第85話「遭遇なのじゃ」
リスタ王国 近海 エスカール号 ──
レオンたちを乗せたエスカール号は、王城から見て北西の海域まで来ていた。
「よし、この辺りだ! 縮帆しろっ!」
「了解っ!」
レベッカの号令に、船乗りたちは一斉にマストに登り帆を畳んでいく。そんなレベッカにシャルロットは首を傾げて尋ねる。
「船で奔りまわって、捜すんじゃないんだ?」
「こんな霧の濃い日に闇雲に奔りまわったら、すぐに座礁しちまうよ。この辺りでゆっくり移動しつつ、あとは全周警戒だな」
レベッカは呆れた様子で言うと、近くにいた船乗りに小さな器具を持ってこさせた。それをシャルロットに渡しながら命じる。
「ほら、シャルロットちゃんは見張り台だ、これを持っていきな!」
「わっ……これはマストに登るための道具?」
「危ないから、ゆっくりでいいからなっ」
レベッカはそう告げると、自分も腰のカバンから望遠鏡を取り出して周辺を警戒しはじめた。シャルロットがメインマストに近付いてから周りを確認すると、すでに他のメンバーは分かれて望遠鏡で周辺確認をはじめている。
シャルロットも気を取り直して、器具を使ってゆっくりとマストに登りはじめた。しかし、途中で下からカミラに声を掛けられる。
「シャルロット! あんた、スカートの中見えてるわよ!」
「えっ!? み……見るなっ!」
レオンとジェニスが見ないように顔を背けているのが見えると、シャルロットの顔がみるみる赤くなっていく。しかし、後ろからレベッカの怒声が飛んできた。
「シャルロットちゃん、登ってる最中に余分なことは考えないっ!」
「うぅ……わかってるよ!」
シャルロットは我慢してマストに登ると、そこには一人の若い船乗りがいた。登ってきたシャルロットを一瞥すると、若い船乗りは親しげな様子で笑う。
「ははは、これは可愛らしい船乗りだ。お前さんも見張りかい? ほら、命綱をつけな。ここは船の中で一番揺れるからよっ!」
若い船乗りは、シャルロットがつけている落下防止用の器具に命綱を通して固定する。
「ありがとう」
「いいってことよ、俺は東側見るからよ、お前は西側を頼むぜ」
「うん、わかった!」
シャルロットは愛想よく返事をすると、言われた通り西に向かって望遠鏡を向けた。しかし霧が濃すぎるためか、見張り台の上からでも真っ白にしか見えない状態だった。
捜索を開始してから一時間ほど経つと、カミラやエアリス姉妹は捜索に飽きはじめていた。
「何にもないわね」
「霧しか見えなくてつまらないわ」
操船のために乗船している船乗りを除く、他のメンバーは何とか集中を切らさず捜索を続けているが、オルグなどは最初から捜索には参加せず、船縁から釣り糸を垂らしている。そんな中、レベッカはポケットから懐中時計を取り出し、時間を確認すると小さく呟く。
「そろそろかねぇ?」
その呟きと呼応するように緩やかだった海面が徐々に波打ちはじめ、エスカール号も大きく揺れはじめた。
「きゃっ! なにっ!?」
マスト上の見張り台にいたシャルロットは、その揺れに座り込んでしまった。若い見張りも縁を掴んでなんとか立っている状態で、周辺を確認する余裕はなかった。
ジェニスは船から落ちないように、ロープに掴まりながら声を上げた。
「これは来たのかも? 今までまとめた話だと、現れる前に高波になるって話だった!」
「どちらから来る!?」
レオンもロープを掴みながら、何と身体を支えて周辺を見回している。そんな中、オルグだけは高笑いをしながら釣りを続けている。
「がっはははは、揺れるのぉ」
レベッカはジッと西の方角を睨みつけると、船全体に響き渡る声で叫んだ。
「西だ! 西からくるよっ!」
一斉に西側を見るメンバーたちは、エスカール号の左舷で何かが動いているに気が付いた。濃い霧の中を巨大な何かゆっくりと進んでいるのが見えると、レオンたちや船乗りたちは驚いた様子で左舷に駆け寄る。
「幽霊船だ! 本当にいたんだ!?」
「アレって船? ここからじゃ遠すぎてわからないわ」
「あんなに水面を真っ直ぐ進むのは、たぶん船しかないと思う」
口々にそんなことを言いながら、幽霊船だと思われる影をじっと見ている。マスト上のシャルロットも、何とか体勢を立て直して望遠鏡を覗きこむ。
「確かに白い船っぽいけど、よく見えない。でも大きさは……グレートスカル号より、ちょっと小さいかも?」
彼女は影の大きさだけで船の大きさを図ろうとする。そして、シャルロットは身を乗り出し、レベッカに向かって叫ぶ。
「レベッカさん、あの船を追いかけようっ!」
「無理だっ! 今から帆を張ってちゃ、とても間に合わないよっ!」
現在エスカール号は縮帆しているため、まったく船足がでてない状態である。再び帆を張るためにはマストを登らないとならず、この揺れる船上では自殺行為だった。それでも彼らは熟練の船乗りたちであり、レベッカの号令なら命をかけて登るだろう。その証拠に彼らはすでに、マストの下でレベッカの号令を待っていた。
「姐さん、いつでもいけやすぜっ!」
「どちらにしろ追いつけないっ! 子供のお遊戯で怪我するのも馬鹿らしい、全員待機だっ!」
レベッカは血気に逸る船乗りたちを宥めているが、オルグは豪快に笑いながら遠くを通りすぎていく幽霊船を見つめていた。
「がっははは、順調そうだなっ!」
そして幽霊船は霧の中に消えていった。一行は揺れる船の上で、その姿を眺めていることしか出来なかったのである。
徐々に治まってくる波の中でジークは唸りってから口を開くと、仲間たちはそれぞれの感想を述べていく。
「う~む……確かに船だったとは思うが」
「正直よくわからなかったわ」
「ジェニス君、発表向けにまとめれそう?」
カミラに尋ねられると、ジェニスは小さく頷きながら答える。
「うん、大丈夫だと思う。この航海で正体がわかるとは思ってなかったから、筋書きはもう決めているんだ」
「へぇ、さすがね」
「でも……あんな巨大なものが我が国の領海にいるなんて……何で母様は何もしないんだろ?」
そう疑問を口にしたのはレオンだった。
『幽霊船』の存在は国の中枢であるリリベットやフェルトも当然知っており、若干ながら漁船などの安全を脅かしている。リリベットはもちろん宰相のフィンは問題にはすぐに対処するので、こんな状況を放っておくとは思えなかった。
「陛下たちのお考えはわかりませんが、おそらく幽霊船が我が国に害を及ぼす存在ではないことを、承知しているのではないかな?」
このジェニスの答えではレオンは納得できなかったが、それでも両親や宰相を深く信頼しているため、それ以上は何も言わなかった。
その後メンバーたちがしばらく話していると、マストの上からシャルロットが降りてきた。
「レオンさま、これからどうするの?」
「あの船を追いかけるわけにはいかないようだし、とりあえず戻るしかないかな?」
「わかった……じゃ、レベッカさんに帰港するように言ってくるね」
シャルロットはそう言うと、レベッカの方へ走っていった。レベッカは駆け寄ってきたシャルロットに尋ねる。
「どうするって?」
「レオンさまは、港に戻ろうって」
「了解だ。よーし、お前ら帆を張りなっ! 港に戻るよっ!」
「おぉぉ!」
レベッカの号令に、船乗りたちはマストに登り一斉に帆を張る。帆は風を受け船体はガクッと揺れると、ゆっくりと進みはじめた。
「爺様、いつまで座ってんだ! 取り舵一杯だ」
「あいよ、まったく爺使いが荒い孫だぜ」
オルグは文句を言いながらヒゲを擦り、舵のところまで歩くと舵を回して船を旋回させていく。こうしてエスカール号は、リスタ港に向かい進みはじめたのだった。
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『社会科の発表』
レオンたちが幽霊船を目撃してから十日後、ついに発表の日になった。あれから毎日のようにラフス教会に集まり、ジェニスを中心に発表の資料作りをしてきた彼らの資料は、噂の広がり具合や種類、それを調査する過程を重視した内容になっており、結果的には幽霊船に遭遇したことでまとめられており、幽霊船の存在の考察については敢えて触れなかった。
この発表は生徒たちや教師にも好評を得たが、不思議なことにそれ以降、幽霊船を見たという報告は一切聞かれなくなったのであった。