婚約破棄? いいよ!
婚約者が大嫌いだった。結婚なんてしたくなかった。なんなら貴族でいるのも嫌だった。
だって! 全然自由がないんだもの!
ずっとそんな風に思っていた。けれど、生まれたからには仕方がないと、諦めて国のために命を捧げようと思っていた。生まれには決して逆らえないのは、平民も貴族も変わらないのだから。
「なのに超ラッキー! 絶対無理だと思ってたのに、私は自由を手に入れたのよ!」
「はあ、そうですか……?」
「ピンときていないようね。話していなかったかしら? 私の半生」
かつて貴族だった私は、この上なく屈辱的な理由によってその立場を追われた。二度と社交界に顔を出すなと吐き捨てられ、命を奪わないだけありがたいと思えと捨て置かれた。
私を追い出したあの男の顔は、今でも思い出す事ができる。十年にもなる付き合いとは思えないほど冷酷で、私を見下してその口に笑みすら浮かべていた。
その様子が、あまりにも滑稽だった。
「あの人、どうやら私が自分の事が好きだと思ってたみたい。面白いでしょ?」
「まあ、はい。おかしな人ですね」
「そうなの!」
私への仕打ちは、私が犯した罪に対する当然の罰であるとされた。私の名誉のために言うが、一切合切何一つの例外もなく冤罪だった。
私を追放するためだけに罪を捏造したのだ。
「えっと……なんでそんなに恨まれていたんでしょう? 親の仇のようじゃあないですか」
「たしか、好きな人がいたのよ。あの人には。だから、婚約者だった私が目障りだったのね」
「ええ……身勝手すぎる……」
何とも愚かな男だった。かけられた免罪も、自分の想い人をいじめていたとか嫌がらせをしていたとかいうしょうもないものだ。無論私はそんな事をしていないし、そのくらいで一々追放されていたら国内から貴族がいなくなってしまうだろう。
わざわざ言うまでもない事だが、私は昔からその男が嫌いだった。自己中心的で、ナルシストで、わがままで、他人など二の次三の次にして考えるような男だ。
だから、二度と会えないと思うとうれしくて仕方がなかった。二度と顔を合わせなくていいという事なのだから。
「その後は知っていますね。最終的には私と出会い、今に至ると」
「ええ、そうよ。私が貴族という立場を捨ててでも欲しいと思ったものが、まさかあんな馬鹿のお陰で手に入るなんて思わなかったわ」
「確かに、今のあなたは貴族でなくとも全てを持っている。立場を捨てる事は、あなたのような能力のある人間にとって大した問題ではないのでしょうね」
場所は、かつて私を追い出した王城。そして、かつて私がその身を支えた国の王都。なにより、かつて王が君臨した玉座の上で、私は手足を投げ出して寝転んでいた。右の肘掛けを枕に、左の肘掛けを足掛けにして。
「この玉座、前からずいぶん大きいなって思ってたけど、やっぱり大きすぎるわ。こんな寝れちゃうような椅子に人間が座ってたら不格好じゃない?」
「ええ、でしょうね。なにより、貴女は小柄でいらっしゃる」
十年もかかった。しかし、私は結局舞い戻った。
大金をこさえて、国を買い叩くために。
隣国の商人に拾われた私は、生まれ持っての商才を発揮して何不自由ない生活を送った。家は瞬く間に大きくなり、やがて個人で小国を買い取る事すらできるほどになる。さらに、元母国へは圧力をかけ、時間をかけて国力を削る。
周辺国一番の商家から目をつけられた以上、国内の経済は自由にされてしまうと思うべきだろう。その思慮深さがあれば、あるいはこうも簡単に買収など叶わなかったかもしれない。無論、そうまで思慮深い人間が色恋に目が眩んで婚約破棄などするはずもないが。
「私には家族もお友達もいるのよ。その人達を、国賊の身内でい続けさせるわけにはいかない。なんでそんな事も分からなかったのかしら? 不思議よね」
「ええ、まったく。なにより、貴女の才覚に気が付かず蔑ろにした事が既に愚かしい」
「あら、ありがとう」
「貴女はご自分の力に気付いておられたのですね。貴族位を捨てても、望むものを手に入れられると」
「うぅ〜ん、少し違うわね」
才覚。私が持つ、ほぼ理想的な商才。
それは確かに国家を買い叩く事ができるほどの……言ってしまえば暴力的なまでの才能ではあるが、望むものを手に入れられる事とは何の関係もない。
なぜなら——
「私が欲しかったのは、あなたなんですもの」
「は?」
夫は、頭に疑問符を浮かべる。そんな顔を大変愛おしい。
「我が家への……元我が家への商談にあなたがついてきた時、私の心は奪われてしまったのよ。忘れもしない九歳の夏。お父様は異国の楽器を購入したわ」
「え? え、ええ??」
「一目惚れね。やだ、恥ずかしい! あなたを手に入れられるなら、家や国なんていらないって思うほどに焦がれていたの。だから、追放されたら真っ直ぐにあなたに会いに行ったわ。お義父様には内緒にしててね。拾われたのは偶然だけど、拾われるのを期待して会いに行ったなんて恥ずかしいもの」
うふふと笑う。あははと笑う。あまりにも、愛する人が可愛くて。
これなのだ。私が欲しかったものは。
金でも、城でも、力でもなく、私はたった一人が欲しかった。
その一人と語らいたかった。その一人と笑いたかった。その一人と愛し合いたかった。
私は今、欲しいものを全て持っている。
「愛しているわ、旦那様」
「わ、私も愛しています……」
「ははは! 可愛いわ!」
「さてはからかっていますね!」
からかってなどいない。からかうはずがない。私はただ、正直なだけだ。
だって! うれしくてうれしくて仕方がないんですもの!
私は別に特別な人間ではないけれど、ましてや神ではないけれど、それでも自信をもってこう言える。
私は、私達は、末永く幸せに暮らしました。
不幸せになど、なりえないのだから。
これだけ愛し合っている以上、幸せにならざるを得ないのだから。