第76話「将来有望なのじゃ」
クルト帝国 フェザー領 屋敷 ──
数日間、帝都に滞在したフェルトたちは、急ぎフェザー家に向かうことになった。フェザー家に預けたマオリィと合流するためである。
一行が屋敷へと続く道を進んでいると、やがてフェザー家の屋敷が見えてきた。
「あと少しね。ん? ……あれは」
ミュゼは建物の一角が崩壊しているのに気が付き、頭を抱えながら呟いた。
「あの場所は、確か……」
「あぁ、あそこは修練所だね。壁の一部が壊れてるけど、何かあったのかな?」
馬車から顔を出したフェルトが答えると、ミュゼは青い顔をしながら呟く。
「嫌な予感しかしません……」
一行が屋敷の玄関にたどり着くと、公爵夫人セラーナと召使たちが出迎えてくれた。フェルトは馬車から降りると丁寧に頭を下げる。
「帝都より戻りました、母上」
「無事で何より、よく来てくれました」
「マオリィ君は元気にしてましたか?」
「えぇ、元気すぎるぐらいよ。あの人と嬉しそうに訓練に励んでましたよ」
セラーナは微笑みながら答えていたが、ミュゼは心配そうに尋ねる。
「フェザー公爵夫人、あ……あの子は、何か失礼なことをしませんでしたか!?」
「えぇ、とってもいい子でしたよ」
セラーナはニッコリと微笑んでいたが、後ろで控えていた執事たちは苦笑いを浮かべていた。そのことがミュゼの中でさらに嫌な予感を掻きたてていたが、セラーナは修練所の方を指しながら答えた。
「今は、あの人と修練所にいるはずです。フェルト案内してあげなさい」
「はい、母上」
フェルトは頷くと、ミュゼと共に修練所に向かうのだった。
◇◇◆◇◇
クルト帝国 フェザー領 屋敷内の修練所 ──
フェルトたちが修練所に入ると、数日前まであった壁が崩れ落ちており、そこから暖かな風が流れ込んで、床に敷き詰めた砂が舞い上がっていた。
修練所の中心にはヨハンとマオリィが対峙しており、マオリィの必死の連撃をヨハンは難なく躱している。しかし、数日前と違うのは何発かに一度は、ヨハンが剣で受けてるところだった。
「へぇ、父上に受けさせるなんて凄いな」
「確かに……数日前より、格段に動きが鋭くなってますね」
フェルトとミュゼは関心したように呟く。マオリィは入ってきた彼らに気付かず、ひたすら攻め続けていたが決定打を入れられずにいた。
焦れたマオリィが棒状の武器を大きく突き入れると、ヨハンはそれを難なく躱し、剣の腹でぺしっとマオリィの頭を軽く叩いた。
「ぐぅ……痛いのだっ!」
「焦って大技を振ってはいかん、相手の一手二手先を読むのだ」
「ぐぬぬ……まだまだなのだっ!」
マオリィは再び手にした武器を構えたが、ヨハンは手にした大剣を降ろして首を横に振った。
「いいや、ここまでのようだ」
マオリィは首を傾げてからヨハンの視線を追うと、そこにはフェルトとミュゼが立っていた。マオリィは彼らに駆け寄り、嬉しそうに飛び跳ねている。
「おねーちゃん、このおっちゃん凄く強いのだっ!」
「ダメでしょ、マオ! ちゃんとフェザー公、もしくはヨハン様と呼びなさい」
まるで本当の姉妹のように叱るミュゼに、ヨハンは笑いながら答える。
「はっははは、別におっちゃんでも構わんぞ」
妙に上機嫌なヨハンを不思議に思ったのか、フェルトが首を傾げながら尋ねる。
「父上、マオリィ君はどうでしたか?」
「うむ、この子は天才かもしれんな。若いということもあるのだろうが、この数日だけでもどんどん吸収していく。いずれは後世に名を残す武人になるかもしれんな」
嬉しそうに語るヨハンだったが、そのことにフェルトは驚いていた。ヨハンは武に関しては人一倍厳しい、そんな父がここまで賞賛する才能である。数年後にはどうなってるか想像も付かなかった。
「末恐ろしいな……」
フェルトは、ミュゼに拳骨を落とされて頭を抱えているマオリィを、見つめながら呟くのだった。
◇◇◆◇◇
クルト帝国 フェザー領 屋敷 食堂 ──
フェルトたちは、フェザー家で一泊していくことになった。食堂にはヨハン、セラーナ、ファルトとミュゼを含めた紅王軍の隊員たちと、マオリィが席に着いていた。その周りには給仕と執事たちがいる。
しばらくは談笑しながら食事を進めていたが、食事が中盤に差し掛かったころ、ヨハンがある提案をしてきた。
「フェルトよ、その少女を私に預けぬか?」
「なっ!?」
フェルトは驚きつつ、手にしたフォークを皿に置いた。そして、極めて冷静な態度で改めて尋ねる。
「父上、何をおっしゃるのですか? 彼女は我が国で預かっている者ですよ」
「うむ……ここ数日、一緒に修練をしていて思ったのだが、なかなか見所のある少女だ。このまま私と共に修練を積んでいれば、きっとすぐに強くなれるぞ」
その言葉にマオリィは、口一杯肉を詰め込めながら目を輝かせている。
「ほぁんかぁ!?」
「飲み込んでから喋りなさい!」
マオリィはミュゼに叱られると、モグモグとよく噛んでから飲み込む。ミュゼはマオリィの口の周りについたソースを、ナプキンで拭いてあげる。
「強くなれると言うのは、本当か!?」
食い入るように再び尋ねるマオリィに、ヨハンは微笑みながら答えた。
「あぁ、君ならかなりの武人になれるだろうな」
「おっちゃんよりか!?」
「はっははは、それはどうかな? 自慢するようだが、私はかなり強いぞ?」
ヨハンの強さは、ここ数日まったく相手にならなかったマオリィが一番よくわかっていた。マオリィは悩みながらチラリとミュゼの方を見る。その視線に気が付いたミュゼは微笑みながら告げる。
「貴女の人生なんだから、貴女が決めていいのよ」
その言葉にマオリィは決心したのか、一度大きく頷くと真っ直ぐにヨハンを見つめ
「おっちゃんとの修練は面白かったが、ボクは……師匠と同じ道を征くのだ!」
と答えた。ヨハンは驚いた表情を浮かべたあと、少し残念そうに頷く。
「……そうか、それは残念だな」
マオリィはニヤッと笑うと、席を立ちながら拳をヨハンに突きつける。
「でも、いつかきっとボクがおっちゃんを倒してあげるからなっ!」
それを聞いたヨハンは豪快に笑いだした。
「がっはははは、それはいい! 楽しみにしているぞっ」
「あなた……食事中ですよ」
セラーナはヨハンのマナー違反を窘めたが、久しぶりに楽しげな夫の姿に、嬉しそうに微笑んでいた。
◇◇◆◇◇
クルト帝国 フェザー領 街道 ──
フェルトたちは、翌日早くから屋敷を出発してリスタ王国への帰路に着いた。行きに領土解放戦線によって襲撃されたこともあり、リスタ王国の国境まではフェザー公爵軍の精鋭十名が同行することになった。
馬車の中から顔を出しながらマオリィが騒いでいる。
「皆、強そうなのだ!」
「フェザー公爵軍と言えば、皇帝直轄の皇軍に劣らない強さと言われているからね。私見では、公爵軍の方が強いと思うよ」
フェルトの感想は、実家の軍隊ということで贔屓目もあったが、剛剣公ヨハン・フォン・フェザーが鍛え上げた軍隊である。貴族のステータスとして上級貴族の子息が入隊している皇軍より、装備の面以外はフェザー公爵軍の方が精強だった。
「うむ、戦ってみたいのだ!」
「あはは、さすがに辞めてもらえるかな? 彼らには護衛の任務があるからね」
「むむむ……残念なのだ」
マオリィは心底残念そうにそう呟くと、馬車のソファーに寝転がり、しばらくすると寝息をたてはじめた。それを見ながらフェルトは、起こさないように小声で呟く。
「この子は、本当に大物になりそうだな……」
◆◆◆◆◆
『壊れた調度品』
フェザー邸に到着したあと、修練所に向かうため廊下を歩いていたフェルトとミュゼだったが、途中で壷の破片を片付けているメイドがいた。
ふと目に付いたフェルトは、そのメイドに声を掛ける。
「大丈夫かい?」
「えっ、あ、はい、フェルト様」
メイドは手を止めて立ち上がると、カーテシーで挨拶をした。
「割ってしまったのかい?」
「いえ、私ではなく旦那様とお客様なのですが……」
メイドの話では、ヨハンに「いつでも挑んでくるがいい」と言われたマオリィが、廊下で襲い掛かり、色々と物が壊れたらしかった。その後、さすがにセラーナに怒られた二人は、修練所のみで訓練をするようになったらしい。
それを聞いたフェルトが改めて周りを見ると、壷以外にも壁や窓まで壊れていた。その横でミュゼは顔を青くしている。
「あの子ったら何てことを……」
「あぁ、大丈夫ですよ。そんなに高い物は置いてませんから」
フェザー家は「清貧を尊び有事に備えよ!」が家訓であり、その屋敷でも強大な権力に対して最低限の装飾しか施されていないのだ。
「すみませんでした、後でちゃんと叱っておきます!」
ミュゼがメイドに頭を下げると、彼女は恐縮した様子で首を横に振るのだった。