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前編:かのじょのだしたこたえ

*************


「どうしたの?月子?」


いぶかしげな声に私はニコリと笑った。気づかれないように後ろ手に持ったカッターの柄を握りしめる。


だが彼は何かを感じ取ったらしく、その端正な顔を僅かに歪めた。

そんな彼の様子に、これまでだと感じて私は覚悟を決めた。


「英彦君、…いいえ、“あんた”にまた負けるなんて、したくないのよ。今度こそ、私は生きるの」


「…」


「たとえ、人殺しになって残りの人生ろくなもんじゃないとしても、死ぬのは嫌なの」


カッターを彼に向けて突きつける。この日のために買ってきた、大ぶりの真新しいカッターは酷く無機質で凶暴だ。


「…バカだよ、君は」


カッターを突き付けられても彼はただ突っ立っているだけで、焦りや怯えは微塵も感じられない。


「いつから気づいてたの?」


それどころか微笑みさえ浮かべて彼は私に問いかける。


「あんたと付き合い始めてすぐよ。あんたがあいつだってわかってたら、付き合うどころか全力で逃げてたわ」


「…で、なんで今回は撃退を通り越して殺そうとまでしてるわけ?」


「…さっき言ったとおりよ。私、死にたくない。あんたにまた殺されるくらいなら、世間から見れば人殺しになってもいいから、あんたを殺して私が生きてやる」


射殺さんとばかりに睨み付ける私を彼はじっと見つめた後、視線をずらしてため息をついた。


「やっぱり、君はバカだ」


呆れたと言い出す彼に、私はかっとなって叫んだ。


「あんたに何がわかるのよ!何度も何度も、生まれ変わるたびにあたしはあんたに殺されてるのよ!もう、もう嫌なのっ!生きていられるなら、どんなにひどい人生になってもいい!人殺しだって思われたっていい!」


言っている途中から目頭が熱をはらんできて、私は強く眉を寄せ顔をそむけた。こいつの前でだけは、泣きたくなかった。


「…『どんなに、ひどい人生だっていい』?――本気で言ってるのか?」


不意に聞こえてきた低い呟きに、私はぞくりと肌が粟立つのを感じた。驚いて顔を上げる。彼が、急に怒り出したのだとすぐに気づき、そして何故怒っているのかわからなくて狼狽えた。


私が両手に構えたカッターなど見向きもせずに私の肩を鷲掴みにした。痛い。


「お前は何にもわかってないんだ。この世には、今のお前には想像もつかないような地獄っていうものがあるんだよ」


「なに、言って…っ!」


ぎりぎりと万力のような力で私を締め上げる彼に、思わずカッターを取り落しそうになったが、寸でのところで彼の手がそれを支えた。私の手ごと包み込むように握りしめる彼に思わず顔を上げると、


「そういえば、まだ試してなかったなァ?」


「なにを、」


「“心中”した場合だよ」


言葉が出なかった。


何を言っているんだ、こいつは。


ぐっと彼の手に力がこもり、私の手ごと握りこまれたカッターナイフが彼の腹部に吸い込まれるように突き立てられた。

数秒だけ彼の薄い腹に入り込んだままのカッターは、みちりと背筋の凍るような音を立てて彼によって腹部に埋もれたまま斜め上にスライドし、そして勢いよく引き抜かれた。彼のシャツがまるで花が咲いたように鮮やかに色づいていくのを呆然と私は見る。目の前で起こっていることが現実で、しかも私が望み実行しようとしていた光景であるにも関わらず、頭の中が真っ白になる。――張り裂けそうなくらい、胸が痛かった。


自分が一体どんな表情をしているのかわからなかったが、彼は蒼白な顔で私を見て、少しだけ驚いたような表情をした後、――とても幸せそうに笑った。


その笑顔は私が初めて英彦君に出会った時に彼が見せた表情で、私が彼に惚れてしまった一番の要因だった。

大人びた様子の彼が見せた無邪気な表情に、私は魅せられてしまったのだ。



身体がぐいと引っ張られ、背の高い彼の腕の中に私は収まる。何度か交わした抱擁の中でも、一際強く激しい。いつもなら感じる彼の匂いは、絶望を感じさせる生々しい血の匂いに掻き消え、彼の腹部から滲み出したものが私の洋服にも滲み込んでいくのを感じる。


「次も、その次も、何度だって、俺がお前を殺してやる――」


紛れもなく殺害予告である筈なのに、まるで恋人への愛の囁きのように甘い声色で、聞いた瞬間に私は体を震わせた。恐怖ではなく、感じたのは何か艶めいたもの。


近すぎて見えないはずの彼が笑ったような気配を感じた後、私は背中に熱を感じた。今まで殺されたうちの何度かは刺殺だったからわかる。刺された。


背中に突き立つカッターごと掻き抱かれて、刃はますます深く入り込む。ごぽりと口から血があふれた。


熱くなる背中に反比例するように手足の先の熱と感覚が失われていく。ああ、もうダメみたい。

崩れ落ちそうになり震える手で彼のシャツにしがみつく。思えば、こうして誰かの熱を感じながら死ぬのは初めてかもしれない。

――独りよりも、こわくない。


視界がじわりじわりと黒に浸食され、失血した体が熱を失っていく。――不思議と、毎度感じる胸の痛みは、このときはなかった。








後編UPまで少し間が開くかもしれないです。

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