五話 ろうば
「――今晩、『お祓い』のために全室へ立ち入らせていただきます」
メリアは、菓子折を持って隣の201号室をたずねた。
雨漏りがひどく、廊下には水たまりができている。
玄関扉をノックしてしばらく待つ。
ギギっと音を立てて開く扉。
空いた隙間から、やつれた白髪の老婆が顔を出したので、蓮は少しだけドキリとした。
彼女がこの裏野ハイツの大家なのだという。
「はいはい、よろしくお願いしますよ。ん、その子は?」
いきなり興味を向けられて、メリアの後ろで傘をさしていた蓮は縮こまった。
なんと言ってごまかしたら良いものか……。
サンダルを履いたつま先を擦り合わせていると、メリアが適当に話をつくった。
「この子はあたしの甥っ子なんですが、拝み屋で有名な家の跡取りで、こういった場には慣れているんです。お祓いを引き受けた話をしたら、後学のために見学したいと――」
突拍子もない四方山話は、意図せずに蓮の出自を説いていた。
偶然の一致か、もしくは女性の直感というやつかも知れない。
蓮が軽く頭を下げると、老婆は、うさんくさい訪問販売員を追い払うかのように早口で告げた。
「別に誰でもいいけれど、お祓いはしっかりしてくださいよ」
バタン、と扉が閉じられると。鼻先に感じていた冷気がふっと消える。
老婆の部屋から流れ出てくる空気が、ひじょうに寒々しかったのだ。
それと、もう一つ。
「お線香の匂いがした……」
「ああ。最近、大家の息子が死んだんだってさ。廊下は暑い。部屋に戻ろう」
202号室に向かうメリアを、蓮はトトトっと小走りで追いかける。
「亡くなったのは息子さんだけですか?」
「夫婦だって聞いてるけど……」
「だから、二人立っていたんですね」
蓮は、大家の後ろに、半分透けた中年の男女が立っているのを視ていた。
納得した顔でつぶやくと、メリアは気味の悪そうな顔になった。
「あんた、真昼でも視えるわけ?」
「なぜ夜にはいて、昼にはいないと思うんですか?」
問い返しながら、蓮は部屋の扉を開けた。
中に充満していた、血液じみた香気が鼻をつく。
ぽたり、と水音がして振りかえると、メリアが髪から雨粒を滴らせていた。
「あなたは、どうして傘をささないんですか?」
蓮がメリアの頭のうえに傘を差しかける。
すると、メリアは嬉しそうに濡れた髪をかき上げた。
「だって、持ってきてないからね」