3.契約
その人を見たとき、私はなぜか目を離せなかった。
美しい金色の髪に優しそうな目もと。年は二十代の前半だろうか。スラリとした線の細い体つきではあるものの、やや浅黒く灼けた肌は筋肉質で男らしさを感じた。
「お務め様?」
王様から声をかけられ、私はハッと我に返った。
「あ、は、はい!」
「ええと、彼がジーク・ハメリアです。ジーク、こちらは当代のお務め様だ。ご挨拶を」
「はっ」
ジークと呼ばれた男の人は、私の目の前まで歩み寄ると、スッと跪いて顔を伏せた。
「お務め様。私の名はジーク・ハメリアです。クラウディアを救うため召喚に応じていただいたこと、真に感謝いたします」
「や、あの……はい」
あまりにも丁寧な挨拶を受け、私は少々面食らってしまった。それに、何だか心臓の鼓動が速い気がする。イケメンだから、だろうか? そんな単純な女じゃないと思ってるんだけど。
「では、お務め様。さっそく契約を――」
「あ、あの。その、お務め様ってやめてくれませんか? 何かこそばゆいというか……」
「は、はぁ。では、何とお呼びすれば?」
「春香でいいです」
「わかりました。では、春香様とお呼びさせていただきます」
王様が深々と頭を下げると、それに倣うように王妃様や召喚士のおじいさんも腰を折った。いや、できれば様もやめてほしいんだけどな。
「で、では。お務め……春香様。さっそく契約の儀を執り行いたいと思いますので、目を閉じていただけますか?」
「は、はい」
召喚士、ラーミアさんの言葉にしたがい、私は素直に目を閉じた。ラーミアさんが何やらブツブツと呪文のようなものを呟く声が聞こえる。
「〇△※◇✕〇☆△……ジーク・ハメリア、契約の証を」
ラーミアさんがそう口にした刹那――
「……っ!!!??」
突然、唇がやわらかくあたたかいものに塞がれた。驚いて目を開けた私の顔のすぐ前にあったのは、ジークと呼ばれていた男の人の顔。キスされた、と気づくのに時間はかからなかった。
「な、な、何すんのよっ!!」
パンッ、と乾いた音が室内に響く。怒りと恥ずかしさのあまり、私はジークさんの頬を思いっきり平手打ちしてしまった。
な、何なの!? 何なの何なの!? わ、私、男の人とキ、キ、キスなんて生まれて始めてなのに……!
「も、申しわけございません春香様! これが契約の儀式なのです!」
「はぁ!? ふ、ふざけんじゃないわよっ!! 乙女の唇をいったい何だと思ってんのよ!!」
あまりもの剣幕に、その場にいた全員の顔が青ざめていた。わなわなと全身を震わせる私を見て、王様も王妃様もオロオロとしている。
「は、春香様。説明がなかったことは謝罪いたします。申しわけございません。でも、これで契約は完了しました。ジークが封印を成功させた時点で契約は履行されたとみなし、春香様は自動的にもとの世界へ戻ります」
……ん? ジークが封印を成功させた時点?
私は王様とラーミアさんをじろりと見やった。その話も聞いていないんですけど?
「私のやることって、剣に魔力を注入するだけなのでは?」
「そ、そうなのですが……剣に魔力を注入した時点で戻られてしまうと、もし剣が不完全だった場合に問題が……実際、過去にそういった事例もあるようでしたので……。召喚の儀式の成功率も非常に低く、ダメだったからまた召喚、というわけにもいかず……」
ちょっとイライラしてきた。なら、最初からそう言えばいいじゃん。わざわざ騙すようなことしないでさ。友達と旅行へ行くと言って、実際には彼氏と遊びに出かけている母親のことが一瞬脳裏をよぎり、胃のあたりがムカムカとしてきた。
――あからさまに不機嫌になったからか、それとも最初から用意されていたのか。それは不明だが、案内された城内の部屋はとても立派だった。
「失礼します」
一人で使うには広すぎる部屋を所在なくウロウロしていると、メイド服を着た女の子が入ってきた。
「はじめまして、春香様。私は春香様のお世話や話し相手を仰せつかったマーヤと言います。困ったことでも何でも、気軽に言ってくださいね」
赤みがかった髪をおさげにしたかわいらしい女の子。年は私よりも下に見えるけど、とてもしっかりしてるなと思った。
「あ、うん。こちらこそよろしくお願いします。ちょっと、まだ何が何だかで少し混乱してるけど……」
「そうですよね。あっ。そう言えば、少し前に手に入れた美味しい焼き菓子があるんです。今紅茶と一緒に持ってきますねっ」
「や、そんな──」
私の言葉を聞くことなく、マーヤと名乗ったメイドの女の子はパタパタと慌ただしく部屋を出て行った。そして、五分もしないうちに、トレーにティーポットとティーカップ、お菓子を盛った器をのせて戻ってきた。
「このお菓子、本当に美味しいんですよ。それに、王城だけあって紅茶の茶葉もいいの使ってるんですっ。ささ、春香様。どうぞ」
「う、うん。ありがとうマーヤちゃん」
にっこりと微笑むマーヤちゃんを見てたら、何となくだが先ほどまでのイライラが緩和されていくような気がした。美少女の癒しパワーおそるべし。
器に盛られたクッキーのようなお菓子を口のなかへ放り込む。うん、クッキーだこれ。ああ、紅茶もめちゃくちゃいい香り……。
ほのかな甘みのクッキーと、香り高い紅茶のおかげでだいぶ心も落ち着いてきた。顔に出ていたのか、そんな私の様子を見てマーヤちゃんが少しほっとしたような表情を浮かべた。
マーヤちゃんはかなりのお喋り好きらしく、こっちが聞いていないこともいろいろと話してくれた。いきなりわけわからない状況に身を置くことになって不安と恐怖でいっっぱいだったけど、同年代の女の子と話しているとそれだけで気持ちが落ち着く。
私が暮らしていた国やマーヤちゃんの家庭環境など、いろいろ会話しているなかで、私は一つ気になることを聞いてみた。
「不死竜バルーザって恐ろしい魔物なんでしょ? 普通なら、そんな危ない魔物がいる土地からは逃げだしそうなものだと思うんだけど」
「うーん、そうですねぇ。ただ、不死竜のおかげでこの国が潤っている事実もあるんですよねぇ」
「え? どういうこと?」
「不死竜バルーザって、北の森近くの洞窟に封印されてるんですけど、外からその姿が見えるんですよ」
「ええっ!?」
「洞窟って言っても奥行はほとんどなくて。結界があるので中には入れないんですが、外からは見えるので、観光資源として役立ってるんですよぉ」
「そ、そうなんだ……」
「ええ。ま、最近は復活の予兆があるし、瘴気も漏れているみたいなんで観光客もほとんど来なくなりましたけどね」
マーヤちゃんが「やれやれ」といった様子で首を左右に振る。
「でも、お務め様が、春香様が来てくれたので、私たちも安心です。ジーク様はちょっと、かわいそうですけど……」
ティーカップをカチャリとソーサーへ戻したマーヤちゃんが、そっと目を伏せた。
「かわいそう、って?」
「え、と……。本来、不死竜が復活した際の封印はハメリア家長男の役目なんです。でも、長男のガラム様が逃げちゃった、というか……」
「に、逃げた?」
「はい。国外にでも逃亡したんだろうって」
「そ、そうなんだ。でもまあ、そんな恐ろしい魔物のそばに近寄るのは怖いもんね……」
思ったままに口から出た言葉だったが、それを聞いたマーヤちゃんは目をぱちくりとさせた。
「え、何? どうしたの?」
「い、いえ」
サッと目をそらしたマーヤちゃんを訝しがりつつ、私は再びティーカップに口をつけた。
「それはそうと、春香様。明日からはいよいよお務めですねっ。私も成功を祈っていますので、よろしくお願いしますっ!」
「あ、うん」
これも部屋へ案内される前に王様たちから聞いた話だが、剣への魔力注入はだいたい五~七日ほどかかるとのこと。
一日二日程度で終わると思っていた私は、想像以上に長引くことに思わず立ちくらみを起こしそうになった。
でもまあ、ここまできたら仕方がない。さっさとやることやってもとの世界に帰るんだ。
胸のなかで密かに決意を新たにしながらも、なぜか私はジークさんのことを思い返していた。あの、優しくもどこか憂いを帯びたような、吸いこまれそうな青い瞳。
なぜだかわからないが気になる。
そして、ついさっきキスしてしまったことまで思いだし、思わず顔が赤く、熱くなった。