第二話 ~妄想少女、異世界へ旅立つ ☆彡
こっちもエタってないでいい加減進めないと……(汗)
紗耶香は携帯を開いた。
レトロなガラケーだ。
タブレットとセットで使っている。
彼女の父親は言い出したら聞かない人で何か気に入ったのか、
家族にも自分と同じようにする事を強要したのだ。
正直、友達から少し浮いている。
親しい友達は複雑な家庭環境を理解してくれてはいるが、
それでも恥ずかしいという思いもあって彼女はなかなか携帯を開かなくなっていた。
それに、もう一つ。
彼女が携帯を開けない理由が増えた。
理由は、ブラウザの”お気に入り”にある。
”彼”を追いかけて衝動的に登録してしまった、
……「スペル・マスター」というゲームだ。
このゲーム、普通のゲームではなかった。
十六年間、厳格な父親の下で育った彼女には見たことも無いいかがわしい言葉が乱舞する世界。とても同級生の友達には見せられたものではない。
”ようこそ。世界で一番美しい、詩とスペルを紡ぎあう異世界へ”
というキャッチフレーズは、一体何だったのか。
でも、怖いもの見たさでつい見てしまう。それに、彼女の追いかける”彼”がソコにいるとあっては、ブックマークを消すわけにもいかず。 半年前にサービス終了になったのだが、奇しくもその日から彼も失踪してしまったのだが…それからも1日に1度、朝のこの時間に、彼の残滓を求めて携帯を開き、アクセスしてしまう。
そういうわけで開いたブラウザだが。
「あら…?」
今日はいつもと違う姿を見せた。
”貴女の求める世界を開きたいのであれば、魂からのスペルをここに…”
真っ黒な画面にシンプルな白で記された案内文とテキスト入力ボックスが表示されたのだ。
百文字くらい入りそうか。
ただ、見るからに怪しげだ。インターネットは恐ろしいから、迂闊な事をしてトラブルに巻き込まれたら……そう思うと動きかけた細く小さな指が止まった。
逡巡する思考を落ち着かせるために目を閉じた。
何かあれば心配をかけるであろう両親、そして今日珍しい三浪の浪人生で、最近は家に引き篭りがちな年の離れた兄、そんな家族の顔が次々に瞼の裏に浮かぶ。
が、数秒間浮かんだソレが突如滲んで暗闇に溶けると、代わりに今度は鮮明なイメージが出現した。
―教室、その中でつまらなさそうにしているソナタの姿が。
イメージの中で、彼はやはり携帯をいじっていた。少し癖のある髪と幼さの残る頬。長い睫毛をだるそうに開いて、目線はスマホの画面の中を注視している。せわしなく動く指は白く細長くて少女のようでもあり、同時に少年のようでもあった。
「っ!?」
その光景に、胸の奥から鋭い痛みが若干の甘美さを伴い湧き上がる。耐えきれず、自然とまぶたが開いた。衝動に突き動かされ、書く事を決めた彼女。
―だけど、何を?
頭は真っ白で、心臓は早鐘の様に煩くて。言葉が浮かばない。
(……っ!そうだ!)
と、その時。彼女の中に突如閃きが訪れた。
文字数があって。考えずに。只管入力出来るソース。丁度都合の良いものが、彼女にはあったのだ。
それは、
“一月一日 晴れ 今日は友達の華連と初詣に……”
日記だった。
几帳面に毎日つけている彼女であるから、元には困らない。
但し、
“……友達と別れた後、いつもの通りにソナタ君の家の裏手を通って帰る途中、青いリストバンドが落ちていた。以前、彼が体育の授業で一度だけつけていたのと同じメーカーだ。もしかして!と思い匂いを確認したが、間違いない。洗濯物から落ちた様で洗剤とお日様の匂いがするが、その奥に微かに感じるこのスメルは……ふふふ、神様から思いもかけないお年玉を頂いてしまった。これは至急家に戻り真空パックで保護しなくてはいけないわね!……分かってる。世間ではこういう行為はストーk、だけど、私のこれは!これは違うの!何がとは言えないんだけどもっと神聖な……”
何も違いなどありはしない。純度100%、完全無欠のストーカーによる犯罪告白日記はその指によって高速に動き打ち込まれていく。
入力エリアは100文字くらい?
けれど、長年蓄積したストーk……、思春期の彼女の情熱的過ぎる想いはそんな文字数には収まらなかった。
“……十二月三十一日 雪 今日ゲットしたアレ……うふふ、幸せだ。私は世界一の幸福者だ”
最後に、果たして何をゲットしたというのか…。それは定かではないが不審すぎるその足跡は実に10万文字に及び、それを彼女はそのままの勢いで決定ボタンを押して画面にねじ込んだ。
そして、アンテナのマークを凝視し、応答を待つ。
1秒…2秒…5秒…。
一般にインターネットを利用する際、応答時間が5秒を超えると待ちきれないユーザが多くなるのだというが、半年、否、初めて「ソナタ君」を見てから4年間を待ち続けた彼女は、その情念をもって画面を見つめ続ける。
10秒…20秒…30秒…
「……」
言葉一つも無く、やがてその桜色の携帯を持つ左手の指先に汗が滲む。
すると。
「………っ!」
ようやく通信中の表示が終わり、画面が切り替わり始めた。
左上端から、徐々に、徐々に。
白が点から線、線から三角、そして円に滲み…とうとう、一面が真っ白になった。
かと思ったら。今度は突如ガラケーの画面が、発するはずのない眩い光を発した。
「………!?」
そして、風が巻き起こり、黒絹の髪が巻き上がり、携帯から溢れだした白い光が世界を包みこんだ。
「あ……」
あまりの非現実に叫ぼうとした彼女であったが、いつもの通りに心の命ずるまま声をあげることも出来ず、遠慮がちな一音を残して消えた。
教室から。
否、この世界から。