中編:たいようはおとこにゆるしをあたえる
※後編といいつつ中編になってしまいすみません。なぜ中編になってしまったのか書いた本人もよくわかっていません
「お姉ちゃん!」
意識不明で入院していたお姉ちゃんが目を覚ましたと聞き、あたしは小学校を早退して病院へと駆けつけた。途中で看護師さんに廊下を走っていることを注意されたけれど、ごめんなさいと言いながらそれでも足は止まらなかった。
個室のドアをノックもせずに勢いよくあけると、ベッドの上に横たわるお姉ちゃんの姿が飛び込んでくる。――お母さん似の、その大きな瞳はちゃんと開いている。
「、陽乃」
血色の悪い唇で、お姉ちゃんはあたしの名前を確かに呼んだ。
身体の力が抜けて、あたしはその場にへなへなとしりもちをついた。
「え、陽乃!?どうしたの!?」
驚いてお姉ちゃんが声を上げるけど、それに応える余裕はもうなかった。
視界がぐしゃぐしゃになって、ほっぺたの上をぼろぼろと涙が転がり落ちる。
「よかった…!ほんとに、よかった…!」
嗚咽交じりのその言葉をお姉ちゃんがちゃんと聞き取れたのかは分からないけれど、あたしが安心して泣き始めたのだということは伝わったらしい。
「心配かけてごめんね、陽乃」
柔らかな声に顔を上げ、首を振る。お姉ちゃんのせいではない。悪いのは、――お姉ちゃんを襲った通り魔だ。
まだ捕まっていないそいつのことを思うと、怒りがわいてくる。そのおかげというか、涙はようやく止まり始めたけれど。
「よかったね、陽乃ちゃん」
看護師さんに声をかけられて、やっとあたしはこの部屋にいるのがお姉ちゃんとあたしだけじゃないということに思い当たった。あんなにわあわあ泣いたのは低学年の頃以来だ。あたしもう六年生なのに。恥ずかしい。
あわてて立ち上がると、看護師さんがベッド横の椅子に優しい手つきで座らせてくれた。
「よかった、お姉ちゃん」
しっかりとした声でもう一度言うと、お姉ちゃんは嬉しそうにお礼を言った。
「でも、私が意識を失ってから、一週間もたってたなんて驚いたわ。学校どうなってるのかしら…授業取り戻さないといけないわね」
「いきなりそれ!?っていうか、お姉ちゃん頭いいんだから大丈夫でしょ!!…じゃなくて、お姉ちゃんはそれよりも何よりも元気になったら英にぃに会いに行かなきゃいけないでしょ!?」
真っ先に勉強のことが出てくるのはいかにも真面目なお姉ちゃんらしくて少し安心したけど、これだけは譲れない。英にぃはまだ重傷で病室から出られないし面会謝絶中だけど意識はあるらしいし。きっとお姉ちゃんが出歩けるようになる頃には少しは良くなってるはずだし、あんなにお姉ちゃんが大好きだったんだからお姉ちゃんの顔を見たほうが早く傷が治りそうな気さえする。
「…ひで、にぃ……?」
いぶかしげなお姉ちゃんの返事に、私はうんうんと頷く。
「そうだよ!同じ病院にいるんだよ。きっとお姉ちゃんが出歩ける頃には英にぃの具合も今より良くなって…」
「陽乃、私の入院中にお友達でもつくったの?」
お姉ちゃんの言葉に私はぽかんと口をあけた。
「…今、なんて言ったの?」
「あら、いいのよ。お友達は色んなところでたくさん作るべきなんだから。…でも、怪しい大人の人とかはだめよ?陽乃はまだ小学生なんだから」
「違う、そうじゃなくて、…英にぃのこと、」
「どんな人なの?」
今度こそ絶句してしまった。
傍らで立って話を聞いていた看護師さんも少し青ざめた顔だ。
なんて悲劇だ。
英にぃ――瀧口英彦はお姉ちゃんの彼氏で、そしてお姉ちゃんをその身を挺して通り魔から守った男の人だ。
彼はこの大病院の院長の一人息子でもあり、そのおかげでお姉ちゃんは普通なら考えられないほど手厚い治療を受けることができて一命を取り留めたのだ。
何度も会ったことがあるけど、とても優しくてかっこいい人で、何よりお姉ちゃんにべったりだった。お姉ちゃんも、それほど表には出していなくても英にぃのことが大好きだったはずだ。
その英にぃを、忘れてしまうなんて。
「…陽乃…?」
不思議そうに首をかしげるお姉ちゃんに、言葉に詰まって何も言えない。
どうしよう、言って、良いのかな、
――そのときだった。
「月子!!」
お父さんとお母さんが勢いよく病室に飛び込んできた。
お父さんはメガネがずれているのも気にしない様子でお姉ちゃんに意識があるのを見るなり駆け寄ってその手を握り、大きな声を上げて泣き出した。
初めて見るそんな姿に呆然としていると、その声にお母さんのすすり泣きが加わった。ドアのほうを見ると、お母さんが腰を抜かして座り込み、泣いている。まさしくさっきのあたしだ。血は争えない。
そのあと、泣き止んだお父さんとお母さんがお姉ちゃんと少し言葉を交わしてあたしたち三人は病室を追い出された。怪我人の部屋に長居は良くない。
代わりの看護師さんと入れ違いに、さっきの看護師さんが興奮冷めやらぬあたしたちのもとにやってきた。
「看護師さん、あの、英彦さんのことなんだけど、お姉ちゃんもしかして…」
英にぃでも伝わるかもしれないけどちゃんと名前を出して問いかけると、看護師さんは深刻そうにうなずいた。
お父さんとお母さんにもお姉ちゃんとのやり取りを説明して、どうやらお姉ちゃんが英にぃのことを覚えていないということを知らせると、喜んでいた様子から一変して、口元を覆って「何てことだ」と呟いた。
とにかく英にぃのお父さんである院長先生と話し合うことになった。
あたしは別の部屋で待たされたので、実際に何が話されたのかはよく分からない。だけどとにかく、お姉ちゃんの記憶は戻らないかもしれないこと、英にぃは命に別状はないけれどまだ動けないからどちらにせよしばらくお互いが会うこともないため、二人を会せるかどうかはもうしばらくしてから決めるということは取り決められたらしい。
あたしはそれを聞いた時、なんだか嫌な予感がした。そして見事に、小学六年生の“オンナのカン”とやらは当たってしまった。
英にぃは、面会が許可されても、病院内の出歩きが許可されてもお姉ちゃんに会うことはせず、三か月の後、まだ完治していない状態で留学のために日本を出ていくと言い出した。
お姉ちゃんはあと数週間ほどで退院できるけれど、まだ英にぃを思い出さず、周りも英にぃの存在を話していない。
このままじゃ、だめだよ。
そう思った。だから、あたしは決めた。
************
「で、スパイ映画よろしく俺の個室に潜り込んできたってわけだ」
かなり広い個室のベッドの上で英にぃがため息をついた。
夜の病院、かなり怖かったけど、消火設備の一つに体を潜り込ませて、誰もいなくなるのを待って英にぃの個室に忍び込んだ。
正直うまくいくと思っていなかったし、見つかったらJSの必殺泣き落としで|(駄々をこねるともいう)英にぃに何としても会おうと考えていた。
「英にぃ、お姉ちゃんに会ってあげて」
単刀直入に、真っ直ぐに英にぃの眼を見つめて言う。
「会ってどうするの?思い出すとは限らないんだよ?それに、月子は自分を襲った“通り魔”のことも覚えていないんだろう?俺と会うことで、怖い記憶を思い出してしまうかもしれないんだよ?」
私の眼から視線を逸らして、英にぃは返す。珍しい。いつも英にぃはこちらが恥ずかしくなるくらい目を見て話すのが癖なのに。
「英にぃ、それはちがうよ。確かにお姉ちゃんが怖い記憶を思い出しちゃうのは嫌だけど、でもそれは、英にぃとお姉ちゃんの楽しかった思い出とか二人のこれからを失くしていいことにはならないよ。きっとお姉ちゃんなら、どんなに怖い思いをしても、英にぃと一緒に居たいはずだよ」
英にぃがオープンに振る舞っていた一方で、それなりに恥じらいを持っていたお姉ちゃんはクールに見られがちだったけど、お姉ちゃんだって、英にぃのことが大好きだった。仲の良かった二人の姿を思い出して、涙腺が緩んできて、あたしはごしごしと乱暴に顔をこすって俯いた。
そんなあたしの様子に、英にぃは少し俯いてためらいがちに語り始めた。
「…陽乃ちゃん、こんなお話、聞いたことある?」
あるところに、一人の男がおりました。
彼はとても仲の良い恋人がいたのですが、なんとその恋人が悲しい事故によって男を殺してしまいました。しかもさらに不幸なことに、男の恋敵と彼女が共謀…一緒に企んでいるかのようにしか思えない方法で。
男は彼女が恋敵を愛し、男を邪魔に思って殺したのだと勘違いし、恨み、愛していたはずの恋人に呪いをかけます。
『もし彼女が生まれ変ったら、彼女は死んだほうがましだと思うほどの苦しみを味わうこととなれ。幸せになんてならず、何度生まれ変わっても僕を裏切った報いを受けるがいい』
男の呪い通り、恋人は生まれ変わるたびに不幸な人生を歩むこととなりました。口に出すのも恐ろしい、ひどい目に遭いました。
彼女が生まれ変わるたび、男もまた生まれ変わります。そして、ある時男は…いろいろとあって、彼女が故意に…わざと男を殺したわけでも、他の男と恋におちて自分を裏切ったわけでもないと知ります。男は後悔しました。何故彼女を信じることができなかったのか、あんなにひどい呪いをかけてしまったのか。呪いを解こうと思っても、彼が呪いをかける取引をした魔女は遠い昔に死んでいます。彼はあらゆる方法を試します。彼女が不幸になるより先に、彼が死ねばどうなるのか、彼女に自分をもう一度手にかけさせればどうなるのか。他にもいろんなことを試しますが、何度生まれ変わっても彼女の人生は不幸になります。
そのうち彼は気づいたのです。
彼女が一番楽に死ねる方法を。
…それは、彼が彼女の身に不幸が降りかかる前に、彼女を殺すことでした。
それからというもの、男は彼女を殺し続けました。不思議なことに、彼女は生まれ変わるたびに彼の恋人や婚約者やあるいは妻に一度はなるのです。そして奇妙なことに、男はいずれ殺すことになるのだと分かっていながらも、
彼女を愛さずにはいられないのです。そして彼女を手にかけて、絶望の中彼も自ら命を絶つのが毎度のこととなってしまいました。
…彼女を信じられなかった哀れな男は、こうして永遠に終わらない罰を受けることになってしまったのです。
「…このお話の男は、一体どうすればいいんだろうね、…俺には、わからないんだ。彼は、どうやったら恋人を助けられるんだろう」
話し終えた英にぃは小さく、嫌な笑顔で俯いた。
たぶん今のお話は、何かを例えているんだろう。お姉ちゃんと英にぃのどこをどうあてはめればそのお話に繋がるのかは分からないけど、ここに英にぃがお姉ちゃんに会わない理由が隠れているのだ。
「もう一度、呪いをかけるのはだめなの?今度は、幸せになる呪いをかければいいんじゃない?」
「面白い発想だけど、魔女がいないよ」
「魔女は?魔女は生まれ変わってないの?」
「生まれ変わっていた最初の頃は、生まれ変わった魔女も男は見つけられたんだ。だけど、何度も生まれ変わるうちに、長い時間が経ちすぎて、男は心の底から愛した恋人以外は見つけられなくなってしまったんだ」
うーん、どうしよう。あたしは呻って眉間にしわを寄せた。
ゲームだったら、呪いにかかったら…
「アイテムとかで呪いを解くことはできないの?」
RPGじゃないんだからと英にぃは力なく笑った。
「ゲームならアイテムとかイベントとかで呪い解けたりするんだけどな」
口をとがらすと、英にぃはぽんぽんとあたしの頭を軽くたたいて、わしゃわしゃとやや乱暴な手つきで頭を撫でた。
「ぐしゃぐしゃになるじゃん!」
英にぃの手を振り払い必死に頭を撫でつけると、英にぃはニコリと笑って、
「一生懸命考えてくれてありがと」
その言葉に、英にぃがどんな答えを出してしまったのか、わかった。わかってしまった。
「だめ、諦めちゃだめだよ英にぃ。何か方法があるよ、きっと、」
「ありがとう、陽乃ちゃん」
「やだよ、」
「人を呼ぶから、もう帰らないと、ご両親が心配するよ?月子の事件があったんだし、心配をかけてはいけないよ」
「いやだよ、」
「きっと、呪いを解くアイテムとか、イベントとかあったのかもしれないな。…ありがとう。次は探してみるから。今回は今回で試した甲斐があったと思うんだ」
「…わかんない、わかんないよ、どうして、お姉ちゃんと英にぃが、お別れしなくちゃいけないの」
「…陽乃ちゃん、」
「あたし、お姉ちゃんのことも、英にぃのことも、大好きだよ、…二人には、幸せになってほしいよ」
ぼろぼろと、両目から涙がわき出てくるのを抑えられない。泣きながらしゃくりあげて、えぐえぐと上手く言えないままかんしゃくを起こした子どものように泣きわめく。
「もういいよぉ、これ以上、見たくないよぉ。二人が悲しそうにしてるの、見たくないよぉ、ひっく、お願いだよぉ、許す、から、もう許すからぁ、し、あわせに、なって、よぉ、っく」
「…?」
「だって、二人とも大好きだったん、だもん、ひっく、ウィズさんのこと、許せないわけ、ないじゃないですかぁ、うああああん!」
「陽、乃ちゃん…?」
「ルナさんも、ウィズさんも、ひっく、幸せになってぇ、」
「陽乃ちゃん!」
泣きわめいていたら、突然英にぃがあたしの腕をつかんだ。びっくりして泣き止んで、目を見開いてあたしをガン見する英にぃを見つめ返す。
「今、なんて言ったの」
「え、……なんて、言ってたっけ?」
逆に聞き返してしまった。だって、癇癪起こしてるときなんて、自分でも何言ってるのかよく分からないものなんじゃないのかな。
「…英にぃ?」
しばらく微動だにせずじっとあたしを見つめていたかと思うと、突然英にぃの両目からぽろぽろと雫が転がり落ちた。
「え!?なに、なんで泣いてるの!?」
年上の男の人が泣いてるのを見るのは、先日のお父さん以来だ。
しかも英にぃはやたらとかっこいいため、女性じゃないのに涙も武器になるようだ。泣き顔も美しい。
何もできずに焦っていると、突然腕を引かれて抱きしめられた。
「くぁwせdrfgtyふじこlp;@!?」
言葉にならない叫び声をあげたあたしだったが、その抱きしめ方が、何故か小さい頃お姉ちゃんに抱きしめられたときと同じように思えて身体の力が抜けてしまった。英にぃのハグは、明らかに妹や弟に対するハグそのものだった。
「許してくれてありがとう、ソレイユ」
「…?」
何を許したのかもよくわからないし、聞きなれない、でもどこか懐かしいような気もする単語が最後にくっついたけれど、あたしは気にしないことにした。だって、英にぃの声に、さっきまでとは違う力強さが確かに感じられたから。
英にぃがそっと体を離す。
その表情を見て、自然とあたしは笑顔になった。
しっかりあたしを見つめる目は濡れていたけれど、そこには一片の影もない。いつもの、あたしが大好きな英にぃだ。そしてお姉ちゃんのことが誰よりも好きで、お姉ちゃんが誰よりも愛していた英にぃだ。
「いってくる。彼女に会ってくるよ、陽乃ちゃん」
「いってらっしゃい、英にぃ」
挨拶を交わせば、英にぃは怪我している体を動かして部屋を出て行った。その足は縺れはすれど、迷いはない。
「頑張れ、英にぃ、お姉ちゃん」
一人残されたあたしは、こっそりと大好きな二人にエールを送った。
…さて、家に帰ってお母さんとお父さんに怒られるとするか。
ちなみに陽乃が面会時間が終わった後病院に潜んでいたのも、英彦の病室に忍び込んだのもすべて看護士さんや警備員さんたちは知っていました。院長先生の許可が下りたのでこっそりみんなで無事に陽乃が英彦の病室に行くのを見守っていました。もちろんご両親にもとっくに連絡がいっています。でも危ないことをしたことに変わりはないので怒られます。
英彦と陽乃が中で何を話していたのかは聞いていませんでしたが英彦が月子の病室へ向かうのを見て陽乃が英彦を説得できたのだと安心しています。陽乃には両親がちゃんとお迎えに来ています。
という裏側
後編(今度こそ)はもう少しお待ちください…