第59話「勝負なのじゃ」
リスタ王国に住むことになったマオリィだったが、十歳という年齢から受け入れ先が問題になった。通常であれば孤児院に預けられるのだが、屈強な船乗りを素手で二十人も倒す十歳など、他の子供たちの安全を考慮すると受け入れることなどできなかったのだ。
困ったリリベットは、紅王軍隊長のミュゼ・アザルに相談することにした。紅王軍には、先代隊長のコウジンリィと共にきた、コウ家の者が多数在籍しているためである。
リスタ王国 王城 女王執務室 ──
マーガレットに通されて、甲冑姿のミュゼがリリベットの執務室に入ってきた。そして、執務机の席で仕事をしていたリリベットの前に立つと敬礼した。
「紅王軍隊長ミュゼ・アザル、お呼びにより参上致しました」
「うむ、ご苦労なのじゃ」
挨拶が終り、リリベットがソファーの方を一瞥すると、ミュゼも合わせてそちらを見る。ソファーにはマオリィが、だらしなく口を開けて眠っていた。
「この子が、ジンリィさんの?」
「自称弟子らしい、血縁的には従姪にあたるらしいのじゃ」
リリベットが答えると、ミュゼは小さく頷いて呟く。
「どことなくジンリィさんに、似ている気がしますね」
「ふむ、そこでミュゼに相談なのじゃが、この子をお主と紅王軍で預かって貰えぬじゃろうか?」
リリベットの言葉にミュゼは首を傾げて尋ねた。
「我が隊でですか? あまり子供にはよい環境とは思えませんが……」
紅王軍はリスタ王家直属の正規軍であり、任務がない時は訓練ばかりしているような集団である。一般的な感覚として子供が健全に暮らすには、あまり向いていない環境なのだ。
「確かにそうなのじゃが、この子は少し特殊なのじゃ……」
リリベットがミュゼに理由を聞かせると、彼女は頷いて考え込んだ。
「なるほど、そんな感じでは孤児院に預けるわけにもいきませんね。わかりました、多少不安ですが我が隊でお預かりいたします」
「そうか、大変かと思うが頼んだのじゃ。諸々の手続きはこちらで指示しておくのじゃ」
「はっ!」
ミュゼは姿勢を正して敬礼で答えた。
話がまとまったところで、リリベットはマーガレットを一瞥した。マーガレットは頷いて、眠っていマオリィを起こすために揺する。
「起きてください、マオリィさん」
「むにゃ……はっ!」
マオリィは跳び起きると、構えを取ってキョロキョロと周りを見回した。その反応にマーガレット以外も驚きの表情を浮かべている。
「これは……重症ですね」
ミュゼが呆れた表情をして呟くと、マオリィに手を差し伸べながら握手を求める。
「はじめまして、コウマオリィ。私はミュゼ・アザルよ、貴女は私のところにくることになったわ」
マオリィは差し出された手を取らず、手と拳を合わせたジオロ流のお辞儀をする。
「ミュゼ・アザル……その名は師匠から聞いているのだ。強者と聞いている、勝負なのだ!」
再び構えたマオリィに、リリベットが慌てて止めに入る。
「待つのじゃ! この部屋で暴れられると困るのじゃ!」
緊張した空気が漂ったが、ミュゼは差し伸べていた手を戻すと
「元気が有り余っているみたいだから、少し身体を動かしましょうか?」
と微笑みながら告げるのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 修練所 ──
女王執務室を後にしたミュゼとマオリィは、勝負をするために王城にある修練所を訪れていた。心配になったリリベットは、マーガレットとラッツの二人を連れて、同じく修練所に来ていた。
ミュゼは壁に立てかけてある、槍のような木の棒を掴みながら尋ねる。
「武器は棒でいいかしら? 貴女槍使いでしょ?」
「何でわかったのだ!?」
マオリィが驚きながら尋ねると、ミュゼは棒を投げてから自分の手を開いて見せた。そこには長い年月の訓練で潰れた豆や傷が、しっかりと残っていた。
「掌の感じよ。私と同じでしょ?」
マオリィは目を見開いたあと、手にした棒をグルグルと廻し腰を落として構えをとった。その目は強敵との出会いにキラキラと輝いている。
ミュゼも壁から同じような棒を取ると、一回廻してから構えをとる。彼女はマオリィほど腰は落としておらず、通常の槍の構えである。
「それでは陛下、開始の合図をお願いします」
リリベットは頷くと、右手を軽く上げて開始の宣言をした。
「それでは始めるのじゃ!」
リリベットの開始の合図とともに、まず動いたのはマオリィだった。低い姿勢から繰り出された足払いだったが、その棒をミュゼは軽く突いて止める。
「……っ!?」
驚いたマオリィは、すぐさま後ろに飛び退いた。
「ヤァァァァァ!」
そして気合の雄叫びをあげたあと、一足で間合いを潰して胴・顔・胴と連続突きをするが、やはりミュゼは軽く突いて棒の軌道を変えてしまう。
「悪くはないけど、まだまだ修行中といったところかな?」
その言葉にムキになったマオリィは、棒を振り回したがミュゼにはかすりもしなかった。しばらくして、全力で振り回したマオリィは疲れを見せはじめ、棒を杖代わりにしてなんとか立っている。
「はぁはぁ……ずるいぞ、なぜ攻撃してこないのだ!」
防戦一方だったミュゼに、マオリィは文句を言うがミュゼは涼しい顔で答えた。
「子供を怪我させるわけにはいかないもの、そろそろ疲れたでしょ?」
「ぐぬぬ……バカにしてぇ! いいわ、矛の本気を見せてあげる!」
マオリィはそう叫ぶと、再び棒をグルグルと廻して構えた。彼女がゆっくりと呼吸を整えていくと、棒の先端付近に赤い霧状のものが集まっていく。
「へぇ、その歳で『気』まで使えるんだ」
ミュゼはそう関心したように呟くと再び構えた。短く息を吸い込むと、その切っ先には青い霧状のものが集まってきた。
「なっ!? なんでアンタまで気を使えるのだ!?」
マオリィは、自分と同じようなことができるミュゼに驚きの声を上げた。この『気』と呼ばれる力を使うのは、主に魔力を使用しないジオロ共和国の武人が使う技術であり、このムラクトル大陸では非常に珍しい技なのだ。
ミュゼはジンリィが隊長をしている時に教えを受け、その後も部隊に残ったコウ家の者たちと修練を欠かさなかったため、気の力を扱えるようになっていたのだった。
「ヤァァァァァァ!」
気合とともにマオリィが一歩踏み出しながら、渾身の突きを繰り出した。ミュゼも同じタイミングで棒を突き出し、それぞれの棒は正面からぶつかることになった。
バギャァ!
物凄い炸裂音とともにマオリィの棒が砕け散り、彼女の喉元にミュゼの棒が突き立てられると、マオリィは両手を広げてパタリと倒れた。
「ボクの負けなのだ。ねーちゃん強いなっ!」
投げやり気味に降参したマオリィに、ミュゼはクスッと笑うと彼女に手を差し伸べた。マオリィもニコッと笑いながら、その手を取って立ち上がる。
その様子を見て、リリベットは頷きながら呟いた。
「どうやら、打ち解けたようなのじゃ」
「あの様子なら、ミュゼ殿にお任せすれば大丈夫そうですね」
マーガレットも、これでひと安心といった感じで答えた。
こうしてマオリィは、紅王軍で預かることになったのである。
◆◆◆◆◆
『気の力』
今から十年ほど前、武神と称されるほどの武人であるコウジンリィは、紅王軍の隊長としてリスタ王国に仕えていた。
訓練の休憩中にミュゼは、ジンリィが見せてくれた『気』の力に興味を持ち、教えを請うことにした。
「なんだい、ミュゼ? お前さんも『気』が使ってみたいっていうのかい?」
「はい、ジンリィ隊長」
元々武神に憧れて、リスタ王国に仕えることになったミュゼである。彼女の力の一端に興味を示すのは当然のことだった。ジンリィは弱った様子で髪を掻きながら答える。
「う~む、本来門外不出なんだが……まぁいいだろう、ミュゼなら悪用もしないだろうしね」
「あ、ありがとうございます!」
ジンリィのいい加減な性格から、『気』の使い方を教えて貰ったミュゼは、この時より三年の修行をもってようやく扱えるようになり、その後の研鑽によってマオリィを圧倒するほどの力を身につけることになったのである。