第84話「幼き臣下なのじゃ」
リスタ王国 プリスト邸 食堂 ──
リスタ王国の財務大臣ヘルミナ・プリストは仕事一筋の人間だったが、子供が生まれてからは、子供と夕食は一緒に取るために仕事が残っていても、屋敷に顔を出すようにしている。
この日は父親のタクトは帰ってきておらず、ジェニスと二人きりの食事になっていた。
「最近の学園生活はどうなのかしら?」
「レオン殿下や友人たちと一緒に過ごし、大変充実してます」
「そう、それはよかったわ。そう言えば……話は変わるけど『幽霊船』を追っているそうね?」
あとで自分から切り出そうとした話題を、先に母から切り出さてしまったことに、ジェニスが驚いているとヘルミナは微笑みながら付け加えた。
「何故、知っているのかという顔ね? 陛下から聞いたのよ」
「そうですか……はい、友人たちと授業の一環で調べてます。……丁度話が出たので言ってしまうけど、三日後に調査のためのクルージングを計画しているんですが、僕も行ってもいいですか?」
「……レオン殿下も行かれるの?」
「はい、殿下の他に学校の友人五名が一緒です」
ヘルミナは少し考えてから口を開いた。
「う~む……それでは、一つあなたに問を出します。それに納得できる答えが出せれば、許可してあげましょう」
「本当ですか? どんな質問でしょう?」
ジェニスは警戒しながらも首を傾げて尋ねる。
「まず前提として、あなたは幼くてもレオン殿下の臣下です。あなたは賢いからわかっていると思うけど」
「はい、心得ています」
ヘルミナは短く息を吸うと、意を決したように話しはじめた。
「例えば、突然の事故で船が沈みそうだとしましょう。事故の種類はなんでもいいのだけど、そうね……岩礁にぶつかって船底に穴が開いたとしましょうか。仲間たちは、慌てた様子で次々と救命ボートに乗りこみます。そして、レオン殿下とあなただけが沈みゆく船に残っています」
ジェニスは真剣な表情で、ヘルミナの話を聞いている。
「救命ボートに乗れるのは、あと一人です。さて……あなたはどうしますか?」
ヘルミナの問いにジェニスは考え込む。臣下としては主を優先すべきだが、母の問いがそんなに簡単な問題ではない気がしたからである。
「う~ん……僕ならレオン様を乗せて、僕は船縁を掴んで泳ぎます。そして、体力や体温の余裕があるうちに、体力に余裕があるものと交代を繰り返して、可能な限り全員で生き残る道を探したいです」
ジェニスが出した答えにヘルミナは少し黙ったあと、小さく頷いた。
「……色々と詰めが甘いですが、まぁいいでしょう。大事なことはわかっているようですしね。行ってきなさい、気をつけるのですよ」
許しが出たことに安堵したのか、ジェニスは短く息を吐いてから
「はいっ!」
と返事をした。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王都 リスタ港 ──
オルグとの約束の日、まだ朝日が昇る前にレオンたちはリスタ港の桟橋まで来ていた。レオンたち七人の他には、ラッツ率いる近衛隊四名、オルグとレベッカ、そして操船のための船乗りたちが数名である。
今回は人数が多いこともあり、オルグの黒鮫号ではなく、海洋ギルド所属の武装商船エスカール号に乗船することになった。
「がっははは、全員許可を貰ってきたようだな」
「はい、今日はお願いします」
豪快に笑っているオルグに、レオンが返事をすると残りのメンバーは頭を軽く下げた。
「あぁ任せなっ! ……と言っても、今回はワシは操舵士だがなぁ」
「あれ? オルグさん、船長じゃないんだ?」
シャルロットは首を傾げて尋ねると、オルグはニカッと笑って親指でレベッカを指した。
「おぉよ、今日はキャプテンレベッカだ。見てみぃ、あの野郎どものやる気を!」
シャルロットたちは、オルグの後ろのほうで出航準備を進めている船乗りたちを覗き込む。
「おらっ、チンタラやってんじゃないよっ! 尻蹴りあげるよっ!」
「姐さんになら是非っ!」
軽口を叩いた船乗りは、その瞬間臀部を蹴り上げられて海に落ちていった。それを見たカミラは、引きつった顔をしながら
「あれ……大丈夫なの?」
と呟いた。
そんな感じで出航準備が整うと、レベッカは一行の元に近付いてくると、キャプテン帽を脱いでお辞儀をした。
「レオン殿下および仲間の皆さん、本日の航海で船長を勤めさせていただくレベッカ・ハーロードだ。航海中は、私の指示に従うように。従わない奴は容赦なく海に放りこむからねっ!」
本人は軽い冗談のつもりだったが、先程の光景を見ていた女の子たちは小刻みに震えていた。
「それじゃ乗っておくれ、そろそろ出航しないと間に合わなくなっちまうよ」
レベッカはそう言うとタラップを渡り、船に乗り込んでいった。レオンたち一行はお互いの顔を一瞥すると頷いてから、次々にエスカール号に乗り込んでいく。
全員が乗り込んだのを確認したあと、レベッカが号令をかける。
「出港だ、錨を上げろっ!」
「了解っ!」
船乗りたちは返事をすると、船首の辺りで錨を引き上げはじめる。上がりきるタイミングでレベッカが海上に向かって手を振ると、小型の船が二隻でエスカール号を引っ張りはじめた。
「あの船はなんだろ?」
レオンが首を傾げながら呟くと、シャルロットが自慢げに答える。
「あれは引船って言うんだよ。動力を持たない船の出港や入港を助けたりする船なの」
「なるほど、さすがにシャルさんは詳しいな~」
レオンに褒められて有頂天になってるシャルロットに、レベッカが声を掛けてきた。
「シャルロットちゃんは、こっちに来なっ! お勉強の時間だっ!」
「えっ、あ、はい!」
シャルロットが慌ててレベッカの元に行くと、ガシッと肩を掴まれて彼女の前に立たされた。
「ここから見えるのが、船長が見る光景だよ」
「霧が濃くてよく見えないよ」
「あははは、確かにな! ここは船の先まで見えるだろう? それにどこにでも声が届く……帆を広げろぉ!」
レベッカの号令に、いつの間にかマスト上に登っていた船乗りたちが一斉に帆を張り始めた。帆に風を受け、ガクッと船が揺れる。
「キャッ!」
「おっと大丈夫かい?」
揺れた弾みでイシスが倒れ掛かると、近くにいたジークがそっと支えた。それを見ていたラケシスがイシスに文句をつけている。
「イシス、抜け駆けはダメって言ったでしょ!」
「あら、お姉さまいたのですか? ちょっと転んでしまっただけです」
二人がギャァギャァと争っているのを見て、レベッカは眉を顰めながら呟く。
「まったく騒がしい連中だねぇ」
「おい、レベッカ。そんなことよりどっちに進むんじゃ?」
丁度レベッカたちの後ろで、舵を握っているオルグが尋ねてきた。それに対して、レベッカは振り向かずに答える。
「爺様、取り舵一杯だ。北西へ向かうよ!」
「あいよっ!」
オルグが豪快に舵を切ると、船乗りたちはそれに合わせて帆に当たる風を調整していく。こうしてエスカール号は、北西に向かって霧の海を進んでいった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 北バルコニー ──
ネグリジェにローブを羽織ったリリベットが、北バルコニーを訪れていた。じーっと北の海を眺めながら口を開いた。
「そろそろ通るころじゃろうか?」
かなり濃い霧が出ているためか、遠くまではあまり見渡せていない。リリベットは面白くなさそうに文句を呟く。
「まったく……幽霊船なんて何がよいのじゃ」
「あはは、まぁレオンも男の子だからね」
突然の声に振り向くと、そこにはフェルトがポットとカップを二つ手にして立っていた。
「さすがに、この時間はまだ寒いだろ? コーヒーを持ってきた」
「んっ」
リリベットが小さく頷くとフェルトはカップにコーヒーを注ぎ、それをリリベットに差し出す。そして、自分の分を入れるとポットを地面に置いた。
二人がバルコニーの端まで行くと、少し強めの風が吹いた。リリベットは長い髪が乱れないように手で押さえながら尋ねる。
「お主も、そういう物を捜しに行ったことがあるのじゃろうか?」
「ん? 私かい? そうだな……フェザー領の山奥には伝説の剣が眠っているって話があってね。それを捜しに行ったりしたかな」
子供っぽく笑うフェルトを見つめながら、リリベットはクスッと笑う。
「よくある御伽噺じゃな。そんな物見つかるわけがないのじゃ」
「あはは、確かにね。でも、あったんだよ」
「ほぅほぅ……それで?」
リリベットはフェルトと肩を寄せ合いながら、コーヒーを飲みつつ耳を傾けるのだった。
◆◆◆◆◆
『伝説の剣』
フェルトと兄のレオナルドがまだ幼い頃、その頃から頭角を現していたレオナルドでも、父であるヨハンにはまったく手も足もでなかった。
訓練を抜け出したレオナルドは、ヨハンを倒すにはフェザー家に伝わる『伝説の剣』が必要だと考え、山奥の神殿に向かって馬を走らせていた。しかし、抜け出すの際にフェルトに見つかってしまい、仕方がなく弟も連れていくことになったのである。
神殿についた兄弟は、台座に眠る大剣を見つけた。
「ほんとうにあった! すごい!」
「よし! フェル、ちょっと退いていろ」
フェルトが目を輝かせながら喜んでいると、レオナルドは柄を掴んで台座から引き抜こうとする。
「ぐぅ……抜けない。何かで固定してるわけじゃなくて、単純に重いみたいだ」
この日は結局諦めて帰った兄弟だったが、長きに渡り挑戦し続けたレオナルドは、数年後には剣を抜くことができた。そしてレオナルドは、その年初めてヨハンから一本を取ることができたのである。
しかし、実はこの剣に不思議な力はなく、この剣を抜けるほどの力をつけたことが勝因だったのだ。この伝説の剣は、レオナルドの剣として彼の屋敷に安置されている。