22.驚報
「春香、大丈夫かい!?」
「う、うん! 大丈夫!」
スヴニル湖へと向かう道中、ジークは幾度となく心配そうに声をかけてきた。
まあ、最初はちょっと怖かったけどね。だって、こんなでっぷりとした見た目なのに、車並みの速さで走るんだもん。
ジークにしがみついたまま、後ろへ流れていく景色をぼんやり眺める。一本道の街道沿いには一定の間隔でヤシの木のような植物が植えられており、その向こうには草原が広がっていた。
「いい景色だね」
「だな。でも、スヴニル湖ではもっといい景色を見られるよ」
「そうなんだ。楽しみだなー」
ジークとの会話と美しい景色を楽しみつつ、ウシウマの背で揺られること約三十分。緩やかな登り坂を登りきったところでジークが前方を指さした。
「春香、見えてきたよ」
体を傾け前方へ目を向けた。
「わぁ……! あれがスヴニル湖?」
「ああ。普段は観光客が多いんだが、今は時期が時期だけに空いてそうだ」
遠目にもはっきりと分かる、コバルトブルーの湖。風でかすかに細波立つ湖面に太陽の光がキラキラと反射して、とても幻想的な風景だ。
「海みたいにビーチがあるんだね」
「珍しいかい?」
「んー……私のいた世界というか、国では珍しいような。私が知らないだけかもしれないけど」
「そうか。あのビーチには、もっと珍しくて面白いものがあるよ」
「あ。ラーミアさんとこで言ってたやつ?」
「ああ」
ウシウマに動くよう合図を出し、ゆっくりと坂道を下ってゆく。美しい湖とビーチがどんどん近づいてきた。
「うわぁ……!」
やがてたどり着いたスブニル湖。白いビーチの向こう側に広がるコバルトブルーの世界。小さな波が、砂浜へ打ち寄せては引いていく。
すっご……てゆーか、やっぱり湖というより海みたい。
「ねぇ、ジーク! 波打ち際まで行ってみようよ!」
「ああ、そうだな」
ジークはウシウマの手綱を引いて動きを止めると、その背からひらりと地面へ飛び降りた。私もジークの手を借りて、何とかウシウマの背中から降りることに成功した。
二人でテクテクと波打ち際へと歩いていく。ビーチの砂はとてもきめ細かく、まるで雪のようだった。
ざざっ、と波が打ち寄せる音に心が弾む。
そういえば、こうして誰かと海……じゃなくて湖に遊びに行くなんてこと、今まで一度もなかったな。
「どうだ、春香。キレイだろう?」
「うん! それに、風が気持ちいいね」
湖面を這ってきた風が頬を優しく撫でていく。風に靡く髪を押さえながら、キラキラと光を絡める湖面に目をやった。
「あ、そういえばジーク。言ってた面白いものって何?」
「ああ、それはな……」
ジークが何かを探すように、足元をきょろきょろと見まわし始めた。そして、少し移動した先でしゃがみ込む。
「お、あったあった」
砂に埋もれていた何かを拾いあげるジーク。
「な、何?」
「春香、手を出して」
「も、もしかして、変な虫とかじゃないよね……?」
悪いけど虫はキライだ。そんなもの手渡された日には、またジークにビンタしてしまうかもしれん。
「違う違う。ほら」
ジークが手のひらをこちらへ差し出す。そこにのせられていたのは――
「か、貝殻……?」
「ああ。これは、メディアムールの貝殻なんだ」
「メディアムール?」
赤と青の美しいグラデーションカラーを纏った貝殻を、食い入るように見つめる。
見た目は……うん、ヤドカリの貝殻みたい。キレイなヤドカリって感じ。でも、これが面白いものなのかな?
ジークの手のひらから、そっと貝殻を手に取る。
うん、やっぱりヤドカリだ。
「ま、正確には魚貝ではなく魔物の一種なんだけどな」
「はあっ!?」
思わず素っ頓狂な声を上げ、貝殻を落としそうになった。
「ま、まま、魔物って……!」
「大丈夫。もうとっくに死んで、ただの貝殻になってるから」
「ほ、ほんとに?」
「ああ。ただ――」
ジークが再びメディアムールの貝殻を摘まむ。
「死んではいるが、かすかに魔力の残滓があるんだ。で、こうすると――」
ジークは貝殻に口を近づけると、何やらボソボソと呟いた。そして、再び私に貝殻を渡した。
「耳もとにあてて、貝殻を指先で軽くちょんちょんと叩いてごらん」
「う、うん……」
怪訝に感じながらも、とりあえず言われた通りに貝殻を耳にあてた。そして――
『どう? 面白いだろ?』
「え!?」
なんと、貝殻の中からジークの声が聞こえた。
「ど、どういうこと!?」
「あはは。メディアムールは面白い性質があってね。音の記憶と再生ができるんだ」
「へえ……!」
「死んだあとも貝殻に魔力がわずかに残ってて、少しのあいだなら音の記憶と再生が可能なんだよ」
たしかに、面白い。ボイスレコーダーみたいなもんか。
と、そのとき。
「なあ、春香。メディアムールの貝殻に言葉を吹き込んで、交換しないか?」
「え……?」
「ダメ、か?」
「そ、そんなこと、ないけど……」
突然の提案だったからか、思わず挙動が不審になってしまった。でも、どうして突然そんなことを?
「じゃあ決まりだな。お互いが、一番伝えたい言葉を吹き込もう」
「え、ええっ!?」
ジークがかすかにいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「あ、それから。再生するのは、春香が元の世界に戻ってからにしてくれよな」
一瞬にして、現実に引き戻された。
そうだ。ジークは……もう。
「春香?」
「あ……あ、うん。ってか、どうして?」
「それは、恥ずかしいからさ」
「恥ずかしいようなこと、吹き込むんだ?」
「や……! そ、それは……!」
途端に狼狽え始めるジーク。
いや、いったい何を吹き込むつもりだよ。
「まあ、いいけど。なら……ジークも、聞くのは、私が帰ってからにしてね?」
「ああ、分かった」
話がまとまったところで、お互い声を吹き込むための貝殻を探し始める。そして、見つけたメディアムールの貝殻に、こっそりと声を吹き込んだ。
「じゃあ、はい。これ」
「俺からもこれを」
ジークから手渡された、虹色の小ぶりな貝殻。少しのあいだ眺めたあと、パンツのポケットに仕舞った。
少しそのあたりを散策したあと、ビーチに腰を下ろして二人でぼんやりと湖を眺めた。
「キレイ、だね」
「そうだな」
隣に座るジークの横顔をちらりと見やる。かすかに口元を綻ばせたまま、ジークは青い湖面を真っすぐに見つめ続けていた。
少し風が強くなり、煽られた髪が暴れ始める。かすかに肌寒さも感じ始めた。
「風、強くなったな」
「だね」
ジークがゆっくりと立ち上がる。
「そろそろ、帰るか。春香の体が冷えてしまうからな」
「わ、私は別に、大丈夫だ……クシュンッ!」
「ほら。また体調不良になったら大変だからな」
かすかに笑みを携えたまま、ジークは私に手を差し出した。その手を借りて、私も立ち上がる。
ジークのすぐ後ろを歩きながら、少し離れたところで待つウシウマのもとへ。歩きながら、ジークの大きな背中を見つめる。
訪れたときとは真逆に、足取りが重い。まるで、ビーチの砂に足が搦めとられているようだった。
「春香、楽しめたかい?」
前を歩いているジークが肩越しに顔を向ける。
「あ、う、うん。楽しかったよ。連れてきてくれて、ありがとう」
「ならよかった。俺も、春香と一緒にここへ来られて、本当に嬉しかったよ」
にこりと微笑んだジークは、再び前へと向き直った。
どうして? どうして、そんなふうに笑えるの? ジーク、死んじゃうんだよ? おかしいじゃん、そんなの。
喉のあたりまで心の声が漏れかかった。それを必死の思いで押し戻す。
ねえ、やめちゃおうよ。ジークが死ぬことなんて、ないよ。酷いよ、こんなの。
喉元まで迫る心の声。
ダメ、ダメだ。絶対にそんなこと、言っちゃダメだ。私は、何も知らないフリをして、そのまま元の世界に戻るんだ。ジークを困らせるようなこと、絶対に言っちゃダメなんだ。
でも――
押し寄せる波の音が、ひと際大きくなった。
気づいたとき、私は震える手でジークの上着の裾を掴んでいた。ジークが「どうした?」と振り返る。
「……行っちゃ、ヤダ」
精いっぱい絞り出した、蚊が鳴くような声。
「春香……?」
まぶたが焼けるように熱くなり、視界が滲み始める。
「……行かないでよ」
「ど、どうしたんだ、春香?」
「私、全部知ってる」
ジークがハッと息を呑むのが分かった。
「何、を……」
「……ジークが、死んじゃうってこと」
その言葉を口にした瞬間。瞳から堰を切ったように涙が溢れ、頬を次々と伝い落ちた。とめどなく流れ落ちる涙が、ビーチの白い砂に吸い込まれていく。
と、そのとき。
肩を震わせながら嗚咽する私の頭を、ふさっと何かが包み込んだ。それは、ジークの大きな手。
「……知っていたのに、知らないフリしてくれてたんだな。ありがとうな、春香」
にこりと、いつもと変わらぬ笑顔を見せるジーク。
「ヤダ……ヤダよ……ジークが死んじゃうなんて……ヤダよ……!」
「……ありがとう。ほんと、ありがとうな。そんなふうに思ってくれて……」
私は声を出して泣いた。それこそ、子どものように。そんな私を、ジークはそっと抱きしめた。
「……バルーザを封印できるのは、俺だけなんだ。俺がやらないと、大勢が死ぬ。国王様や王妃様……孤児院のソラさん、それに、ジンタン。みんなを守るために、俺は行かなくてはならないんだ」
「わがっでるっ……! ぞんなの、わがっでる……でも、それでも……あああうう~……!」
「俺のために泣いてくれて、ありがとう春香。君に会えて……本当に、よかった」
――ウシウマの背中で揺られながらの帰路。ジークは、またいつもと変わらぬ様子でいろいろな話をしてくれた。
が、まだ気持ちを整理しきれていなかった私は、適当に相槌を打ったり、愛想笑いを浮かべたりすることしかできなかった。
もう、これが最期なのに。
もう、ジークには二度と会えないというのに。
ダメだ……そんなこと考えたら、また泣いてしまう。
奥歯を思いきり噛みしめた。
これ以上、ジークを困らせるようなことをしたくない。私もなるべく笑顔で、いつも通りの態度で、ジークとお別れしなきゃ。
と、そんなことを考えていたところ――
「……ん?」
王都への入り口となる巨大な門。そこに、十名近くの衛兵が集まり慌ただしそうにしていた。
「何か、あったのかな?」
「みたいだな。聞いてみるか」
ウシウマに乗ったまま門へと近づく。ジークに気づいた数名の衛兵が「あ!」と声を上げた。
「ご苦労さん。何かあったのか?」
「ジ、ジーク様! そ、それが……!」
衛兵たちは困惑した様子で、互いに顔を見合わせている。
「どうした? いったい、何があったんだ……?」
「じ、実は……」
年配の衛兵がジークを上目遣いで見ながら、おずおずと口を開く。
「ジーク様のお兄様であられる、ガラム様が見つかったと、報告がありました」




