第27話 初日からキツい会社が大体外れ、だが最初は緩くても後からギアを上げてくる所もあるので油断はするな
「これをどうぞ」
「……何です? これ」
移動の車中にて。俺が手渡されたのは、見た目が警察手帳そっくりのIDらしき物だった。
中を開くと描かれていたのは警察の旭日章ではなく、デフォルメされた一輪の花。日本人であれば誰もが知るあのマークとよく似ている。いや、似てるというか……
「菊紋?」
「ええ。恭介さんが手にしているその九枚花弁の菊紋が、我々『承和上衆』の紋章にあたります」
「へぇ初めて見ました。てか、紋章なんてあったんですね」
感心しながら改めてそれをしげしげと眺める。見慣れたやつと比べて花弁の枚数は大分少ないが、それでもやはりどこか気品を感じさせた。
しかし良いのだろうか。菊紋を勝手に使用するのってタブーじゃなかったっけ? いや知らんけど。
「あまり表立って掲げてませんからね。存在を知らないのも無理はないです。今では外の『懇意ある方々』に対して、身分を証明する時にしか使われていません」
「……もしかして、承和上衆って大昔に下賜を賜ったりしたんですか?」
「や、其方とは関係無いそうです。ただ我々の組織も菊の花と縁があるので象徴にしてるんですよ。ほら、名前にも承和の文字が入っているでしょう?」
「…………ああ、そう言えばそうですね」
ホラと言われても「承和」の字がどう菊の花と関係しているのかなんて俺は知らない。
しかしなんだか常識っぽく言われてしまったので、取り敢えずさも知っているかの様に頷いておいた。
後で色々ググってみよう。
七月末日。今日も今日とて日差しの厳しいこの日、記念すべき俺のバイト初日となった。
エイさんに依頼されたあの日の夜。早速担当の芦川さんなる人物からメールが届き、今日の段取りが組まれた形である。
場所、日時、簡単な服装指定(こっそり行く故、派手な格好は遠慮してくれとの事)を確認し、集合地に到着したのが今から30分ほど前。現在はそこで待機されていたコンパクトカーに乗り込み、初患者の元へと向かっていた。
承和上衆外部交渉担当係、芦川佐助。
車を運転する彼から仕事の詳しい説明を受けているのだが、会う前は少し緊張したもんだ。
一応、芦川さんとは初対面という間柄では無い。しかし、彼と初めて邂逅した時は色々とバタバタしていたので、碌に挨拶していなかったのだ。鋼太郎からヘリの緊急手配という無茶振りをされ、食い気味に文句を言っていた彼の姿が印象深い。
しかもその手配の原因を作ったのは俺だ。再会の折に改めて文句を言われるのではと覚悟していたのだが……
「菊は嘗て不老長寿の霊草と信じられていました。怪我を癒し、病を払う貴方方にその『九葉表菊』は相応しい紋章と言えますね」
メッチャ物腰が柔らかい。
本当に同一人物かと疑ったぐらいだ。もっと辛辣な態度を取られるのかと思ってたので、少し拍子抜けというか、なんか意外だった。
きっとあの時は非常時だったので、この人もピリピリしていたのだろう。通常がこんな感じに優しいのであれば俺としては気は助かる。が、年上から敬語を使われるのはどうにもむず痒い。同い年の片岡とはまた別のやり難さを感じた。
「あの……俺って後輩なんで、敬称とか敬語とか不要なんですけど」
「組織の先輩と言っても、私は一般(神通力を持たない)のサポート要員ですから。中核を担う十家の方々には常に敬意を払います。慣例でもあるので、寧ろ恭介さんの方が敬語を外すべきですね」
──という事らしい。その割には、鋼太郎に対する当たりは強かった気もするが。まあ、奴相手の態度についてはどうでも良いか。
「年齢も所属歴も関係ありません。追々でも良いので慣れて頂きたいです」
「……分かりました。追々ね、追々ですけど」
この前はエイさんや白姉から子供扱いされて少し不満を感じたが、こうも恭しくされるのも何か違う。もっとこう、普通に接してくれる人はウチの組織にいないものか。
「話を戻しましょう。とにかくその菊紋が貴方の身分を証明するものとなります。あくまで紋章の意味を知る者に対してのみ有効なIDです。一般の警察官には見せないようお願いします」
「じゃあ今回の場合、誰に提示すれば?」
「もちろん、一般でない警察の人間です」
「……ええと、詳しくどうぞ」
「確保された容疑者に専門的な治療が必要な場合、利用されるのは一般の病院です。それ専門の病棟があるとイメージされがちですが、そんなことはありません」
「──ああ、聞いた事あります。よく『警察病院』がその役割を担っていると誤解されるけど、あれも一般開放されている普通の病院なんですよね」
俺の台詞に芦川さんはコクリと頷いた。今、俺達が向かっている先もごく普通の総合病院らしい。
だが当然、万が一医師や他の一般患者に危害を出さぬ様、又は逃亡させない為に診察を受ける容疑者には監視の人間が付くそうだ。もちろん診察だけでなく入院する場合も同様である。
個室が設けられ、入り口には見張りの人間が立つらしい。
「患者が『受刑者』の場合は刑務官が担当しますが、今回我々が請け負う患者は皆『容疑者』の段階です。見張りには警察側の人間が担当します」
「成る程、監視が居たんじゃ『こっそり』治せませんからね。事情を知る口の固い人に見張り役をやって貰う必要があると」
「はい、その辺の手配は既に依頼主側がやってくれています」
つまり今回の仕事の手順、要約するとこうなるらしい。
Mission1 患者が入院している病院へ潜入せよ。誰に見られても覚えられぬ様、一応マスクで顔を隠すべし。
Mission2 真っ直ぐ病室へ向かい、見張りの私服警官と接触せよ。IDを提示し、容疑者が寝ている個室のドアを開けて貰え。
Mission3 反転通を使って患者を治療せよ。但し病室には足を踏み入れず、入り口の影からこっそりやれ。病院側に変に悟られぬ様、力加減は忘れずに。
Mission4 終わったら警官に完了を伝えて即撤収。帰りにラーメン屋寄りましょう(芦川さん提案)。
「患者のカルテとかありますか? 怪我にしろ病気にしろ、容体の程度が分からない事には加減が難しくなるので」
「ああはい、この端末をどうぞ。一番上のファイルに今回の情報が載っています」
受け取ったタブレットには患者の事細かい情報が記載されていた。名前や顔写真、年齢、身長体重等のデータは勿論のこと、職業や家族構成に至るまで。
一番知りたい「症状」についてもちゃんと書かれている。
……なになに? 肝硬変の悪化による急性肝不全?
うん、重症じゃねーか。
「やっぱ加減しても不自然さは残りますよ、コレ」
「まあ、その辺はあまり意識しなくても良いですよ。そうそうバレませんから」
良いのかそれで。
なんか適当だなぁと思いながらタブレットをトストス操作していると、ふとある事に気が付いた。ここにあるファイル。患者について非常に詳しく纏められているのだが、ある重要な情報が抜けている。
「芦川さん。容疑者の罪状が載って無いんですが」
「知る必要ありませんから」
「…………」
「…………」
「それは、俺に気を遣ってですか?」
「……鱏真さんから話は聞いています。貴方はこの仕事に若干の抵抗があると」
やっぱそうか。
「ああ、誤解無きよう。確かに恭介さんには変な『重み』を感じて欲しく無いのですが、ファイルに罪状が載っていないのはワザとじゃありません。……と言うより、私にも知らされて無いんです」
「…………え? そうなの?」
「そのファイル、依頼主から渡された物なんですが……向こうが気遣っているのか、それとも守秘義務があるのか。毎回我々に対し、患者の容疑内容について教えてくれないんですよ」
まあ、大きい事件だとメディアに公開されるので、知りたくなくても知ってしまう時はありますけどね。
そう言いながら芦川さんは笑っていた。
「鱏真さんからの言伝です。『色々気にしすぎると将来ハゲるぞ、残念ながらハゲを神通力で治す事は出来ん』──だそうです」
「『余計なお世話だ糞眼鏡』と返しておいて下さい」
何か悩んでいるのが馬鹿馬鹿しくなってきた。
治療の是非とか俺に対する子供扱い云々とかどーでも良いわ、もう。
「チャチャっと終わらせてラーメン食いに行きましょう」
そんな訳で、最初少し緊張していた初バイトは恙無く終了した。
実務の描写については省略しよう。本当にチャチャっと終わってしまったので、語るべき事は殆ど無い故。
敢えて注釈するのであれば、帰りに食べた意識高い系ラーメンが予想外に美味かったことくらいだろうか。凝りすぎた見た目に若干引いたのだが、食べてみれば意外や意外と箸が進んだ。
その後、日を跨いで二回目、三回目とバイトを続けたが、特にこれと言って問題は無かった。寧ろ仕事は毎回秒単位で終わるので、帰りに食べる現地のグルメの方がメインなのではと思えるほどである。
労働とはこんなに簡単で良いものなのかと疑問に感じ始める今日この頃。
────だが、世間というものはそんなに甘くないらしい。「厄介事」とはいつも前触れなく唐突に現れるもので。……いや、前触れならちゃんとあった。ただ俺が、それを結びつける事が出来なかっただけの話である。
このバイトを日帰りの小旅行か何かと勘違いし始めていた四回目のその日、俺は事件に巻き込まれた。




