57.怒りも戦場では武器になる
とにかく、均衡はやや崩れてアスク有利に進んでいる。
しかし、予断は許さないだろう……何故ならこれは薄氷の有利、少しのきっかけで失いかねない。
なにより、ケイスの集中力が増してきているように思える。
その証拠に彼の目はまるで鬼のように尖り、そして軽口はもうなくなっていた。
「少し雰囲気が変わったわね」
「ケイスは優秀な戦士で間違いないのですが、ただ1つ弱点があるとすれば、それはその性格にあると思います。恐らく、戦いに思考を切り替えるのが苦手なんです」
「言われてみれば、前も受け続けるばかりで攻勢に出るのが遅かったわね」
「優しさのせいなのか軽いノリのせいなのか、或いはもっと別の理由があるのかは分かりませんが、どうやらここに来てようやく戦闘脳が働いてきたようですよ」
つまりここからが本番なのだが、その研ぎ澄まされた雰囲気とは裏腹にケイスは距離を取るばかりで攻撃に移ろうとしない。
その目は何処か計るようにアスクを見つめていて……もしや、観察している?
「よし、リズムは分かったぜ」
その呟きが契機となり、これまでの静かな動きとは打って変わってケイスは再びアスクへの突撃を敢行する。
それは封じられたはずの動きだが……。
「やらせるか!」
動き出しに機敏に反応し足元に素早く三弾魔法を放つアスクだが、今度のケイスは一味違った。
彼はかわしにくいはずのタイミングのその魔法を、まるで踊るように転がるように前へ進みながらも回避する。
うまい……回避と前進をしっかり兼ねている。
「もう一度!」
かわした先にも再度アスクは魔法を放つが、同じような軽やかな動きでケイスは距離を詰めつつ魔法を避ける!
避ける避ける避ける!
リズムが分かったという彼の言葉を考えるに、どうやらケイスはアスクの攻撃のタイミングや放たれる場所を、感覚的に掴んでしまったらしい。
ここに来て戦闘経験の差が如実に表れた。
ケイスは間違いなく何度となく対人経験も積んでいる戦士だろうが、アスクはこれが初めての実戦。経験値の多いケイスからすれば相手の動きを読むことくらい、しかも経験の浅い者の動きを読むくらいは出来て当然ということか。
「くっ……『怒りを喰らう魔法』!」
「はっ! 苦し紛れはまたそれか! 残念だが、俺の思考はクールだっつーの!」
どんどん距離を詰められていくアスクは苦しい表情のままに『怒りを喰らう魔法』を放つが、当然、ケイスがその魔法に当たる程怒っているはずもなく、魔法は誘導されることもなく彼の後ろの方へ飛んでいく。
接近戦の訓練を積む時間はなかった。故に、迫られると間違いなく勝ち目がないので、アスクとしては否が応でも接近を避けなければならないのだが、時すでに遅し、ケイスはアスクの目の前に迫る。
「とった!」
杖に魔力を込め剣へと姿を変化させたケイスは、そのままの動きでアスクを斬りつけようと剣を振るう!
だが、その魔法剣がアスクに当たることはなかった。
ケイスが何か衝撃を受けたかのように、前方にぐらりと倒れたからだ。
「ぐえっ……せ、背中に何かが……」
彼のうめき声と共に、一瞬、場内に静寂が走る。
……うん、勝ったな。
「えっ!? なにが起きたの!?」
何が起きたか分からない様子のアリスだが、他の観客も似たような反応で驚きを隠せていない。
しかし、一部の観客が分かっているように、これには当然種があった。
「あら、アリスは見逃しましたか? ケイスの後ろの方を」
「後ろ?」
「今、ケイスは背後から迫る魔法に直撃したんですよ」
「ええ!? ど、どうやって後ろから魔法を……」
「放っていたじゃないですか、『怒りを喰らう魔法』を」
そう、ケイスの背中に直撃したのは『怒りを喰らう魔法』である。
申し分ない威力を誇る魔法の上に、想定外の場所から攻撃を受けたケイスは防御も出来ず、一撃でやられてしまったのだ。
「ケイスが実は怒っていたってこと?」
「いいえ、怒っていたのはですね──アスクです」
何を言っているのか分からないというような表情をするアリスだが、少し考えると答えに辿り着いたようで、閃いたように手を叩く。
「……分かったわ! アスクは『怒りを喰らう魔法』をケイスの背後に放って、自分に返って来るように怒ってみせたのね!」
「その通りです。器用ですよね、そんな咄嗟に怒れるなんて」
アリスの言う通り、要するケイスは『怒りを喰らう魔法』をブーメランとして活用したのだ。
これは私に一撃でも魔法を当てる……という修行中にアスクが自分の持っている武器をどうにか活かせないかと悩んだ末に思いついた方法で、私にも掠らせてみせた見事な奇襲作戦である。
結局のところアスクの最大の武器はその勝負センスと頭の良さにこそあり、それが結実した作戦だと言えた。
まさか『怒りを喰らう魔法』を自分自身の怒りで操作しようとは……仰天と言う他ない。
「お前はクールかもしれないが、俺は怒りっぽいんだよ」
ケイスを見下ろすようにアスクの言葉が降り注ぐ。
怒りっぽい……それはそんな自分の性格すら利用した恐ろしい魔法の使い方だった。
「い、いや、お前はクールだったぜ。前の決闘と同じ展開で俺を倒すなんて、マジかっけぇ……」
さすがに背後から魔法をモロに喰らってはもはや立ち上がることもできず、ケイスは最後に少しの軽口を叩きながら、或いは全力の賞賛を語りながら、最後に手を上げこう宣言した。
「ケイス・チャミトリスは己の敗北を認める!」
その瞬間、湧きあがる歓声──こうして戦いは終わった、ケイスの堂々たるギブアップという形で。




