8.優しさのカタチ
いつからだろうか。純粋に歌を楽しめなくなったのは。いや、自分ではいつも楽しく歌っているつもりではあった。
幼いころは、私の歌を聴いた家族や友達が喜んでくれたり、笑顔になってくれたりするだけでとても嬉しかった。
でも、ライブハウスに出演するようになり、大勢のオーディエンスを前に歌うようになってから、私は純粋に歌を楽しめなくなっていた気がする。
気になるのはその日の動員数や動画の再生数。SNSでの評価。いつの間にか、私はそんなものばかりを気にするようになっていた。
でも、何だろう。
孤児院で子どもたちを前に歌ったとき。私は心の底から歌うことが楽しい、喜んでもらえることが嬉しいと感じた。
満面の笑みで、キラキラとした目を向けてくる子どもたち。
『すごい』『上手』『かっこいい』『声がキレイ』
子どもたちが口にした言葉は、これまで何度も言われてきた言葉だ。まったく、目新しさも何もない言葉なのに、聞き慣れていたはずの言葉なのに、私は思わず目頭が熱くなるのを感じた。
「あう……疲れた~……!」
孤児院の門を出た私は、天へ向けて大きく伸びをした。
「お疲れ様さま、春香。でも、大盛況だったね。子どもたちもみんな大喜びだったし」
「うん……それは、うん」
私のよくわからない返事が面白かったのか、隣を歩くジークがくすりと笑みをこぼした。
「それにしても、本当に驚いた。まさか、春香があんなに歌が上手だとは」
「お、大げさだよ」
「大げさなもんか。院長のソラさんなんか、感動のあまり涙まで流していたじゃないか。そういう俺も、驚きすぎて声が出なくなったけど」
そう、一曲歌い終わり、子どもたちからもみくちゃにされている私のもとへやってきたソラさんの瞳には、たしかに涙が浮かんでいた。
そして、子どもたちとソラさん、ジークからせがまれ、追加で三曲ほど歌ったのだ。童謡だけでなく、日本で人気のポップソングに私のオリジナル曲。どれも好評で、ソラさんや子どもたちからはぜひまた来てほしいとお願いまでされてしまった。
「ま、まあ……喜んでもらえたのは、よかったと思う」
「喜んでいたのは間違いないさ。その……春香は、もといた世界では歌手だったのか?」
「い、いやいや! まあ、歌手になりたいとは思って活動してたけど、本業は学生だよ」
「そうなのか。凄いな……クラウディアにも歌手はいるが、女性はほとんどいない。いたとしても、春香ほど美しい声と高度な歌唱力をもった者はまずいないだろうな」
美しい声、と言われほっぺたがじんわりと熱を帯びた。
「あ、ありがとう……」
「こちらこそ、素晴らしい歌を聴かせてくれて感謝してるよ。ほんと……ありきたりな言い方だが、心が洗われるような歌声だった。小鳥のさえずりのような……澄んだ鈴の音色のような……」
「そそ、そんなこと……!」
自分でもはっきりとわかるほど、ほっぺたが熱くなる。それに、心臓もバクバクと暴れ始めた。歩きながら、ちらりとジークの横顔を見た。
かすかに口もとは緩んでいるものの、凛とした男らしい横顔。とても、冗談を言っているような顔には見えなかった。
どうしよう……。嬉しい。
ジークが本心からそう言ってくれているのがわかって、私の心臓がさらに鼓動を速めた。
「……ん?」
心臓の音が聞こえちゃうんじゃないか、なんてバカなことを考えながら歩いていた私の視界に、不思議なものが映りこんだ。
それは、先日商業街の街なかでも目にしたもの。そのときは、それほど気にしていなかったが、落ち着いてよく見ると、それはとても不思議な光景に思えた。
「ねぇ、ジーク。あれって何なの?」
石畳の歩道に立ち止まり宙を指さすと、ジークがそちらへ視線を向けた。私たちの視線の先にあったもの。
それは、大きな鳥かご。なかには、見たことのない鳥、のようなものが一羽入っていた。鳥かごは、電柱のような細長いポールの先端に設置されており、止まり木にとまった鳥が身動き一つせずにいる。
「ああ。あれは音鳥だよ」
「音鳥?」
まるで、ニワトリの体にフクロウの顔がついたような見た目の鳥。大きな耳がピクピクと跳ね、まん丸い目はギョロギョロと動いていた。
「音鳥は瘴気を感知できるんだ。空気中の瘴気濃度が危険域に達したとき、大きな声で鳴いて危険を知らせるんだよ」
「瘴気って、不死竜がまき散らすっていう……?」
「ああ。不死竜バルーザの瘴気を吸いこむと、人間などひとたまりもない。だから、いち早く危険を察知できるよう、王都のいたる場所にああして音鳥が配備されているんだ」
「そう、なんだ……」
改めて、この国が置かれている状況を認識し背筋が寒くなった。
「じゃあ……頑張って、早く不死竜を封印しないとね!」
「ああ。そうだな」
胸の前で両拳を握る私へ向けられたジークの目は、どこまでも青く、吸い込まれそうに澄んでいた。目が合っていたのはわずかな時間だったけど、何だか本当に吸いこまれてしまいそうで、私は思わず顔を伏せてしまった。変な子だと思われなかっただろうか。
――王城へ戻ったあと、夕食までのあいだ庭園を散策したり、マーヤちゃんとお喋りしながらすごした。
マーヤちゃんだけでなく、ほかの侍女さんや衛兵さん? 使用人さんたちも常に私のことを気にかけてくれるので、かえって申し訳ない気持ちになる。
おかげで寂しさや孤独感は薄れたものの、やはり時間は持て余してしまう。だって、スマホもマンガもないんだもん。
マーヤちゃんと一緒に早めの夕食をとったあと、ベッドの上にゴロンと寝ころがった。仰向けになったまま、孤児院でのひと時を思い返す。
目を閉じると、子どもたちの喜ぶ声やキラキラと輝く瞳が鮮明によみがえり、思わず口もとがだらしなく緩んだ。と、そのとき。部屋の扉がコンコンとノックされ、驚いた私は弾けるようにベッドの上で半身を起こした。
「は、はい!」
「春香様、マリアンヌです。少しお時間よろしいでしょうか?」
扉の向こう側から、王妃であるマリアンヌさんの落ち着いた声が聞こえた。ベッドから飛び降り、慌てて扉を開ける。
やわらかな笑みを携えながら腰を折るマリアンヌさんを、私は部屋へ招き入れた。マリアンヌさんが一人でこの部屋を訪ねてきたことはない。いったい、何の用なのだろうか。
「お疲れのところ申し訳ございません、春香様。実は、ジークから孤児院での出来事をお聞きしまして」
「あ……もしかして、歌のこと、ですか?」
マリアンヌさんは、にっこりと微笑みながら頷いた。
「はい。ジークから、春香様の歌は素晴らしい、この世界中探しても春香様ほどの歌い手はいない、と聞きました」
私は思わずむせ返りそうになった。
ちちちち、ちょっとっ!! ジーク!! 王妃様にまで何てこと言うのよ!? いや、嬉しいけどさ! さすがに恥ずかしいよっ!
「や、あはは……ジークって、ちょっと大げさなんですよ。うん、あはは……」
「ふふ……ジークはとても実直な人間です。彼がそう言うのなら、きっとそうなのだと私は思います」
えー……。王族からジークへの信頼感凄くない?
「それで……春香様。どうか、この私にも春香様の歌をお聞かせ願えませんか?」
「えっ……! マリアンヌ様に、私の歌を……?」
「はい。ダメ、でしょうか……?」
「い、いえ……そんなことは……。ただ、がっかりさせちゃわないかなと……」
慌てふためく私を、マリアンヌさんはニコニコしながら見ている。ちょっと怖い。てゆーか、一般庶民が王族からお願いまでされて、断るような勇気、私にはない。
「え、と。ここで、いいんでしょうか?」
「はい。ぜひ」
バレないように小さく息を吐いた私は、そっと立ちあがるとベッドの前まで移動し、マリアンヌさんへ向き直った。
スッと息を吸いこみ、静かに歌い始める。曲は、私が作詞作曲したオリジナルのバラード。最初は緊張したが、歌い始めるといつも通りだった。
まあ、異世界とはいえ、王族の前で歌うようなこと、これからの人生でもまずないだろう。そう考えると、これはとてつもなく貴重な経験なのではないか。
しっとりと歌いあげ、最後に軽く腰を折る。恐る恐る顔をあげ、マリアンヌさんの顔を見ると、孤児院の院長ソラさんと同じように目に涙を浮かべていた。
「す、素晴らしいです……! これまで、大勢の歌い手の歌を聴いてきましたが、これほど感動したことはありません……!」
マリアンヌさんが指でそっと涙を拭う。
「や、そんな……、でも、ありがとうございます……」
照れくさいような、恥ずかしいような、そんな気持ちはあったが、それ以上に心が満たされていくのを感じた。
「春香様。これは、素敵な歌声をお聞かせいただいたお礼です。どうか、お納めください」
そう言うと、マリアンヌさんは手にしていた巾着袋をそっと私のほうへ差しだした。
「え、こ、これは……?」
目で「どうか開けてください」と促され、私は恐る恐る巾着袋をあけた。そこに入っていたのは、金色に輝く数枚のコイン。のようなもの。
「こ、これって……?」
「この国の貨幣です。そこに入っているのは、五人程度の家族が三、四カ月生活できるくらいの金額です」
「や、そんなの受け取れないですよ……!」
慌てて巾着袋を閉じ、マリアンヌさんのほうへ押し戻す。が――
「いえ、お受け取りください。これは、素晴らしい歌をお聞かせいただいたお礼なのです。それを、春香様がどうお使いになろうと、文句を言う者はいません」
私はハッとした。かすかに唇を震わせる私の前で、マリアンヌさんは小さく頷いた。
「……先日お伝えしたように、現状我が国の財政は芳しくありません。そのような状態で、特定の孤児院へ国が直接資金を援助してしまうと、ほかの孤児院や国民から不平不満が噴出するおそれがあります」
マリアンヌさんの意図が理解できた。何とか、あの孤児院を助けたいと考える私のために、マリアンヌさんは……!
「い、いいんですか……?」
「はい。決して十分な額とは言えませんが、少しは孤児たちの生活も楽になるでしょう。それに、そのお金は私たちの個人的なお金であり、国のお金ではありませんから」
何て、何て素晴らしい王妃様なのだろう。いや、きっと王様も同じ気持ちに違いない。
独りよがりかもしれない私の思いを汲み取ってくれた優しさが身に沁みて、私はマリアンヌさんへ深々と頭を下げた。
が、すぐさま「そんなことしないでください!」と窘められてしまったのであった。