第69話「ご立腹なのじゃ」
リスタ王国 王城 女王寝室の前室 ──
女王の寝室には、いつでもリリベットの呼び出しを受けれるように、マーガレットなどの女王付きメイドが控えている部屋がある。その部屋にフェルトが訪れたのは、参加できなかった晩餐が終わった夜のことだった。
その日はマーガレットが控えており、フェルトは彼女に尋ねる。
「リリーはいるかな?」
「はい、もうおやすみになってますが……」
マーガレットはそう答えると、席を立ち寝室の扉をノックした。扉の中から返事があったので彼女だけ入室したが、しばらくして出てくると済まなそうな顔でフェルトに告げた。
「申し訳ありませんが、今日はお会いにならないそうです」
今までなかった対応に、フェルトは驚いた表情を浮かべる。
「体調でも悪いのかい?」
「いえ……なんと言いますか、へそを曲げておりまして」
マーガレットは苦笑いを浮かべている。フェルトは首を傾げながら改めて尋ねる。
「私が何かしたかな?」
「いえ……むしろ港に着いた時に、何もしなかったことに拗ねているのです」
マーガレットに言われて、フェルトは自分の行動を思い出す。使節団の団長としてリリベットに帰還の報告をしたあと、一言二言交してから宰相執務室へ報告に行き、その後はヘルミナの所で見舞金について相談していた。
フェルトが悩んでる間に、マーガレットは扉をノックして寝室に入ると再び戻ってきた。
「フェルト様、私はしばらく席を外します」
とだけ言い残して、マーガレットは返事を待たず前室から出て行ってしまった。フェルトは困った様子で腕を組むと少し考え込んだ。
そして何かを決めたのか小さく頷くと、寝室の扉をノックした。中からはリリベットの声が聞こえてくる。
「どうしたのじゃ、マーガレット?」
「リリー、マーガレットさんは出ていってしまったよ。私も部屋に戻るけど、また二十日ほど出ることになりそうなんだ。明日プリスト卿から報告が……」
フェルトがそこまで言うと部屋の中がドタドタと騒がしくなり、突如寝室の扉が開かれた。中から寝る準備が整った薄いネグリジェ姿のリリベットが現れると、フェルトの手を掴んで無理やり部屋の中に引っ張り込んだ。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 女王寝室の前室 ──
バランスを崩しそうになりながらも、何とか踏みとどまったフェルトは尋ねた。
「一体どうしたんだい、リリー?」
「んっ!」
リリベットは両手を目一杯広げて、赤い顔をしながら目を瞑っている。フェルトはクスッと笑うと、彼女を優しく抱きしめた。そして彼女の耳元で囁く。
「これで満足かな?」
「ま……まだ外務大臣しか帰って来てないのじゃ!」
叫ぶように答えたリリベットにフェルトは驚いた表情を浮かべたが、すぐに思い当たったのか彼女の耳元で優しく囁く。
「ただいま、リリー」
「おかえりなのじゃ」
リリベットはそう呟くと、フェルトをぎゅっと抱きしめるのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 女王寝室 ──
翌朝リリベットが目覚めると、隣には寝息を立てているフェルトが眠っていた。リリベットは半身を起こすとボーっとしながらも、面白がって彼の頬を突いたり髪を撫でたりしている。
「ふふふ……眠っていると可愛いのじゃ」
昨夜のことを思い出しながら呟き、再び頬を突こうと手を伸ばすとガシッと手を掴まれて、そのまま引きずり込まれるように組み敷かれてしまった。
「おはよう、リリー。何をしてたのかな?」
微笑みながら尋ねるフェルトに、リリベットは恥かしそうにモジモジしながら顔を背ける。
そこにノックの音が飛び込んでくると、驚いたリリベットは思わずフェルトを押しのけて、前室に向かって慌てて叫ぶ。
「ど、どうしたのじゃ!?」
その声に反応して扉が開いてマーガレットが入ってくると、彼女はカーテシーでお辞儀をした。
「陛下、仲直りして夫婦仲が良いことは結構ですが、そろそろ起きてくださいまし、プリスト卿が来てますよ」
「わ、わかったのじゃ! すぐに準備をするので、少し待ってもらうのじゃ!」
リリベットが慌ててそう告げると、マーガレットは首を横に振った。
「半刻、いえ……一時間後に出直していただきますね」
そう告げるとリリベットの返答を聞かず、マーガレットは寝室を後にするのだった。この状態からリリベットが人前に出れるように準備を整えるのには、それなりに時間が掛かるのだ。
しばらくしてマーガレットが、他のメイドたちを引き連れて戻ってきた。そして、フェルトに対して
「さて、フェルト様。陛下はお着替えになりますので、お部屋にお戻りください」
と頭を下げた。フェルトは小さく頷くと、素早く衣服を整えて部屋を後にするのだった。
リリベットはそのまま鏡の前に座らされると、彼女付きのメイドたちは一斉に準備を開始した。肌の調子を整える者、髪を整える者などに別れており、服やアクセサリーを選ぶ係もいる。
彼女の公務を手伝ったり、護衛に付くのはマーガレットやマリーのような特別なメイドだけだが、他のメイドたちは女王の身の回りを世話をするプロフェッショナルたちである。
どんな感じがいいか相談しながら、テキパキと準備を進めて行く。
「今日は謁見はないのじゃから、程ほどでよいのじゃろう?」
リリベットが面倒そうにそう呟くと、メイドたちは信じられないといった様子で騒ぎはじめた。
「何を言っているんですか、陛下! 謁見はなくとも常にお美しくしておかなくては!」
「そうですよ、適当にする癖を付けたらお肌なんて、あっという間に下り坂なんですからっ!」
「フェルト様もお美しい陛下のほうが、きっと喜びますよ?」
最後の一言で澄ました顔で大人しくなるリリベットに、クスクスと笑いながら準備を終らせたメイドたちは、丁寧にお辞儀をして部屋をあとにした。
そして準備が完了したリリベットは、凛とした顔で執務室に向かうのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 女王執務室 ──
執務室に入ると昨日フェルトが構ってくれなかったショックで、投げ出していた書類の山が目に入ってくる。リリベットは深くため息をつくと面倒そうに呟く。
「昨日より増えてないじゃろうか?」
「昨日のままですよ」
マーガレットに即否定されると、大人しく執務机の席に座り書類に目を通しはじめる。しばらく目を通しているとノックの音が聞こえてきた。
マーガレットが取り次ぎ、ヘルミナが書類を持って部屋に入ってきた。
「ヘルミナか、先ほどはすまなかったのじゃ。それで……何の報告なのじゃ?」
「はい、数日前にクルト帝国の港町アイゼンリストが海賊に襲撃され、相当な被害が出たそうです。隣国として我が国からも見舞金を出すべきだと、宰相閣下と外務大臣からの相談がありまして金額の算出を行いました」
「ふむ?」
リリベットは、ヘルミナから差し出された書類を受け取ると目を通し始める。書類には被害の予想と、見舞金の金額の妥当性や、それを捻出するための予算の調整が書かれている。また運搬計画も書かれており、そこにはフェルトの名前が代表として書かれていた。
「クルト帝国には名義上とは言え、見舞金を貰ったこともあるのじゃ。我が国から見舞金を出すのも悪くはないじゃろう。この計画通りに進めるとよいのじゃ」
この名義上というのは十四年前の女王暗殺未遂事件の見舞金のことであり、首謀者の一人がクルト帝国の貴族だったことを隠す代わりに支払われた賠償金のことである。
「はい、ありがとうございます」
リリベットの裁可を得たヘルミナは敬礼をして答えると、書類を受け取り部屋を後にするのだった。それを見送ったリリベットは、ため息をついて呟いたのだった。
「また行ってしまうのじゃな……」
◆◆◆◆◆
『策士』
しばらく席を外していたマーガレットが前室に戻ってくると、寝室からはすでに嬌声が漏れてきていた。
「二人きりにすれば、すぐに仲直りすると思ってましたが……これはまたベッドメイクが大変そうね」
マーガレットは、そう呟くと寝室の扉にお辞儀をしてから前室を後にするのだった。