第51話 誤差という名の命
昼過ぎ、チャイムが鳴ると同時に玄関のドアが開き、翔が顔を出した。
「お邪魔しまーす」
部屋に通すと、翔は一歩入った瞬間、じーっと俺の部屋を見回す。
「……おお、思ったより片付いてるやん。もっと、ほら、こう、男子高校生の部屋ってカップ麺の山とか、脱ぎっぱなしの服とか転がってるイメージあったわ」
「誰がそんな典型的男子だ!」
俺は即座に突っ込みを入れる。
「一応、人間として最低限の生活はしてるんだよ!」
翔は声を立てて笑い、イチカとグラたんをちらりと見やった。
イチカはダイキのベッドに腰掛け、無表情ながらもくつろいでいるように見える。
グラたんもその横に座り、落ち着いた声で「主様らしい、無駄のない部屋だと思うぞ」と呟く。
「お前までフォローすんな!」
俺がツッコミを入れると、翔が「ええコンビやなぁ」と苦笑した。
全員が床に座り、軽くお菓子とお茶を手にしたところで、翔の表情が少しだけ引き締まる。
「……さて、本題やな」
部屋の空気がすっと静まった。
「まず、“プロメテウス財団”って名前やけどな。表向きは教育支援と先端テック企業や。世界中の学校や研究機関に金をばらまいて、福祉にも投資して、ええ顔ばっかり見せとる」
翔は言いながら、手元のペットボトルを軽く回す。
「せやけど裏じゃ、国家を超えて動く秘密結社や。20世紀の半ばにはもう、政府の上で世界のルールを決めとったと言われとる」
ミサキが眉をひそめる。
「そんなの、どうやって……?」
「金と情報やな。あと……人体改造の実験と、魔術の研究までやっとる」
翔は少し真剣な顔になり、ペットボトルを机の上に置いた。
「……プロメテウス財団の目的はな、“誤差を消すこと”や」
俺は眉をひそめる。
「誤差……って、イチカが言ってるあの“誤差”か?」
翔は頷き、説明を続けた。
「人間には、愛や友情、悲しみ、痛み、恨み、憎しみ……合理的に考えたら何の役にも立たん感情や行動が山ほどあるやろ?財団は、それを“誤差”って呼んでる。人類を進化させ、最適化された社会を作るには、そんな非合理は不要やって考えとるんや」
一瞬、部屋の空気が張り詰めた。
俺は思わずイチカに目を向ける。
「イチカ……お前の言う“誤差”と、同じ意味、だよな?」
イチカは静かに目を閉じてから開き、冷ややかに口を開いた。
「ああ。私の言う誤差も、意味はそれと同じだ。理屈では不要とされる、しかし人が人であるために存在するもの。……だが、奴らの望む世界はそれを消すものだ。誤差を消す世界など、命を殺すだけの仕組みだ」
その声には、はっきりとした拒絶があった。
翔は小さく頷きながら続ける。
「財団のトップ、ザイラス・アグレウス……あいつは元科学者や。昔、人間の苦しみを終わらせたいと言ってさまざまな苦痛を取り除く研究をしていたらしい。せやけど、いつのまにか“誤差があるから苦しむ、なら誤差ごと消せばいい”って結論に行き着いた」
ミサキが息を呑む。
「……そんな世界、怖すぎるよ」
俺も拳を握る。
同じ“誤差”って言葉を使っていながら、イチカはそれを尊ぶ。ザイラスはそれを不要と断じ、抹消しようとする。
同じ概念なのに、これほどまでに“人の在り方”が分かれるのか。
イチカは淡々と告げた。
「命から誤差を奪えば、残るのはただの機械だ。世界は最適化されても、生きる意味は死ぬだろう」
翔はしばし沈黙し、俺たちを見回した。
「……だから、イチカは財団にとって“排除すべき変数”や。どんな手を使ってでも、奴らは襲いかかってくるやろな」
俺は深く息を吐き、翔を真っ直ぐ見る。
「……分かった。でも関係ねぇよ。俺たちは、絶対にイチカも翔も守る」
ミサキも強く頷く。
「うん。誤差があったっていい、人間なんだから」
翔は苦笑しながらも、少しだけ肩の力を抜いた。
「ほんま、お前らに出会えて良かったわ」
翔は少し俯き、指先でペットボトルをいじりながらぽつりと呟いた。
「正直な……財団に帰る選択肢も一瞬頭に出てきたんや。戻れば安全やし、基本的に待遇は良かった。けど……」
視線を上げ、イチカと俺を順に見やる。
「ワイを生き返らせてくれたのは、お前らや。あの時、初めて“誤差”ってもんを本気で考えた。非合理でも、誰かを救いたいと思って行動できる、それが人間なんやなって。……もう財団には戻らん。ワイはお前らの側におる」
ミサキが安堵の笑みを浮かべた。
俺も胸の奥が少し軽くなる。
「……そっか。じゃあこれからも一緒だな、翔」
「おうよ。今さら裏切るつもりなんかないで」
そんなやり取りのあと、イチカがゆっくりと俺の方へ視線を移した。
「……ダイキ、グラハムとの戦いの時だが」
「ん?」
「あの時、お前……すべての攻撃を見切っていた。倒れながらでも分かった。まるで、未来を読んでいるようにな」
俺は少し考え込み、言葉を探した。
「ああ……あの時は、不思議だった。攻撃が来る場所もタイミングも、全部“わかる”って感覚があった。避ける前にもうそこに道が見えてるみたいで……」
イチカはわずかに口元を緩め、説明を続けた。
「最初は私との契約で刻んだ呪印の影響だろう。そこから修羅場をいくつも潜り抜け、恐怖や死の淵にさらされ続けた。……そしてあの戦い、究極の死線を超えたことで、ついにお前の感覚は完全に開いた」
イチカは少し考えるように間を置き、言葉を選んだ。
「そうだな……この世界に合わせて名付けるとするなら、“ハイパーセンス”とでも呼ぼうか」
「……ハイパーセンス、か」俺は小さく呟く。
翔が思わず笑って口を挟んだ。
「なんやそれ、かっこええやんけ! やっぱお前、なんか持っとると思っとったわ!」
俺は肩をすくめながらも、少しだけ誇らしい気分になった。
「実際、あの戦いの後からは感覚が冴えてるんだ。コントロールもしやすくなってる。……でも、あんな死にかけはもうごめんだけどな」
イチカは目を細め、静かに頷いた。
「無理をするな。ただ、お前がその力を得たことは事実だ。これからもお前自身の命を守るために、使えるようにしておけ」
ミサキも頷く。
「ダイキがいなかったら、あの時どうなってたか……本当にありがとう」
部屋の中には、しばし安堵した空気が流れた。
けれど俺は心の奥で、ハイパーセンスという新たな力を手に入れたことと、財団との戦いがまだこれから続くという事実を同時に噛みしめていた。
「……ふぅ」
重い話が終わって、全員がそれぞれ一息つく。俺も肩の力を抜いてベッドの端に座り直した。
翔がポテチの袋を開けながら、妙に真剣な顔をして言った。
「にしてもダイキ、お前の部屋、男の一人部屋にしちゃやけに片付いとるな。……女子呼ぶ用意でもしとるんか?」
「はぁ!? してねぇよ!」
俺が思わず声を荒げると、ミサキがにやにやしながら追い打ちをかけてくる。
「でも確かに、今日来た時にいい匂いしたし。ルームフレグランスとか置いてあるの、ダイキらしくないよねぇ」
「……ち、違う!母ちゃんが置いてったんだって!」
翔はポテチを一枚つまみ上げ、にやりと笑った。
「ほーん、なるほどなぁ。ええなぁ、青春ってやつやな」
「翔、お前ほんと適当言うな!」
イチカはというと、俺のベッドでグラたんを膝に乗せながら、淡々とお菓子を口に運んでいる。
「……青春、か。恋愛の匂いはしないが、騒がしいのは嫌いではないな」
「イチカまで変なこと言うな!」
「事実を述べただけだが?」
グラたんまで口を挟んできた。
「ふむ……ネビロス様の御身がここまで俗世に馴染まれるとは、かつての私には想像もできませんでしたな」
「やめろグラたん!余計ややこしくなる!」
結局、翔とミサキの茶化しが続き、俺は必死で否定しながらも、どこか妙に暖かい空気に包まれていた。
数日前までは命懸けの戦いばかりだったのに、こうして皆で笑い合える時間があることが、なんだか不思議だった。
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