第66話「調印なのじゃ」
ザイル連邦 首都ロイカ ロイカタル宮殿 謁見の間 ──
ソマリの夜襲の翌日、まだ首都ロイカには、その報せが届いていなかった。ロイカタル宮殿の謁見の間では、リスタ王国とザイル連邦との『不可侵条約』改め『平和条約』の調印式が、執り行われようとしていた。
玉座の前には調印用のテーブルが用意され、フェルトとラァミル王子がバルドバ王の前で向かい合うように立っている。しばらくしてココロット大臣が、書面に書き起こされた条文を読み上げはじめた。
「……両国の友好国まで及ぶものとし、それを反した場合はこの条約を無効とする。条文は以上であります、それでは間違いがなければサインをお願いします」
フェルトとラァミル王子は、お互いを一瞥すると小さく頷いて羽ペンを手に取った。
二人はもう一度書面の条文を確認してからサインをする。そして、羽ペンを置くとココロット大臣が、お互いの書類を交換する。再び内容を確認すると、二人はそれにサインをした。
最後にココロット大臣が二枚のサインを確認すると、高らかと条約の成立を宣言した。
「ここにザイル連邦とリスタ王国の『平和条約』締結を宣言します」
その宣言に対してフェルトや使節団、諸大臣たちは一斉に拍手を送った。拍手が治まると、玉座で見守っていたバルドバ王が口を開いた。
「我が国とリスタ王国の友好が、永久に続くことを望む。今後ともよろしく頼むぞ」
「はい、私も微力なれど恒久的な友好が育めるよう努力する所存です」
フェルトは敬礼をしながら答えた。
◇◇◆◇◇
ザイル連邦 首都ロイカ ロイカタル宮殿 食堂 ──
調印が終るとザイル連邦の重鎮と、使節団で晩餐を取ることになった。ただし、バルドバ王は不調を理由に参加を見合わせることになった。
用意された食事はザイル連邦式の趣向、やや野性味が溢れる内容ではあったが豪華なものであった。
ラァミル王子自らが切り分けた肉料理が使節団に振舞われている。この食事を切り分ける行為は、ザイル連邦では最上位のもてなし方であり、フェルトたちがしっかりと歓待されていることを示すものでもあった。
「ありがとうございます、ラァミル王子」
ラァミル王子から皿を受け取りながら、フェルトは丁寧にお辞儀をした。ラァミル王子は獅子のような顔を歪ませて笑う。
「はっははは、ザイルの肉は美味いぞ! ぜひ味わってくれ」
こうして騒がしくも穏やかな晩餐が続いていたが、一人の軍人風の男が入ってくると雰囲気が一転する。その男性はラァミル王子に近付くと、耳元で一言二言囁いた。ラァミル王子は驚いた顔をしたあと、リスタ王国の使節団に向かって告げた。
「食事の最中ですまないが少し席を外させていただく、皆さんはそのまま食事を続けられよ。ヴィーク、来い!」
ラァミル王子と師団長のヴィーク、そして先ほど入ってきた軍人風の男性は食堂を後にした。使節団が慌しい雰囲気に騒然としていると、ココロット大臣がその場を空気を変えるように言う。
「さぁ、食事も酒もまだまだありますよ」
その言葉に乗るようにザイル連邦の重鎮たちは盃を掲げ、釣られるようにリスタ王国の使節団も盃を掲げるのだった。
しばらくして晩餐会が盛り上がりを見せていたころ、ヴィークが一人で食堂に戻ってきた。そしてフェルトに近付くと小声で尋ねる。
「すまないが、お知らせしたいことがある。ラァミル王子が呼んでおられるので、別室まで同行していただけぬだろうか?」
フェルトは持っていた盃をテーブルに置くと頷き。他の外交官に向かって
「すまないが、少し気分が優れないようだ。少し風に当たってくるよ」
と告げて、そっと食堂から抜け出すのだった。
◇◇◆◇◇
ザイル連邦 首都ロイカ ロイカタル宮殿の一室 ──
ヴィークに連れられて食堂を出たフェルトは、食堂からさほど離れていない一室に通された。そこにはラァミル王子が一人で頭を抱えて座っていた。
「お呼びだとか、ラァミル王子?」
「おぉ、来てくれたかフェルト殿。先程、急報が届いてな。一応、貴殿にも報告をしておかねばと思ったのだ」
フェルトは首を傾げながら尋ねる。
「どうしましたか?」
「それが……昨日の事なのだが、ソマリが傭兵くずれどもに襲われたらしい」
ラァミル王子の言葉に、フェルトは驚いた様子で目を見開いた。
「なっ!? 被害の規模は? 我が国の船舶も停泊中なのですが?」
「安心しろ。貴国の大船は無事だ……と言うより、襲撃されたにも関わらず無傷だそうだ」
その報告を聞いて、フェルトは安堵のため息をついた。
「それはよかった。しかし、貴国の被害に関しては哀悼の意を……」
フェルトの外交的な発言に、ラァミル王子は右手を上げて応える。そして重々しく告げた。
「しかし、問題はそこではないのだ。その襲撃でクルト帝国の船舶等には、被害が出てなかったそうだ。俺は邪推するつもりはないのだが、すでに現地では良からぬ噂が広まっているらしい」
「帝国が仕掛けたことだと?」
フェルトの問いに、ラァミル王子は黙って頷いた。フェルトは少し考えたあと、王子に対して尋ねる。
「私の考えを述べても?」
「構わん」
「私の考えでは、本当にクルト帝国が計画して実行したのなら、逆に自国の船舶は全て沈めるでしょう。その上で開戦の理由とするぐらいは、平然とやってのける国です」
ラァミル王子は静かに頷いた。歴史的に見てもクルト帝国がまだ大陸を統一する前は、そのように難癖をつけて諸国と開戦征服することが多かったのだ。
「俺の考えでは……いや、他国の者に言うことではないな、忘れてくれ」
ラァミル王子は、そこまで言い掛けたが途中で首を振った。フェルトは何かを察したのか、特に追求はせず丁寧に頭を下げた。
「王子、急な話ですがグレートスカル号が襲撃されたとなれば、致しかたありません。我々は急ぎ帰国しようと思います」
「そうだな、わかった。条約を結んで、すぐにこのような事態になるとは悪かった。港までは護衛を付けよう……ヴィーク!」
「はっ!」
ラァミル王子の呼びかけに、ヴィークは敬礼をする。
「フェルト殿を港までお送りしろ。よいな、我らが名誉にかけて確実にだぞ」
「はっ! では、フェルト殿こちらに」
ヴィークが部屋のドアを開けてついてくるように示すと、フェルトは頷いて部屋を後にするのだった。
◇◇◆◇◇
ザイル連邦 建造中の要塞 ──
フェルトたちにソマリ夜襲の話が伝わっているころ、ミリヤムは首都ロイカより北部にある、建造中の要塞が見える丘の上に来ていた。
その要塞は海上に建てられており、そこまで行くためにはかなり長い橋を通らないといけない立地にあった。
「かなり大きいわね、それに警備が恐ろしく厳重だわ」
ミリヤムは不思議そうにそう呟いた。他の大陸から見て奥地になるこの場所に、このような軍事施設を建造しているのは、地政学的な観点から異様なことだったからだ。
要塞をじっと見つめていたミリヤムは腕を上げた。姿が見えないが、バサバサと羽ばたく音が聞こえてくる。そしてミリヤムはふわっと浮かび上がると、そのまま要塞のほうへ飛び立った。
暗い夜の海面スレスレを飛行しているせいか、かなり恐怖感がある上に波飛沫が顔に当たっている。ミリヤムはそれを手で払いながらスーラに文句を言う。
「スーラ、もう少し高く飛んでよっ!」
「ピィィィィィ」
スーラの鳴き声を上げると、そのまま少し高度を上げた。丁度、右側に要塞の明かりが見えてきたので、ミリヤムはスーラに再び頼む。
「このまま裏側に回って上昇して!」
「ピィィィィィ」
スーラは一鳴きすると、グンッと加速して一気に要塞の裏側まで出ると、要塞を俯瞰できる位置まで上昇した。
「これは!?」
裏側から見た城砦は、強固な城壁と数多くの砲台が配置された。まさに鉄壁の要塞と言っていい軍事施設だ。
「これは……スーラアローを連射したぐらいでは、どうにかなるレベルではないわね。スーラ、もういいわ」
ミリヤムがそう呟くと、スーラはミリヤムを掴んだまま陸に向かって飛び始めるのだった。
◆◆◆◆◆
『安否を祈る』
その頃、リスタ王国の王城の北側バルコニーで、リリベットが海を見ていた。満点の星明りで、本来暗い海面も宝石をひっくり返したように輝いている。
「フェルトが帰ってくるのは、十日後じゃったか?」
「はい、予定ではそうです」
リリベットの問いに、側に控えていたマーガレットが答えた。少し肌寒い風がリリベットの長い髪を揺らす。
「陛下、あまり夜風に当たりますと御身体に障ります」
「うむ、そうじゃな……もう戻るのじゃ」
リリベットはそう呟くと、もう一度だけ海の方を見つめてから城の中に戻っていくのだった。