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19.虚無感

別に、恋愛に縁がなかったわけではない。


クラウディア王国にとって大きな脅威である不死竜バルーザ。その脅威に対抗できる唯一の存在、ハメリア家の次男として生を受けた俺に近寄ってくる女は大勢いた。


だが、そうした女の多くは俺のことが好きだったわけではなかったと思う。彼女たちの多くは、王族からも厚く信頼されるハメリア家に価値を見出していたのだ。


ハメリア家に嫁げば、国民はもちろん王族からも信頼され、羨望の眼差しを向けられる。特にこれといった労働をせずとも、国からは毎年のように多くの金が支給されるため、生活で不自由することもない。


だからこそ、多くの女が俺に言い寄ってきた。英雄の血筋に加わることを夢見て。


『さすが英雄の末裔ですね』


『普段から王族とのおつきあいはあるのですか?』


『側室でもかまわないので、末席に加えていただけませんか?』


はっきり言って、うんざりだ。彼女たちが欲しがっていたのは俺ではなく、ハメリアに一族に加われたという栄誉。


なかには、相性がそこそこよくて交際に発展した者もいた。が、交際の期間が長くなるにつれ、これまでひた隠しにしてきた本性が見えてくる。


『ジークはいろいろ考えすぎなんだよ。もっと気軽に楽しんだらどうだ』


兄からはよくそんなことを言われた。


『もし不死竜バルーザ復活の予兆があっても、それに対処するのは長男である俺だ。お前はいろいろな女とつきあい、心から愛せる人を娶ればいいんだよ』


そんなことも兄は言っていた。が、その兄はいざそのときが迫ると、俺に役目を押しつけ最愛の家族も捨てて逃げた。


まあ、それに関しては今さら恨んではいない。兄さんとしても、相当悩みに悩みぬいたんだろうと思う。



命を散らす日を待つばかりの俺だが、楽しみもできた。当代のお務め様である春香と会うこと。


艶やかな黒髪と笑顔がかわいらしい十七歳の少女。気性が激しい一面があるものの、本質は誰にでも優しく慈愛に満ちた心の持ち主だ。


そして、聴く者を虜にしてしまう、魅力的で素晴らしい歌声。


王城の庭で大臣たちから孤児の犯罪が増えていると聞いた春香は、いいアイデアがあると言い出した。それは、彼女にとって何の得もない行為だった。


彼女は、ただただ子どもたちを助けたいという気持ちだけで、そのアイデアを陛下や王妃様に伝え、実現することに。


イベントの当日、剣へ魔力を注入してもらった俺は、一人でラーミアさんのもとへ向かった。春香にはやることがたくさんあったから。


研究室で剣の魔力量をチェックしたラーミアさんは、一瞬驚いたような目をすると、小さく息を吐いた。


「ど、どうしました、ラーミアさん?」


「いや……やはり、春香様のお力は素晴らしいと思いまして」


チェックを終えた剣から目を外したラーミアさんが、かすかに口もとを緩ませる。


「すでに、封印には十分な魔力が蓄えられています。あと一度注入していただければ、不死竜バルーザの討伐も夢ではないでしょう」


それは、俺が待ち望んでいた言葉のはずだった。これでやっと、ハメリア家の者としての役割を果たす準備が整ったのだ。


そして、不死竜バルーザの封印、もしくは討伐を成功させたら、春香はもとの世界に戻れる。喜んであげるべきことなのだ。


が、ラーミアさんの言葉が耳に届いた俺の体を、とてつもない脱力感と虚無感が襲ってきた。


それから、自宅へ戻るまでの記憶はあまりない。ただ、遠くでずっと耳鳴りのような音が鳴っていた気がする。



――自宅で少し仮眠をとったあと、イベントが開催される中央公園へと向かった。わかってはいたことだったが、イベント会場には大勢の国民が集まっていた。


お務め様の姿を見られるだけでなく、歌まで披露するというのだ。娯楽がそれほど多くないこの国の国民にとって、これほど魅力的なイベントはない。


会場に入ってきた王族専用の馬車が、ステージのそばで停まる。幼い顔立ちをした侍女にエスコートされながら、春香がステージへと上がってきた。


かすかに、だがたしかに、俺の心臓が跳ねたのを感じた。ステージに上がった春香は、艶やかな美しいドレスをまとっていたから。


俺は思わず手で胸を押さえた。暴れる心臓を落ち着かせるかのように。そして、自分に対してかすかな嫌悪感も抱いた。


春香はわずか十七歳の少女だ。そのような幼い少女に対し、このような感情を抱くのはよくないことだと思った。


ステージに立った春香が、堂々とした佇まいで静かに歌い始める。それまでざわついていた会場が、一瞬にして静まり返った。


ああ、何と心地のいい声だろう。どこまでも透き通っていて、艶やかで、伸びやかで。ささくれていた心が癒されていくのがわかる。


観客の多くが感動の面持ちで涙を浮かべていた。当然だ。この国にも歌い手はいるが、春香ほど美声かつ歌唱力の優れた者はいないのだから。


しばらくのあいだ、俺は春香の心地よい歌声が響く空間に身をゆだねていた。そして最後の曲。


『いつまでも君のこと、想い続けていたいから 今は彼方から見守りたい いつまでも君のこと、想い続けていたいから いずれ逢うときも 変わらない優しい笑顔を見せて』


気がついたとき、俺の瞳からは大粒の涙がこぼれていた。心が揺さぶられた気がして、次から次へと熱い雫が頬を伝い地面に落ちた。


慌てて服の袖で涙を拭う。ステージで歌っている春香から見えるはずはないが、何となく気恥ずかしくなったから。


ああ……やはり、俺は春香のことを……。


ステージで熱唱する春香の姿をまぶたに焼きつけようとした。と、そのとき――


『アアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』


突如、遠くから耳障りな音が聞こえてきた。それは紛れもなく、音鳥が不死竜バルーザの瘴気を検知したときの鳴き声。


俺は耳を澄ませた。おそらくは、不死竜バルーザにもっとも近い音鳥が鳴いただけだ。ここから、さらに次々と音鳥が鳴き始めたらかなりマズい状況だ。


が、幸いにも音鳥の警報音はすぐに止んだ。それでも、まだ何が起きるかわからない。俺は反射的に春香のもとへ向かおうとしたが、すでに護衛をしていた衛兵隊長が彼女を伴いステージを降りるところだった。


不安そうにざわめく観客たちに紛れ、俺は禍々しい声が聞こえてきた方角の空を見やった。

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