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18.脅威の音

ステージへと続く簡素な階段の前に立った私は、もう一度大きく深呼吸をした。


「……よし」


ドレスの裾を引きずらないよう、スカートの端を軽く持ち上げながらゆっくりと階段をのぼり、ステージのセンターへと移動する。


正面を向いた瞬間、客席がドカンと沸いた。満面の笑みを浮かべて手を振る人、大声で呼んでくれる人、早くも目を潤ませている人。


今まで見たことがないような人の波。ものすごい熱気と熱量に圧倒され、思わず息を呑んだ。しかも、今まで出演してきたライブハウスとは異なり、今回は観客がステージを囲んでいる。


震える膝を何とかごまかしつつ、私は正面と左右、後方の観客たちへ軽く手を振った。スッと息を吸いこむ。


「みなさーん! こんにちはー! 今日は来てくれてありがとうー!」


再び観客が沸いた。


「一生懸命歌うから、聴いてくれると嬉しいです! よろしくお願いしまーす!」


大声を張ったら少し緊張がほぐれた気がした。目に映るお客さんたちすべてが、好意的な目を向けてくれているのも大きい。


目を閉じてスーッと息を吸いこむ。ざわめきが収まり始めた。


私はゆっくりと歌い始める。集まってくれた、すべての人に届くよう、精いっぱい喉を開いて、腹の底から声を出して。


歌い始めてすぐ、会場となった公園には私以外の声が聞こえなくなった。私の耳にも、私の歌声以外は何も聞こえない。


自分でも驚くほど集中できていた。あれほど緊張していたのがウソのように。歌いながら少し視線を上げると、青い空が視界に映りこんだ。


私の声はみんなに届いているだろうか。この、青く澄みわたる空に、私の声は吸いこまれていないだろうか。そんなことを考える。


一曲目を歌い終え、私は軽く腰を折った。すると、さっきまでとは比べものにならないほど、大きな歓声があがった。


まるで、音が壁のようになって押し寄せてくるような迫力。客席をざっと見わたすと、熱狂している人のほかに、涙を流して号泣している人までいた。


嬉しい――


素直にそう感じた。私の歌で感動してくれる人がいる。喜んでくれる人がいる。これほど幸せなことがあるだろうか。


思わずこちらまで涙腺が緩みそうになり、グッと奥歯を噛みしめる。いいスタートを切れたことで、そのあともすべて順調だった。


唯一、MCでも声を張らなければならなかったことが大変ではあったが。後半では、ステージをできるだけ広く使いながら歌ってみた。できるだけ、多くのお客さんの顔を見たかったから。


そして、あっという間に時間はすぎ、ついに最後の曲となった。普段のライブよりも遥かに大きな声を振り絞っているため、喉には相当な負担がかかっている。


でも、これは自分が望んだことだ。私の存在が少しでも役に立てるのなら。孤児たちが食べるものに困らなくなるのなら。


一つ深呼吸をしたあと、私は最後の曲を歌い始めた。曲名は「彼方から」。恋愛をテーマにしたオリジナルのバラード曲だ。


『いつまでも君のこと、想い続けていたいから 今は彼方から見守りたい』


風に泳ぐ髪を気に留めず私は歌い続ける。


『いつまでも君のこと、想い続けていたいから いずれ逢うときも 変わらない優しい笑顔を見せて』


エキセントリックのマスターから、気持ちがこもっていない、恋愛の経験が足りないのではと辛らつな言葉を投げかけられたときのことが脳裏をよぎる。


今はどうだろうか。青い空を突き刺すようにハイトーンボイスを繰りだす。透き通るほど青く寒々とした空。吸いこまれそうな青。


閉じたまぶたの裏にジークの顔が浮かびあがった。


目を開き会場へ視線を這わせながら声を張る。この会場のどこかにジークはいる。彼に、あの人に私の歌声は聴こえているだろうか。


と、そのとき――


『アアアアアアアアアアアアアアア!!』


突然、不気味な叫び声のようなものが遠くから聞こえた。鼓膜を突き刺すような甲高い金切り声。戸惑う観客たちのあいだにざわめきが広がっていく。


「お、音鳥の鳴き声だ!!」


誰かが叫んだ。慌てふためきだした観客たちに、護衛の兵士たちが「落ち着け!」と声をかける。


不気味な金切り声は十数秒ほど続き、やがて静かになった。


「お務め様!」


護衛をしてくれていた衛兵隊長のフーゴさんが、ステージに立つ私のそばへ小走りで寄ってくる。


「お務め様。どうやら不死竜バルーザの瘴気が漏れたようです。問題はなさそうですが、何があるかわかりません。ここは引きあげましょう」


「あ……はい」


たしかに、何があるかわからない状況でイベントを続け、お客さんたちに何かあったら大変だ。私はステージのセンターでお客さんたちにペコリと頭を下げ、「みんな、ありがとう!」と一言伝えてからステージを降りた。


「とりあえず王城へ戻って様子を見ましょう」


「は、はい。あの、お客さんたちは大丈夫なんでしょうか……?」


「おそらく、瘴気を検知して鳴いた音鳥は封印の洞窟近くに配置されている個体です。市街地まで流れてはこないでしょう。それに、ジュライの街には緊急避難用の地下室がいくつも設けられていますから」


「そ、そうなんですね」


ステージの下でやや不安そうな表情を浮かべていたマーヤちゃんが私の手をとり、急かすように馬車へ乗り込む。ゆっくりと進み始めた馬車の窓から外を見ると、お客さんたちも兵隊さんに誘導されながら会場をあとにしていた。


馬車の堅い椅子、その背もたれに体をあずけ目を閉じる。初めて耳にした音鳥の鳴き声が頭のなかでこだました。


あんな気持ちの悪い声、初めて聞いた。何て言うか……禍々しく、とてもよくない感じがした。


以前、ジンタン君と一緒に軽い気持ちで見に行った、不死竜バルーザの凶悪な姿が脳裏に浮かぶ。ジンタン君は言っていた。バルーザの体から新たに瘴気が漏れたとき、洞窟内に充満している瘴気が外へ押し出されるのだと。


やはり、復活の日は近いということなのだろうか。先ほどまであんなにいい気分だったのに、胃のあたりがズシンと重くなった気がした。



――どうやら、漏れた瘴気はわずかな量だったらしい。


王城の部屋に戻り少し経ったころ、マリアンヌさんがやってきて状況を教えてくれた。


「とりあえず、市街地まで瘴気が流れてくることはないので、春香様も安心していただければと」


「は、はい……」


瘴気を検知できる音鳥は、洞窟から市街地までの区間に一定間隔で配置されている。もし、瘴気が市街地のほうまで流れているのなら、音鳥が次々と鳴き始め、警報音が近づいてくるとのこと。


「せっかく春香様が素晴らしいイベントを考えてくださったのに……こんなことになって、申し訳ございません……」


「い、いえ。仕方ありませんよ」


「ですが、やはり春香様の歌は素晴らしいですね。私はもちろんですが、陛下や観客、護衛の衛兵たちもみんな感動していました」


「あはは……それならよかったです」


「まだはっきりとはわからないのですが、入場料もかなりの金額になっていると聞きました。孤児院へ分配すれば、少しのあいだは孤児たちが食べるものに困ることもないでしょう」


形のいい唇をしならせたマリアンヌさんを見て、私も思わずホッと胸をなでおろした。そのあと、少しのあいだマリアンヌさんやマーヤちゃんとお喋りしたあと、時間を持て余してしまった私は王城の広大な庭を散策することに。


こっちへやってきたときから、王様やマリアンヌさんからは王城の敷地内を自由に出歩いてかまわないと言われている。


もといた世界では見たことのない草花が植えられた花壇や、珍しい動物なんかもいて、意外と楽しい。慌ただしかったさっきまでとは違い、のんびりと時間が流れるような空間を楽しんでいたそのとき。


「おお、春香様」


声をかけられ背後を振りかえる。視線の先にいたのは召喚士のラーミアさんだった。


「あ、ラーミアさん。お疲れ様です」


「春香様も、お疲れ様でございます。私は足をお運びできなかったのですが、イベントも大盛況だったようで何よりです」


「あはは……まあ、最後はちょっとバタついちゃいましたけど。ラーミアさんは何してるんですか?」


「仕事がひと段落ついたので、少し外の空気を吸おうと。あ、それはそうと春香様。お務め様としてのお役目、本当にありがとうございました」


深々と頭を下げたラーミアさんを見て、私は思わず首を傾げた。


「ど、どうしたんですか、いきなり?」


「あ……まだジークからお聞きになっていませんか?」


「何を、ですか……?」


胸の鼓動が少し速くなった気がした。


「春香様のおかげで、剣への魔力注入はほぼ終わりました。あと一度注入していただければ、もういつでも不死竜バルーザの封印が可能です」


にわかに強い風が吹き、落ち葉がカサカサと音を立てながら地面を這っていく。「それではまた明日」とにこやかに告げたラーミアさんが踵を返し、離れていった。


呆然と立ち尽くす私の頬を、生ぬるい風がなぶるように撫でていく。私は、バカみたいに立ち尽くしながら、小さくなっていくラーミアさんの背中を見つめ続けた。

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