第70話「解放戦線なのじゃ」
リスタ王国 王都より東側の街道 ──
クルト帝国で起きたアイゼンリストの惨劇に対する使者を送ることが決まった二日後、フェルトは少数の護衛だけでリスタ王国の王都を出発した。今回護衛として同行したのは、近衛隊ではなく紅王軍の隊長ミュゼ・アザルと隊員三名、そして何故かコウマオリィが一緒に付いて来ていた。
これはミュゼがいないと、マオリィの面倒を見るものがいないということもあったが、それより大きい要因はマオリィが帝都に行ってみたいと駄々を捏ねたせいである。
ミュゼを含む紅王軍の隊員たちは、馬に乗りフェルトの乗る馬車を四方から護るように警護していたが、マオリィはフェルトと共に馬車に乗っていた。
フェルトは、横に座って外を眺めているマオリィに尋ねる。
「えっと、コウマオリィ君だったかな? 帝都に興味があるそうだけど、何か見たいものでもあるのかな?」
「うん? そうだな。帝国というのは、でっかい国なんだろ? きっと強い奴もいっぱいいるはずなのだ!」
目を輝かせながら答えたマオリィに、フェルトは頭を抱えながら窘めた。
「えっと、いきなり殴りかかったりはしないでくれよ? 帝国は今回の事件でピリピリしているはずだし、国際問題に発展するからね」
「うんうん、わかっているのだ。それで帝国で一番強いのは誰なのだ?」
まるでわかってない様子で尋ねてくるマオリィに、フェルトは不安しか感じなかったが、少し考えた後で答えた。
「そうだね。帝国随一の豪傑と言えば、私の父であるヨハン・フォン・フェザーになるよ。君の師匠コウジンリィさんにも、負けてないんじゃないかな?」
あえて煽るように言ったが、マオリィはさらに目を輝かせて身を乗り出して尋ねてきた。
「なんだと!? 師匠並みの武人がいるのかっ!」
「剛剣公と呼ばれていてね。せっかくだから、帝都に行く前に私の実家に寄っていこう。君にも紹介するよ」
「おうおう、それはいい考えなのだ!」
嬉しそうに足をバタバタと動かしながら、マオリィはまだ見ぬ強敵に思いを馳せていた。そんな彼女を見ながらフェルトは小声で呟いた。
「……この子は面倒なことを起こしそうだから、父上に押し付けていこう」
◇◇◆◇◇
クルト帝国 皇帝直轄領(旧レグニ領) 街道沿いの街 ──
フェルトたちがリスタ王国を出発してから二日後、旧レグニ領のとある街にある宿に宿泊していた。
雲が出ているためか弱い月明かりが照らす夜、宿から少し離れた路地裏でフードを被った者たちがヒソヒソと話をしている。
「おい、本当にターゲットなんだろうな?」
「あぁ間違いない。リスタ王国の外務大臣フェルト・フォン・フェザーだ」
「あいつを捕らえれば、フェザー家も皇家もリスタ王家だって思いのままだぜ」
「情報によると護衛は四人しかいない。しかも二名は馬車の方を守ってるらしい……おそらく手練れだが、その程度の人数なら」
このフードを被った男たちは『領土解放戦線』の者たちで、どうやらフェルトの誘拐を目論んでいるようだった。数は約五十名で、夜陰に紛れてフェルトたちが宿泊する宿に徐々に近付いていた。
いよいよ宿まで一駆けで近付ける位置までくると、先頭の男が緊張した面持ちで宿を覗っている。
「おい、準備はいいか? いくぞ!」
「……」
「おい! どうしたっ!? ……っ!?」
返事がなかったため後ろを振り向いた男性の目に、ありえないものが映っていた。暗い夜道に白いエプロンをしたメイド服の女性が立っていたのである。そして、彼女の足元には先程まで彼の同志だったものが転がっていた。
あまりの出来事に声を出せずにいた男だったが、そのメイドにナイフを突きつけながら
「なん……!」
まで叫んだが、それ以上続けることができなかった。その前にメイドが一瞬で距離を詰めて、彼の喉を横に一閃したのである。とどめなく溢れる血を押さえながら倒れこむ男を、見下ろしながらメイドは呟いた。
「こっちは……片付いた」
その瞬間、逆側の通路から複数の男たちが宿に向かって突撃を開始した。
しかし扉を破って侵入した瞬間、あっという間に三人が突き飛ばされることになった。すでに襲撃の情報が洩れていたのか、ミュゼが待ち構えていたのである。
ミュゼを先頭にフェルトやマオリィを、紅王軍の一人が護りながら、宿の前の道まで出てくる。予想外の反撃に領土解放戦線たちは、混乱した様子で戸惑っていた。
「一気に行きますよ。フェルト様、遅れないでくださいね!」
「あぁ、わかっている」
フェルトの返事を聞くか聞かないかのタイミングで、ミュゼは槍を振り回しながら、極端に守りが薄かった北側の領土解放戦線の数人に向かって叫ぶ。
「どけぇぇぇ!」
その力の篭った声に領土解放戦線たちは威圧されて、あっという間に突き崩して、そのまま一気に駆け出す。
「おい、北に回り込んだ連中はどうしたんだ!?」
「わからねぇ、とにかく追え!」
こうして包囲を突破したフェルトたちは、一目散に馬を預けた小屋まで走り、そのまま街を脱出するために馬を奔らせるのだった。
◇◇◆◇◇
クルト帝国 フェザー領 フェザー家の屋敷 ──
襲撃後の三日間は襲撃もなく、フェルトたちは無事にフェザー家の屋敷に辿り着いていた。そして、玄関前でフェザー公の歓迎を受けることになったのである。
「おぉ、息子よ。よく来たな! それで孫はどこにおるのだ?」
「連れてきてませんよ。今回は我が国を代表してアイゼンリストに対する、見舞いを伝えにきたのですから」
二言目には孫の話をする父にやや呆れ気味に答えたフェルトに、ヨハンは真剣な表情で答えた。
「私の元にも、その報せは届いておる。かなりの被害が出ているそうだな」
「えぇ、痛ましいことです」
フェルトたちが話していると、突然彼の裾が引っ張られた。フェルトがそちらを見ると、マオリィが目を輝かせながら見上げていた。
「このおっちゃんが、フェザー公か?」
「あぁ、そうだよ。このおじさんがフェザー公爵だ」
突如現れた少女に、ヨハンは首を傾げながら真顔で尋ねた。
「お前の隠し子か?」
「ち、違いますよ。彼女はコウマオリィ、武神コウジンリィの弟子です」
「コウマオリィだ。おっちゃん、一勝負するのだっ!」
マオリィは拳を突き出してヨハンに挑戦を挑む、ヨハンは軽く笑いながら頷いた。
「はっははは、武神殿の弟子か。良いぞ、少し遊んでやろう。フェルト、後で修練所に連れてきなさい」
「おぉ! 話がわかるおっちゃんだな!」
マオリィは飛び跳ねながら喜ぶと、ミュゼのほうへ走っていった。そんな彼女を見送りながらフェルトは真剣な表情で話を切り出した。
「父上、実は三日前に領土解放戦線と思われる一党に襲撃されました。そうでなくても最近は活動が活発だと聞いてますが……」
「報告は受けている。お前が無事でなによりだった。領土解放戦線の活動に関しては陛下も煩わされておるようだし、近々動きがあるかもしれんな……残念なことだが」
ヨハンは極めて冷静に答えた。皇帝が命じれば、自国民であろうと斬り伏せねばならない。そのことに心を痛めての発言だった。
しばしの沈黙のあと、ヨハンは笑顔に戻ると
「まぁ、しばらくゆっくりしていくといい」
と言って、フェルトたちを屋敷に入るように勧めるのだった。
◆◆◆◆◆
『依頼』
フェルトたちが出発する前日、リリベットはマーガレットを連れて王都の宿『枯れ尾花』を訪れていた。
「女王……なにか用か?」
リュウレはそう言いながら、コーヒーをカップに注ぐとリリベットの前にそっと置いた。リリベットは一口飲んだあとに話はじめる。
「フェルトが帝都に行くことになったのじゃ、また護衛を頼めぬじゃろうか?」
「構わない……それは私の任務」
「それで……すまぬが、今回は影ながら護ってほしいのじゃ」
リュウレは首を傾げながら尋ねる。
「なぜ?」
「ふむ、フェルトがお主にも生活があるのだから、あまり無理を言ってはいけないと言うのじゃ」
「わかった……影ながら護衛する」
理由がわかったリュウレは、特に反論することなく頷いた。こうしてリュウレは今回もフェルトの護衛として、影ながら付いて行くことになったのである。