第9話「継戦中なのじゃ」
リスタ王国 王城 財務大臣執務室 ──
財務大臣ヘルミナの執務室には、現在二人の男性が訪れていた。
一人は浅黒い肌に傷だらけのハゲ頭、左目に黒い眼帯をした大男で、正直山賊か野盗の頭領にしか見えない風貌だが、木工ギルド『樹精霊の抱擁』 のギルドマスターで名をヴァクスという。
もう一人は、ヴァクスより褐色で筋肉の塊といった身体に、船乗り特有の乱れた黒髪を持ったワイルドな風貌の大男、魔導帆船グレート・スカル号の船長ログス・ハーロードだった。
その自分の背丈の倍はあろうかという大男たちに対して、ヘルミナは手元の資料をバシバシと叩きながら怒鳴りつける。
「貴方たち、一体この注意は何度目ですかっ!?」
ログスはとぼけた顔で髪を掻きながら
「あ~……俺は、五度目ぐらいだったかな?」
と答えると、ヴァクスは勝ち誇った顔で親指を立てる。
「勝ったな、俺なんて十七度目だぜっ!」
即座に険悪な雰囲気になり、二人とも胸倉を掴んでにらみ合う。今にも殴りあいに発展しそうだが、ヘルミナはその二人の腕を資料でバシバシと叩くと、腰に手をやり少しでも背を高くみせようと胸を張る。
「そうです。私が財務大臣になってから十七年、つまり毎年注意しているわけですがっ! この『林海会議』の議事録、いい加減にしてください! この内容じゃ陛下に報告できないじゃないですか!」
怒鳴りつけるヘルミナから資料を奪い取ると、ヴァクスは頭をペチペチと叩きながら内容を確認し始めた。
「あ~……そんなにヒドイ内容だったか?」
林海会議とは、年に一度木工ギルドと海洋ギルドが行っている会議であり、次の一年の間に行われる取引のルールを決める重要な会議だ。
「まずいっていやぁ、やっぱりコレじゃねぇか? テメェの『あの腰から尻にかけてのラインの素晴らしさがわからんのか! 普段はスカートで隠しているが陛下の尻は最高だっ!』」
と言われたログスはヴァクスから資料を奪い取って、ヴァクスの発言したところを指差しながら
「いいや! どう考えても、この『陛下の胸は万民を惹きつける。俺は声を高らかに宣言するぞ、陛下の胸は至宝だと』だろ!」
と叫んだ。
そう……つまり代替わりしても、懲りずに続いているのである。あの女性のどこが一番素晴らしいかを言い争う『乳尻戦争』が……しかも、今回は女王であるリリベットを題材にして議論を交しているから、なお性質が悪いと言えた。
普段はギルドに足を運んで口頭注意で済ませるヘルミナも、さすがに両名を呼び出して厳重注意に踏み出したのである。ヘルミナはログスから資料を奪い取る。
「どちらも不敬罪で極刑ものですからっ! と……とにかく、来年こそはちゃんとしてくださいね! 今回はさすがに陛下にお見せできないので、私が報告書にまとめます。いいですね!」
ヘルミナが肩で息をしながら怒鳴りつけると、ログスは哀れみの瞳を向けながらヘルミナの右肩に手を置いて
「あぁ、わかったぜ、お嬢ちゃん……そうカリカリしなさんなって、アンタの尻にゃ……もう肉は付かんだろうが、まぁまぁ可愛らしい尻じゃないか」
と告げた。同じようにヴァクスがヘルミナの左肩に手を置いて
「わかるぜぇ……歳下の陛下にあんなに絶望的な差を付けられちまったんだ。まぁ元気だしなって、ひょっとしたら奇跡が起きて、これから立派な胸になるかもしれねぇぜ?」
と同情した表情で笑いかけた。
ヘルミナは震えて顔を真っ赤にしながら、二人の顔に資料を投げつけて
「き……貴様ら、もう出てけぇ!」
と叫ぶのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 女王執務室 ──
数日後ヘルミナは林海会議の資料をまとめて、リリベットの元に訪れていた。資料を受け取ったリリベットは、一通り目を通して資料を置くとヘルミナに尋ねる。
「ご苦労なのじゃ……今回は議事録が随分薄いのじゃな?」
林海会議の議事録は、毎年数十枚あり「乳と尻」の話が延々と続いているので、さすがのリリベットも確認は財務省に任せているが、一応資料としては毎回届いていたのだ。
「はっ、例によってくだらない話ばかりでしたので、必要なところだけ抽出しました」
本来であれば全文を提出させるところだが、ヘルミナが微妙な顔をしながら答えたため、リリベットも気持ちを察してそれ以上は追求しなかった。
報告が終わったヘルミナが出ていくと、代わりに国務大臣と見知らぬ女性、それに近衛隊長のラッツが入室してきた。
「陛下、折り入ってご相談がございまして……」
「お主が来るとは珍しいな……いや、その前にそちらの女性は何者なのじゃ?」
リリベットは首を傾げながら尋ねた。国務大臣 エイルマー・バートラムは、前任の国務大臣の孫に当たり、生真面目で仕事は卒なくこなすと評判の男性だ。しかし、この国では内政面は宰相のフィンが取り仕切っているため、内務大臣と共に影の薄い大臣と言われている。
エイルマー大臣が頷くと、女性は一歩前に出て丁寧にお辞儀をする。
「陛下、お目通り感謝致します。私の名前はドロシアと申します。ガルド山脈を研究しているしがない学者です。こちらにタクト教授からの紹介状がございます、お納めください」
リリベットがラッツを見て頷くと、ラッツはドロシアから紹介状を受け取って、執務机まで歩くと封を切って中身をリリベットに渡した。リリベットは紹介状のタクト教授のサインだけ確認すると、それを執務机に置く。
「ふむ……それで、どうしたというのじゃ?」
「はい、実はタクト教授の紹介で、こちらのドロシア嬢を紹介いただいたのですが、彼女が言うにはガルド山脈で温泉が掘れるのではと申しておりまして」
リリベットは、執務机を指で二回叩くと改めて尋ねる。
「温泉じゃと?」
「はっ、我が国はここ十年で人口も増え、安定した成長が続いておりますが、正直諸外国の民衆からは評判がよくないため、移民や難民以外はあまり訪れてくれません」
リスタ王国は再出発政策を取っているため、「犯罪者の巣窟」「悪逆の国」「陸上の海賊国家」など色々と言われているのだ。しかし一度でも訪れた者には「国と国民が最も近い国」「穏やかな楽園」などと絶賛されることもある。
この為、エイルマー国務大臣は以前から観光に力を入れるべき! とリリベットや宰相に進言していた。
「それはお主が以前から言っている、観光誘致のためじゃろうか?」
「はい、是非温泉を掘り当てて、観光客を呼び込みたいと思っております」
リリベットは、微妙な表情を浮かべると首を横に振った。
「う~む……しかし、温泉など必要じゃろうか?」
リリベットも知識としては温泉というものがあるとは知っているが、彼女はほとんど王国から出たことがなく、お風呂との違いすらよくわかってないのだった。乗り気ではないと悟ったのか、ドロシアがさらに一歩前に出て熱っぽく語り始めた。
「もちろんでございますよ、陛下! 温泉があれば、観光収入が見込めるだけではなく、負傷者の湯治なども可能です。ガルド山脈に向こう側……つまり帝都側ですが、あちらでは美肌効果があると言われている温泉があるのです」
「こちらでも同じものが掘れると?」
リリベットが興味なさげに尋ねると、ドロシアはさらに語り始める。
「はい! 美肌、女性なら誰しも憧れる効能ですよ? 陛下はお美しいから必要ないかもしれませんが、美しくなった女性の肌には旦那様も大喜びです!」
「旦那様も……大喜び?」
リリベットの顔がピクッと上がったのを、ドロシアは見逃さず一気に押し込む。
「もちろんでございますよ! ですので、是非調査の許可をいただきたく存じます」
リリベットは少し唸ると、エイルマー大臣に向かって
「う~む……まぁ調査ぐらいならよいじゃろう。エイルマーよ、関係各所との調整はお主に任せるのじゃ」
と命じるのだった。
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『グレートスカル代表』
海洋ギルド「グレートスカル」の現会長は、ログスの娘であるレベッカ・ハーロードである。本来であれば林海会議に参加するのは彼女であるが……招待状が届いたとき、心底嫌そうな顔をしながら
「どうせ、あの馬鹿げた話で盛り上がるんだろ? 今年も親父が代わりに行ってくれよ」
と頼むと、ログスが豪快に笑いながら頷いた。
「がっはははは、おうよ! 今年こそは勝ってくるぜぇ」
海洋ギルドも木工ギルドも仲が悪いようで、この『乳尻戦争』を楽しみにしているのである。