第71話「挑戦なのじゃ」
クルト帝国 フェザー領 フェザー家の屋敷 修練所 ──
フェルトはマオリィとミュゼを連れて、フェザー家の屋敷の中で一番広い修練所で訪れていた。床は砂が敷き詰められており、周辺には石造りの壁がぐるりと囲んでいる。天井もかなり高く、密閉空間であっても狭さは感じなかった。
ヨハンはすでに到着しており、中央で木製の大剣を片手で振っていた。そして、フェルトたちが来たことに気が付くと、にこやかに出迎える。
「おぉ、もう来たのか。そこの籠に入っている得物を使うとよい。気に入ったものがあればいいのだが……」
ヨハンが向けた大剣の先には、鉄製の籠が置かれており、木製や鉄製の槍や剣などが大量に入っていた。鉄製の武器は刃引きがされており訓練用なのがわかる。
マオリィはワクワクが治まらないといった表情を浮かべながら、棒状の武器を手に取るとクルクルと振り回して感触を確かめる。
「うん、これでいいのだ!」
ヨハンの前まで歩いていくと、マオリィ一度頭を下げて武器を構えた。ヨハンは大剣を担いだままニコッと笑うと、勝負内容を確認するように尋ねる。
「少女よ、降参か気絶したほうの負けでいいかね?」
「異論ないのだ」
「では、フェルトよ。開始の合図をくれ」
フェルトは少し躊躇したが、どうせ止めても無駄とわかっていたので
「父上、怪我はさせないでくださいね? それでは……始めっ!」
と注意だけして開始の合図を出した。
一瞬で膨れ上がったマオリィの闘気に、ヨハンは涼しげな顔をしながらも口元が笑っていた。まず動いたのは、やはりマオリィからだった。
多種多様な角度から飛んでくる武器に合わせて、拳や蹴りまでを織り交ぜている連撃は通常であれば避けきれるものではなかったが、ヨハンは豪快に笑いながら
「はっははは、これは凄いな!」
と武器を使わず全て躱しきっていた。これにはミュゼも目を見開いて驚いて呟く。
「す……凄い、これほどとはっ!?」
ミュゼもムラクトル大陸の武人であり、剛剣公ヨハン・フォン・フェザーの武名は聞き及んでいたが、その予想を遥かに超えた見切りを、目の前に突きつけられて驚くしかなかった。頭の中で自分ならどう攻略するかを考えても、まるでイメージが出来なかったほどである。
「はぁはぁ……当たらないのだ……」
後ろに飛んで距離を取ったマオリィは、すでに肩で息をしている。
「それで終わりかね。武神の弟子よ?」
「まだまだなのだ! こうなったらボクの最強技を見せてやるのだ!」
マオリィはそう叫ぶと腰を落として、穂先をヨハンの足元に向けるような構えをとった。そして、息吹と共に赤い霧状のものがマオリィの持つ武器の穂先に集まっていく。
この技は彼女の師コウジンリィが、かつて黒騎士や大猪を討伐する際に使った技である。膨大な気の力を集中させて、インパクトの瞬間に爆発させる大技である。溜めに時間がかかるため実戦で使うのは難しい技だが、今回のように実力差があり無理に相手から攻めてこないような敵には有効な技だった。
ヨハンはニヤッと笑うと、大剣を構えて宣言する。
「よいだろう……受けてやろう!」
マオリィの武器が一段と輝いた瞬間、マオリィは一足で間合いを潰し、武器をヨハンに向けて突き出した。ヨハンはそれを大剣で受け止める。
「ぐぬぅぅっぅぅぅぅ!」
轟音と共にヨハンが吹き飛ばされるが姿勢を保ったままであり、そのまま地面をえぐりながら止まった。マオリィはかなり消耗したのか、武器を杖代わりにして何とか立っている状態だった。
「この技も効かないなんて……な、なんという化け物なのだ」
「はっははは、これがジオロの武人が使う『気』というものか、面白い技だな。さて満足したかね? では降参したまえ」
ヨハンは豪快に笑いながらマオリィに降参を勧めるが、彼女は首を横に振って拒否した。
「ま、まだまだ……なのだ」
彼女の闘志が衰えてないと感じたヨハンは、右手に持った大剣を左肩に乗せて構えた。
「ふむ、ではこちらからいくぞ……こんな感じか?」
ヨハンがそう呟くと、白い霧状のものが彼の大剣を覆うように急速に集中していく。これにはマオリィもミュゼも驚きの声を上げた。
「あ……ありえないのだ!?」
「ま、まさか『気』まで使えるの!?」
マオリィもミュゼも『気』の力を使えるようになるまで、かなりの修練が必要だった。それを先程初めて『気』を見たと思われるヨハンが、完全に使いこなしているのである。
ヨハンが大剣を振り下ろすと、白い刃が真っ直ぐとマオリィを捉えた。マオリィは武器でそれを受けつつも一瞬『気』による防御膜を張ったが、そのまま吹き飛んで地面に三回バウンドして起き上がらなかった。
「ふむ……使い勝手はいいが、結構消耗するな」
ミュゼが慌てて彼女に駆け寄ると、マオリィは息をしており気を失っているようだった。ミュゼは安堵のため息をつく。
「……よかった」
「父上! こんなに小さな子に無茶をしすぎです!」
フェルトがヨハンに抗議すると、ヨハンは首を横に振った。
「向かってくる以上、武人として相手をするしかなかろう。それに怪我はしないように気をつけたぞ」
確かにマオリィは気絶しているものの、吹き飛んだ際の擦り傷がある程度で極めて軽傷で済んでいた。
「はっははは、お前たちも一汗かいていくか?」
ヨハンは豪快に笑いながらミュゼとフェルトに尋ねたが、二人はすぐに首を横に振るのだった。
◇◇◆◇◇
クルト帝国 フェザー領 フェザー家の屋敷 食堂 ──
マオリィが気絶してから、一時間ほど経過していた。屋敷の一室で寝かされていた彼女は半時ほど前に目覚め、すぐにでも再戦を挑もうと考えていた。
しかし、屋敷のメイドが「食事の準備」が整ったことを告げにくると、彼女の興味は食事のほうに向いたのだった。
「メシなのだ~!」
食堂に着くと屋敷の主であるヨハンと、その妻であるセラーナがすでに座っていた。ヨハンは入ってきたマオリィを見て尋ねる。
「よく来たな、少女よ。身体のほうは問題ないかね?」
「もちろんなのだ。おっさん強いな!」
マオリィがそう答えると同時に、彼女のお腹の音が鳴った。
「はっははは、君もなかなかだったよ。まぁ席に着きたまえ、腹が減っているだろう?」
「腹ペコなのだ!」
マオリィたちが席に座ると、ヨハンは執事を一瞥して頷いた。執事がお辞儀をしてから扉を開けると、次々と料理が運び込まれそれぞれの前に並べられていく。
その後は和気藹々と食事を楽しんでいたが、ヨハンがふとマオリィを見ると彼女は少し不満げな表情を浮かべていた。
「どうかしたかね、少女よ。口に合わなかったか?」
「美味いが、量がぜんぜん足りないのだ」
「はっははは、そうか、そうか! 育ち盛りだからなっ」
ヨハンは笑いながらそう言うと、右手で軽く手招きをして執事を呼びつけると、一言二言交した。
「わかりました、しばらくお待ちください」
執事は丁寧にお辞儀をすると食堂から出ていった。
しばらくあと、戻ってきた執事は料理人を連れてきており、料理人は山盛りの肉をトレイに乗せて押している。
そして料理人は、その肉を切り分けていく。ヨハンを含め、全員分を薄く切り分けたが、マオリィの分だけは分厚く切り分けた。
目の前に置かれた分厚い肉を見て、マオリィは目を輝かせている。
「肉なのだっ!」
今すぐかぶりつきそうな勢いに、ミュゼが慌てて窘める。
「こらっ! 公爵の前で、あまり下品なことはしちゃだめよ」
少し大人しくなったマオリィだったが、ヨハンは豪快に笑いながら
「はっははは、別に構わんさ。好きなように食うがよい、肉もまだまだあるしな」
と答えると、マオリィはチラッと料理人の方を見た。彼女の視線に気がついた料理人は、親指を立てて、いつでも来い! とアピールするのだった。
それを見たマオリィはガツガツと分厚い肉を平らげると、皿を料理人のほうに突き出した。それを見たヨハンは笑いを堪えながらセラーナに尋ねる。
「くくく……こんなに賑やかな食事は久しぶりだな?」
「えぇ、本当に」
テーブルマナーなんて気にしないマオリィの食べっぷりに、セラーナも優しげに微笑んでいた。
◆◆◆◆◆
『食器の違い』
三大大陸にはそれぞれの食文化があり、使われる食器もそれぞれ違う。クルト帝国やリスタ王国ではナイフやフォークで食事を取るが、ジオロ共和国では『箸』と呼ばれるスティック状の物を二本使う。他国へ行く商人を除けば、ザイル連邦に至っては手掴みが基本である。
その為ムラクトル大陸に来てから、日の浅いマオリィの食事作法はあまり良いものとは言えなかったが、それでもミュゼの食事を見ながらナイフやフォークの使い方も、徐々に覚えようとしているのである。