10.市場
「へ~。じゃあ、マーヤちゃんはずっとここに住み込みで働いてるんだ」
「はいっ。まあ、月に数回はお休みをいただけるので、そのときは家に帰りますけどね」
侍女のマーヤちゃんと一緒に夕食をとったあと、お喋りに花を咲かせるのはすっかり日課となった。
「マーヤちゃんって、今いくつなの?」
「十四です!」
「三つも年下かぁ……でも、それにしてはしっかりしてるなぁ……」
ティーカップを口へ運ぶ私の前で、マーヤちゃんが「えへへ」と頭をかく。何かかわいい。妹がいたらこんな感じなのだろうか。
「それより、春香様! 今日も孤児院へお出かけしたとか?」
「あ、うん。ジークと一緒に」
「そうなんですね。子どもたち、喜んでいましたか?」
「うん。もみくちゃにされた。子どもってすっごい元気だよね」
「あはは! わかります。うちの一番下の弟もめちゃくちゃ元気ですもん。いたずらっ子だけど、私が実家に戻ったときは駆け寄ってきて、ぎゅーって抱きしめてくるかわいいとこもありますけどね」
ぎゅーって抱きしめてくる……。
その言葉を聞いて、私のほっぺたがじんわりと熱くなった。孤児院からの帰り道、公園での出来事を思いだしたのだ。
今思うと……かなり恥ずかしいっ。あんなに泣きじゃくって、抱きしめられて……。あのとき、私の顔めちゃくちゃブスだったよね、きっと。はぁ……。
でも……ジークの腕のなか、とてもあたたかかった。華奢だと思ってた胸板は意外とたくましくて、やっぱり男の人なんだなって。
ヤバ……思いだせばだすほどドキドキしてきちゃう。何なんだよ、もう。
「ね、ねぇ、マーヤちゃん」
「はい? 何ですか?」
「あの……、その、ジークって、どんな人、なのかな……?」
目を泳がせながら質問する私の前で、マーヤちゃんがかわいらしくコテンと首を傾げた。
「ジーク様、ですか? えっと……英雄グレン・ハメリアの子孫で……うん、とってもいい方ですっ」
にぱっと笑うマーヤちゃんの前で、私は思わずソファからズルっとずっこけそうになった。かわいくて天然とか無敵かよ。
「あ、それに、あの通り見た目もかっこいいですし、とても男らしいところもありますし、女性からも人気がありますよ」
「そ、そうなんだ。えと……独身、なのかな?」
「たしかそうだと思いますよー。交際されている方もいないと思いますけど」
なぜだかわからないが、ほっとしている自分がいた。かすかに口もとを綻ばせ、「そっか」と呟いた私を見て、マーヤちゃんはハッとしたような表情を浮かべた。
「あ、あの……春香様。もしかして、ジーク様のこ――」
「あああああっと。紅茶飲みすぎちゃったかなー。トイレ行って早めに寝よっと! あはは……マーヤちゃん、長々と引き止めちゃってごめんね」
マーヤちゃんから何かつっこまれそうな気がして、私は慌てたように部屋を出た。そんな私の様子を見たマーヤちゃんが、少しのあいだ目を伏せ、キュッと唇を噛みしめていたことなど、私は知る由もなかった。
――翌日。
普段通り、私はすっかり慣れた様子でジークの剣に魔力を注入した。ラーミアさんのチェックも無事にクリアし、今日もジークと街の散策や孤児院への訪問をしようと考えていたのだが――
「すまん、春香。今日は家の用事があって一緒にいられないんだ」
そう言って、ジークは申し訳なさそうにため息をついた。
「あ、そう、なんだ。うん、わかったよ」
一緒にいられない、と言われ、なぜだか胸のあたりにチクリとした痛みが走った。
「じゃあ、今日は一人で街をぶらぶらしてみようかな」
「そうか。まあ、王都は治安もいいし、何より春香がお務め様であることはもう王都民にも知られているし、一人で出歩いても危険はないと思う。あ、なら市場に行ってみたらどうだ?」
「市場?」
「ああ。孤児院に向かう途中、大きな三差路があるだろ? あそこを右に行けば市場がある。珍しいものもたくさんあるし、見るだけでも楽しめると思うぞ」
ふむ……市場か。ちょっと、興味あるかも。
「じゃあ、行ってみようかな」
「ああ。何か面白そうなものがあったら、また教えてくれ」
形のいい唇をやわらかくしならせたジークは、私の頭を大きな手でポンポンとすると、踵を返して城門のほうへと歩いていった。
昨日のこともあって、ちょっと意識してたけど、ジークの様子はいつもとまったく変わらない。もしかして、私のこと子どもだと思ってるんだろうか?
まあ、二十代の男性からしたら、十七の女の子なんて子どもに見えるのかもしれないけど。小さく息を吐いた私は、一度城のなかへ戻り、マーヤちゃんに行き先を告げてから城を出た。
――市場は、商業街とはまた違った賑わいを見せていた。
「わぁ……」
通りの両サイドに、小さな屋台のようなお店が所せましと並んでいる様子は圧巻だ。日本では見たことのない食材に見事な意匠を凝らしたアクセサリー、古本など、さまざまな品々が並んでいる。
と、食欲をそそるスパイシーな香りが鼻腔を刺激し、思わずそっちへ視線を向けた。何やら、焼いた肉を串に刺して売っている屋台。日本で言う焼き鳥、みたいなものだろうか。
まじまじと見ていた私に気づいたのか、店員のおばさんと目があった。おばさんが作業している手をとめ、ハッとした表情を浮かべる。
「あ、あの! もしかして、当代のお務め様、でしょうか?」
「あ、は、はい!」
しまった。声をかけられると思わなかったから、つい声が上ずっちゃった。
「やっぱり! ささ、どうぞ! どれでも好きなの食べてください!」
「え、ええ!? いや、私お金もってないので……!」
「お務め様からお金なんてもらえませんよっ! ささ、どうぞ!」
「じ、じゃあ、一つだけ、いただきます」
申し訳ないと思いつつ、食欲が勝ってしまった。うん、見た目は焼き鳥とほとんど同じ。いったいどんな味なんだろう。
何の肉かわからない不安はあったが、私は意を決してパクリと肉にかぶりついた。
「お、美味しい……!」
適度な弾力と脂身。肉の甘みとスパイスの香りが口のなかで絶妙なハーモニーを奏でた。ほかの串も勧められたが、さすがに悪いのでお礼を述べてその場をあとにする。
ああ、美味しかった。それに、人も何だかあたたかい気がする。いろいろ不便なことはあるし、娯楽も少ないけど、それを除けばかなり住みやすい国なんじゃないのかな?
いや、そうだ。ここには不死竜バルーザがいるんだった。肝心なことを忘れるところだった。フルフルと首を振りながら歩いていたところ――
「……ん?」
採れたての野菜? を販売している露店の前で、難しい顔をしている少年の姿が視界に映りこんだ。それは、孤児院で一番の問題児と言われている、あのジンタン君だった。
「おーい、ジンタン君」
「あっ……!」
私を見たジンタン君が、驚いたように目を見開いた。
「何してるの? 買い物?」
「う、うん」
どうやら、ソラさんから買い物を頼まれたらしい。
「そっか。一人で偉いね」
「ん……」
初めて見たときは、野生の獣のようにギラギラとした目をしていたジンタン君だが、今はずいぶんと印象が違う。何か言いたそうに、もじもじとするジンタン君を見て、私は首を捻った。
「ど、どうしたの、ジンタン君?」
「あ、あの、お姉ちゃ……お務め様」
「や、お姉ちゃんでいいよ」
「……お姉ちゃん。院長から、その、聞いたんだ。お姉ちゃんが、僕たちのためにって、孤児院にたくさんお金を寄付してくれたって」
ちょっと、ソラさん。そんな生々しい話、わざわざ子どもにしなくても。
「あの……ありがとう、お姉ちゃん。それと、ごめんなさい」
「な、何を謝ってるの?」
「……商業街のカフェで、助けてくれたのに、お礼も言わずに逃げちゃって……」
「あ、ああ。いいんだよ、そんなの。でも、もうお店のものとか、盗っちゃダメだよ?」
「うん……」
肩を落としてシュンとするジンタン君の頭をわさわさと撫でる。最初の印象はあまりよくなかったけど、人にきちんとお礼を言ったり、謝ったりできるのは心がキレイな証だと思う。
「お姉ちゃんは、ここで何してるの?」
「んー……今日のお務めも終わって暇だったから。ちょっと来てみただけだよ」
「暇、なの?」
「うん。だから、市場を少し見たあとはまた孤児院に行こうかなって思ってた」
「そうなんだ。あ! それなら、僕いいとこ連れていってあげるよ!」
「え。どこどこ?」
耳を貸してとジェスチャーされ、私は軽く腰を折って耳を向けた。いったいどこへ連れて行ってくれるんだろう?
「えっとね……不死竜バルーザのとこ」
ジンタン君が小声で提案してきたことに、私は思わず「え!?」と声をあげてしまった。