4.それやめて
与えられた王城の部屋で一夜をすごした翌日。
「春香様、おはようございます!」
元気いっぱいの声が部屋に響きわたり、私は一瞬にして夢から覚めた。
「あ……うん、おはよう」
寝ぼけまなこをこすりながらベッドの上で半身を起こす。私を起こしたマーヤちゃんは、広々とした部屋のなかをクルクルと踊るように移動しながら、窓にかかるカーテンを開けていった。
「春香様、お食事はどうされますか? お部屋に運んできましょうか?」
「……そうしてもらおうかな」
「陛下や王妃様はご一緒したがっていましたけど」
マーヤちゃんがおかしそうにクスクスと笑う。いや、いくら異世界とはいえ、さすがに王族と同席して食事とか緊張するわ。
「あはは……ありがたいけど、緊張しちゃうからここでいいや」
「そうですよね。では、すぐに準備してきますね」
そう言うと、マーヤちゃんは小動物のような素早い動きで部屋を出て行った。何とも元気な子だ。
ベッドから降り、おもむろに寝間着を脱いだ。着替えがない私に配慮して、王妃様が用意してくれたらしい。あっちの世界では絶対に着ることがないような、フリルつきのヒラヒラとしたかわいらしいワンピースタイプの寝間着。
着替えを済ませ、ソファに腰をおろしてぼーっとしていると、マーヤちゃんがワゴンを押しながら部屋へ戻ってきた。それほどお腹は空いていないと思ったが、食欲をそそるいい匂いが鼻腔を刺激し、急激に空腹感が襲ってきた。
ローテーブルの隣にワゴンをつけたマーヤちゃんが、テキパキと食事の準備をしていく。クロワッサンのような見た目のパンにハムらしきもの、スープ、サラダ。まるで喫茶店のモーニングのようだ。
「これで……よし、と。ささ、春香様! どうぞ召しあがってくださいね!」
「うん、ありがとう……。あ、マーヤちゃんは一緒に食べないの?」
「へ? あ、私は侍女という立場なので……」
マーヤちゃんが少し困ったような表情を浮かべた。
「あ……そうだよね」
「や、でも……。うん、ちょっと侍従長と王妃様に聞いてみます! 春香様が望むのなら、きっと大丈夫だと思います!」
「ご、ごめんね。迷惑ならいいんだけど……。この広い部屋で一人で食べるの、ちょっとだけ寂しいかなって……」
「そ、そうですよね。私も、春香様とご一緒できるのは嬉しいので、きっちり話を通してきまっす!」
胸の前で両拳をグッと握るマーヤちゃんに、私はもう一度「ありがとう」と伝えた。そして、マーヤちゃんは見事に話をつけてくれて、私がこっちにいるあいだは一緒に食事をとれるようになった。
――食後、マーヤちゃんとお喋りしつつすごしたあと、いよいよお務め? の時間がやってきた。すでにジークさんは王城へやってきているらしい。
マーヤちゃんに案内され、ジークさんが待つ部屋へと向かう。
「あ。お、おはようございます、お務め……春香様」
扉を開け部屋に入ると、椅子に腰かけていたジークさんが弾けるように立ちあがり腰を折った。
「お、おはようございます」
私もぺこりと頭を下げる。昨日のアレがあるから、ちょっと気まずい。アレとはもちろんキスのことだ。宙に視線をさまよわせていたところ――
「あ、あの、春香様。昨日は、申し訳ございませんでした。契約の儀とは言え、何の説明もなくあんなことをしてしまって……」
ジークさんがもう一度頭を下げる。
「や……、も、もう大丈夫なので……」
「怒って……いませんか?」
「は、はい……まあ、昨日はちょっと頭にきましたけど……もう、怒ってません」
てゆーか、思いっきりビンタしちゃったし。
「そ、そうですか……! よかったぁ……!」
顔をあげたジークさんの頬が、ホッと安心したように緩んだ。どうやら、本当に悪いことをしたと思っているらしい。
精悍な顔立ちをしている大人の男性なのに、安心して胸をなでおろしている姿が何となくかわいらしくも感じた。さっきまで少し緊張してた私だけど、その姿を見てちょっと和んでしまった。
「で、では春香様。さっそく――」
「あ、その前に」
本題を切り出そうとしていたジークさんが言葉を遮られ、不思議そうに首を傾げる。
「その……春香様、ってやめませんか? あと、王様たちもそうなんですけど、私のほうが明らかに年下なんですから、敬語で話すのもやめてほしいです」
そう、実は昨日からずっと気になってた。
「や、しかし……春香様はお務め様ですし……」
「私がそうしてほしいんです。ダメですか?」
ジークさんが眉根を寄せながら、しばし思案する。
「わ、わかりました。ではそのように――」
「いや、それめっちゃ敬語じゃないですか」
「あ……」
指摘されて恥ずかしかったのか、ジークさんの頬がかすかに紅潮する。そして、わざとらしく「コホン」と咳ばらいをした。
「じ、じゃあ、ええと……春香。今日から、よろしく頼むな……、って、これでいいか?」
少し困ったような笑みを浮かべて口を開いたジークさんが面白くて、私はついクスクスと笑みをこぼしてしまった。
「うん、それで……それがいい」
「ふぅ……ちょっと、いや、かなり緊張した。あ、それなら春香。僕からも君に一つお願いがあるけど、いいかい?」
「へ? 私に?」
「ああ。僕は君に対して、様づけや敬語をやめる。だから君も僕に対して、さんづけやかしこまった話し方はやめてほしい」
私は思わず目をぱちくりとさせた。まさか、そうくるとは。
「んー……まあ、いいですけど」
「いや、それ敬語だから」
ほっぺたがボッと熱くなった。しまった、ついさっき私がしたようなツッコミを……! 何か恥ずかしい……!
もしかして、さっき私に指摘された仕返しとか? だとしたら性格悪い!
形のいい唇をかすかにしならせたジークさん、もといジークに私はジト目を向けた。
「ま、まあ、いいよ。ジーク……」
「うん、じゃあ改めてよろしく、春香」
にこりとほほ笑みながら名前を呼び捨てにされ、再び私の頬が熱を帯びる。いや、イケメンってズルい。それに、何だろう。異性のファンから名前を呼び捨てにされることに慣れているのに、いざこうやって名前を呼び捨てされると、ソワソワしちゃう。
「じゃあ、さっそく始めようか」
「あ、う、うん! てゆーか、私どういう段取りでやればいいのかとか、全然わかんないんだけど」
「簡単だよ。この剣に手を触れて、魔力を注入するだけだから」
や、だからそれがよくわかんないっつーの。今までの人生で魔力を何かに注入するなんてこと、経験がないんだから。
向かいに座るジークが、腰にさしていた剣を手にとり、胸の前でスッと抜いた。白い刃がギラリと光り、少し背中がゾクゾクとした。
ジークが抜き身となった剣をそっとテーブルの上に置く。
「ええと、この刃の部分に手を触れて、魔力を注入するんだ。体のなかを巡っている魔力を、水のように流していくイメージかな」
「な、なるほど……?」
「あ、よく斬れるから、触れるときには気をつけて」
「う、うん……、あ、てゆーかさ、魔力が注入されたかどうかは、どうやって判断するの?」
胸のなかに生まれた素朴な疑問をぶつけてみた。
「それは、ラーミアさんの仕事だね。あの人は、この国で唯一の召喚士であり魔導士でもあるから」
「そうなんだ。じゃあ、ラーミアさんが魔力を注入すればよかったんじゃないの?」
「うーん、難しいだろうね。もう結構な年だし、それほど魔力量が多いわけでもないし。体に負担がかかるし、あの人が亡くなったらいろいろと大変なこともあるし」
「え、体に負担かかるの?」
「若ければ問題ないはずだよ。それに春香はお務め様だし。過去に魔力を注入したお務め様の体に負担がかかったなんて話も伝わっていないしね」
いや、ほんとかよ。何となく不安になってきたんだが。
「大丈夫なはずだけど、もし、もし少しでもどこか痛くなったり、しんどくなったりしたらすぐ教えてほしい」
「わ、わかった」
思わず生唾をごくりと呑み込む。テーブルの上に置かれた剣を少しのあいだ見つめた私は、覚悟を決めてそっとその刃に手を触れた。