ヶ月半程前にLANの再構築が有りまして。私の所の通常端末が復旧し

て間もなく、上山かみやまという経理に与かる男が来て、仕事にならないので私の通

常端末を使わせてくれ、と言ってきたのですが。通常端末ならと思い、ゲストのアカウン

トで使わせたのですが、途中、少時席を外した事がありました…そのときキーの確認も行

ったのかも知れないな」

専用端末を起動する為には電子キーが必要なのであった。

「キーはどこに?」

「一番上の引き出しに」

「引き出しの鍵は、掛けなかったのですか?」

「…掛けていませんよ、いつも」

「専用端末のアカウント名、パスワードは通常端末と同じものに?」

「…いや…しかし、通常端末のものから想像がついたかも知れないな」

「それらは、どこかに書き留めてありましたか?」

「……」

ぎこちなく頷く須藤。

「キーと同じ引き出しにメモが」

重い沈黙が再び落ちてくる。そこへ扉の開く音がし、平井に続いて須藤と同年輩の、人の

良さげな痩身の男が入って来たのであった。

「私に何か用が?」

須藤の隣に腰掛けた上山は、愛想笑いを浮かべつつ見吉達を見比べる。

「ご多忙中申し訳御座いません。一つお伺いしたい事柄が有りまして」

見吉の口調は、ひどく冷やかであった。

「それは、いったいどの様な?」

「単刀直入に申しますと、あなたが須藤さんの専用端末を不正使用し、ある重要人物の情

報を引き出したと言う事実の有無の確認です」

上山の表情が豹変する。まるで死期を宣告されたかの様に身も世もなく狼狽する。

「あ、あ、そ、それは…」

「正直かつ明確に答えるんだ!」

須藤の一喝に、上山は悄然となった。

「情報を、不正に引き出しましたね?」

口調を一変させ優しく見吉が尋ねると、やがて上山は小さく頷いてみせる。

「…はい」

か細い声であった。大きく肩を落とす須藤。頭を垂れ、悲痛な表情で首を振る。

「事情を、訊かなければ、な」

須藤の右手が上山の肩を叩く、と、強く肩を握りしめ、上山が苦痛に表情を歪めた。ゆっ

くりと顔を上げた須藤が平井と目配せすると、平井は上山を立ち上がらせ並んで部屋を後

にした。

「…何という、事だ…」

再び頭を垂れ、両手を固く握りしめる。この一件は、彼のキャリアに拭い難い汚点を残す

事となるであろう。

「不躾ながら、上山さんとは個人的な御関係が?」

川瀬の質問に、小さく頷く須藤。

「大学の同期です」

ああ、と川瀬は頷いた。

「一つ、疑問があるのですが」

静かな見吉の言葉に、のろのろと須藤が顔を上げる。一気に数年、年を取ったかの如く、

疲れ切った表情をしている。

「何です?」

「先程の話ですと、一ヶ月半程前に上山さんは既に情報を盗む意志があったと思われます

が、立石組の動静を見ますと、実際に情報を盗み出した三週間前の直前にそれが必要にな

ったと思われるのです。なぜ、まだ必要でない時に、既に盗み出す事を考えていたのでし

ょうか?」

「さぁ?…先程の話は、あくまで私の想像ですし…通常端末を貸した時には全くそんな気

は無かったのかも知れませんな。キーにしても、筆記具でも探して引き出しを開け、たま

たま目に付いたのかもしれません。別段隠しておいた訳でもありませんでしたし」

「そうですか…まぁ、いずれ全ては訊けば判る事ですね」

「そういう、事でしょう」

「事情聴取には、立ち会わせて頂けますね?」

「契約、ですからな」

「それと、もう一つ」

川瀬が会話に割り込んでくる。

「はい?」

怪訝げに、須藤が視線を向けてくる。

「専用端末のセキュリティについても、再検討が必要ですね。生体認証の導入などご一考

をお願いします」

「…考えて、おきましょう」

須藤が立ち上がると見吉らもそれに続く。須藤の先導で三人は聴聞室へと移動した。

 上山の事情聴取では、幾つかの興味深い事実が判明したのであった。彼が暴力団と関係

を持った経緯、今回の情報漏洩の遠因となったある交通事故の轢き逃げ犯の件、かねてよ

り彼が情報の窃盗を目論んでいた事など。その動機としては幾つかあった。一つは、経済

的なもの、一つは、犯罪行為の共犯者という抜き差しならない状況に対する諦観、そして

また一つは

 嫉妬心

それは学友でありエリートコースを進む須藤に対する嫉妬心からでもあった。告白を耳に

した時の須藤の落胆ぶりは、傍で見ていても同情を禁じ得ないほどであった。


 住宅街の中を、一台の乗用車が走っていた。乗用車は先程から幾度となく路地を曲がり、

一見まるで迷走しているかの様であった。そのステアリングを握る”お母さん”は、しき

りにバックミラーを気にしていた。その後部座席、”お母さん”の背後に腰掛けた斧堂も

周囲に視線を走らせていた。嶋本は俯いたまま、両手を太股の上で握り合わせていた。二

人とも私服姿である。斧堂は黒のスラックスに黒のTシャツ、その上に黒のレザージャケ

ットというあの夜の格好である。嶋本は水色のワンピースにカーデガンを羽織っている。

「気分の優れないところ、時間をお掛けして申し訳ありませんね」

斧堂の言葉に、嶋本は反応を示さない。

「ですが、これは”避難所”退避の必須手順なのです。どこでも行っている事で、尾行者

の有無を確認し、有ればこれを振り切らねばなりません」

「…」

相も変わらず彼女は仰いたまま、彼の言葉を聞いているか否かも定かでない。それでも斧

堂は一向意に介する風もなく、一方的に言葉を彼女の耳に注ぎ込み続ける。

「私達の仲間もいずれ”避難所”へ集結する事でしょう。彼等は既に市内各所で待機中で

す」

朝の一件から既に二時間以上が経過していた。あの後、斧堂は嶋本を家へ送りアパートで

私服に着替え緊急持出用バッグとディパックを手にすると嶋本家で”お母さん”の運転す

る乗用車に乗り込んだのであった。扶桑国際警備の”戦闘用員”は立石組の増援と先を争

う様に続々参集しており、彼等は対立石組戦用の各種装備も秘密裏に持参していたのであ

った。

「相手の本拠も判明しています。市内中の監視カメラ、防犯カメラより収集した映像を、

防犯センターの”お父さん”が分析して突き止めました。”避難所”に集結し次第作戦を

「斧堂さん」

ステアリングを握ったまま、”お母さん”が声を掛けてきた。

「何ですか?」

「彼女は疲れている様ですから、今はそれくらいにしておいてあげては頂けませんか?」

「しかし、特殊事由者には状況を把握しておいて頂かなければ」

「後でも時間は取れるのでは?ここはお願いします、たとえ仮初めとはいえ、娘を気遣う

母の気持ちを、どうか汲んでは頂けませんか?」

”お母さん”の声は怒気を孕んでいた。バックミラー越しに険しい視線を投げかけてくる。

同僚の心証悪化を懸念し、斧堂は”お母さん”の言葉に従う事にした。

「ええ、そうですね。すいません、気が至りませんでした」

小さく頭を下げ口を閉じると周囲を窺う事に専念する。嶋本が顔を上げ”お母さん”をバ

ックミラー越しに見遣ると、”お母さん”は小さく頷いて見せたのであった。

 それより十分後一軒家の前に停車するや、”お母さん”から鍵束を受け取った斧堂は嶋

本と降車し、静かに玄関扉を開くと嶋本を先に入れる。片時も周辺への警戒は怠らない。

靴を脱ぎ玄関を上がると腰のM一九一〇を抜き、嶋本を庇う様に廊下を進む。

「ここは安全なのでは?」

訝る嶋本に、斧堂は彼女を見ずに答えたのであった。

「用心の為です。彼等に先を越されている可能性も、皆無とは言い切れないので」

「でも、相手は唯のヤクザ屋さんの筈では?」

「現状、判明している限りは。しかし、そのバックにより強大な組織の存在が無い、とは

言い切れません。あるいは、立石組は唯の陽動、という可能性すら有り得ます」

「はぁ…」

その様な会話のうちにも一階を確認してゆく。ダイニング、キッチン、寝室、トイレ、風

呂場…特に不審なところはない。二階への階段まで戻ってくる。

「つい先日手を入れたばかりの筈ですけれど」

車庫入れをすませた”お母さん”が玄関に姿を現した。”避難所”裏手には駐車場があり、

扶桑国際警備(もちろん別名義であるが)の貸し切りとなっている。必要なだけの車両が

いつでも集結させられるのであった。

「二階は私が」

玄関を上がりつつ”お母さん”が言う。

「そうですか。お願いします。地下室への入り口は?」

「階段部屋の床下です」

一つ頷き、斧堂は階段部屋(実際には収納であるが)前へと移動する。

「付いてきて。もう少し我慢してね」

バッグからSIG P二二六を取り出した”お母さん”の先導で、嶋本も二階へ上がって

ゆく。

 階段部屋の引き戸を開ければ大小様々な段ボール箱が置かれているのが見えるが、その

中には殆ど何も入っていない。それらを斧堂は手早く廊下へと出し、床を露出させる。床

収納の蓋の様な扉が現れ、取っ手の鍵穴に鍵束から小ぶりの鍵を選び差すと、ゆっくり捻

る。軽い開錠音と共に僅かに扉が浮くと、取っ手に手を掛け引き上げる。廊下の灯りに、

狭い階段が浮かび上がる。大人がすれ違う事は無理であろう。一度奥を覗き込み、立ち上

がると下方へと銃口を向け一歩ずつ、足下を確かめる様に降りていったのであった。

 十数段の階段を下り壁のスイッチに手を伸ばす。仄暗い灯りに照らし出された地下室は

二十畳程の広さがあり、四方の壁は全て金属キャビネットとなっている。斧堂は一つずつ

観音開きの扉を開いては、中身を確認していったのであった。内部を仕切る棚の上には乾

パン等の非常食や飲料水、医薬品やハンドライトに電池、ホイッスル、無線機、携帯ラジ

オ、防寒具、寝袋、果ては酸素ボンベや防毒マスクまで。他にはライフルやショットガン

(競技用として保持している)が、キャビネット内の銃架に固定されている。弾薬の収納

された引き出しの鍵を開け残弾を確認する。そこにあるのはライフル弾やショットシェル

だけではなかった。明らかにピストル弾と思われる物の箱も幾つか混じっている。それが

済み、最後のキャビネットを開く、と、電子機器が姿を現した。幾つもの液晶パネルが壁

掛けされ、一台のタワー型PCに接続されている。PCの横には、液晶ディスプレイのほ

か幾台ものHDドライブやリムーバブルメディアドライブ、LANのHUB等が設置され

ている。近くに立て掛けられた折り畳みのパイプ椅子を開くとPCの前に据え腰掛ける。

配電盤の本電源を入れ、続けて液晶パネル、PC本体、そして周辺機器、と順番に電源を

入れてゆく。液晶パネルが”避難所”周辺に設置された監視カメラの映像を投影する。起

動したPCにアカウント名、パスワード(”お母さん”より聞き出していた)を入力しロ

グインすると、デスクトップよりあるアイコンを選びクリックする。開かれたウィンドウ

には、監視カメラのアイコンが並んでいる。その一つをクリックすると更にウィンドウが

開かれ、映像が投影された。中央にはレティクル状の図形が表示されている。映像の四方

に目盛りが表示されている。PCにはゲームで使用するようなコントロールスティックが

接続されており、動かすとウィンドウの映像が動き出した。それと連動して、目盛りも上

下左右とせわしなく動き出す。あるボタンを押し続けるとズームアップし、また別のボタ

ンではズームダウンする。ある液晶パネルの映像にもその操作が反映される。一通り動作

を確認し、また別のウィンドウを開いては同様の操作を繰り返す。それらが済むと一旦キ

ャビネットの扉を閉じ、改めて室内を見渡す。消火器の他には数脚のパイプ椅子が目に付

くばかりであった。

「…いいでしょう」

一つ小さく頷き、照明を消すと階段を上がってゆく。蓋を閉じると、再び地下室は暗闇に

閉ざされたのであった。

 ダイニングでは、二階の確認を終えた”お母さん”達が紅茶を挟み囁き交わしていた。

「監視カメラを稼働させました。何か変わった事はありましたか?」

呼ばわりつつ斧堂が入って来ると、嶋本は表情を強張らせ俯いてしまう。異常なし、と答

え嶋本に何事か囁くと、お茶を淹れましょう、と”お母さん”が立ち上がる。

「…どうか、しましたか?」

嶋本の態度に、精一杯の優しさを装い斧堂は訊ねた。嶋本がちらり、”お母さん”を見や

ると、ティーパックを入れたカップに湯を注ぎつつ”お母さん”が嶋本の言を代弁したの

であった。

「彼女は、その、ね、やっぱり今朝の事がショックで、なかなか心の整理がつかないのよ

「それは、襲撃者の事ですね?」

「ええ。覚悟はしているつもりでも、さすがに目の前であんな事があったら…一美はただ

の女子高生なのだものね」

尋常ならざる人の死、それも知人による殺戮を目の当たりにしたのである。少なくとも二

ヶ月前まで想像すらし得なかった光景であった。それが身辺に不穏な出来事が起き事情も

判らぬまま保護される身となり、降りかかる危機の説明を受け覚悟はしていた筈であった。

がしかし、実際に眼前で繰り広げられた暴力の応酬、夥しい流血は、付け焼き刃の覚悟な

ぞ容易く粉砕したのであった。恐らくは、生涯のトラウマとなる事であろう。しかし、当

の殺戮者はそんな彼女にまるで無頓着であった。少なくとも表面上は。

「ですが、あの程度の奇襲で済み幸いでした。問題なく対処出来ましたから」

「…問題なく、ですって?」

”お母さん”が斧堂に咎める様な視線を送る。お前はいったい何を聞いていたのだ、と。

嶋本の言葉は平静ながらも怒気を含んでいたのであるが、やはり斧堂はいずれにも無頓着

であった。

「その通りです。あなたの身柄を保全する事に成功したのですから」

「…六人もの人間が死んでも、ですか?」

「死亡したのは、全て襲撃者です」

「攻撃してきた人間はみんな死んで当然、という事ですか?」

「あの状況では、それが一番安全かつ確実でした。ところで、それが何か問題なのですか

?」

「!」

嶋本が顔を上げる。その表情は非常に険しい。

「随分と無関心なのですね。殺人を犯したというのに。あなたの良心は痛まないのですか

?それとも、人殺しがお好きなのですか?」

「一美!」

”お母さん”の一喝に、嶋本は息を呑んだのであった。言い過ぎた、と、口を右手で押さ

える。しかし、斧堂には微塵も気にした様子はない。

「私の良心の問題は無関係です。私は魔法使いではありません。ただの人間として、出来

る事には当然ながら制約があります。あの状況で彼等を誰も殺害せずに無力化し、なおか

つあなたの身の安全を図る術は、残念ながら私にはありませんでした。ただそれだけの事

です。それとも、あなたは私に殺人は良くないので不可避なら職務を放棄せよ、とでも仰

るのですか?」

彼の口調も、それまでと何ら変化は無かった。その問い掛けに、嶋本は

「…」

もちろん、彼女に職務放棄を促す様な事を言う資格はない。その様な事は、彼女も重々承

知している。自然、視線を逸らした。

「特殊事由者指定からまだ日も浅い事ですし、ご自身の立場に対する自覚が不足しておら

れるのも無理からぬ事と思いますが、今一度、我々の職務というものを再認識して頂きた

い。その上で不本意な事がお有りでも、我々の行動へは容喙を慎んで頂きたいものです、

宜しいですね?」

言うだけ言い、差し出されたティーカップには一切手を付ける事なく立ち上がると、地下

室にいます、とダイニングを出て行く。嶋本は唇を噛み締め固まっていたのであった。す

っかり冷め切った紅茶を”お母さん”が下げる。

「…さっきのは、ちょっと関心しなかったわね」

淹れ直したティーカップを彼女の前にサーブしつつ、”お母さん”はさり気なさを心掛け

ながら切り出したのであった。

「すみません…」

「私に謝っても仕方がないわ。彼は別に気にしてはいなかった様だけれど」

「すみません…」

思わず微苦笑する”お母さん”。

「私も、彼と仕事をするのは初めてだけれど…彼は、とても信頼出来る人物よ。彼の勤務

評定は我が社でもトップなの。トップは他にも二人いて、一部で『F.I.S.の三銃士

』なんて呼ばれている有名人だわ。彼の言う事に従っていれば、きっと切り抜けられるわ

よ。彼は…きっと仕事に忠実なだけだと思うわ。私や”お父さん”だって、彼と同じ状況

に陥ったら、きっと同じ事をしていた。そういう仕事なのですからね。まぁ、彼の様には

いかなかったかも知れないけれど。ただ、ちょっと真面目過ぎるかもしれないわね」

背後からそっと嶋本の両肩に手を置き諭す様に語りかける。やがて嶋本の口が小さく開い

た。

「…っています」

「ん?」

「…判っています。私の怒りが理不尽なもので斧堂さんは悪くない事は…斧堂さんは、私

の為に自らの手を汚したのですよね?確かにあのときああしなければ、恐らく二人とも彼

等の手に落ちていたのでしょう。それは、皆さんにとって容認し難い事ですよね?」

「そうね。その時には、さすがにあの場に飛び出して銃撃戦をやるのは難しかったでしょ

うけれど、狙撃は可能だったわ。それでも彼等を阻止出来なかったら、形振り構わず実力

行使で奪還したでしょうね。正規ルートで警察に圧力を掛けて、見て見ぬ振りをさせてね

詳細は判らずとも自分一人の為に随分と大事になる、という事だけは嶋本にも理解出来た。

「…私は、斧堂さんが魔法使いだなどとは思っていませんし、その様な活躍を期待すべき

でない事も理解しています。少なくとも、そのつもりです」

「なら、なぜ怒りをぶつけなければならなかったのかしら?」

「…」

嶋本の中であの感情の根元にあるものが、言葉という形を成すまで少々の時間を要した。

「…無神経さ、でしょうか?あの、犠牲者の方々に対する、その、無関心さです。人の死

や自分の行為に対して、まるで、そう、夕食のメニュー程の関心も無い様な無神経さに激

しい違和感を感じたのです。全てが機械的で…」

「それはあくまで外見的な事だと思うわ。彼はあなたと一つ違いだもの。職務上あなたの

前で動揺や不安を顕わにする訳にいかないだけで、無関心という訳ではないと思うわ」

「そうでしょうか?」

「あなたも判っているでしょう?彼は機械でも、ましてや快楽殺人者でもないわ」

”お母さん”に軽く肩を揺すられ、嶋本は小さく頷く。

「謝ってきます」

静かに席を立ちダイニングを出て行く嶋本の表情に、幾分明るさが戻る。

 階段部屋の地下室の扉を少し開くと灯りが漏れてきた。全開にし、嶋本は降りていった。

 斧堂は監視システムの前に陣取っていた。PCのディスプレイ上に開かれたウィンドウ

に投影されたカメラ画像を見据えている。ショートカットキーでウィンドウを切り替える。

「どうか、しましたか?」

その声には何の抑揚もない。その無機質さに、なんと返答して良いか判らず立ち竦む。そ

の様を一瞥し、斧堂は傍らのパイプ椅子を開くと差し出した。それに促され、嶋本は彼の

傍らへと歩み寄り、一礼して腰掛けると斧堂の横顔へと向き直った。

「何かあったのですか?」

嶋本を、横目で見遣る。

「ええ。その…さきほどは、酷い事を言ってしまって申し訳有りませんでした」

「お気になさらないで下さい。私も少々配慮が足りなかった様ですので」

「いえ。それでも、やはり言ってはいけない事でした。申し訳有りません」

頭を下げる嶋本。初めて斧堂は彼女の方を向き直る。

「頭を上げて下さい。本当に、気に病む必要はないのです。この胸には、何の感情も湧い

てはいないのですから」

上げられた嶋本の面には、訝しげな表情が浮かんでいた。

「先程のご質問に答えましょう。殺人に対する良心の呵責というものは私にありません。

好きな訳ではありません。そもそも好き嫌いという感情が湧いて来ないのです。必要だか

らそうする、ただ、それだけです。それが、そうする事が、私の存在意義なのですから」

「存在意義?」

一つ頷き、再びディスプレイへと向き直る。

「それは、どういう意味でしょうか?自分の意志とは無関係に、人を殺すために自分は生

きているとでも、仰るのですか?」

「…」

沈黙こそが、最も雄弁な返答であった。

「お仕事に対するプライドで、やむを得ない事も出来るのではありませんか?」

「…私には、プライドというものがよく判りません」

「?不本意なお仕事であれば、他に幾らも進む道を選べるのではありませんか?」

「それは、あなたの買い被りというものです。私はとても不器用な人間です。たとえこの

仕事を辞めたとしても、恐らくはいずれ大同小異の仕事に従事している事でしょう」

「なぜそう言いきれるのですか?私には、あなたが不器用だなどととうてい思えません」

一つ、きっぱりと斧堂は首を振ったのであった。

「誰も、他には何も教えて下さらなかったので」

その一言は、嶋本にとって余りに衝撃的であった。この少年を取り巻くもの全てが、よっ

てたかって彼を殺人機械に仕立て上げようと試み、悲しむべき事にそれはほぼ成功してし

まった、という事なのであろうか?その余りにおぞましい考えは、彼女の心の許容範囲を

遙かに凌駕するものであった。思考として組み立てる事は出来ても、受け入れる事が出来

ないのである。

「嶋本さん?」

混乱した表情の嶋本から返答はない。立ち上がり失礼、と一礼して斧堂が地下室を出て行

くのにも気付かない様子であった。一階で小用を済ませ戻ってくると、嶋本の姿は無かっ

た。


 吉川は一人帰宅の道を辿っていた。もちろん嶋本と斧堂が学校を休んだ為であった。H

Rでの担任の説明によれば、登校途中で発作を起こした斧堂の為に、嶋本が病院に付き添

っているという。彼の叔父から、出張中のためとりあえず一日だけ、と頼まれたという事

であった。この説明に、吉川は強い違和感を覚えた。同級生であり、彼と頻繁に行動して

いるとはいえ、赤の他人である嶋本を休ませてまで付き添わせるものであろうか?百歩譲

っても、学生でなくその親に世話をさせる筈であろう。嶋本一美の母親は専業主婦の筈で

あった。確かに不可解な話ではある。とはいえたかが一日の事ではある。本来ならば、こ

とさら気に掛けるような事ではあるまい。しかし、一旦引っ掛かりを感じてしまった事は

容易に納得出来ないのであった。斧堂の容態も含め確認しなければならない、そう、心の

中で訴えるものがあった。随分と神経過敏になっているのが、自分でも判っていた。たか

が一日の事である、なにゆえ神経過敏となる必要があるのか?彼女の理性は、そう訴えか

ける。しかし、彼女の現状認識を超越した部分、俗に勘、などと呼ばれるものは、常なら

ざる凶事の影を捉えていたのであった。その端緒には、あれほど執拗に嶋本につきまとっ

ていたあの二人組の姿をこの数日見かけていない、という状況の変化があった。吉川にと

っては何らの理由も見当たらぬのに、である。それを単純に喜び安堵できるほど彼女は楽

天的でなく、むしろ薄気味悪さ、目に見えぬところで最悪級の事態が進行中であるかの様

な予感に苛まれ、一日中勉強が手に着かなかった(ならば日頃の授業は身に付いているの

かといえば疑問ではあるが)。この時点では朝の惨劇を彼女は知らない。騒ぎ立てる者も

なく、また生徒や教師の耳に入る事も無かったのであった。

 間もなく嶋本家、というところで、彼女は微かな違和感を覚えたのであった。

「?工事なんてあった?」

道路が綺麗であった。黒々としたコールタールに鈍く光が映り込んでいる。それはあの惨

劇の現場であった。朝、丁字路に嶋本の姿はなく、数分待ち電話を掛けるか未だ待つか、

あるいは家に寄るかと迷っているうち、その嶋本本人から電話が掛かって来たのであった。

『ちょっと急用があって…今日は登校出来そうにありません。家にはいま誰も居ませんし、

学校の方へはもう連絡済みですから。』

嶋本らしからぬ、不明瞭な物言いであった。後で考え直してみれば、耳にしていた欠席理

由には相応しからぬ程の。何があったのか、体調が優れないのか、という吉川の問いかけ

に言葉を濁し通話は切れた。慌ててリダイアルするが、電源が入っていない旨のガイダン

スが流れるばかりである。これもまた、気懸かりな予感を助長しているのであった。結局、

そこから学校へ直行したのであった。

 電話の通り留守らしく、嶋本家に人の気配は無かった。全ての窓にはカーテンが引かれ、

既に薄闇が迫りつつあるというのに外灯一つ点いてはいない。

「まだ戻ってないの?」

それは買い物に近所へ出掛けた、などという有様ではない。朝の連絡より八時間以上が経

過しているが、一度戻ってきたならばカーテンを引いたまま、というのは腑に落ちない。

もちろん寝静まるには余りに早過ぎる時刻である。インターフォンのボタンを押してみる

が、やはり返答はない。家の中で人の動く気配一つ無い。再びボタンを押す、と、裏庭の

方から誰かの押し殺した声が聞こえた。内容は聞き取れないが男であるらしい。

「?誰?!」

誰何の声に返答がない。嶋本家の者でないのは明白であろう。嶋本家の者ならば、なぜす

ぐ顔を見せるなり、せめて声を掛けてくるなりしないのであろうか?

「いったい誰なの?!」

再度の誰何の語尾は、車のエンジン音に掻き消された。門の前に漆黒の外車が止まる。と、

刹那、ドアが開け放たれ、四人の、これも漆黒の男達が道路に降り立つ。

「よう、嬢ちゃん。友達はいねぇのか?」

声を掛けたのは、車の前で腕を組んだ黒石であった。吉川にとっては見知らぬ、しかも一

見してお近づきになりたくない類の職業と判る男である。他の男達も同様であった。更に

は、裏庭からも同類の一人の男が現れた。

「あ、あんた達何者なの?!」

黒石が下卑た笑い声を上げた。つられる様に、他の男達も笑い出す。

「おいおいご挨拶だねぇ。俺たちゃあんたのお友達に会いに来た、謂わばお客さんだぜ?

「何言ってんのよ!あんた達みたいのが、一美のお客さんな訳ないわ!」

鞄を、身を守るかの様に胸に抱きしめる。

「あんた達、あの二人連れのチンピラの仲間ね!一美をどうする気?!」

ほう、と黒石の双眸が細められる。

「知ってんのか、あの二人の事をよ?」

「当たり前じゃない!あいつらを追っ払ってやった事もあるのよ!!」

強がりで放った一言であったが、これは失敗であった。黒石の口元が醜く歪む。

「ほう、そいつぁ勇ましいねぇ。こいつは是非とも俺達にご一緒して貰わにゃあ。なぁ?

周囲を見回す。それを受け男達が動き出す。吉川の退路を塞ぐ様に囲む。

「ちょ、ちょっと!」

ずいっ、と前に出た黒石に気圧され後じさる吉川。逃げ場はもはや無い。それでも、一番

手薄と思われる裏庭への道を塞ぐ男を蹴倒し、抜け出そうと動き出した。しかし、それは

叶わない。予想以上の敏捷さを見せ、黒石が襲いかかったのである。右の拳が鳩尾にめり

込み、呻き声を漏らし吉川の体から力が抜ける。その体を黒石が受け止める。

「お嬢ちゃんには、ちょいと気の毒かな?」

吉川の顔を覗き込み、黒石は舐める仕草をする。男達の口から忍び笑いの声が漏れる。吉

川の体が軽々と抱え上げられ、黒石の手で後部座席に放り込まれた。鞄がそれに続く。男

達が乗り込むと、車は何事も無かったかの様に走り去ったのであった。


 第六章

 ”避難所”の地下室に、二十名近い男達が集結していた。椅子に腰掛けているのはほん

の数名で、後はあるいは床に、あるいは階段に腰掛けている。斧堂の召集した”戦闘用員

”達であった。彼等の注視するなか、斧堂がブリーフィングを進めている。

「対象は立石組、神奈川を拠点とする広域暴力団栗山会二次団体の暴力団です。把握して

いる限りでは、この四日間で二十七名の組員が動員され既に市内に潜伏中です。尖兵の二

名を合わせると二十九名になります」

ブリーフィングは未だ始まったばかりであった。本来ならばもう少し早く始まっていた筈

であるが、”戦闘用員”の総員集結に思いのほか手間取ったのであった。彼等の殆どはこ

の街を初めて訪れたのであり、ナビゲーションシステムの助けをもってしても、不案内な

土地では手順の関係もありこの体たらくであった。

「まずは、これを」

足下の模造紙を取り上げる。近場の人間の手を借り背後の金属キャビネットに磁石で固定

する。そこには潜伏中の立石組組員達の顔写真と簡単なプロフィールが並んでいたのであ

った。

「これらの顔を、よく記憶しておいて下さい。特に」

手にした赤マジックで、二枚の写真(スキャニングしたのをカラー印刷したものではある

が)を大きく丸で囲む。黒石と五条であった。

「この二名には要注意です。いわば遠征隊の隊長、副隊長ですので情報収集のため、可能

な限り捕捉したいところです。それと」

今度は六枚の顔写真の上に斜線を引く。

「この六名は除去完了です。つまり、我々は残り二十一名を除去する必要がある訳です」

「相手はただのヤクザでしょう?さほど気にする必要のある相手でもないのでは?」

手前に陣取った男の質問に、斧堂は小さく首を振ってみせる。

「彼等のみならば、確かにそうです。しかし、彼等の背後に何らか別の目的を持った勢力

が存在する可能性も、未だに排除はしていません。とりあえずは、立石組崩壊後の各方面

の動静を観測する、というのが副社長の意向です」

「可能性は排除出来なくとも、彼等は除去するんですな?」

別の男がぽつりと一人ごちると、地下室中に小さな笑い声の細波が起こる。彼等の間で”

排除”と”除去”は使い分けられているのであった。”排除”とは、言い換えるならば無

力化であり、”除去”とは殺害である。無力化とは戦闘能力の奪取であり、必ずしも殺害

を意味しない。

「繰り返しますが排除するのはこの二名のみです。他は除去して下さい」

丸で囲んだ二人、つまり黒石と五条の顔を指さす。

「先程も説明しましたが、情報収集のために捕捉したいので」

「情報漏洩源の方はどうなっていますか?」

階段の方からも、質問が投げかけられる。

「そちらは副社長が押さえました。ひとまず止血処理は完了しています」

「了解しました」

質問者は一つ頷いた。

「話を進めます。対象の活動拠点はアーケード街の外れにあります。現在営業中の店舗も

利用客も多くはありませんが、発砲音や破裂音には要注意です。警察はともかく、マスコ

ミに騒ぎ立てられるのは避ける必要があるので。これは今更言うまでもない事ですが」

「我々は、謂わば『静かなる死刑執行人』ですからな」

その一言が、一同の間に微かなざわめきを呼ぶ。「おお、ナイスフレーズ」などという囁

き声も、間もなく消えた。

「…宜しいですか?繰り返しになりますが、未確認の敵性組織の存在も念頭におく必要が

あります。作戦中想定外の攻撃も有りうる事を、心に留めておいて下さい」

口を閉じるや、開け放しの出入口から斧堂に声が掛かる。目を向ければ”お母さん”が顔

を覗かせているのが見えた。小さく手招きしている。中座する旨を告げると斧堂は男達の

間を擦り抜け、階段へと向かったのであった。

「どうかしましたか?」

地下室を出、ダイニングへと移動する。その間終始”お母さん”は無言であった。

「どうかしましたか?」

同じ問いを、今度は嶋本に対して発する。彼女は硬い表情でスマートフォンを差し出して

きたのであった。特に訝る風もなく受け取る斧堂。

「もしもし、代わりました」

『斧堂さん、ですね?』

「そうですが、どちら様でしょうか?」

『随分お若い様ですが、丁寧な対応痛み入ります。初めまして、私五条と申します』

「どちらの五条様でしょうか?」

相手の素性を知りつつ敢えてしらを切る斧堂。敵に与える情報は一つでも少ない方が良い

のである。それが、自分が相手を知っている、という情報であろうと。

『私、神奈川の方で不動産業を営む者でして。こちらの方に商用で参っているのですが、

実は河野という家を探していたところ、運良く一人娘さんのご友人という方が…吉川?…

そう、吉川さんに出会えまして。話を伺ったところ斧堂さん、あなたの方が詳しいという

事でしたので是非一度お会いしたいと、こういう訳でお電話差し上げたしだいです。どう

か私共の所へお出で願えないでしょうか?そのさい河野可奈絵さんもぜひご同道願いたい

のですが』

五条は実際に不動産屋の経営者であった。

「河野さん、ですか?さぁ、心当たりはありませんが」

『おや?それはつまり、吉川さんが嘘をついた、という事でしょうか?』

五条の声が低く、粘着性を帯びる。一旦言葉が途切れ、代わりに何かを叩く乾いた音が聞

こえた。同時に小さな悲鳴も。短く明瞭ではないが吉川の声の様であった。

『これは困りましたねぇ。これではまだまだ吉川さんにお付き合い頂かなくては』

「…少々お待ち下さい」

スマートフォンの送話部分を手で塞ぐと、嶋本に小声で吉川の声を聞いたか尋ねる。傍ら

に立つ嶋本が不安も顕わに小さく頷いた。電話を掛けてきたのは五条であったが、彼は最

初吉川に応対させたのであった。直ぐに”お母さん”が代わった。

『もしもし?』

「…失礼致しました。会合の件、了解致しました。会合場所をお教え願えますか?」

電話の応対をしている斧堂を不安げに見つめている嶋本。それを励ます様に両肩にそっと

手を置く”お母さん”。耳元で優しく囁く。

「大丈夫よ。私達の手できっと救い出して見せるわ」

「…お願いします」

二人が囁き交わす間にも、話は終わった様である。着信履歴を確認すると(番号非通知で

あったが)、スマートフォンを二つに折り嶋本に返す。

「二時間後に郊外の廃病院、だそうです」

”お母さん”へと、簡潔に要件のみを告げる。

「無事に、救出して頂けますよね?」

縋る様に見詰めてくる嶋本の瞳を斧堂は覗き込んだ。顔が接近し、思わず頬を朱に染め体

を引いた嶋本であった。視線を逸らす。

「助かって欲しいですか、吉川さんに?」

「?もちろんです!」

嶋本には、今ひとつ斧堂の問いの意図が汲み取れない。斧堂は吉川の事を助けてくれるも

のと端から信じて疑わない。だから、次の彼の発言には驚愕せずにいられなかったのであ

った。

「残念ながら、困難かと思われます」

「!なぜでしょうか?!」

「人質救出作戦を実施するには時間的余裕がありません。集結したばかりで”戦闘用員”

間の意識合わせも済んでいない状態です」

「そんな…あなた方は最高の特殊作戦用員の筈ではないのですか?」

「古今東西、人質救出作戦には綿密な計画と充分な準備、情報収集等が特に重要となりま

す。それら無しにはいかに優秀な”戦闘用員”でも、無理な事はあります。我々は魔法使

いではないのです」

「…」

救いを求める様に”お母さん”を見る。

「確かに仰る通り。ですが、少しナーバス過ぎるのでは?判っている限り、アドバンテー

ジはこちらに有る様ですし、成功する確率はかなり高いかと」

不審げに斧堂を見詰めつつ、”お母さん”が助け舟を出す。彼は吉川を救出する気が無い

のではないか?あるいは言い訳がましい性格なのであろうか?だとすれば、少々幻滅であ

る。

「…そうかも知れません。もちろん我々は職務遂行に万全を期するものです。ですが、何

事も絶対はありません。最悪の場合、彼女の死亡という事態も覚悟しておいて頂かなけれ

ば」

「そんな…」

生気を失ってゆく嶋本を背後から抱きしめつつ、非難の視線を斧堂に向ける”お母さん”。

「あくまで仮定の話です。しかしここからは仮定ではありません。ひとつ、確認させて下

さい」

「…何を、でしょうか?」

「本件の落着後、あなたは嶋本一美でなくなります。彼女とは赤の他人となる必要がある

のです。それでも彼女を気遣い、心配するのですか?」

斧堂が口を閉じると、ただただ虚ろに斧堂へ視線を向けていた嶋本の面が生気を取り戻し

てゆく。衝撃から立ち直ると、今度は険しい表情が浮かぶ。

「…それが…それが、何だと言うのですか?私の名がどうであろうと、私と吉川さんの関

係に、二度と会えなくても友人である事に、何の変化があるというのですか?」

感極まり双眸が涙に光る。それを留めるべく両手で顔を覆う。

「澄子さんが亡くなった事を知ったとき、しかも、それが謀殺だと、知らされたとき、私

はもう、一生笑う事はないかも知れない、そう思いました…それを、そんな私を、再び笑

える様にして、くださった吉川さんに…もしもの事があったら…私は一生、自分を許さな

いでしょう…きっと、立ち直れないでしょう」

彼女の脳裡に、無惨にも命を奪われた親友の、在りし日の姿が甦る。今度は吉川が同じ目

に遭おうとしているのである。しかも自分が原因で。そう考えただけで、今にも精神が崩

壊しそうになる。しかし、否、だからこそ。彼女の中で、呼び掛ける者がある。今は落涙

している場合ではない、そうではないのか?答える。その通り、まだ機会はある。心は定

まった。不意に顔を上げ、充血した双眸で斧堂を見据える。

「お願いします。どうぞ吉川さんを救って下さい。皆さんが最善を尽くされる事を希望し

ます」

静かに頭を下げる。

「我々は、職務を全うするのみです」

無感情に応える斧堂。普段の言動からは信じ難いほど、吉川の救出に関して斧堂の発言は

消極的であった。あるいは、考えたくはないのであるが、不可抗力を装い作戦中の吉川殺

害を画策する可能性すら考えられる。それが、機密情報の保全こそが彼等の職務における

最優先事項なのであるから。ここに至り彼女を救えるのは自分だけ。覚悟を新たに顔を上

げる。

「…もし、吉川さんの身に何かあれば、もはやあなた方に協力する事は出来ません。特殊

事由者の指定を解除して頂いて結構です」

「その様な身勝手が通用するとお思いですか?」

「通用するか否かは存じません。ですが、その時には一切の協力を拒否させて頂きます。

あなた方が諦めざるを得ない様に」

「指定解除の結果ご自身がどうなるか理解していらっしゃいますか?立石組相手に一人で

戦うような事が」

「私の身を案じて下さるのですか?指定解除されれば、あなたには無関係の事ではありま

せんか?どうぞ、ご心配なさらないで下さい。加藤さんご一家との再会が多少早まるだけ

の事ですので」

嶋本の双眸に怯えは無い。最悪の場合、恐らくは自身の言葉を実践するであろう意思の顕

現があるのみである。嶋本の視線を正面から受け止めていた斧堂は、やがて一つ頷いてみ

せた。

「承知しました。彼女の救出に最善を尽くしましょう」

その言葉にやはり感情は滲んではいない。しかし嶋本の表情が幾分か和らぐ。

「ですが、指定された場所に行くつもりはありません」

「なぜですか?」

”お母さん”がハンカチを手渡す。

「そこに吉川さんはいないと思いますので。恐らくは偵察行動ですので人質を同行する可

能性は低いでしょう。もちろん防犯センターと連絡後投入人数、装備等は決定しますが」

”お母さん”と目配せし、二人はダイニングを後にしたのであった。


 汚れた窓枠に両手をかけ、五条は小さく鼻歌を口ずさんでいた。童謡の『里の秋』であ

る。日は既に大きく傾き日没間近である。逆光に影絵の如くなる建物群の向こう、薄れゆ

く陽光を茫洋と眺めているうち知らず口が動いたのであった。斧堂への指定時刻までまだ

少々間がある。とはいえ相手がそれに従う保証はないのであるが、この緊張感の欠如はど

うした事であろうか?彼等はあくまでも敵の正体、戦力を計るためここに居り、そのため

割かれた人員も五条を含め六名である。斧堂単独ならばともかく、多勢であれば即座に撤

退するつもりである。

「何ですか、それ?」

傍らで外へ視線を走らせていた若者が尋ねてくる。五条の指定した廃病院は市街の外れに

あった。その周辺は数件の町工場が疎らにあるばかりの寂しい一角であり、少々騒いだと

ころで何ら支障はあるまい。今は五条と傍らの若者を除く四人の組員達が、四階建ての建

物周辺に散開し警戒に当たっている。その誰からも、接敵の報告は未だ入っていない。

「ああ?」

呆れた様に若者を見遣る。

「何だ、最近の若い奴は『里の秋』も知らないのか?小学校で習っただろう?」

「さぁ?ガキの頃の事なんて、よく覚えてないです」

「全く…まあいい、警戒していろ」

暫し沈黙の時が訪れる。それを破ったのは若者であった。

「何か思い出でもあるんですか、その歌に?」

「ああ?」

遠くを見遣っていた五条は、若者へと首を巡らせた。

「その、若頭補佐が歌歌ってるところなんて、初めて見たもので」

「そうか?まあ、そうかもな。たしかに、思い出の歌ではある」

「へぇ、どんな?」

「なんという事もないが、子供の頃よく歌ったというだけだ。小学校まで住んでいた村が、

この歌に出てくる様なところだった」

「へぇ。結構な田舎だったんですか?」

「そうだ」

「たまには帰ったり、するんですか?」

「いや」

小さく首を振る。寂しげである。

「それは無理だな」

「それって、やっぱりこんな仕事してるから?」

若者へ向けられる五条の双眸には、揺れ動く感情が見て取れる。

「…帰りたくても、もう無いからだ。家も学校も、それどころか村自体水の底に沈んだ」

しまった、という表情を浮かべる若者。

「…それって、ダムか何かで?」

恐る恐る、という調子で訊ねる若者に、しかし五条は別段機嫌を損ねた様子もない。

「そうだ。何十年も前に計画された、今では用無しのダムの、な」

その言尾には微かに怒りが滲んでいる。

「立ち退きで都会に出たものの、田舎者が暮らしてゆくのは大変だった。預金を騙し取ら

れたり、散々苦労して親の晩年は惨めなものだった。私も苦学生で、親孝行も出来なかっ

たな」

「じゃ、親御さんは」

「ああ、もういない。葬式を出すのさえ一苦労だった」

「…」

気まずげに若者は視線を外した。五条は窓外に顔を向け直し、暫し物思いに耽る。

「…何で、こんな事になったのか。社会の歪みを正したい、そう思っていた筈なんだが」

「ボランティアか何か、やってたんですか?」

「まぁ、似た様なものだ。まずは市議会に議員を送り込むつもりで、資金調達の為に熊沢

の伯父貴の企業舎弟に接触して…それが、気付けばこんな辛い場所で諜報戦の真似事だ」

「辛い?」

「近いのさ、ここからな。まあ、車で半日はかかるかな」

溜息を一つ。と、廊下を近付いて来る足音に気付き振り返る二人の前で、錆び付いた蝶番

が大きな音をたてつつ扉が開く。

「若頭補佐…」

扉のところで呆然と立ち尽くす見知った若者の顔からは、生気が失せていたのであった。


 時を三十分ほど遡る。”避難所”裏の駐車場を出発した一台のワゴンが、廃病院から一

区画ほど離れた細い路地に停まる。降車したのは四人の、ジャンプスーツ姿の男女であっ

た。紅一点の”お母さん”が無言で合図をすると、荷物扉が開かれ、装備が手渡されてゆ

く。軽量の防弾スーツ、目出し帽、スロートマイク(喉に装着するマイク)、イヤホン、

そしてホルスター。納められているのはワルサーPー三八をベースに、サウンドサプレッ

サを組み込んだカスタムピストルである(これによって、本来ならば戦闘機の爆音を凌ぐ

銃声を、普通の話し声並みに押さえる事を可能としている。彼等は同様の特殊な銃器を多

用するが、その性質ゆえ以後特に名を秘す)。手早くそれらを装着した彼等は、”お母さ

ん”の頷き一つで車の物陰より飛び出し、廃病院裏の路地へと疾走する。

 裏門に一人、見張りの姿があった。曲がり角、腰を落とし差し出した手鏡越しにそれを

確認した”お母さん”は手近な空き缶を投げる。コンクリート塀に当たって大きな音が響

き、見張りがこちらを見た。暫し周囲を見回した後、未だ道路上を転がり続けている空き

缶へと近付いてくる。その姿は、病院からは塀に隠れて見えないであろう。それを手鏡越

しに確認し”お母さん”が一つ頷くと、傍らに立つ男がピストルを構える。曲がり角から

銃口を突き出し、ドットサイトに見張りを捉えた。銃口が一瞬閃くや見張りは前のめりに

倒れた。一斉に”お母さん”達は廃病院のコンクリート塀へと殺到する。”お母さん”の

指示で、一人が死体を両手に抱え一旦戻る。彼が戻ってくるまで、”お母さん”は敷地内

の観測を行っていた。腰を落とし、裏門の門柱の陰から様子を窺う。上から下へ、建物の

屋上から駐車場へ。屋上、各階の窓とも人影は無い。駐車場には乗用車が二台。車内外共

に人の居る気配は無い。更に首を伸ばし向こう側の塀の裏側も窺うが、伏兵は居ない。”

お母さん”が背後にブロックサインで合図を送るや、背後に控えた”戦闘用員”の一人が

門の向こうへと疾駆する。”お母さん”と同様門柱の陰より頭を突きだし、”お母さん”

達が身を隠す塀の裏側を確認する。やはり伏兵の姿は認められない。”お母さん”にOK

サインを返すと、一つ頷き彼女は再び背後に合図を送ったのであった。残る二人の”戦闘

用員”が銃を構えつつ裏門内へ突入する。門から敷地内の観測を続行していた”お母さん

”達も頷き交わし、銃を構えつつ中腰で後に続く。

 車の陰へと駆け込んだ二人は、先行した二人が車の陰から様子を窺っているのを発見し

た。一人が親指でしゃくる先へと視線を向けると、建物内に人影が認められた。一階の廊

下をごま塩頭の中年男が裏口へゆっくり近付いてくる。用足しに行っていたのであろうか、

両腕をしきりと動かしている。状況を理解した”お母さん”は、自分達が先行する旨をブ

ロックサインで示し、再び動き出した。より腰を落とし、車の陰を二人は裏口へと移動す

る。

「おーい、小林ぃ、変化はねぇか?」

何も知らず胴間声で呼ばわりつつ裏口に姿を現した男は、やはり両手をハンカチで拭って

いた。ピストルのグリップが、腹の贅肉に埋まらんばかりの状態で覗いている。横手から

飛び出した”お母さん”は、左手で男の口を塞ぐと右腕を取り壁際まで引き寄せ、壁に背

中を押し付ける。と同時に相棒が男の横に回り込むと、ピストルを取り上げつつこめかみ

に銃口を押し当てサポートする。完全に虚を突かれた男には為す術もない。

「一つだけ、質問よ。ここに居るお仲間は何人?指で示しなさい」

男は答えない。否、答えられない。痙攣の様に小刻みに首を振るばかりである。知らず、

”お母さん”は小さく舌打ちした。小さく相棒と頷き交わすと一度、トリガが引き絞られ、

くぐもった銃声と共に銃弾が反対側のこめかみへと貫通した。血飛沫がガラス窓を濡らし

滴り落ちる。瞠目した男の体から力が抜け倒れかかるのを、受け止めた二人は車の陰へ引

きずっていった。そうしてひとまず死体を隠すと、残りの”戦闘用員”達と共に建物内へ

侵入したのであった。

 建物内の表側には二人の見張りが居た。一階、二階に一人ずつである。階段の前で所在

なげに佇む若者へ脇の通路から忍び寄り、背後から羽交い締めにすると左手で口を塞ぎ右

手で銃を取り上げる。低く鋭い声で動きを制止すると、相棒がこめかみに銃口を突きつけ

た。

「一つ訊くわ。建物内に何人いるの?指で示せるなら、そうしてちょうだい」

押し殺した声で若者に囁く。しかし若者は怯え、体を硬直させるばかり。彼女の要求に応

えられる状態ではない。

「あら、そう。じゃあさようなら」

若者の首を右腕でへし折る。鈍い音と共に脱力した若者の体重が彼女の両腕にかかる。

「おい、何かあったのか?」

階下の異変を察知してか、二階よりまだ若い男の声が問い掛けてくる。目配せし死体を階

段の陰に運ぶ。その間に、更に二度問い掛けはなされた。やがて足音が降りてくる。

「何で応えない!?…おい、どこだ!?」

足音が踊り場で途切れるや、頷き交わし”お母さん”達は階段脇より飛び出したのであっ

た。背後からバックアップを受けつつ”お母さん”が一気に階段を駆け上がってゆく。

「!」

声を上げる暇もない。手首にグリップの一撃を受けピストルを取り落とす。口を塞がれ顎

下に銃口を突き付けられると、身も世もなく震え上がる若者。階段下では相棒が銃の照準

を若者の頭部に定めていた。

「幾つか訊かせてちょうだい。いい?ここに人質はいる?」

顎を銃口で小突くと、若者は慌てて首を振った。やっぱりね、と胸中で呟く。

「ここにお仲間は何人いるの?十人以上?」

若者は再び首を振った。

「そう。なら、指で人数を示しなさい。もし、ちょっとでも妙な動きをすると…」

再び小突く。ホールドアップをする様に、若者は両手を上げた。指で『6』を示している。

それは防犯センターからの情報とも一致していたのであった。

「いい子ね。ついでに、ここを仕切っている人のところへ案内してくれると有り難いわ」

口調こそもの柔らかであるが、もとより彼に拒否権はない。小刻みに頷くと解放される。

とはいえ自由になれた訳ではない。”お母さん”達と二丁の銃に促され、先導役として若

者は歩き出した。しきりに背後を気にしつつ階段を上がってゆく若者と、一定の距離を置

き後に従う”お母さん”達。侵入後間もなく分かれ、建物内を探索中の他の二人へ一階で

の警戒態勢をとるよう無線で指示する。やがて五条達の詰める部屋の前に、三人は立った

のであった。


 「初めまして。五条、隆信さんね?」

”お母さん”は窓際の五条へ照準を切り替えた。

「何だてめぇら!?」

傍らの若者が銃を向けようとするのを、五条は手で制止した。

「あなたは女性ですね?招待したのは斧堂さんの筈ですが。それに少々早いお着きの様で

「ご免なさいね、彼は色々と忙しくて。それと、私達はせっかちなの」

「パーティーが待ちきれなかったのですか、お嬢さん?あなたはとてもいい声をしていら

っしゃる。是非ともお顔を拝見させて頂きたいのですがね。そんな無粋なものは脱いで」

「お褒めに与って光栄だわ。でもご免なさいね。仮面舞踏会だと思ってスッピンなの。そ

れに、お嬢さんという歳でもないわ」

「これは残念。しかし、たった二人でいらっしゃったのですか?」

「みんな出不精でね。ここは遠いわ」

”お母さん”は先導役を務めた若者へ、窓際に行くよう指示した。のろのろと指示に従う

若者。五条の左側に立つ。

「無駄話はお終いにして。五条さん、一緒に来て頂けるかしら?」

「今度はそちらからご招待ですか?残念ながら、私共も多忙でして」

「あら、残念。でもね。これは招待ではないわ、連行よ」

相棒と目配せすると、照準を再び変えトリガを引く。額を九ミリ弾に穿たれ、五条の左側

の若者が倒れた。

「それに対象はただ一人、あなただけ」

相棒がトリガを引き絞る。くぐもった銃声が上がるより僅かに早く、動く者があった。

 誰にもその理由が判らなかった。それは当の五条も同様であった。つい先程まで言葉を

交わしていた若者が次の標的と認識した時には、動いていたのである。弾丸は若者の前に

跳び出した五条の胸を貫通し、大きな音をたて床に倒れ込んだ彼は瞠目したままもはや動

かない。

「う、あぁぁぁぁ」

恐慌に陥った若者が叫き散らし銃を向けてくるが、二人に射殺される。窓枠に弾かれ、五

条に重なり倒れる。

「参ったわね」

”お母さん”達は顔を見合わせた。その時スマートフォンが震えだした。

『タイムアップです。首尾は?』

斧堂であった。

「それが。申し訳有りません。五条を除去してしまいました」

除去とは、もちろん死亡の事である。

『…そうですか。止むを得ません。撤収して下さい』

「了解」

電話を切り仕舞うと、一つ溜息をつく。

「撤収よ」

二人は足早にその場を後にしたのであった。


 本来なら買い物客等で賑わう時間帯となっても、アーケード街には活気が欠けていた。

そもそもアーケード街と呼ばれてはいても無粋な金属製の天蓋は、長年の風雪に耐えるう

ち雨垢に汚れ、あちこち錆が浮き見窄らしい有様となっている。商店街商工会の加盟店と

て、先立つものさえ融通がつけば改装を躊躇する事はないのであるが、今の有様ではそれ

もままならない。更にはその一角に位置する第一明星ビルの身分怪しき者達が屯し、かつ

てはそれなりにあった人通りも今は無い。何台もの妖しいオーラを纏った車がビルの前に

停まり、それに似つかわしい風体の男達が降り立つのを目撃した住民の口よりその噂が広

まるや、例外なく通行人は迂回路をとる様になったのである。

「まったく、シケた商店街だぜ。よくこんなんで続いてるもんだ」

アーケードの通りに面して大きく設けられた二階の窓より、人影の途絶えたブロック舗装

の通りを見下ろしつつ、黒石が呟く。

「こんな事なら来なけりゃ良かったかもなあ。ったく、つまらねぇったらありゃしねぇ」

踵を返せば、何とも殺風景な室内が一望出来る。さして広くはない。二十人分も事務机を

並べれば定員一杯、というところであろうか。今は折り畳み式の長机が一つに数脚のパイ

プ椅子があるのみ。長机の上にはコンビニの袋に入ったままのお茶やミネラルウォーター

のペットボトル等が置かれ、部屋の片隅には口の開いたゴミ袋と、扇情的な格好の女性を

背景に、下世話な見出しの踊る雑誌や一面の色鮮やかな新聞紙の類が置かれている。目立

った行動を慎むため、食料等はアーケード街のコンビニ等で調達しており、組員に死者の

出ている現状では(一旦嶋本を確保した時点で状況報告の電話は受けていたのであるが、

結果的に帰還者はなく全滅と判断された)、尚更のこと籠の鳥状態の中で禁欲的生活を強

いられているお陰で黒石は少々(とは控え目な表現であろうか)不機嫌である。嶋本宅に

自ら赴いたのは、せめてもの気晴らしを兼ねての事であった。

「なぁ、嬢ちゃんもいつまでこんな田舎に燻ってる気はねぇだろ?何なら俺達と一緒に大

都会に出る気はねぇか?」

そう話し掛けられて殺気すら帯びた視線を彼に向ける少女の姿がある。もちろん吉川であ

る。パイプ椅子に座らされた彼女は、背凭れを挟む様に両手を手錠で括られ、両足は椅子

の足に足枷で繋がれている。それらは弛めに留められてはいるが、それでも身じろぎする

度に皮膚が擦れ痛みが走る。おまけに窮屈な姿勢で長時間座らされ続け臀部や節々も痛い。

このままエコノミー症候群で死ぬかと思う程である。黒石達にクッションを与えるなどと

いう配慮は微塵も無いのであった。

「死んでもご免だわ!私は静かなこの街が大好きなの!!」

静かな、の部分を強調する。そこには『お前達さえ来なければ、この街は静かであったの

だ』という非難が込められていた。が、黒石はその様なものを歯牙にも掛けない。

「こんな退屈な街がか?いけねぇなぁ、若者が、そんな年寄りくせぇこと言ってちゃあよ。

若い頃は幾らだって刺激的な体験をしなくちゃ、なぁ?」

周囲の組員達を睨め付けると、一斉に賛同の言葉が返ってくる。今この状況だけでうんざ

りするほど十分刺激的よ、と心の中で叫ぶ吉川であった。

「ま、冗談はこれくらいにしといて、だ」

ゆっくり、吉川へと歩み寄る。彼女の前で腰を落とし、吉川と目の高さを合わせる。

「これで最後だぜ?あんた、本当にあの二人についちゃあ、何も知らねぇんだな?」

「本っ当にしつこいわね!一美は一美よ!嶋本一美!それ以外の何だって言うの!?斧堂

君の事だって、つい最近転校してきたばかりで殆ど何も知らないわ!!」

「つまり何も知らねぇって事だな?いいだろう、教えてやるぜ。あの娘の本名は河野加奈

絵ってんだ。親父は商社の役員だとさ。斧堂ってガキは今一つ判らねぇが、どうやらご同

業らしい」

人を小馬鹿にした様な、あるいは哀れむ様な表情を浮かべる黒石。とうてい信じられぬそ

の言葉に尚も抗弁を続けようとした吉川の脳裡に、不意にある光景が甦る。あの帰りが遅

くなった日、商店街で偶然出会った斧堂の姿。彼はまるで井竹達を追跡している様に見え

た…しかし、と、思い直す。あれは彼の言った通り、単なる偶然ではなかったのか?だい

たい、普段の斧堂とその様な剣呑なイメージは重なり得ない。そう、これはきっと自分を

動揺させるための方便なのであろう。が、しかし…吉川の頭の中で思考の堂々巡りが繰り

広げられる。それを断ち切り、ひとまず一つの結論を出した。このまま話に乗ってみよう。

今は、相手に幾らでも多くの言葉を吐かせるべき、と。話の信憑性はおいおい考えれば良

い。困惑した表情を浮かべてみせる。

「そんな…斧堂君があんた達と同じ?」

「奴もお嬢ちゃんが狙いらしいな」

「そんな、信じらんない…一美だって、偽名なんか使う様な事…」

「そう、そこだ、肝心なのはな。嶋本一美ってのは、偽名であって偽名じゃあねぇ」

「?どういう事よ?」

黒石は、吉川の狼狽ぶりを楽しんでいる様子である。

「つまりだ、学生証から戸籍、住民票やら諸々のお役所の文書に至るまで、あの娘が嶋本

一美って名の人間だって事を保証してるんだ。でもな、それらは本物じゃあないのさ。河

野加奈絵って人間を隠す為のでっち上げなんだよ」

「そんな…有り得ない。たかが一人の人間にそんな事出来る筈無いじゃない」

「もちろん、一人じゃあなぁ」

勿体をつける様に頷く黒石。

「ところが、だ。それに国が一枚噛んでるとしたら、どういう事になる?」

「国が?」

「そうさ。国の制度の中にあるのさ、そういうのがな」

「なにそれ?」

「さぁてな。ともかく、あの娘は国が特別に守るだけの価値があるって事だけは確かだな

「価値?価値って…」

思わせぶりな黒石の口振りに、敢えて吉川は乗ってゆく。

「ある情報を握っててな。そいつは、ある種の人間にとっちゃ命取りな代物って訳だ」

「その為に一美を…」

これまでのところ、話に不整合は見当たらない。よほど良く練られた嘘、という事であろ

うか?あるいは真実なのであろうか?思索に没入しかけた吉川へと、今度は優しげに語り

かける黒石。

「なああんた、あの娘の親友だろ?」

「そうよ」

静かに答える。

「そうだな?だったら、何か聞いてねぇか?小さな事でいいんだ、何でも教えてくれ」

「何でもって、どういう事をよ?」

「そうだな、例えば、昔の友達から預かった物がある、とか」

「それを教えたら、どうするの?」

「もちろん、あんたを解放してやる。それに斧堂ってガキの仲間共も追っ払ってやるぜ」

「…ちょっと考えてみる」

「出来るだけ早くな」

俯き、沈思黙考するふりをしつつ、内心彼女の結論は出ていた。自分達の明白な犯罪行為

を棚に上げ『解放してやる』と言ってのける、厚顔無恥な輩共。それに協力など端からあ

り得ない。そもそもその様な輩の事を信じ、友を売る様な真似が出来ようか?斧堂に関し

ては、疑念を拭えないところがあるとはいえ、眼前の男よりは信頼できよう。顔を上げる。

「何にも話す気はないわ。何か知ってたとしてもね」

「ふぅ。そいつは残念。嘘だらけ、隠し事だらけの友達のために、あんたの苦難は続くっ

て訳だ」

「そんな事、ある筈無いわ」

「じゃあ訊くがな、あんたはあの娘の何を知ってるんだ?おやじさんは何をしてる?」

「…ただのサラリーマン、だって聞いたけど?」

「じゃあ、その会社の名前は?そこで何の仕事をしてる?以前通ってた学校は?クラスは

?」

「…」

答えられない。こうして突き付けられてみれば、確かに自分が嶋本について知っている事

は余りに少ない。以前、前の学校について尋ねた時は、『有名な学校ではありませんから

』の一言で直ぐに話題を切り替えられてしまった記憶がある。吉川も、余り触れられたく

ないのかと、それ以上の詮索は控えていたのであるが…

「ま、直ぐに再会させてやるから、たっぷり文句を言う時間はあるさ」

笑い声を上げ、立ち上がると黒石は部屋を出て行く。喫煙室に指定されている一階のミー

ティングルームへと下りる為に。嫌煙家の五条による指定であった。

「もうじき若頭補佐があの糞ガキをとっ捕まえてくる。その時には、俺達に真っ先に可愛

がらせてくれ、って言ってあるんだぜ?野郎と遊ぶのも、ま、たまにゃ悪くないしな」

傍らに立つ井竹が吉川の耳元で囁く。耳朶に掛かる息の不快さに、彼女は頭を動かした。

「糞ガキって…斧堂君の事?あんた、そっちの気があったの?」

「馬鹿言ってんじゃねぇ。奴にゃ、お世話になった礼をたっぷりしなくちゃならねえのさ

「何言ってるの?いい大人が二人がかりで彼をぼこぼこにしたんでしょ?」

「おや、知らねぇのか?そういや、あのときあんた居なかったけな」

高田が反対側から会話に加わる。

「たかがガキ一人、と舐めたのがいけなかったぜ。不覚にも油断しちまったのさ」

左右からの不快な声に、吉川はただ顔を顰めるよりなかった。あの夜の光景を、再び思い

浮かべる。やはりあれは偶然でなく、この二人を追跡しての事であったのか?

「くそ、まだ手首が痛みやがる」

斧堂の手刀を見舞われた右手首をさする高田。

「ま、そんなこんなで俺達には優先権がある、って訳だ。その時にゃここで、あんたの目

の前でやってやるからよ、楽しみに待ってな」

言いつつ井竹に肩を叩かれ、居心地悪げに身動ぎする吉川であった。


 引っ越し業者のトラックが一台、アーケード街の横道を入ってくる。第一明星ビルの横

を通り正面の、古ぼけた商家の前で停まる。助手席を降りた、つなぎ姿の従業員は車体後

部へ回った。スイッチを操作しエレベータを降ろすと、上に乗った従業員は荷台の扉を開

いた。荷台からは同じつなぎ姿の従業員が数人降りてくる。商家の錆び付いたシャッター

が久方ぶりに上げられ、舞い上がった埃と共に澱んだ空気が漂い出す。

「なんだ、こんなシケた商店街に入ってくる物好きが居るのか?」

地下駐車場の斜路に停められた乗用車の運転席に収まった男が、嘲笑混じりに呟く。

「せっかく開いたシャッターなのにな。直ぐに閉まる事になるさ」

助手席の男が応じる。

「そりゃ、夜になりゃあ閉まるだろうさ?」

「で、ある日を境にそのまんま二度と開かれる事はない、って訳だ」

車内に二人の笑い声がこもる。二人の見ている前で、トラックの荷台より全体を緩衝材で

保護されたクローゼットが下ろされる。アーケード街からビルを遮断する様に、それは置

かれた。次の荷物に取りかかるべく踵を返しかけた従業員の一人がふと乗用車に視線を向

け、初めて二人に気付いたかの様な表情をする。やがてにこやかに、彼は近付いてきたの

であった。

「何だ、おい?」

男達が訝る間にも、運転席の横に中腰になった従業員は、笑顔を崩さぬままウインドウグ

ラスをノックした。鬱陶しげにパワーウィンドウを下ろす運転席の男。

「何だ?」

うろんな目で従業員を睨め付け、男は威圧する様に問うた。その物言いにも、しかし従業

員は笑顔を崩さない。左手でキャップを取り、一つ会釈をする。

「申し訳御座いません。向かいの商家に今度入居なさる方の引っ越しのため、ご迷惑をお

掛け致します」

従業員は腰を落としているため、二人からは肩くらいまでしか見えない。

「そうかい。せっせと済ましてくれよ」

投げ遣りな応対の彼は従業員の右手が何かを探っているのに気を配らなかった。

「はい。そう致します」

言い終える前に、従業員の右手は腰のサイドポーチからサウンドサプレッサ付き二十五口

径セミオートマチックピストルを取り出していたのであった。その銃口を目にしても男達

は何ら手を打てなかった。ただ微かに顔を引きつらせるのみ。トリガが二回、間髪を置か

ず引き絞られると、男達は額に穿たれた穴から血を流しつつシートに凭れ掛かる。ピスト

ルをサイドポーチに戻すと従業員はトラックへと顔を向けた。その視線は、段ボール箱を

荷台から下ろす、キャップを目深に被った従業員を捉えていた。彼は作業の傍ら、横目で

乗用車を注視していたのである。道路に段ボール箱を下ろし、つなぎのジッパーを少し開

けるとスロートマイクの通信スイッチを操作する。斧堂であった。

「アルファロメオ」

それはチームアルファが見張りを除去した事を意味していた。彼のその一言がイヤホンよ

り耳に流れ込むや、従業員達の行動が変わる。商家内に入り込んだ者を除く全員が斜路へ

と移動すると斧堂の運ぶ段ボール箱へと群がり、蓋のガムテープを剥がし開封してゆく。

防弾ヘルメットやゴーグル、目出し帽、レッグホルスター、タクティカルベスト、メィン

ウェポン等々の装備が姿を現す。防弾ベストはつなぎの下に装着済みで、つなぎの上から

手早く装着してゆく。


 立石組遠征隊拠点奇襲作戦は、四チーム編成で実施される。チームアルファは斧堂以下、

正面玄関と地下駐車場を確保する。地下駐車場における籠城戦を阻止するため、バーナー

で下ろされたシャッターに開口し、突入する。正面玄関及び非常階段からの脱出を試みる

者は、斧堂が除去する。また、商家の二階に情報収集用員を一名配置する。彼は一階及び

二階正面の観測を行う。もちろん必要とあればアサルトライフルによる射撃も行う。

 チームベータは裏口の見張りを除去後、ビル裏手の民家よりコンクリート塀を乗り越え

突入する。民家の物干し台から、コンクリート塀越しに裏口と、ビル横手の非常階段が視

認可能であった。物干し台の”戦闘用員”は、見張りの除去後この両方を観測し続ける事

となる。ビルの裏側にはトイレと給湯室の小さな鎧戸があるばかりで、彼が発見される可

能性は低い。民家には住人があるが、”戦闘用員”は探偵社の調査員を名乗り第一明星ビ

ルに出入りしているある人物の身上調査のためと、物干し台を一時占有する了解を得てい

た(それには迷惑料及び口止め料として相応の額の現金を提示した事が大きく影響してい

たであろう)。その住人も、ビルに身分怪しき男達が出入りしている事は重々承知してい

たのであった。

 チームガンマは屋上より突入する。社有のヘリコプターより降下、ビルを下方へ制圧し

てゆく。

 チームオメガは狙撃により屋上の見張りを除去、チームガンマの突入を支援する。この

作戦は斧堂と”お母さん”が相談し策定したものをベースに、簡単な偵察ののち入手した

情報等を加味し斧堂が最終的に練り上げたものである。リハーサルをしている暇はなく、

不動産屋より入手していたビルの見取り図を元にチーム編成後、机上で制圧手順、各チー

ムの連携確認、子細な注意点の意識合わせ等を行うより無かったのであった。そこが不安

ではあったが、それは彼等の経験で埋めきれるという結論に達していた。実際には多少の

問題も発生したのであるが。


 ビルの屋上では二人の男が手摺りに寄り掛かり、無駄話に華を咲かせていたのであった。

同年代であろう。まだ若い。一応の見張り役ではある。五条からは、交代制で空と地上を

監視するよう指示されていたのであるが、役目に就くや、間もなく二人はそれを放棄した

のであった。彼等に緊張感は無く、自分達が臨戦状態にあるという意識は希薄であった。

屋上という担当区画もまた、それを助長した事であろう。

 「ところで、もう名前、考えてあんのか?」

ひとしきり談笑した後、二人のうち背の低い方が改まった口調で問い掛ける。

「ああ?いや、未だ悩んでるところ」

背の高い方は、煙草を指に挟み紫煙をはき出した。ほぼ無風状態のため徐々に中空へ消え

る。

「まだ決まってねぇのか?予定じゃ来月だろ?」

「そうなんだけどなぁ」

「男か女か判ってるんだろ?」

「女、だってさ。超音波診断ってのかな、あれで判った」

「いい名前、思いつかねぇのか?」

「候補はあるさ、一応な。俺は愛理、愛情の愛に理科の理な。千加の奴は美樹、美しい樹

木な、これがいいってさ。譲らねぇんだ、これが」

「へぇ?」

「お前なら、どっちがいいと思う?」

「…さぁなあ。どっちも、なかなかいいと思うぜ?」

「そりゃ、つまりどうでもいいって事か?」

背の低い方が、嫌みのない笑い声をあげる。

「ま、半分はそうかな。こっちはまだまだ先だ」

言って背の低い方は体を翻し、手摺りの上に両肘をつく。夕闇の迫りつつある空を背景に

マンションが見える。距離はといえば百五十メートル程度であろうか、五階建てのそれ以

上に目立つ建物は、ぐるりを見渡しても数えるほどしかない。基本的に高層建築の少ない

街なのである。もっとも、この風景もいずれは変わってゆくのであろうが。それを予期さ

せる建設工事の騒音に混じり、遠くヘリコプターの爆音が聞こえてくる。

「…親、ってのも、いいかもな」

「そう思うんなら、もうちっと本腰入れて頑張るこった」

「これでも夜な夜な頑張ってるつもりなんだがなぁ」

そう呟いた時であった。マンション屋上で何か光った。あるいはその様な気がした。極め

て微かな刹那の輝き。まるでライターを着けようとして火花が散ったかの様な。

「!?」

実際には閃光について何ら思索する間もなく、その衝撃は襲ってきた。まるで、真っ赤な

焼け火箸を胸に突き立てられたかの様な激痛と熱さ。が、それも瞬く間に薄れ、意識は暗

闇へと沈んでゆく。膝を折り、胸と背中より血を流しつつ、男は手摺りに縋る様に頽れた

のであった。

「あ?おい、どう」

皆まで言う事は叶わなかった。相棒を襲った異変に気付いた男が首を巡らせた時には、二

発目の三〇八口径ライフル弾が彼の背中を貫き、胸から抜けていたからである。言葉にな

らぬ呻き声を吐きだし、跪く様に男は倒れたのであった。

 「命中」

双眼鏡を覗いていた観測手役の男が、傍らでスナイパーライフル(A.I.ストック装備

のレミントンM七〇〇というボルトアクションライフルである)を構えスコープ越しに屋

上を観測していた女性に、静かに告げる。二人ともマンションの屋上に立ち尽くしている。

「…そう」

屋上の端で途切れた影の中、乱れをみせぬ呼吸のまま立射姿勢の狙撃手は短く応えたのみ

であった。落日を遮るものは手摺りに括り付けられたビーチパラソル。それは遙か上空に

浮かぶ『眼』からさえ、二人の姿を隠してくれる事であろう。フォロースルーののち立射

姿勢のままボルトハンドルを起こし、ボルトを引く。開放されたチャンバより引き出され

たカートリッジがエジェクトされる。ボルトを押し込めば次弾が送弾され、ボルトハンド

ルを倒しチャンバ閉塞。セイフティを掛けたまま狙いを変える。一連の動作を流れる様に

行う。

「まあ、殆ど無風状態ですからね」

ライフルに装着された十倍のスコープ、そのレティクルは階段室の扉をポイントしている。

「オメガウォッチ」

男が発した『チームオメガ、見張り除去』を意味するその一言は、全チームへと伝達され

た筈である。ほぼ同時に『ベータカロチン』、続けて『ラッシュ』のコードが男の耳に届

いた。突入開始が発令されたのである。遠くより聞こえていたヘリコプターの爆音が近付

いてくる。その音源であるジェットヘリ、ベル二〇六Bジェットレンジャーは、二人の頭

上を通過し攻撃目標目がけ真一文字に飛翔する。それは、遠ざかりつつ急速に高度を下げ

ていった。やがて、スコープ一杯にその機影が割り込んでくる。

「さ、ここでの仕事は終わりね」

スコープより目を離し、頬をストックより外す。ライフルを手摺りに立てかけサウンドサ

プレッサを捻って外し、傍らのキャリングケースを引き寄せる。ケースの蓋を開き丁寧に

ライフル、サウンドサプレッサを納めると、静かにケースを閉じた。観測手は空薬莢を回

収していた。

「ご苦労様」

ケースを一撫ですると、手摺りに立て掛けてあったゴルフバッグを引き寄せる。キャリン

グケースごとクラブの間に納めた。そこには、今にもコースに出ようかという出で立ちの

増井の姿があった。いま下へ降りていっても怪しむ者はあるまい。手袋を外す。

「それじゃ、後はお願いね」

気安い口調で観測手に声を掛ける。彼の方は電気工の格好である。

「学校へ戻るので?」

ビーチパラソルを閉じつつ観測手が尋ねる。閉じても目立つそれは、別の者によって予め

持ち込まれていたのであった。今度は物陰へひとまず隠しておき、後で回収して貰うので

ある。

「ええ、学校の方の警戒に当たってくれ、っていう指示だから」

嶋本一美の一件自体が陽動である可能性を未だ排除していない斧堂は、学園の周辺に二人

の”戦闘用員”を配置していたのであった。増井は学園内部の警戒を行うのである。

「難儀な事です」

「…これもお仕事、でしょう?」

何かを吹っ切る様に小さく嘆息し首を振ると、彼女は答えたのであった。今し方成し遂げ

た仕事に対し、やはり多少なりと忸怩たる思いを抱いての事であろう。

「…確かに」

いま一度、増井はビルを見遣った。いままさに、そこは修羅場と化している筈であった。

「彼等は、これからが大変なのよね」

ある少年の顔が思い浮かぶ。鋭利な目をした、本作戦の指揮官たる少年。ゴルフバッグを

肩に、階段室へ歩き出す増井。双眼鏡に空薬莢、そして腰に差したセミオートマチックピ

ストルを工具箱の中に隠し、それを手に男もその後に続く。


 裏口では、ラフな格好の若者がパイプ椅子に腰掛け見張りについていた。その目つきは

虚ろで、今にも舟を漕ぎ出しそうである。知らず、大きな欠伸を一つ。

「おい、山下ぁ!気ぃ抜いてんじゃぁねぇぞ!」

欠伸の音を聞きとがめられ、奥からドスの利いた叱責の声がとんだ。

「は、はい!」

若者は慌てて居住まいを正す。そんな若者の様子を、特殊仕様のセミオートマチックピス

トル(ワルサーP三八ベース)に装着したドットサイト越しに眺めている者があった。ビ

ル裏手の民家、その物干し台に陣取ったチームベータの狙撃手である。狙撃、といっても

距離的には二十メートルもない。チームベータは五人。強行突入の完全装備に身を固めた

他の四人は、民家の庭の片隅で突入の時を待っている。狙撃手に気付く事なく椅子に腰掛

けた若者の、顰め面しく取り繕った表情が見る間に弛むのが物干し台から手に取る様に判

る。

「そんなに眠けりゃ、ずうっと寝てな」

トリガが引き絞られる。気の抜けた様な高いが小さく軽い音と共に、裏口の扉の針金入り

ガラス窓に小さな穴が穿たれた。目を見開き、胸から血を迸らせつつ項垂れる若者。

「ベータカロチン」

上着のポケットより取り出した小型マイクに向かい、一言呟く。

『オメガウオッチ』

ほぼ同時に、屋上の見張りも除去が完了した様であった。

『ラッシュ』

斧堂からの、突入開始の指示が下る。待機していた突入班が動き出す。一人が両手で作る

鐙に足を掛け、一人目が素早く塀の上に上がった。周囲に肩から吊したサブマシンガン(

H&K社製の、特殊部隊仕様である)の銃口を巡らしつつ障害の無いのを確認すると、塀

の上に跨る。そうして、仲間の突入を補助しつつ周囲への警戒は怠らない。そして最後に、

音をたてぬよう注意を払いつつビルの敷地内に着地、銃を構えつつ裏口の傍らに陣取って

いる突入班員に加わり建物内を窺う。扉には鍵が掛かっていたのでピッキングを行う。開

錠音が意外に大きくひやりとするが、特に建物内で人の動く気配はない。頭頂近くに達し

つつあるヘリの爆音にうまく紛れたのであろう。これで突入態勢は調った。一つ頷きあい、

一人が扉を静かに開く。

「おい、何かあったのか。何をしてる。答えろや!」

ヘリの爆音のなか、ドスの利いた声が建物の奥より聞こえてくる。突入班員達は視線を交

わし、しかるべき行動に出たのであった。


 チームベータ、オメガが見張りを除去している頃、チームアルファは何をしていたので

あろうか?実は、一番手間の掛かる作業に専念していたのであった。

 ビルの地下駐車場の電動式シャッターは下りていたのである。地下駐車場の確保を主務

とするチームアルファは、シャッターの処理を急ぐ必要があった。その開閉スイッチは一

階の管理人室にある。が、それを確保出来たとしても、使用する事は出来まい。機械の駆

動音やシャッター巻き上げの軋轢音等で異変に気付かれる事は火を見るより明らかであろ

う。遠征隊の地下駐車場への籠城を許す事無く、可能な限りの静寂と迅速をもって処理す

るため、ガスバーナーによるシャッターへの開口が当初より想定されていたのである。そ

の準備が進行するなか突入班員達はシャッター前に集結し、作業の進捗を固唾を呑み見守

る。点火されたバーナーがシャッターにかざされ、火の粉が舞い、悪臭が漂い出す。しか

し、この作業は予定よりも時間を要する事が間もなく明白となった。シャッターは肉厚で、

思うように捗らない。『ラッシュ』のコードが発行されても、未だ突入口は開かれずにい

たのであった。


 ジェットレンジャーはビル上空でホバリングに入った。屋上の床までは十メートルほど。

左右のスライドドアが開放され、機内天井に固定された二本のロープが屋上に下ろされる。

姿を現したチームガンマの突入班員達(つまりはチーム全員である)は、ロープにカラピ

ナを掛け降着そりに足を掛けると、降下開始の合図と共にラペリングで続々ビルへ降下し

てゆく。先に降下した者は銃を構えつつ周囲を警戒し、機上の者は降下する者を頭上より

援護すべく、屋上にその構えた銃の射線を滑らせる。そうしてチームガンマの四名全員が

降下を終了し、コパイロットによりロープが落とされると、最後に降下したチームリーダ

ーは頭上へとサムアップを掲げたのであった。サムアップを返すパイロットの操縦により

上昇しつつ機首を巡らせ、ジェットレンジャーはビルを離れていった。この間一分余り。

リーダーを先頭に階段室へと駆け寄る。一回り観察するが、何か仕掛けのある様子はない。

もっとも見張りが居たのであるから、剣呑な仕掛をしている可能性は低いであろうが。一

人が腰を落とすと階段室のドアノブに手を掛け、ゆっくりと回す。音をたてぬようゆっく

り、細く内側へ扉を開く。隙間より室内を伺うが、人影はない。小さく頷くとリーダーも

頷き返し、サブマシンガンを構えたまま右足を扉に押し当てた。そのまま体重を右足に掛

けると、勢いよく扉は開かれた。各自、銃を構えつつ突入する。先頭のリーダーは扉の裏

に回り込み、伏兵の姿を探す。やはり、そこに人影はなかった。リーダーの背後で控えて

いたうちの一人は、階段の手摺りから踊り場及び階下を、もう一人は下りの階段を、扉を

開けたメンバーは天井部を(監視カメラ等の破壊のために)、それぞれ確認する。役割分

担は前もって確認した通りであった。伏兵、監視カメラの類は見当たらない。リーダーが

首を巡らすと、全員が『OK』のブロックサインを出しているのが見て取れる。一つ頷く

と、各々の肩を軽く叩き階段を下りてゆくリーダーに続き、足音をたてぬよう細心の注意

を払いつつチームガンマは四階へと移動を開始したのであった。

 四階には三人の男がいた。そこは主に屋上の見張りが休憩室として使用していた。他愛

のない世間話、誇張を含んだ武勇伝等を交わしつつ夕食を摂っていた三人は、接近しつつ

あるヘリの爆音がにも、特に興味は惹かれなかった。文明社会に暮らす大人ならば、至極

当然の事ではあったろう。しかし、僅か一時とはいえそれが頭上に留まったとすればどう

であろうか?

「ったく、やかましい!」

コンビニのポテトサラダを平らげようとしていた中年の男が、天井を見上げ唸るように呟

いた。容器を持つ左手の小指、その第一関節から先が欠けている。

「ほんと、何やってるんすかねぇ」

カップラーメンを啜りつつ、他人事よろしく暢気な声で茶髪の若者が応じる。その隣に座

った小太りの若者が、鶏の唐揚げを頬張りつつ無言で頷く。どうやら自分達を殲滅する為

の戦闘集団を降下させている、などという発想は微塵も湧いてはこない様子である。が、

それも止むを得まい。もし侵入者があれば見張りが大声をあげるなり発砲するなりして異

変を知らせる筈だと、彼等は信じ込んでいるからである。しかし爆音が遠ざかると、今度

こそそんな彼等の注意を惹く音が聞こえてきたのであった。階段室の扉の蝶番が激しく軋

む音であった。

「何だ、まだ交代じゃねぇぞ?」

食事の手を止め、中年男が呟く。腕時計を見遣るが、やはりまだ早い。

「トイレじゃないすか?外は冷えるし」

「ついさっき下りてきたばっかりだぞ?」

「保科じゃなくて、杉本の方じゃないですかねぇ?」

暢気な会話と共に食事を続けていた三人であったが、オフィスの出入口に何気なく視線を

遣った小太りの男が、ドアノブがゆっくり回転しているのに気付いた。

「どうした、何してる?」

「あ?」

箸を止め、小太りの男の視線を追い首を巡らす中年男。手は止めず、茶髪の男も視線を向

ける。

 扉が大きく開け放たれるや、チームガンマの面々が発砲する。三挺のサブマシンガンよ

り放たれた三発の九ミリ弾が三人の頭蓋骨を穿ち脳に致命傷を負わせる。高音域の目立つ、

小さく抑えられた銃声はすぐに消え、ビール瓶ケースとベニヤ板で設えられた食卓が、降

り注ぐ鮮血で深紅に染まる。そこへ中年男の上体が落ち、緑茶の半分近く残ったペットボ

トルが跳ねて倒れる。キャップの外れた注ぎ口から流れ出す緑茶が、床に広がってゆく血

溜まりを薄める。

 チームガンマは次の行動に移った。階段と正対するトイレ(男女)、その奥の給湯室、

狭い倉庫、更には非常階段を、分担して探索する。が、除去すべき人影は見当たらない。

非常階段に姿を現した一人が小さく手を振ると、物干し台からも小さく手を振り返してく

る。この階で押収した武器は、食卓の上に置かれた三丁のトカレフのみであった。廊下に

四人は集結した。

「ガンマ、フォース」

無線機を通じ、四階を制圧した旨をリーダーが簡潔に他チームへ報告する。

『アルファ一オーバー。サード』

斧堂より三階を制圧せよ、との指示が下る。

「ガンマ、オーバー」

リーダーが一つ頷くと、チームガンマは足音を忍ばせつつ階段へと進んだのであった.。


 一階は地下駐車場の斜路がある関係上、床面積は他の階より狭い。従ってそこにオフィ

スはなく、二つ並んだ共有のミーティングルームと管理人室がある程度に過ぎない。

 裏口に近いミーティングルームで、二人の男が即席の机を挟み談笑していた。指に挟ん

だ煙草より上がる紫煙が、八人も入れば一杯の室内の空気に拡散してゆく。

「だからな、言ってやったのよ。『百万くらいでがたつくんじゃねぇ。何で真っ先に俺ん

とこへ話を持ってこなかったんだ?』ってな。ったく、最近の族上がりは肝が据わってね

ぇ」

恰幅の良い、鼈甲縁の眼鏡を掛けた中年男が、一口吸うと灰皿に灰を落とす。

「そりゃ、お前んとこへ持っていったら、余計ややこしくなるからだろうよ」

揶揄する様な調子で返したのは、中肉中背の、骨張った顔をした同年代と思しき男であっ

た。煙草を手挟んだ右手の甲には、斜めに刃物による傷が走っている。

「ああ?しかし、ま、そりゃそうかもな」

笑い声が上がる。それが、不意に途切れた。小さくともはっきりと、ガラスの割れる音が

裏口より聞こえたのである。

「何だ?」

開放された扉から半身を乗り出し、眼鏡の男は裏口の方を見遣る。管理人室のために見通

す事は叶わない。耳を峙てるが、人の気配は感じ取れない。

「山下の野郎、寝ぼけてドアに頭でもぶつけたんじゃないか?」

「そうかな?それなら…」

眼鏡の男は得心がゆかない様子で首を捻る。舟を漕ぎ頭をぶつけたならば、それらしい苦

鳴やぼやき、物音などしそうなものである。

「何かありゃあ、声を上げるなりなんなりするだろう?」

「そりゃ、そうだが…おい、何かあったのか?」

呼びかけにも返答はない。暫く返答を待つうち、ヘリのものと思しき爆音が近付いてくる。

騒々しさが頂点に達した、と、不意に騒音が大きくなった。裏口が開かれたのであろう。

「おい、何かあったのか。何をしてる。答えろや!」

怒気をはらんだ問いかけにも返答がない。再び閉じられたのであろう、音は少し小さくな

った。知らず、舌打ちが漏れる。

「何やってんだ、あいつは?」

「打ち所でも悪くて、気絶でもしてるんじゃあねぇか?」

「開けたみたいだがな?」

「退屈なんで逃げちまったか?」

「そうならただじゃおかねぇ」

笑い声をたてる相手に渋い顔をし、億劫げに眼鏡の男は立ち上がった。裏口へと歩いてゆ

く。

「おい、気絶してるのか?」

気絶していれば、もちろん返答はない筈である。が、男は冗談を言っているつもりはない。

ただ単に直感的なのである。管理人室の横を、裏口へと曲がる。腰掛けた若者は、項垂れ

て一見眠っている様に見えた。

「ったく、やっぱ寝てやがったか!!」

故意に足音高く歩み寄る。そして扉のガラスに穿たれた弾痕に気付いたのであった。

「!おい!」

若者の肩に手を掛けた刹那、扉の向こう、横手より躍り出た人影の構えたカービン銃(M

四ーA一にサウンドサプレッサを組み込んだアサルトライフルである)より放たれた二二

三口径ライフルフルメタルジャケット一発が、裏口のガラスに新たな弾痕を付け、

男のその脂ののった胸板を貫き心臓に風穴を穿つ。

「かあっ」

言葉にならない声を漏らし仰向けに倒れる。その奇声と物音に会議室より顔を出した男の

目に、床に横たわる相方の頭部が見えた。それを、広がる血溜まりが濡らしてゆく。

「!」

声を上げかけ男は口を押さえた。何者か、自分達に殺意を抱く者達が建物内に侵入してき

たのである。押し殺してはいるが、扉が開かれ、複数の足音が接近してくるのが聞き取れ

る。ただ彼にとって幸いであったのは、こういった状況でパニックに陥らぬ程度には彼自

身それなりの修羅場を経験してきていたという事であった。腰からリボルバーピストルを

抜き、跳ね上がった心臓の鼓動を落ち着かせるべく深呼吸を数度。それでひとまず納まる。

リセットされた思考回路が機能を取り戻す。銃声は微かであった。恐らくは特殊な銃を使

用しているのであろうが、いずれ徒者ではあるまい。瞬時に状況を判断し妥当な行動に移

る。二階への撤退。そこには侵入者を撃退するに足る人数の仲間がいる筈であった。


 三階の制圧は迅速に完了した。そこは仮眠室であった。パイプ椅子を列ねた即席ベッド

の上、二人の男が毛布にくるまれていた。チームガンマの侵入にも気付く気配がない。敵

が枕元に立っているなどとは、文字通り夢にも思っていないであろう。哀れ、毛布を顔に

押し付けられた男達は、その上から九ミリのフルメタルジャケット弾を撃ち込まれ一巻の

終わりであった。毛布を真紅に染め床に滴り落ちる血は、それの支えてきた生命の霧散を

意味していた。

 四階と同様手早く探索を済ませ、斧堂への報告のあと二階制圧のため階段へ足を向けた、

その時であった。

「!」

緊張が走る。俄に階下で起こった喧噪が、階段を通して聞こえてきたのであった。幾つも

の足音が階段へと殺到する。バディごと左右に分かれ、壁に凭れる様に前は膝射、後ろは

立射の体勢を取る。ホロサイトは二階より上がってくる筈の人影を捉えるべく階段をポイ

ントする。固唾を呑む数瞬ののち、彼等はトリガから指を外したのであった。知らず、嘆

息が漏れる。階下の足音は、全て一階へと下っていったのである。階下から聞こえてくる

何らかの噴射音、そして銃声。どうやら、チームベータは本格的な戦闘状態に入った様で

あった。


 「若頭!」

息も荒く男が室内に飛び込んでくる。そこに居合わせた者全ての視線が集中する。

「どうした?」

黒石の問い掛けに、男は息を整えつつ答える。

「かち込みだ…飯綱がやられた、山下も恐らく…」

「あ?銃声一つ聞こえやしなかったぞ!!」

「だが間違いねぇ。よく判らねぇがサイレンサーか何か使ったんだ。とにかく、一階で生

き残ったのは俺だけだ」

「馬鹿な!」

資格不要の無線機を取り出し、見張りを呼び出す。どれからも応答はない。

「!くそ!相手を舐めすぎたか!どこぞの組の仕事じゃあねぇ!」

手荒に無線機を仕舞いつつ歯噛みする黒石。同業者が競合相手と考えていた彼は、仕掛け

てくる時は騒々しいものと思い込んでいたのである。それが全く気付かぬうちに間近に迫

られていようとは、明らかに想定外の相手であろう。

「若頭、どうするね?」

その声を合図に、組員達の視線が黒石に集中する。今こそ指揮官たる黒石の決断が求めら

れているのである。どうするべきか?今にして思えば、あのヘリの爆音も明らかにビル上

空で一時滞空していた。あれは『敵』の勢力を降下させていたのではなかったか?しかし、

それならばなぜ屋上の見張りは発砲なり連絡なりをしなかったのか?…否、今は詮索に費

やすべき時はない。事態は一刻を争うのである。

「…駐車場へ逃げ込むぞ!」

室内を見回し一階の侵入者の足止めに有用なアイテムを探す。その目が隅に置かれた消火

器に止まる。

「おい、あれ持ってけ!目潰しくらいには使えるだろ!」

近場にいた者に指示する。

「お前ら、先に下りてろ!」

その一言に、黒石と吉川を残し組員達はオフィスを飛び出すや階段へと殺到する。黒石は

上着のポケットから取り出した鍵束の中から手錠の鍵を選び出した。吉川の背後へ回り込

む。

「あんたにも付き合って貰うぜ。地獄の果てまでよ」

「冗談じゃないわ!」

「ここまで来て、つれない事言ってんじゃねぇぞ?」

手、足と解放してゆく。

「痛い、離してよ!」

後ろ手のまま再び吉川に手錠を掛け、抗議の声にも耳を貸さず右腕を引きオフィスを出て

行く。


 チームベータは一階のクリアを完了後、裏口付近の目立つ死体を管理人室に運び込んだ。

斧堂への報告ののち二階に攻め上がるべく銃器を構えつつ階段へと歩み寄る。と、けたた

ましい足音が階段を駆け下りてくる。リーダーの合図で二人ずつ別々のミーティングルー

ムに飛び込む。扉の陰で膝射、立射姿勢をとり階段をポイントした。先頭をきる者の爪先

が見えて来るやトリガに指がかけられ、下半身が視界に入るや標的を見極めトリガが引き

絞られようとした、その時であった。標的の手にした消火器の噴射口が突き出され、ハロ

ン剤が噴き出したのは。

「!」

一時的にせよ視界を攪乱され銃撃の契機を失った彼等の前を、一塊の足音が地響きをたて

地下駐車場へ駆け下ってゆく。中には発砲してくる者もある。しかし、いつまで手を拱い

ている”戦闘用員”達ではない。消火剤の舞うなか見込みで射撃を開始する。断末魔の呻

きと共に消火剤を掻き乱しつつ男が倒れた。手を離れた消火器が耳障りな音をたて床に転

がる。消火剤の煙幕は薄れ、もはや地下駐車場への脱出は不可能となる。しかし、井竹達

二階にいた者の殆どは虎口をかわし、脱出に成功したのであった。そう、最後の一組を除

いては。

 嫌がる吉川を苦労して連れ回しつつ踊り場まで辿り着いた黒石であったが、侵入者の銃

撃により消火器を構えていた組員が血塗れとなって倒れ伏すのを目にするや地下駐車場へ

下りる事を即座に断念、吉川を引きずる様に急ぎ二階へ引き返す。吉川を盾に階段を下る、

という手段も脳裡を掠めたのであるが、人質の有効性を認める相手か否かも判然としない

現状では無謀と言うほか無く、後退は止むを得なかったであろう。脱出経路として非常階

段という選択肢も有り得たが、残念ながら一旦出れば殆ど姿を隠す場所がない。用意周到

な侵入者達が見張っていないとは考え難い。吉川を盾にしたところで、もたつく事になっ

ては無意味である。第一に、市街を脱出、地元へ戻る為には車が必要となるであろう。吉

川を途中解放するにせよ。ならば、最善の選択肢は何か?逡巡を許された時間は僅かであ

る。黒石が考えついたのは、一時的に姿を隠す事であった。そうして侵入者をやり過ごし、

頃合いをみて斜路に停めてある車で脱出を計る。恐らくは敵もこの場に長く留まる訳には

ゆかないであろう。となれば、さほど待つ必要もあるまい。幸い、彼は全ての車のキーを

管理しているのであった。

「いいか、今から暫く倉庫に隠れる。うまく連中をやり過ごしてから脱出するぞ」

吉川の耳元で囁く。

「脱出するなら一人でどうぞ!」

「つれねぇ事言うな、って言っただろ?何なら今すぐこいつでおさらばしても良いんだぜ

?」

腰の三十八口径リボルバー(仕上げは良いが、メーカー不明のS&W M一0のデッドコ

ピーである)を抜き、吉川のこめかみに銃口を押し当てる。吉川は息を呑み、体を固くし

た。

「それとも何か、連中はあんたを助けに来たってのか?心当りでもあんのか?」

「…そんなもの、ある筈ないでしょ」

正直に答える。他に返答を思いつかなかったのである。

「そうかい?なら、連中にとっちゃあんたも俺も、さして変わりがねぇ、って事だ。つま

り、俺が殺られるときゃあ、あんたも同じ運命、って事だよな?」

「…」

吉川の体から力が抜ける。黒石の言葉に納得してしまったのである。彼女にとって、正し

く前門の虎、後門の狼状態。絶望感がわき上がってくる。しかし、彼女の心は完全には折

れていなかった。深い悲嘆を知りつつ今もこうしてある彼女の心は、強い。

 二人は階段脇の倉庫の前に立った。ドアノブを回すが動かない。鍵が掛けられていた。

「ちっ」

銃を腰に戻し鍵束を取り出す。鍵を探しつつ、倉庫内のゴミ袋の山を思い出し辟易する。

「くそ、ゴミと同居かよ」

鍵をとり鍵穴に差し込もうとする、その手が止まった。階段を下りてくる、小さく緩慢な

足音が複数聞こえてきたのである。いま扉の開閉音をさせては、自分達の居場所を教える

様なものであろう。逡巡する間が彼に隙を作らせた。

「っ!」

それまで大人しくしていた吉川が牙を剥いたのであった。口を押さえていた掌を噛まれ、

思わず拘束が弛む。黒石を突き飛ばし非常階段へ逃れようと試みる吉川。

「おい、待てっ」

知らず声を上げ、辛うじて吉川の左腕を掴み再び捉える黒石。声に反応してか、もはや隠

密行動をかなぐり捨て足音が駈け下りてくる。咄嗟に黒石は吉川の左腕を捻り上げ、苦鳴

を上げるのも構わず彼女を押しやる様にしてオフィスへ踏み込んだ。窓へ向け抜いた銃を

向けた。ここは二階で下には車がある。窓を割り飛び降りれば、自分一人でも脱出が可能

であろう。

「動くな」

吉川を盾に振り返れば、四丁の銃が黒石に向けられていたのであった。目出し帽から唯一

露出している双眸が、眼光鋭く黒石を見据えている。

「武器を捨てろ」

落ち着き払った警告の声。

「ふざけんな!」

黒石はこれ見よがしに吉川のこめかみに銃口を押し当てた。撃ってはこない。どうやら人

質としての価値は有る様だと内心安堵の息を漏らす。と、階下からのくぐもった銃声の連

打が居合わせた者達の耳朶を打つ。それが地下駐車場における攻防戦開始の合図であった。


 チームアルファがシャッターの処理に手間取る間に、組員達は地下駐車場に達していた。

開口なった時には左右に並ぶ車を遮蔽物として迎撃態勢を整えた組員達からの一斉射を受

けた。突入する側にとってはろくな遮蔽物もなく、苛烈な銃撃の前に飛び込むのは困難で

あった。

「アルファ二よりアルファ一、スタングレネード使用許可を!」

突入口より散発的な反撃を試みつつ、突入班員が無線で斧堂へ要請する、が。

『不要です。私が突入します。アルファ二、交代を』

「り、了解」

交信していた突入班員は、指示に従うべく姿勢を低くトラックへと走り出す。トラックの

助手席から、身を隠しつつ正面玄関をピストルでポイントしていた斧堂は体を起こした。

道路へ降り荷台に向かう。ピストルをレッグホルスターに納め荷台に上がると、間もなく

馴染みのMTBを手に降りる。MTBに跨るやヒップホルスターより愛用のM一九一〇を

抜き、手短に指示をとばしペダルを漕ぎ出す。銃を親指と人差し指で挟みハンドルを三本

指で握る。

 地下駐車場には二台の車が一列に並び、その向こうでボンネット、トランク上に射撃体

勢をとっていた井竹達は、軽口を叩くほど余裕に満ちていた。

「亀みてぇに首引っ込めたままだぜ、奴らめ!」

「はは、俺達がその気になりゃあ、こんなもんさ」

高田も付き合う。珍しく息の合う二人であった。二人はシャッターからみて右側に陣取っ

ていた。

「ここで踏ん張ってりゃ、連中も諦めるしかねぇだろうな」

そのやり口からして敵が警察関係とは思われない。ならば誰かが騒ぎに気付き通報する事

も有り得よう。いかな相手も警察官相手に銃撃戦を挑むほど無謀でもあるまい。となれば、

撤退するよりない、筈である。官憲に救われるのははなはだ不本意ではあるが、迅速な行

動如何で捕縛は逃れ得るであろう。その様な楽観的展望も頭を擡げてくる。自分達が挟撃

に遭っているというのに、である。彼等の背後より聞こえてくる金属の軋轢音は、チーム

ベータが扉の突破を試みているその証左であった。

 反撃が止んだ。突入口周辺から、人の気配が遠ざかる。

「止めろ、止めろ!」

一番の年輩者である、一階にいた男が声を張り上げると井竹達は銃撃を止めた。

「諦めたのか?」

高田が一人ごちる。が、その様な筈は無いのであった。直後、何か棒状のものが、白煙を

引きつつ投げ込まれたのである。

「発破?!」

誰かが叫んだ一言が雷鳴の如く地下駐車場内に反響する。弾かれた様に、井竹達は車の陰

へ隠れた。それは重大な錯誤であった。それは爆弾などでなく、ただの発煙筒であった。

しかし、爆発音のしない事に気付き再び頭を上げた時には、勝機は遠くに去っていたので

あった。彼等は目にした、MTBを操り、白煙を突き抜け飛び込んできた斧堂の姿を。

「畜生!」

疎らに銃撃が再開される、が、弾丸は斧堂を傷つけるには至らなかった。慌てており照準

も定まらず、またスイッチ操作一つでトップチューブに設置された防弾板が佇立し、ウィ

リー状態にMTBを保持している斧堂の上半身をほぼカバーしていたのであった。そのま

ま、まずは顔見知りである井竹達へとM一九一〇を発砲する。二発の三八〇ACPのフル

メタルジャケット弾が彼等の頭蓋を穿った。即座にスイッチを操作しリアのマッドガード

に設置された防弾板を佇立させる。フロントタイヤの着地とほぼ同時にフロントブレーキ

を鋭く引き、体重を心持ちフロントに掛けつつハンドルを右に切る。後輪が横滑りし出す

ところでペダルを上方に持ち上げる様にすれば、ドリフト状態のままジャックナイフを始

める。いわゆるGターンの要領で背中を残る左側二人に晒しつつ振り向き、M一九一〇を

構える。防弾板の陰から標的が姿を現すや、二度、トリガを引き絞る。発射された弾丸は

また、その目的を全うしたのであった。壁に左足をつき車体を停めるとリアタイヤが着地

する。続いて鉄扉が開放される。

「アルファ、ビー、ファースト」

斧堂の抑揚のない声が、全”戦闘用員”の耳に届く。地下駐車場クリア完了。それを彼は

四発の弾丸で達成したのであった。


 四面楚歌、とは正しくこの事であろう。吉川を盾にしつつ、黒石はその言葉の意味を実

感していたのであった。

「畜生、来るんじゃねぇ!」

彼の眼前には突入班員の大半が集結いしていた。全員のサイトが、黒石の頭部を小揺るぎ

もせずポイントしている。

「今すぐ、俺の目の前から消え失せろ!さもねぇと、このガキとるぞ!」

リボルバーの銃口をより強く、吉川のこめかみに突き付ける。苦痛に表情を歪めつつも、

吉川は震える事もなく、しっかりと両脚で立ち、声一つあげない。

「…失礼ながら、あなたは状況を理解していらっしゃいますか?」

居並ぶ突入班員達の中央で、M一九一〇を構えている斧堂が声を発した。吉川がはっ、と

なる。全員が目出し帽装着のため、声を聞くまでそれが斧堂と気付かなかったのであった。

「我々の銃は、全て射撃可能になっています。ほんの僅か、あなたがその人差し指を動か

しただけで、ご両親でも見分けのつかないほどあなたの頭部は粉砕されるでしょう」

「…」

「ダブルアクション状態のその銃で我々を出し抜ける自信がお有りなら止めはしませんが

ダブルアクション(DA)とは、シングルアクション(SA)と対を成す言葉である。S

Aが一発毎に親指等でハンマを引き起こしトリガを引くのに対し、DAはトリガを引き絞

るだけでハンマが起き、落ちる。DAの場合、ハンマを落とすためのバネの力に抗いトリ

ガを引き絞る必要がありトリガは重くなる。リボルバーの場合にはシリンダを回転させる

ための力も加算される。またDAはSAに比べトリガを引く動作が大きくなる。軽く小さ

くトリガを引くのみの突入班員を出し抜くのは困難であろう。斧堂は一歩、踏み出した。

「く、来るんじゃねぇ」

呻く様に声を絞り出し黒石が一歩下がる。一度退いてしまえばもはや踏み止まる事は不可

能であった。一歩踏み出されては一歩退く。その繰り返しのすえ窓際に追い詰められる。

「詰み、です」

まるで魔法の呪文の如く、そう呟くや黒石の右肩が爆ぜ、鮮血に染まる。

「ぐぁ!」

窓ガラスには弾痕が穿たれていた。商家の二階に陣取る情報収集班員の仕事であった。同

じ二階でも高さに違いがあるため、狙撃には窓辺に追い詰める必要があった。黒石が銃を

取り落とすや突入班員が一斉に躍りかかる。吉川を引き離すと血を流し続けるのを羽交い

締めにし、床の銃を回収する。作戦は十分余りで終了したのであった。

「誰か止血を」

斧堂の指示で黒石の背広が脱がされ、Yシャツの右袖が切り取られる。それが止血帯とし

て黒石の肩を締め付ける。銃創には、手近にあった洋酒で消毒がなされた。

「くそ、くそ!離しやがれ!てめぇら許さねぇぞ!!」

苦痛に表情を歪めつつも黒石は抵抗して見せた。それに対し突入班員の一人が即効性の処

置を施す。腹部にサブマシンガンのストックをめり込ませたのであった。ガマ蛙の鳴き声

の如き苦鳴を上げ脱力する黒石。床に俯せに押さえ込まれる。その上着を探っていた一人

がポケットから取り出した鍵束を投げ渡された斧堂は、黒石の血を浴びたまま立ち尽くす

吉川に向き直った。背後に回り込み両手から手錠を外すと、その手錠を突入班員に投げ返

す。それで、黒石は後ろ手に拘束された。

「大丈夫ですか?怪我は?」

ハンカチを取り出し彼女に差し出す。それを受け取ろうともせず、ただ、吉川は目出し帽

に隠された斧堂の顔を呆然と見詰めるばかりである。

「どこか、痛むところは?」

受け取ろうとしない吉川に焦れた訳でもないであろうが、斧堂はハンカチで吉川の右の頬

を拭う。と、吉川は斧堂の手を押し止めハンカチを取ったのであった。斧堂は腕時計を見

やりスマートフォンを取り出すといずこかへ掛けた。ごく短いやりとりのあと、仕舞いつ

つ小さく首を振る。

「あちらは失敗した模様です」

「…失敗?」

仲間に向けた言葉を黒石が聞きとがめる。

「そうです。五条さんは死亡しました。あなた方の別働隊は全滅です」

「くそっ!」

立ち上がらされ引き立てられてゆく黒石は奥歯が砕けんばかりに口惜しい表情をしていた。

「作戦終了、撤収」

無線機で指示すると腕時計を一瞥し、防弾ヘルメットを脱ぐ。続いてゴーグル、目出し帽、

と外したものをヘルメットの中に入れる。姿を現した斧堂の顔を吉川はまじまじと見詰め

た。その表情は、吉川の知るいつものそれと何ら変わらない。

「何で…何で、あなたがここにいるの?何でよ?」

ようやくそれだけを口にし、膝から崩れる吉川。緊張の糸が切れたのであろう、斧堂の足

に縋りつつ啜り上げ始めた彼女の震えが、斧堂にも伝わってくる。

「こうするために、私はこの街に来ました」

片膝を付き、斧堂は彼女を正面から見据えた。その、平静と変わらぬ表情からつい先程ま

で平然と殺人のための道具を操っていた者の殺伐さは感じ取れない。

「問題がなければ立って下さい。長居は無用です」

脱力した吉川に肩を貸しつつ立ち上がると、斧堂達はそろそろと階段へ向かったのであっ

た。


 長く伸ばされた太く逞しい腕は、獲物を捕らえるその一歩手前で下腕部中程から斬り落

とされたのであった。噴き出した血は地面を真紅に染め、斬り落とされた腕は間もなく身

体との接合も不可能となり、腐敗してゆくことであろう。それは昔語りにある様な、鬼が

奪還を試みる様なものではない。それはあくまで人のものに過ぎないのである。そして間

もなく、腕を失った体もまた同様な運命を辿る事となる。


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