第73話「状況確認なのじゃ」
リスタ王国 王城 女王執務室 ──
フェルトたちが帝都に向かっている間、リリベットの元にも様々な報告が届いていた。クルト帝国の港町アイゼンリストの惨劇の被害状況や、ノーマの海賊の活動が最近活発になったこと、ムラクトル大陸の耳聡い商人たちが戦争による品薄を予想して、ザイル連邦製の商品が高騰を始めていた。
リリベットは執務机の席に座って、宰相フィンが届けた報告書に目を通しながら頭を抱えていた。
「あの大戦の時のような空気を……感じるのじゃ。宰相どう思うのじゃ?」
「はい、フェルト殿の話では、ザイル連邦のラァミル王子は開戦を望んでいない様子ですが、ザイル連邦全体でみれば元々好戦的ですし、帝国も同じですから……このまま推移していくと確実に戦争になります」
フィンがきっぱりと答えると、リリベットは暗い表情を浮かべていたが、少し考えてから尋ねる。
「我が国へ被害予想はどうなのじゃ?」
「はい、短期的にはさほど問題はないでしょうが、一部の商品の上昇に引っ張られ物価が上昇するでしょう。そして万が一クルト帝国が敗れ、ザイル連邦がムラクトル大陸まで侵攻して来た場合、我が国も窮地に陥る可能性が高くなります。この大陸に橋頭堡を手に入れたザイル連邦にとって、我が国の必要性が低下しますので……」
リリベットは難しい顔をして唸っている。彼女自身もまったく同じ予想を立てており、どうにか回避できないかと思案しているのだった。
「ザイル連邦が勝つ確率はあるじゃろうか?」
「彼らは本能的に水を嫌がりますので海戦は苦手です。再建中とは言え正規の艦隊を持つクルト帝国に、勝つのは難しいかと思いますが……同じ獣人でもノーマの海賊はそれを克服して生業にしていますから、彼らと手を結んだ場合は戦力的には五分五分でしょうか?」
淡々と語るフィンにリリベットは、再び考え始める。
「クルト帝国が勝った場合に、考えられる状況はどうなのじゃ?」
「はい、クルト帝国が海戦に勝利し、補給路を確保した状態を前提としますが……帝国がザイル連邦に派兵しても、獣人を主体とする軍隊に勝利するのは難しいでしょう」
「ふむ……そうじゃな、レオナルド殿がそんな愚を犯すとは思えんのじゃ。海戦に勝利し講和が妥当な線じゃろうな」
リリベットが出した答えに、フィンは頷くと話を続けた。
「我が国としては、戦争を回避してくれるのが一番です。それが難しい場合は、どちらにも肩入れせず情勢を見守る必要があるでしょう」
「ふ~む……こうなってはフェルトが頼りなのじゃ」
リリベットはそう呟くと席を立ち、南側のバルコニーまで歩くと遠く帝都側の空を見つめるのだった。
◇◇◆◇◇
クルト帝国 帝都 薔薇の離宮 ──
帝都入りしたフェルトはエンドラッハ宮殿には行かず、在帝国リスタ王国大使館に立ち寄ったあと、サリナ皇女の薔薇の離宮へ向かった。
薔薇の離宮にはレオナルドはおらず、サリナ皇女が出迎えてくれた。
「フェルト殿、ようこそいらっしゃいました」
「突然の訪問失礼致します、サリナ皇女」
二人とも丁寧に挨拶を交わすと、さっそく応接室に通された。
豪華に飾られた室内のソファーに勧められたまま腰を掛けると、給仕のメイドたちがお茶を用意してテーブルに置いた。サリナ皇女は対面に座り、右手を軽く上げて給仕と執事を下がらせる。
そして、フェルトに微笑を浮かべながら尋ねた。
「リリベット様はお元気かしら?」
「えぇ、元気すぎて困ってしまうぐらいですよ」
フェルトが冗談っぽく苦笑いを浮かべながら答えると、サリナはクスクスと笑う。
「あら、奥様をそんな風に言ってはダメよ」
しばらく笑っていたサリナ皇女だったが、急に澄ました顔になるとフェルトに問いかけた。
「本当はおしゃべりを楽しみたいのだけど、何か御用があっていらっしゃったのですよね?」
「はい、実は……」
フェルトはアイゼンリストへの見舞いの言葉と、ザイル連邦が抱いている懸念などを説明し、サリナ皇女からは帝国の情勢を聞いた。
サリナ皇女が言うには、今回の問題はレオナルド・フォン・フェザー宰相が全権を握っているが、宮中は大きく主戦派と静観派の二つに分かれており、主戦派の中でもザイル連邦まで征伐する案と、ノーマの海賊だけを掃討する派閥に分かれているとのことだった。
「今回の調整のせいで、レオがあまり帰ってこないのです」
サリナ皇女が寂しそうに言っていたが、フェルトは少し黙って考え込んでいた。
「……思ってた以上に状況が悪化しているな。交戦論の台頭に亜人差別が噴出か」
「はい、宮殿はピリピリしているので、今はあまり近付きたくありませんね」
フェルトが口にした情勢に、サリナ皇女が呆れた様子で答えた。その後、しばらく話したあとフェルトはソファーから立ち上がると、サリナ皇女に丁寧に頭を下げる。
「それでは、私は兄に会いにエンドラッハ宮殿に向かいます」
「あら、もう行かれるのね。レオに会ったら……私がお戻りはいつと尋ねていたと伝えてください」
微笑を浮かべていたが、目がまったく笑っていなかった。その静かな怒りに、フェルトはやや気圧されながらも、静かに頷いてから部屋を後にするのだった。
◇◇◆◇◇
ザイル連邦 首都ロイカ 王の私室 ──
ここはバルドバ王の私室である。豪華に飾られた室内に大きめなソファー、壁には動物の頭部の骨などが飾られている。
ソファーに腰を掛けているライガー・バルドバ王が、目の間に傅いている二人の若獅子に声を掛ける。
「よく来たな……二人とも」
「お呼びにより参上致しました……我が王よ」
そう言いながら顔を上げたのは、ラァミル王子である。もう一人は顔立ちはラァミルに似ていたが、身体はラァミルより大きく力強い印象を与えていた。
「俺に何か用かい、親父殿?」
この軽口を叩いている若獅子がラァミルの弟であり、第二王子のラドン・バルドバである。武勇に優れ反逆を起こした部族や、襲い掛かってきたドラゴンを何度も撃退している武人で、第一師団の師団長も務めている。
バルドバ王は髭を擦りながら頷く。
「来てもらったのは、他でもない……クルト帝国のことだ」
クルト帝国の名が出た瞬間、ラァミルとラドンに緊張が走った。現在、ザイル連邦内では帝国への疑惑が溢れ返ってきるのだ。
「……彼の国の艦隊が何を考えたのか、我が国に対してノーマの海賊の引渡しを要求してきおったのだ。応じぬ場合は強行突破すると言ってきておる」
静かだが明らかに苛立ちが見えるバルドバ王の言葉に、二人の王子は耳を疑った。この挑発的とも取れる発言は、アイゼンリストを襲撃した海賊を追いかけてきた、クルト帝国北方艦隊が発したものだった。
「な、なんだってっ!? 一体どう言うことですか、我が王よ」
「奴ら南の海から現れたかと思えば一方的にそう伝え、現在は港町アーレンで停泊しているそうだ。数は三隻程度」
ラドン王子は唸り声を上げて、拳を床に叩きつけて叫ぶ。
「ふざけやがって、我々をあまく見ているのだっ!」
「控えよラドン! 王の御前だぞ!」
激高している弟をラァミル王子が、なんとか宥めようとしているが、ラドン王子は聞く耳を持たなかった。バルドバ王は右手を少し上げるとラドンに尋ねた。
「よい、ラァミル。ラドン、お前はどうするつもりなのだ?」
「無論、出向いていって蹴散らしてやるぜ! 親父殿、アレの使用許可をくれ」
自信満々に答えるラドン王子に、バルドバ王は首を横に振った。
「いいや……まだアレのお披露目には早かろう」
「ちぃ、仕方ねぇな! それじゃ十隻ほど借りるぜ。」
ラドンは、立ち上がりながら舌打ちをした。バルドバ王は少し迷ったが、自信満々な息子の姿に派兵の許可を出したのだった。
「わかった、この件はお前に任せよう」
「おうよ!」
ラドス王子は元気よく返事をすると、そのまま部屋から出て行ってしまった。
「我が王よ、弟は武勇に優れていますが直情型です。帝国との間に無用な軋轢を生む可能性が!?」
ラァミルはそう進言するが、バルドバ王は首を横に振りながら
「そんなことは些細なことだ……ラァミル、我が子よ。余はお前に名乗り出て欲しかったぞ」
と告げ、ラァミルを一瞥もせず部屋を後にするのだった。
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『バルドバ王家の跡目争い』
現国王のライガー・バルドバは、ザイル連邦を造り上げた偉大な主導者である。最初は小さかったバルドバ王国は、彼の指揮のもと様々な戦いに勝ち続けた。
しかし、統治が長くなりバルドバ王が老齢となると、今まで従ってきた他部族が反乱を起こすようになったのである。それを平定していったのが、バルドバ王の子であるラドン王子だった。
獅子族と呼ばれる獣人は戦闘に特化した種族であり、その中でもラドン王子は体格が恵まれていた。数多くの武勲を打ちたて、臣下からの人望を得ている。この事が王太子であるラァミル王子派と、ラドン王子派の二手に分かれ大闘争が起きる原因になったのだった。