四話 かしぶっけん
気安く言葉こそ交わしているものの、二人は今まで顔の見えない知り合いだった。
蓮が、花の名前で知られた『心霊スポット巡り』の動画配信者――アルストロメリアにメッセージを出したのは、半年ほどまえのことになる。
メリアは、山奥の廃墟やら病院やらに行き、映像記録を撮っては動画サイトで公開していた。
女性らしからぬ強気な行動力に、心霊好き界隈ではちょっとした有名人だった。
視える蓮から言わせれば、彼女の大胆さは無謀さの裏返し。
こんなことをしていたら、命いくつがあっても足りないと思わせた。
だからこそ、興味を惹かれたのだ。
――この人は、自分の命をなんだと思っているんだろう。
「家の人に許可は取ってきてるんだよね? うっかり誘拐犯にされたらたまらない」
「許可は取りました」
素っ気なく答えながら、蓮は駅まで見送りに来た桜を思い出した。
『切符の買い方は分かりますか。迷ったら近くの交番かコンビニで助けを求めるのですよ。電話はいつでも受話できる状態にしておいてください、私も肌身離さずにいますから、気兼ねなくかけてきてくださいね。迎えが欲しければどこへでも行きます。それから――』
あまりに次々言うものだから、乗る予定の電車をやり過ごしそうになった。
桜にとって、蓮はそれだけ『子供』なのだろう。
まだ大人じゃない自覚があるから、少しだけ悔しかった。
蓮は『いってきます』とだけ、締まる車扉の向こうから告げた。
電車はゆっくり動き出したが、桜は心配そうな顔で見つめるばかりで、ついぞ手を振ってくれなかった。
「許可はあるんだね、了解。まあ明日には帰ってもらうから、大事にはならないだろう」
メリアは、丸めた寝袋を胸の下に入れて腹ばいになり、パソコンを操作した。
クリックから少しのタイムラグがあって、表示されたのは不動産の紹介サイトだった。
借り手を募集している物件が一覧になっていて、この『裏野ハイツ』の部屋は終盤にひとまとめになっている。
201号室以外は全て『空室』――。
注目すべきは備考欄だ。『瑕疵物件』と、赤字で書かれている。
見慣れない言葉と、薄暗い部屋で見るにはまぶしすぎるブルーライトに、蓮は目をすがめた。
「かし……?」
「瑕疵っていうのは、住むのに不具合があること。部屋を誰かに貸す場合、前に借りていた人物に何らかの事情があったときには、次の借り手に教える義務がある」
メリアは、裏野ハイツの空き部屋をポップアップ形式にして、画面に並べていく。
「例えば、前の住人が部屋で突然死した、自殺した、事件に巻き込まれたりした場合、貸し手はその事実を次の住民に教えないといけない。壁や床や天井が新品みたいに綺麗でも、その場所にケチが付いていたら借りる方は嫌だろ」
「この202号室でも、なにか起こっているのですか?」
「小さな子供が窓から転落して亡くなる事故が起きてる。真夜中になると、時折その子が表から覗き込むらしい」
蓮は、はっとして窓を見た。
長いあいだ掃除されていないようで、古いサッシは黄色く変色し、ガラス窓はまだらに張り付いた埃で曇っている。
子供の姿は、影も形も視えない。
昼間なので『まだ』というべきだろうか。
「で、バイト内容だけど」
急に本題に入られて反応がおくれた。
蓮が視線を戻すと、メリアはうっそりと笑う。
「あたしは今夜、ここで心霊動画を撮る。『いま話題のお化け物件に住んでみた!』ってね。センセーショナルで人目をひきそうだろ?」
「怖い物知らずと嘲笑れそうですが」
「笑い者にするつもりで覗きにきた視聴者の心を掴めればこっちのもんだ。この業界、センセーショナルな見出しがなけりゃ埋もれて終わりだからね」
人は、良くも悪くも過激なものに興味をひかれる。
動画配信者は、再生回数によって動画サイトから金銭を受けとれるため、金に目がくらんで危険行為や犯罪に走る配信者も多い。
心霊スポット探訪というコンテンツに絞って配信しているメリアも同じく、はじめは生活圏の『幽霊が出ると噂の場所』を訪れていたのが、今では自前のバイクで日本全国の悪名高い心霊スポットを渡りあるくようになった。
幸いなのは、メリア自身に霊感が備わっていないことだろう。
視えないからどこに行っても怖くない彼女は、前回アップした動画を使って、こう呼びかけた。
『わたしの後ろになんか見えてる人、います?』
ライブ配信を視ていた蓮は、すぐさまキーボードに打ち込んだ。
『何もいません、安心してください』
「あんた以外の視聴者は『やばいのいる』やら『こわい』やら『もうやめろ』やら、適当なことばっかりだった。だからアタシは『視えてない』って方が信用できると思った」
「それで、僕をアルバイト採用したわけですね。霊が視えたら知らせればいいんですか?」
「そう」
メリアは急に真顔になった。
そして、部屋の温度が二度は急冷するくらい冷ややかな声で言う。
「できれば、呼びだして欲しい。カメラの前に」
「……正気ですか」
視える側からすれば、わざわざ凶事を呼ぶなんて愚かの極みだ。
呆れる蓮に、メリアはにっかりと口をひいた。
「最近は、心霊スポット巡りの動画を上げてる配信者が多くてね。ホラー好きな客数は限られてくるわけだから、配信者が可愛かったり騙りが上手かったりすれば、そっちに客を取られる。あたしが契約してる動画サイトは、再生数に応じて給料が出るから死活問題なわけ。真夏に古びたアパートで労働くらいしないとね」
「肉体労働をいとわないのなら、時間給の出るお仕事をなさっては?」
「こっちの方が楽しいだろ。色々と」
「そうでした。メリアさんは、『命知らず』でしたね」
ため息を吐きつつ蓮は、小脇においたリュックのぬいぐるみを撫でた。
雨に濡れた毛並みは、いつの間にか乾ききっていた。