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カスレ声の誓い

作者: Tom Eny

カスレ声の誓い


1. 衝突の火花


作詞担当の泉は、練習スタジオでマイクを握っていた。その表情は、他のメンバーとは明らかに違っていた。作曲兼編曲担当の蓮、ギター担当の隼人、ベース担当の陸、そしてドラム担当の奏多。みんな「なんかバンドってかっこいいし、やってみようか」という軽い気持ちで集まった5人だ。蓮が大まかに作ったデモ音源を基に、各パートは各自で「それっぽい」フレーズを考えてきた。今日が、この五人で初めて音を合わせ、曲を形にする日だった。


「じゃ、とりあえずデモ流すから。みんな、適当に合わせちゃって」


蓮がどこか気だるげに言い、再生ボタンを押した。軽快なメロディがスタジオに響き渡る。


「まあ、こんなもんでいいっしょ」


隼人が適当にギターを鳴らし始める。弦を滑らせる指はスムーズだが、音にはまだ深みがない。陸もそれに合わせてベースを弾き出し、身体を揺らしているが、リズムはどこか平坦だ。奏多もスティックを軽やかに回しながらドラムを叩くが、力強さよりは楽しさが勝っている。泉は、蓮が「ここ歌ってみて」と促す箇所を、歌詞を見ながら歌い始めた。彼女の心にはすでに、この歌詞で**「失われた光を取り戻す夜明けの希望」**を描きたいという強いこだわりがあった。しかし、まだ周囲のゆるい空気に飲まれているのか、あるいはどう表現すべきかを探っているのか、声にはまだ力が入りきらず、どこか探り探りだった。サビのメロディーは誰もが口ずさみたくなるほど魅力的で、それだけは最初から良くできていた。だが、それ以外の細かなパートや、泉の歌声には、まだ魂が宿っているとは言えなかった。どのメンバーの演奏も、真剣さとは程遠い、まるで遊びの延長のような空気をまとっていた。


曲が終わり、蓮がヘッドホンを外す。


「うん、まあ、サビはバッチリだったな。初めてにしては上出来っしょ」


蓮は満足げに腕を組んだ。彼の目的は、とりあえず形になるデモを作ること。それ以上でも以下でもなかった。隼人も「いけるいける」と軽い調子で頷き、陸は「まあ、音は出たね」と気だるげに言い、奏多はスティックをクルクル回していた。しかし、彼らの心のどこかには、先ほど泉が見せた真剣な眼差しと、場の険悪な空気が、小さな棘のように残っていた。


しかし、泉は違った。歌詞を読み返すたび、彼女が込めた想いと、今の歌声、そしてサビ以外の全体的な演奏とのギャップが、痛いほど心に突き刺さった。彼女は蓮に食ってかかる。


「蓮、ちょっと待って!確かにサビのメロディーは最高よ!でも、**Aメロのこの暗闇から抜け出すような情景を表現するには、コード進行をもう少し切なく、ぐっとくるものにしてみてほしいの。ベースの入り方も、ただリズムを取るだけじゃなくて、もっと感情的に響かせたい。**それに、みんなの演奏も、ただ音を出してるだけじゃなくて、もっと魂を込めてほしい!」


泉の言葉に、蓮は眉をひそめた。


「はぁ?何言ってんの?デモなんだから、とりあえず音出たならいいだろ。細かいことは後でいいって。他の奴らも、別に本気出してねーんだから」


「でも!この歌詞に込めた想いが、全然伝わってこないんだもん!私としては、この歌全体を最高のメロディーと演奏で表現したいの!私は本気でこの歌を最高のものにしたいんだから!」


泉の声には、蓮の意見に反発する強い気持ちが込められていた。蓮はあからさまに不機嫌な顔をする。


「めんどくせぇな、ほんと。わかったよ、もう好きにしてくれよ!」


そう吐き捨て、蓮はスタジオの隅で腕を組んでそっぽを向いてしまった。隼人、陸、奏多も、二人の間に漂う険悪な空気に、気まずそうに目を逸らす。泉は、そんな彼らの反応を見て、ぐっと唇を噛み締めた。誰一人として、自分の情熱を理解しようとしていない。そのやるせない気持ちが込み上げてきて、彼女の瞳にはみるみるうちに涙が浮かび上がった。悔しさと、自分の想いを伝えきれないもどかしさが、泉の胸中で渦巻く。結局、その日の練習は中断され、泉はマイクを握りしめたまま、ひとり残された。


スタジオに一人残された泉は、握りしめたマイクの冷たさを感じた。他のメンバーのやる気のなさが、彼女の魂を揺さぶる。このままでは終われない。この歌詞に込めた想いは、こんなものではないはずだ。彼女は、静かに、しかし確固たる決意を胸に、再び歌い始めた。


「…もっと、こう、心に響くような…!」


泉は、絞り出すような声で歌い始めた。喉の奥がヒリヒリするけれど、納得できるまではやめられない。初めて作詞を手がけたこの曲に、泉はすべての想いを込めていた。気づけば、スタジオの時計は深夜を回っていた。彼女の歌声は、疲労でかすれながらも、確かに魂を帯び始めていた。


2. 密かな努力の連鎖


泉が一人スタジオに残って歌い込む姿が、予期せぬ形で次の波紋を広げた。


その様子を、作曲担当の蓮が偶然目撃していた。あの後、やはり泉のことが気になり、こっそり様子を伺いに戻っていたのだ。スタジオのドアの隙間から覗き込んだ蓮の目に飛び込んできたのは、涙で顔を歪ませ、憔悴しながらも、それでも必死に歌い続ける泉の姿だった。彼女の頬には、まだ涙の跡がはっきりと残っていた。 泉の必死な歌声に、蓮は足を止める。泉は気づかないまま、疲労で掠れた声で歌い上げる。その真剣な眼差し、そして未だ拭えない悲しみに、蓮の胸に熱いものがこみ上げた。先ほどの自分の無責任な言動が、彼女をここまで追い詰めてしまったのかという罪悪感が、彼の心を締め付けた。 普段の元気で明るい泉からは想像できないほどの情熱が、そこにはあった。ただ形になるデモを作れればいいと思っていた蓮の心に、初めて「もっと良いものにしたい」という強い衝動が芽生えた。蓮は静かにその場を離れ、自分の作業スペースに戻った。


蓮はパソコンの画面に向かい、ヘッドホンを装着した。泉の歌声が、まだ耳の奥で響いている。ふと、さっき泉が見せていた鬼気迫る表情と、頬を伝う涙の跡が脳裏をよぎる。泉の歌に賭ける本気を垣間見た蓮の心に、火が点いた。


「もっと、良くしないと…」


蓮は楽譜と睨めっこしながら、何度も曲の構成を練り直した。サビはそのままに、Aメロのコード進行や、泉が求めたベースの音の置き方など、細かな部分にまで神経を研ぎ澄ませる。たった数秒のフレーズにも、何時間も費やす。メロディの僅かなズレも許さない。泉がこの曲に込めた魂を、最高の形で表現したい。そんな一心で、蓮は調整を続けた。彼の机の上にはコーヒーカップが何個も積み重なり、夜が明けていくのを忘れさせるほどの密かな作業だった。誰にも告げず、ただひたすらに音と向き合う時間。それは、彼にとって孤独な戦いだった。


その蓮の姿を、偶然ギター担当の隼人が目撃していた。隼人は、飲み物を買いに廊下に出てきた帰りだった。いつもは飄々としている蓮が、これほどまでに集中して作業に取り組んでいる姿を見るのは初めてだった。泉と蓮の間にあったあの重苦しい空気、そして泉の涙が、隼人の心にも少なからず残っていた。だからこそ、蓮の真剣な横顔は、彼にとって予想外の、そして強く心を揺さぶるものだった。 隼人は思わず立ち止まってその様子を見守った。蓮は気づかない。隼人の心に、今まで感じたことのない熱が灯り始めた。


3. 音への覚醒


隼人が密かに練習を始めたことで、次は別のメンバーに影響が及ぶ。


隼人は自室に戻ると、すぐにギターを手に取った。蓮が手直ししたであろうデモ音源を聴きながら、自分のパートを何度も弾き直す。


「こんなもんじゃないだろ…」


これまで適当に合わせていたリフにも、魂を込めるかのように真剣に向き合った。どうすればこの曲がもっと生きるのか。隼人は指が擦りむけるのも構わず、納得いくまでギターを掻き鳴らした。弦が指に食い込み、痛みを感じるたびに、彼の「本気」は増していく。自分の部屋で、夜が更けるまで指を動かす。この音の先に何があるのかはまだ分からない。だが、確かに熱いものが自分の中に芽生えていた。まだ誰にも見せるつもりのない、彼だけの、密かな練習だった。


その研ぎ澄まされた音に、ベース担当の陸が引き寄せられた。陸はたまたま通りかかっただけだったが、隼人のギターの音色が普段と違うことに気づいた。いつもの気だるげなプレイとは一線を画す、熱を帯びた音。陸はドアの隙間から、隼人の真剣な表情を覗き込んだ。隼人は夢中でギターを弾き続けている。あの日の泉の涙が、陸の頭の片隅にあった。だからこそ、隼人の演奏から伝わる熱量は、彼の心に強く響いたのだ。 その音の裏にある情熱が、陸の胸にも静かに火を灯していくのが分かった。


4. 熱意の共鳴


陸の覚醒は、バンドのもう一つの要にも火をつけた。


陸はベースを抱え、隼人のギターに合わせるように音を鳴らし始めた。指がフレットの上を滑る。より深く、より重く、隼人のギターを支える音を模索する。


「もっと、響かせないと…」


陸は、今までで一番ベースと向き合っていた。ただリズムを取るだけじゃない。この曲に、自分のすべてを注ぎ込みたい。身体を揺らし、ベースと一体になるかのように無心で弾き続ける陸の姿を、ドラム担当の奏多が偶然見かけた。奏多は、練習の合間に気分転換で廊下を歩いていた。陸が、ここまで真剣な表情でベースを弾いているのを初めて見た。陸は、完全に音の世界に入り込んでいる。あの日の泉の涙。そして、その後に生まれた蓮や隼人の変化。それらが奏多の胸に引っかかっていた。だからこそ、陸の演奏から感じる熱は、確かな「変化」として彼に届いたのだ。 その音の振動が、奏多の胸にも確かな変化を生んでいた。


奏多はドラムスティックを握りしめ、陸のベースラインに合わせてリズムを刻み始めた。ひとつひとつの音に、魂を込める。彼の脳裏には、泉の涙と、蓮、隼人、陸の真剣な横顔が鮮明に浮かんでいた。彼らの情熱に応えたい。最高のリズムで、この曲を支えたい。


5. 本気の誓い


そして、この物語は、バンドの新たな出発点を示す。


「この曲を、最高の形に…」


それは、もう彼ら全員の心からの願いだった。


最初はただの「なんかバンドってかっこいいし、やってみようか」という軽い気持ちで始まったバンド活動。最初の仮練習では、誰もがどこか他人事のような、遊びの延長のような空気をまとっていた。しかし、泉が一人、歌詞と歌声に並々ならぬこだわりを見せ、蓮と衝突し、その悔しさから涙を浮かべて必死に歌い始めたことで、その波紋は静かに、そして確実に広がり始める。泉の密かな歌の練習、そしてそれに感化された蓮の密かな作曲。隼人、陸、奏多も、知らず知らずのうちに互いの真剣な姿を目撃し、影響を受け合っていた。それはまるで、それぞれの楽器が奏でる音が重なり合い、やがて大きなうねりとなっていくようだった。


もう、単なる遊びじゃない。この五人で、最高の音楽を奏でたい。その思いは、言葉を交わさずとも、彼らの視線の中に、固く握りしめた手に、そして胸の奥で燃える炎の中に、確かに存在していた。彼らの胸に宿った熱は、確かな誓いとなって、これからのバンド活動を突き動かしていくのだった。彼らがこれからどんな旋律を紡ぎ、どんな景色を見るのか、それはまだ誰も知らない。だが、その夜、確かに五つの魂は、一つの確かな音として響き合ったのだ。それは、彼らが奏でる「本物の音楽」の、確かな予感だった。

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