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夜に考えごと

作者: 祠堂三継

現在では異端とされていることが、未来では一般的な善の正論とされているかもしれない。そんなことが、私は怖い。

例えば、人口爆発の現在。未来は食糧危機に陥り、地球由来の資源はいずれ枯渇する。そんなことになってしまったとき、私たちはどのような選択をするのだろうか。全てを救いたいと思い、科学に縋るのか。また、絶望し、人口削減を強行するのか。現在では前者が善いと一般的には思うだろう。しかし、状況は未来でしか分からない。過去、植民地化やアパルトヘイト、戦争などに一般大衆が抱いていた"正論"は現在では異端な筈だ。ならば、未来から見れば我々の陳腐な思想も、浅はかで愚かなものだと思われるのではないだろうか。しかし、未来を見据え、今、悪の行動を取るのであれば、それは必ず自分を滅ぼすことになる。社会から批判、軽蔑され、世界から独りぼっちになることだろう。それが善だったと認められるのは、100年後か200年後か。

だが、誰かが行動を起こした起こさずその両方にかかわらず、時代は進んでゆく。実際、上記のことが起こるというのは単なる一個人の妄想に過ぎない。ただの狂言だ。

未来というものは常に不定形でいかようにも変化する。でも、未来はひとつしかない。そう、シュレーディンガーの猫のように、開けるまでは、量子の様に形がぼやけて見えるものだ。科学の魔力もいつまで持つか分からない人類未来史。残念ながら我々はその断片しか見ることができない。

危険思想。そう思いましたか、2段落の後半を読んで。ここにはまるで「人類が生き残るためには人口削減しかない」と、誰かを教化するかのよう受け取られてしまう内容が書かれてるようだ。危険な思想だ、その通りだ。勿論、これが未来においても危険な思想のままなのかもしれない。いずれにせよ、世界は進んでゆく。


私たちは時代の犬として大人しく機械の様に正論を並べているつまらない存在なのかもしれない。

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