第68話「激怒なのじゃ」
クルト帝国 エンドラッハ宮殿 謁見の間 ──
港町アイゼンリストを襲った事件の報せが、帝都に届くまでには三日ほど時間が掛かった。これでも伝令が馬を潰しながら駆けてきた結果である。
その火急な用件に、直接謁見の間に通された伝令は、玉座の前で傅きながらアイゼンリストの事件の報告を、皇帝サリマール・クルトに聞かせた。サリマールは驚きの表情で立ちあがった。
「なんだと、アイゼンリストが亜人の海賊に襲撃されたとっ!?」
「はっ……間違いありません。亜人どもの襲撃です」
サリマールは怒りにワナワナと震えながらも、何とか落ち着いて玉座に腰を掛けた。そして、横に控えていたレオナルド宰相に尋ねる。
「宰相……どうするのがよいか?」
レオナルドは一度唸ってから、伝令に確認する。
「この事は西方方面軍に、当然伝わっているな?」
「はっ、途中の砦で伝令を頼みましたので」
「ならば、アイゼンリストはすでに奪還しているだろうが……おそらく海賊どもは逃げたあとか」
レオナルド宰相と伝令のやり取りにやはり我慢できなくなったのか、サリマール皇帝は激高した様子で杖で床を突いて立ちあがる。
「襲ったのはノーマの海賊と言ったか? 余の街を襲って民を殺めるなど、許されることではない! 決して逃がすな、壊滅させるのだ! エリーアス提督を呼べっ!」
「陛下、少し落ち着きください。確かに報復は必要でしょうが、西方艦隊は再編の最中であります。無闇に出撃させては、ただでさえ薄くなっている領海の守護が機能しなくなります」
レオナルド宰相が窘めると、サリマール皇帝は唸り声を上げて、再び玉座に深く腰を掛けた。
「それに海賊が街を襲うなど、今までなかったことです。恐らく何者かが裏にいると思われます」
さらに窘めるように告げると、今度は諸大臣たちが怒声と共に不満が爆発させた。
「襲ってきたのは亜人どもだと言うではないか、陛下! ザイル連邦が裏で噛んでいるに違いありません」
「そうです! 亜人どもめ、少し優しくしてやればつけあがりおって!」
クルト帝国は人族の国家であり、歴史的に亜人を蔑む傾向にある。近年では亜人差別は是正すべきという流れになっていたが、今回の事件で亜人への感情が悪化するのは確実だった。
レオナルド宰相は大臣たちを宥めつつ、サリマール皇帝に進言する。
「皆も落ち着きたまえ! 陛下、この件は私にお任せいただけませんか?」
サリマール皇帝は睨み付けるように、レオナルド宰相を一瞥するとため息をついて
「この件は……宰相にすべてを任せる」
と告げ玉座から立ち上がると、マントを翻して奥の部屋に立ち去ってしまった。
こうして事件における全権は、宰相レオナルド・フォン・フェザーに任されるのことになったのだった。
◇◇◆◇◇
クルト帝国 港町アイゼンリスト ──
ノーマの海賊の襲撃の翌日、クルト帝国西方方面軍に一部である三千兵が近隣の砦から到着した。しかし、町を襲撃したノーマの海賊たちは到着前に海上に逃走しており、一時的に避難していた住民たちも徐々に戻ってきていた。
市場があった大通りを進む方面軍の隊長に、副官の男性が重い口調で声をかける。
「ひどい有様ですね……町の守備兵はどうなっているでしょうか?」
「この状態では……無事ではないだろうな」
この町には守備兵として百名ほど常駐していたが、方面軍が到着した際に出迎えた者はいなかった。おそらく援軍の伝令以外は、忠実に職務を全うしたのであろう。彼らが進む大通りでも、逃げ遅れた漁師や住民の遺体や傷んだ魚介類が放置されており、今回の被害の大きさを物語っていた。
方面軍が港まで来ると、その被害はさらに酷いものになっていた。停泊していた船や港の倉庫は焼け爛れ、背中から斬られた死体や身包みが剥がされた死体が溢れかえっていた。
「この様子じゃ、港もしばらく使えないでしょうね」
「あぁ、とりあえず守備兵の屯所へ行くぞ。守備兵の代わりに町の守りを固めねばならぬし、被害状況の確認後帝都に伝令を出さねばならん。それに復興なども手伝わなければ、しばらく忙しくなるぞ!」
「はっ!」
隊長の言葉に部下たちは敬礼をもって答えた。そのまま港町アイゼンリストには、方面軍三千が駐在することになったのである。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 地下専用港 ──
帝都にアイゼンリストの惨劇の報せが届いたころ、リスタ王国の地下専用港にはグレートスカル号が戻ってきていた。巨大な船に次々とアームが伸びていき船が完全に固定されると舷からタラップが現れた。そのタラップをフェルトを先頭に使節団が降りてくる。
彼らを出迎えたのはリリベットとマーガレットだった。ヘレンは昼寝中であり、レオンは学園に通っているためいなかった。
降りてくるフェルトを見つめながら、リリベットが呟く。
「今回は予定より、二日ほど早いのじゃ。何かあったのじゃろうか?」
「いつもまだかまだかとソワソワしているのですから、早く帰ってきたのならいいじゃないですか」
「む……そんなにソワソワしてないのじゃ!」
マーガレットにからかわれたリリベットは、慌てた様子でそっぽを向いた。その彼女の前にフェルトたち使節団が整列をする。
「フェルト・フォン・フェザー、並びに使節団十名、ただいま帰還いたしました」
「うむ、ご苦労だったのじゃ。報告後、しばしの休暇を与えるので十分に休むとよいのじゃ」
「はっ!」
リリベットがそう告げると、フェルトの命令で使節団は先に王城に向かって移動を開始した。リリベットはソワソワした様子で軽く両手を広げて待っている。
しかし、フェルトはキョロキョロと周りを見てから、リリベットに尋ねた。
「リリー、宰相殿は来ていないのかい?」
予想外の質問にリリベットは慌てた様子で答えた。
「え!? あ、う……うむ、宰相なら旧レティ領からの報せが来たとか言っていたのじゃ。今は執務室で報告を聞いていると思うのじゃ」
「そうか……ちょっと急ぎで、報告しないといけないことがあるんだ。リリー、また後でね!」
そう告げてから、フェルトは急いだ様子で王城に向かっていってしまった。リリベットは顔を赤くしながら、膨れた頬でそれを睨み付けている。そんな彼女を、さすがに可哀想だとおもったのか、マーガレットが慰めの言葉を送る。
「へ、陛下……きっとよほどの事情があったのですよ」
「わかっておるのじゃっ!」
リリベットは広げていた両腕をワナワナと震えさせると、自身も王城に向かうのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 宰相執務室 ──
その頃、宰相フィンは密偵の男から『アイゼンリストの惨劇』の報告を聞いていた。
「アイゼンリストに海賊襲撃だと?」
「はい、亜人の海賊たちで、次々と人々を殺め、略奪を繰り返していました。俺は途中で離脱しましたが、あの様子ではかなりの被害がでているかと」
密偵の報告を聞いた宰相は、少し考え込んだ。他国のことではあるが、地理的には帝都に比べてリスタ王国のほうが、港町アイゼンリストに近いのである。
リスタ王国の海岸側には、通称『リスタの見えない壁』という砲撃網が構築されているため、襲撃があったところでアイゼンリストのようにはならないだろうが、警戒を強化する必要があるかもしれないと考えているのである。
「襲撃者は、亜人と言ったか?」
「はい、亜人と獣人の混成でした。一匹や二匹ならともかく、あの数となるとザイル連邦側で活動しているノーマの海賊だと思います」
「ふむ、それは……面倒なことになりそうだな。ご苦労、引き続き調査を進めてくれ」
「はっ!」
密偵の男は敬礼をすると部屋を後にした。その後、すぐにフェルトが入ってきた。
「宰相閣下、フェルト・フォン・フェザー、ザイル連邦より戻りました」
「フェルト殿か、任務ご苦労だったな。まぁ掛けたまえ」
宰相はそう言うとソファーを勧め、自身も対面に座るのだった。
「それで首尾はどうなったのだ?」
「はい、ザイル連邦との『平和条約』は無事に締結されました。しかし……」
フェルトは行き帰りを含め、ザイル連邦訪問時に起きた出来事の報告をした。『ノーマの海賊の襲撃』や『ソマリへの傭兵団の襲撃』などのことである。
宰相は一唸りすると、口を開いた。
「ふむ、そちらでも出たのか……最近活動が活発だとは聞いていたが」
「そちらでもとは?」
フェルトが首を傾げながら尋ねると、宰相は先ほど報告のあったアイゼンリストの話をフェルトに聞かせた。
「なんですって、アイゼンリストでも襲撃が? しかし、同時期に起きたとなると、何か陰謀めいたものを感じますね」
「そうだな、偶然にしては出来すぎだ。絵図を描いた策略家がいると見て間違いないだろう」
宰相が思案を巡らせている間に、フェルトが口を開いた。
「しかし……それほどの被害となれば、我が国としても見舞金を送らねばなりませんね」
「うむ、帰ってきて早々で悪いが、また貴殿に行ってもらうことになりそうだ。すまないが、プリスト卿と妥当な額を相談して貰えるか?」
「はい、わかりました」
フェルトはソファーから立ち上がり、部屋を出るために扉に手をかけたとき、何かを思い出したように振り返った。
「あぁ、そういえば! ザイル連邦でミリヤムさんにお会いしましたよ」
「愚妹が? 相変わらず、連絡もよこさず世界中を飛び回ってるらしいが……」
フィンの渋い顔に、フェルトはクスッと笑う。
「えぇ、本当は一緒に帰ってくる予定でしたが、先程話した通りでして……おそらく近々帰国するのではないかと思います」
「そうか、すまなかったな」
フィンはそう答えると、少し嬉しそうな表情を浮かべたのだった。
◆◆◆◆◆
『帝国北方艦隊』
ノクト海の制海権をシー・ランド海賊連合に奪われて以来、あまり機能していないクルト帝国北方艦隊だが、今回のアイゼンリストの惨劇を引き起こした海賊を追跡していた。
北方艦隊の任務は、ノクト海の海賊から国土や領海を護ることである。今回はその哨戒網を突破されて起きたことであり、もはや北方艦隊の司令の更迭は確実であったが、その失点を少しでも取り戻すために、犯人であるノーマの海賊を追いかけているのである。
「追え! とにかく追いかけるのだ!」
「す……すでに全力です。しかし、あいつらかなり船足が速い」
提督が船乗りたちに叱咤するが、熟練の船乗りたちでも追いつけないほどの差が、すでに開いてしまっていた。