第78話「幽霊船なのじゃ」
リスタ王国 近海 漁船 ──
早朝、リスタ王国の近海で漁師たちが、仕掛けておいた網を引き上げていた。漁師たちは威勢のいい声を上げながら網を上げている。
「おらぁ、もっと力を入れろっ! 時間が押してんだよ」
「おぉぉぉ!」
この日は非常に濃い霧が出ていたため、漁師の多くは今日の漁は諦めて引き返していた。この漁師は霧なんて関係ないと言った様子で出航したものの、やはり普段と勝手が違い漁場までの操船に手間取ったため、いつもより遅い時間になっていた。
「親方ぁ、そろそろ戻らないと市場が閉まっちまうぜ」
「おぉ、そうだな。そろそろ引き上げるか」
ある程度の海産物が取れたので、そろそろ引き上げようと錨を上げ始めた漁師たちだったが、その時彼らが乗っている船が大きく揺れ始めた。先程まで穏やかな海だったのだが、今は荒々しい波が船体を激しく打ち付けている。
「な……なんだぁ!?」
「お、親方ぁ! アレは!?」
何かを発見した漁師の一人が叫ぶと、親方と呼ばれた船長は彼が指差している方角を睨み付けるように見た。濃い霧の中に何か巨大な物が、音もなく動いているのが見えると親方は眉を寄せながら呟く。
「な……なんだ、ありゃ……グレートスカル号か?」
「いや、グレートスカル号なら、いまはジオロに向かって航海中のはずですぜ」
リスタ王国の船乗りたちは、平時は大陸航行船として活躍しているグレートスカル号のスケジュールは、だいたい把握している。これはあの巨大船が近くを通ると、発生する高波で漁船のような小船は転覆してしまうからであり、リスタ王国の船乗りの必須スキルである。
漁師たちが見守るなか、その強大な影はスーッと霧の中に消えていった。
その時は不思議に思いながらも、その場で考えていても答えは出ず早々に帰港した彼らだったが、落ち着いてから「まさか幽霊船か?」と噂し始めるのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 玄関ホール ──
王立学園に向かおうとするレオンとジェニスを、珍しくリリベットとヘルミナが見送りに来ていた。
リリベットはレオンの前に屈むと、彼の肩を手を置くと優しく微笑んだ。
「レオン、今日から中等部じゃな。この間、入学したと思っておったのに、もう進級してしまうとは私も嬉しいのじゃ」
「はい、ありがとうございます。母様!」
母に褒められて嬉しそうに笑うレオンの顔は、普段とは違い歳相応に見える。
「聞いた話では、ピケルの娘も受かったらしいのじゃ」
「はい、シャルさんも受かりましたし、彼女の友人のカミラさんも受かったんですよ。自信が無さそうだったけど、本当によかったです」
リリベットにも、レオンの学園生活は逐次報告されているため、レオン、ジェニス、シャルロット、カミラの四人がよく一緒にいることは知っていた。だからといって、これまでも特に裏から手を廻したりはしなかったが、我が子が良い友人関係を築けているようで嬉しかった。
「それでは、いってきます。母様!」
「うむ、しっかり学んでくるといいのじゃ」
リリベットたちに見送られて、レオンとジェニスは正門広場に待たせてある馬車に向かって、歩き始めるのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王立学園 教室 ──
レオンたちが中等部に進級してから、さらに二週間が経過していた。当初はレオンを生徒たちが取り囲んで話し込むような場面もあったが、徐々に馴染んできたのか教室は平穏になりつつあった。
中等部には進級してきた四人の他に、ケルン卿の息子のジークと、ラッツとマリーの娘であるラケシスとイシスがいる。
レオンとジェニスが話していると、シャルロットが話しかけてきた。
「レオンさま、最近街で噂になってる『幽霊船』の話を知ってる?」
「幽霊船? いや、僕はまだ聞いてないな。どんな話なの?」
レオンは、首を横に振ってから尋ねる。シャルロットは自慢げに街で噂になっている『幽霊船』のことを話しはじめた。
シャルロットが言うには、『幽霊船』は霧が深い早朝によく現れる。海上を移動しているため、船とされているが大きさは島のようである。少し目を離すと姿を消してしまうことから『幽霊船』では? と囁かれているという話だった。
「へぇ、面白いね!」
レオンは目を輝かせながら頷いている。レオンも船などが好きという話を、リリベットからサーリャ経由で知っていたシャルロットは、思い切って誘ってみることにした。
「レオンさま、ちょっと幽霊船を探ってみない?」
「えっ、探るってどうやって?」
「もちろん、見に行くの!」
シャルロットが当然といった感じで答えると、レオンとジェニスは一瞬目を見開いて、驚くと少し考え込み始めた。
ジェニスは首を横に振りながら、シャルロットの計画の問題点を指摘しはじめた。
「見に行くって言ったって、まず移動手段の船がない」
「ぐぬ」
シャルロットが怯むと、ジェニスはさらに追い討ちをかけるように指摘していく。
「それに例え船があったとしても、位置も不明、出現時間も不明では見つけれっこないさ」
「ぐぬぬ……ジェニスくんは意地悪ばかり言うね!」
シャルロットが少し怒った様子で頬を膨らませると、ジェニスは慌てた様子で取り繕った。
「ぼ……僕は一般論として言ってるだけだよ」
シャルロットは、じっとジェニスの顔を見つめる。
「それに『幽霊船』について、妙に詳しいね」
「ちょ、ちょっと噂を聞いただけさ」
どもりながら答えたジェニスだったが、本当はシャルロットがこの手の話が好きだから話すきっかけにと、わざわざ調べていたからである。
そんな二人を見ながら、レオンはぼそりと呟いた。
「……幽霊船か、確かにちょっと見てみたいな」
「でしょ!?」
それを聞いた瞬間、レオンに詰め寄るシャルロットの後ろから伸びてきた手が、ガシッとシャルロットの頭を掴むと、彼女をレオンから強引に引き剥がした。
「痛いって、誰よ!」
シャルロットが痛がりながら掴んでいる手を振り払うと、そこにはカミラがいた。
「シャルロット! なにを抜け駆けしてるの!」
シャルロットとカミラの些細な喧嘩が始まると、周りの生徒たちは止めたりせず「またか?」という顔をしている。そこにジークがラケシスとイシスを連れ近付いてきた。
「楽しそうだね、レオン殿下? 何の話をしてたんだい?」
「ジークさん、街で噂になっているらしい『幽霊船』について話してました。どうにか見れないかなって」
その解答はジークとしては予想外だったようで、少し驚いた表情を浮かべたが、すぐに興味を持ったのか
「『幽霊船』の噂か、今度社会の授業で何人かのグループで、テーマを決めて発表するというのがあっただろう? あれのテーマには丁度いいんじゃないかな?」
と提案してきた。それに対してジェニスが頷く。
「それは良い考えかもしれませんね。授業の一環ということにすれば、大人たちも手伝ってくれるかもしれませんし……」
「よし、決まりだ! ここにいる七人のグループでいいかな?」
ジークのその言葉に機会を窺っていた女生徒たちだったが、レオン、ジェニス、ジークといったロイヤルな雰囲気に押されて、輪の中に飛び込んで行くものはいなかった。
こうしてなし崩し的に、レオン、ジェニス、シャルロット、カミラ、ジーク、ラケシス、イシスの七人で『幽霊船』の謎を追いかけることになったのである。
◆◆◆◆◆
『西方都市ノイスターン』
旧レティ領の西域にある大都市ノイスターンは、帝国西方艦隊の本拠地があり、ザイル連邦とクルト帝国を繋ぐ大陸連絡船が停泊する街である。
東方にある港町ガジェルダと共に帝国最大の港町であり、港の防衛も他の街に比べて厳重である。
その港に一人の少女が降り立っていた。
「やっとムラクトル大陸に着いたわ。まさか大陸連絡船の本数が減るなんて思わなかったから、こんなに時間が掛かってしまったわ……兄さんのところに早く行かないと」
少女はそう呟くと、マントを翻して歩き出した。歩いている際中に、ふと少し離れている港に目が行くと、黒い艦船がたくさん停泊している。
「あれは……軍艦かしら? 随分と数が多いわね」
港には普段以上に軍艦が泊まっており、物々しい雰囲気を醸し出していた。少女は横目にそれを見て、何かを呟くと、街の外に向かって急ぐのだった。