9.あたたかいもの
翌日、お務めを終えた私は、再び孤児院へ向かうべくジークと一緒に王都の大通りを歩いていた。
「ジーク、それ何?」
隣を歩くジークは、何やら大きな革袋を担いでいた。
「ふふ。内緒だよ」
「? 変なのー」
軽い調子で会話を交わしながら並んで歩く私たちに、道行く人たちが次々と腰を折る。この光景にもすっかり慣れた。
孤児院の門をくぐり正面玄関からなかへ入る。「こんにちはー」と声をかけると、たちまち子どもたちが「わっ!」と歓声をあげながら突撃してきた。うん、元気でよろしい。
「お務め様! また来てくれたのー!?」
「春香様! また歌を聴かせてください!」
「おねえたん遊んでーーーー!!」
おおう。やっぱ子どものパワー恐るべし。てゆーか、今が人生で一番のモテ期な気がする。子どもたちからもみくちゃにされ、あたふたしている私の隣では、ジークがクスクスと笑みをこぼしていた。
と、そこへ。騒ぎを聞きつけて院長のソラさんがやってきたので、私とジークはちょっと大事な話をしたいからと時間を作ってもらった。
――院長室に案内された私とジークは、ソファに並んで腰をおろしソラさんと向かいあった。
「ええと、春香様。大事なお話というのは……?」
「あ、はい。これ、少しでも孤児院運営の足しにならないかなって」
持参した小さな革製の巾着袋をローテーブルの上に置き、そっとソラさんの前に差しだす。昨夜、マリアンヌさんから「歌のお礼」という名目でいただいたお金だ。
かすかに怪訝な表情を浮かべたソラさんだったが、巾着袋の中身を見て目を見開いた。
「は、春香様、これは……!?」
「実は、昨夜マリアンヌさんにも歌を聴かせてほしいと言われまして。で、これはそのお礼だそうです。ぜひ自由に使ってとのことだったので」
「こ、こんなに……。いいんですか……?」
「はい。この国のお金を私がもっていても使い道はありませんし。子どもたちのために使ってくれたら嬉しいです」
ソラさんが感動したような面持ちになり、瞳には涙が浮かび始めた。と、そのとき。ずっと黙ったままだったジークが口を開いた。
「院長。私からもこれを」
肩に背負っていた大きな革袋を、ローテーブルの上にドンと置く。ジークに手で促されたソラさんが、恐る恐る革袋の紐を解きなかを覗いた。
「え、ええ……!?」
顔を驚愕の色に染めたソラさんを不思議に思い、私も腰を浮かせて革袋のなかを覗く。そこには、見事な装飾を施した腕輪や短剣など、さまざまな貴金属が無造作に詰め込まれていた。
「うわぁ……! キレイ……。これって、ジークの?」
「ああ。うちの倉庫に眠っていた骨董品もまとめてもってきた。売り払えばそれなりの金になると思ってな」
「ジ、ジーク様、よろしいんですか……?」
ソラさんが唇をかすかに震わせながら、おずおずと口を開く。
「ええ。子どもたちに美味しいものでも食べさせてあげてください」
やわらかな笑みを浮かべながらジークが言うと、ソラさんは涙を流しながら何度も「ありがとうございます」と頭を下げた。
私は、隣に座るジークへちらりと視線を向けた。女性の涙には慣れていないのか、ジークは少し慌てた様子で「泣かないでください」と繰り返していた。
それにしても、ジークって凄いな。あんな高そうなものを、子どもたちのためにってポンとあげちゃえるとか。まあ、生活には困っていないんだろうけど。
それでも、そう簡単にできるようなことじゃないよ。こういうところも、人々から慕われる理由なのかな?
ソラさんとの話を終えたあと、私とジークは子どもたちがいるホールへ。待ってました、と言わんばかりに子どもたちが私のもとへまとわりついてきた。うん、かわいいぞ。
「……ん?」
少し離れた柱の陰からこちらの様子を窺う少年が視界に映る。ジンタン君だ。昨日は警戒心をあらわにしていたが、今日はそこまでではないように見える。
私が笑顔で軽く手を振ると、恥ずかしそうにそっぽを向かれてしまったが。照れやがって。
子どもたちといろいろな話をしたあと、おねだりされたので再び歌を披露することに。三曲ほど歌い、子どもたちから大喝采を浴びながら私とジークは孤児院をあとにした。
――頬を撫でていく風が気持ちいい。
孤児院からの帰り道。私とジークは、王都民の憩いの場になっているという公園に立ち寄った。木製のベンチに並んで腰をおろし、大きく伸びをする。
「ん~……! 気持ちいいなぁ……」
気温は少し高い気がするが、日本のように湿度が高くないため空気もカラリとしている。
「お疲れ様、春香。今日も子どもたちから大人気だったね」
「あはは……。まあ、子どもは好きだし、歌を褒めてもらえるのも嬉しいしね」
「うん。俺もまた春香の歌を聴けて嬉しかったよ。ありがとう」
心臓がトクンと跳ねたのが自分でもわかった。何だか、とても嬉しくて思わず顔がにやけそうになった。
なぜだろう? なぜ、こんなにも嬉しくて、こんなにもドキドキしちゃうんだろう?
ベンチの背もたれに体をあずけ、澄みわたる空を見あげた。どこまでも青い空。吸いこまれていきそうな空。そして、ジークと同じ瞳の色をした空。
……って。何考えてんのよ私っ。
なぜか急に恥ずかしくなり、私は両手で顔を覆った。ほっぺたがリンゴみたいに赤くなってたらどうしよう。
「どうしたの、春香?」
「なな、何でもないっ」
挙動不審になった私を不思議に思ったのか、ジークが顔をのぞきこんできた。指のすき間から、端整で精悍なジークの顔が見え、ほっぺたがほんのりと熱くなっていくのを感じた。
「もしかして、体調がよくない、とか?」
「う、ううん、違うの。ち、ちょっと日差しも強いし、暑いなぁ~って」
よし、めちゃくちゃ自然な言い訳ができた。はず。
「そうか。たしかに日差しが強いからな。春香のもといた世界は暑くないのかい?」
「や、暑いよ。一年に四回季節が変わるんだけど、暑い時期はこっちと比べものにならないよ」
「へえ……そうなのか」
風に泳ぐ髪を手でまとめながら、私はコクコクと頷き、そしてまた天を仰いだ。
「なあ、春香。その……言いたくないならいいんだが、春香はどうして、召喚に応じたんだ?」
「へ……? いや、応じた覚えなんてまったくないんだけど?」
「あ、ああ、そうか。そうだよな」
「まあ……でも、たしかにちょっと、いろいろイヤになってたかもだけど」
ふふ、と自嘲気味に笑った私に、ジークが怪しむような目を向ける。
「私ね……小さなころから、歌うことが大好きだったの。それで、いつかはプロの歌手になりたいなって活動してたんだけど……」
目を伏せ、ぽつぽつと話し始めた私にジークが体ごと向き直る。
「頑張って……精いっぱい歌っていたはずなんだけどね。春香の歌には気持ちがこもってない、感情がこもってない、それじゃお客さんには響かない、って、散々言われちゃって……」
あはは、と乾いた笑みが漏れる。ライブハウス『エキセントリック』のマスターに言われた言葉が、鮮明によみがえってきた。
「全然、意味がわかんなくて。今まで、気持ちとか、感情とか意識して歌ったことなかったし……何ていうか、自分をすべて否定されたような気がして、何もかもイヤになっちゃった」
とにかく、あのときは悔しかった。悔しくて悲しくて切なくて。ダメだ……思いだしたら、また……!
と、そのとき――
頭に、ふさっと何かが置かれ、私はハッとして顔をあげた。頭に置かれたのは、ジークの大きな手。ジークは、いつもの優しげな笑みを浮かべたまま、私の頭をそっと撫でた。
「つらかったんだな。しんどかったんだな、春香」
ダメ……そんなこと、言わないで。そんな優しい言葉、今かけられたら……!
私のなかで何かが弾けた。我慢してきた涙が、堰を切ったように瞳からボロボロとあふれだす。
「大丈夫……大丈夫だよ、春香」
ジークが私の体を優しく抱きしめた。包み込むようなぬくもりと優しさに触れ、私は顔をぐしゃぐしゃにして子どものように泣いた。そんな私を、ジークはいつまでも抱きしめ続けた。
私が泣き止んだあと、ジークが静かに口を開いた。
「春香の歌に気持ちがこもってない、なんてこと、俺はないと思うよ」
「え……でも……」
「もちろん、春香がもといた世界でのことは知らないけどな。でも、少なからず、孤児院で子どもたちの前で披露した歌には、たしかに気持ちがこもっていたと俺は思う」
「そう、なのかな……?」
「ああ。そうでなきゃ、子どもたちがあれほど感動するはずないじゃないか。子どもたちだけじゃない、俺や院長、王妃様もな」
そう、なのだろうか? たしかに、今まで私の歌を聴いて「上手」「声がキレイ」と言ってもらったことはたくさんあるけど、感動して涙を流してもらうなんてことはなかった気がする。
「子どもたちの前で歌ったとき、春香は何を考えてた?」
「え……? それは……笑顔になってほしい、元気になってほしいって……」
「それだよ。その気持ちがしっかりと歌にこめられていたから、子どもたちはあんなに感動したんだよ。それに、実際春香の歌を聴いてみんな笑顔に、元気になったじゃないか」
その言葉にハッとした。そうか……私は、ちゃんと気持ちを込めて歌えたのか。
「誰が何と言おうが、春香の歌には気持ちがこめられているし、俺は大好きだぞ。いつも聴いていたいと思えるほどだ」
ボッ、とほっぺたが熱を帯びた。再び心臓もバクバクと暴れ始める。
この感情が何なのかは正直わからない。でも、それでも。私の気持ちに共感してもらえて、ジークに認めてもらえて、歌が大好きだと言ってもらえて。
胸の奥底から、ポカポカとしたあたたかいものが、とめどなくあふれてくるのを感じた。