20.カウントダウン
何者でもないただの女子高生が、ある日いきなり異世界に召喚され、人々の命に直結するような重大任務を任される。
ほんと、最近流行っている異世界もののラノベみたいな展開だった。こっちへやってきた当初はとにかく不安だし怖かったから、さっさとやることやってもとの世界へ帰りたいって考えてた。
でも、最初に比べるとその気持ちはずいぶん小さくなった気がする。もちろん、帰りたい気持ちはあるけど。
国民のことを大切に考えている王様や、常に私のことを気づかってくれる優しいマリアンヌさん、朗らかな笑顔で癒してくれるマーヤちゃん。
私の歌に感動して涙を流してくれた孤児院の院長ソラさんや子ども、イベントに来てくれた人たち。私がもといた世界より、こっちのほうが遥かにあたたかくて暮しやすい、そんなふうに感じざるを得なかった。
それから……ジーク。
前ほど帰りたいと思わなくなったのは、ジークがいるからだと思う。
初めての経験だった。男の人からあんなふうに抱きしめられたのは。何もかも包み込んでくれるような優しさと、思わず見とれてしまいそうな笑顔。
ただ一緒にいるだけでドキドキして、胸の奥がポカポカとあたたかくなった。
もっと、もっとジークと一緒にいたい。私はきっとそう思っている。でも、それは叶わないんだ。
今日、私は最後のお務めを果たす。不死竜バルーザの封印、もしくは討伐に十分必要な魔力を剣に注入して、私の役目は終わる。
そして、私が魔力を注入した剣を携えて、ジークは不死竜バルーザのもとへ行く。
そこで……彼の人生は終わりを迎えるんだ。
私とは……もう、この先一生会うことはないんだ――
ひとつ深呼吸をしてから、いつものようにジークが待つ部屋の扉を開いた。
「やあ、おはよう春香」
ソファに座ったままこちらを見たジークの顔は、いつもと同じように穏やかだった。
「う、うん。おはよう」
「昨日のイベントは大盛況だったね。王妃様にも聞いたけど、入場料もかなり集まったみたいじゃないか」
「そうだね。それに関しては、本当によかったなって、思う」
ジークの向かいに腰をおろし、いつものように雑談から入る。昨日、ラーミアさんから言われたことが頭のなかで再生されたが、それをかき消すかのように私は首を左右に振った。
「どうしたんだい、春香? また体調が悪いとか……?」
「ん、んーん。何でもない。昨日張り切っちゃったから、ちょっと疲れてるのかも」
「そう、だよな。本当にお疲れさん、春香。でも、やっぱり春香の歌は凄いな。俺はもちろんだが、集まった人みんなが感動してたぞ」
「あ、ありがとう。私、ちゃんと歌えてたかな……?」
「もちろんだ。気持ちがとても込められた、いい歌だった。それに、あのドレスも春香にとても似合ってた。とてもきれいだったよ」
きれいと言われ、たちまち頬が熱を帯びた。
「春香の歌を聴いて感動しない者はいないと思うぞ。前に言ってた、歌にケチをつけたヤツをぶん殴ってやりたい気分だよ」
一瞬キョトンとしたあと、思わず「ぷっ」と噴き出してしまった。ジークがエキセントリックのマスターをぶん殴っているシーンを想像してしまったからだ。
もともとロックバンドのギタリストだったという、派手髪のひょろひょろしたマスターが、ジークに殴られて謝っているところを想像するとかなり面白い。
「それじゃ……春香もお疲れみたいだし、早く終わらせてしまおう」
まるで、私がリラックスするのを待っていたかのようにジークが口を開くと、そばに立てかけてあった剣をローテーブルの上にゴトッ、と置いた。
「う、うん……そうだね」
剣へ視線を落としながらも、ちらりと上目遣いでジークを見やる。彼の表情に大きな変化はない。いつもとまったく変わりのない様子が、かえって怖かった。
わかっているはずなのに。ラーミアさんから聞いて、これが最後のお務めであると知っているはずなのに。
死地へ向かうカウントダウンが、いよいよ始まったというのに、どうしてあなたはいつもと同じ、穏やかな顔をしていられるの?
ローテーブルに置かれた抜き身の剣に、そっと両手のひらをかざした。私のなかにある魔力が剣に吸いこまれていく。
思わず下唇を噛んだ。もう……もう終わってしまう。終わりのときが、来てしまう。
剣へかざしていた手を膝の上へと戻し、大きく息を吐いた。
「……春香、本当にご苦労様。俺はこのままラーミアさんのところへ行くけど、君は――」
「私も行く」
食い気味に答えた私を見て、ジークが少し目を見開いた。
「……そうか。じゃあ、一緒に行こうか」
剣を鞘に納めたジークが立ちあがり、小さく頷いた私もソファから腰をあげた。
──二人肩を並べて訪れた私たちを見て、ラーミアさんは少し目を細めながら丁寧に腰を折った。
「ラーミアさん、これを」
ジークが差し出した剣をラーミアさんが手に取り、魔力を測定するいつもの儀式が始まる。
「おお……やはり素晴らしい……!」
ラーミアさんが感嘆の声を漏らした。ただ、私としては「素晴らしい」なんて言われたところで嬉しくも何ともない。
そっとため息をついた私の目の前で、突然ラーミアさんが立ち上がった。え、どうしたの? と戸惑っていると──
「春香様……いえ、お務め様。この国を救うためのご尽力、心より感謝いたします」
「え……いや、そんな……」
深々と頭を下げたラーミアさんに続くように、ジークも立ち上がり腰を折った。
「俺からも改めて礼を言わせてほしい。春香、本当にありがとう。これで俺はハメリア家の者として役目を果たせるし、国を救うことができる」
「ジーク……」
やめてよ。そんなこと言わないでよ。だって、それはつまりジークが死んじゃうってことなんだよ? そんなふうにお礼言われて、私はいったいどんな顔をしたらいいの?
私は思わず目を伏せて唇を噛んだ。今まともにジークの顔を見たら、泣いてしまいそうだったから。
「そうだ、春香様。もうスヴニル湖には行かれましたか?」
「え……? ス、スヴニル湖?」
ラーミアさんからのいきなりの質問に、思わず声が裏返りかけてしまった。
「はい。我が国で唯一の湖でして、この時期は美しい風景を楽しめるんです」
「へぇ……そんな名所もあったんですね」
「名所というには地味なスポットではあるんですけど、古くから地元の者に親しまれてるんです」
「そうなんですね」
「どうでしょう、お務めも完遂なされたことですし、ジーク殿と一緒に足を運んでみては」
ジーク、と聞いて心臓がドクンと跳ねた。ラーミアさんは、どこか慈しむような優しい眼差しでこちらを見ている。
ああ、そうか。ラーミアさんは私の気持ちに気づいているのかもしれない。だから、最後に二人で思い出を作れるようにと配慮してくれてるんだ。
相変わらず、この国の人は気遣いができる優しい人ばっかりだ。
緩みそうになる涙腺を気合いで締めた私は、そっとジークの顔を見た。彼もまた、ラーミアさんと同じように優しい目で私を見ている。
「春香、俺も君と一緒にスヴニル湖へ行ってみたいな。あそこは風景もだが、もうひとつ面白いものもあるんだ」
「面白いもの?」
かすかに首を傾げる私の前で、ラーミアさんが「ああ、あれですか」と相槌を打つ。
「面白い、というか珍しいというか。春香はきっと気に入ってくれると思うよ」
自信ありげに言うジークを見て、私のなかの大きすぎる好奇心がむくむくと湧きあがった。
何より、ジークとお出かけできるのは単純に嬉しい。たとえ、それが最期なのだとしても。
気がつくと私はソファから立ち上がり、ジークを見上げながら「行く!」と口にしていた。