第57話「外交なのじゃ」
リスタ王国 王城 中庭 ──
リリベットたちが宝物殿を訪れているころ、外務大臣フェルトと宰相フィン、そして財務大臣ヘルミナが合流して、中庭にてザイル連邦の外務大臣ココロットとの会談を行なっていた。
普段は外交の際に使用される場所ではないが、ココロット大臣の要望で中庭にて話し合いがもたれることになったのである。
「こちらの要望を聞いていただき、ありがとうございます」
ココロット大臣が頭を下げると、フェルトは微笑みながら答えた。
「いえ、このような些細なことであればいくらでも、たまには外の空気を吸いながらというのも良いでしょう」
「ははは、どうも室内というのは、どうも息苦しくていけない」
ザイル連邦は宮殿を含め一般的な住居も、かなり解放的な造りになっている。これはあまり雨が降らない乾燥した大陸であることと、獣人自体が自然を好むことに由来している。
話題が切れたところで、フェルトが会談を開始を口にした。
「それでは、始めましょうか? まずは通商条約ですが……」
「細かなところで要望はありますが、概ね例年通りでよろしいかと」
ココロットは目を細めて、カバンから資料を出すとフェルトたちに手渡した。
「拝見します」
フェルトは資料に目を通してから頷き、ヘルミナの意見を求めた。
「うん、概ね例年通りですね。プリスト卿はいかがですか?」
「酒に関する税が若干上がっているのが、少し気になりますが基本的には問題ないかと」
元々ザイル連邦とリスタ王国間で結ばれている通商条約は、リスタ王国側が有利になっていた。これは両国の輸出入を、リスタ王国側の船舶が一手に担っているからである。
その為、若干の調整であれば問題なしとされた。
「それでは、後ほど署名をしましょう」
「ありがとうございます」
和やかな雰囲気の中、宰相フィンが口を開いた。
「それで……ココロット殿、他にもあるのではないかな?」
これにはココロット大臣だけでなく、リスタ王国側のフェルトやヘルミナも驚いていた。フィンは外交に関してはフェルトたちに任せており、外交関連で口を出してくることは非常に珍しいからだ。
「えぇ、我が国は貴国と不可侵条約を結びたいと考えております」
「不可侵条約ですか? それはまた突然ですね」
フェルトが首を傾げながら答え、そのまま付け加える。
「これは言うまでもありませんが、我が国は貴国と戦争を望んだりはしておりませんし、そのような軍事力もございません」
「もちろん、わかっております。それでも友好のために条約を結んでおこうというのが、我が王の考えなのです」
それに対して、フィンは目を細めながら答えた。
「その件については陛下を含め、諸大臣とも協議せねばならぬ故、返事は後日で構わぬだろうか?」
「えぇ、えぇ、もちろんでございますよ。フィン宰相閣下」
その後は再び穏やかに話し合いが行なわれ、リスタ王国とザイル連邦との会談は一先ず終了したのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 女王執務室 ──
ザイル連邦の外務大臣ココロットと使節団は、別邸に案内され数日は滞在することになった。現在リリベットの執務室には、リリベットと宰相のフィン、外務大臣フェルト、そして軍務大臣シグル・ミュラーが集まっていた。
議題は先ほどのザイル連邦から提示された『不可侵条約』である。まず宰相の口から議題が伝えられると、その場にいた全員が少し考え込む。
「う~む……ザイル連邦と不可侵条約を結ぶことに、問題はないと思うのじゃが?」
リリベットが首を傾げながら尋ねると、神妙な顔をしたシグルが答えた。
「そうでしょうか? これは少々難しい問題かと思います」
「ふむ、どういうことじゃろうか?」
リリベットが改めて尋ねると、シグルは地図上のリスタ王国とザイル連邦を指差しながら答えた。
「我が国とザイル連邦の間には、特に問題は起きてません」
「ふむ、そうじゃな」
頷くリリベットに、シグルはノクト海を指差した。
「しかし、我が国と比較的友好関係を築いているシー・ランド海賊連合と、ザイル連邦は以前から対立関係です」
「うむ、それで?」
シグルはムラクトル大陸を指差しながら答える。
「そして……クルト帝国とザイル連邦も近々の情勢では、あまりいい噂を聞きません」
航路や領海、関税などの問題で両国の仲は、日に日に悪化しつつあると噂がある。以前は商人たちの噂話程度だったが、それがシグルの耳にも届くほど大きくなっているのだ。
「つまり、どういうことなのじゃ?」
リリベットが首を傾げて尋ねると、今度は宰相フィンが答えた。
「つまり……今回の『不可侵条約』は、クルト帝国やシー・ランド海賊連合と戦争するかもしれないが、リスタ王国は関わるなと、暗に言ってきているのです」
リスタ王国は小国と言えど、グレートスカル号をはじめ大陸有数の海軍力を持っており、海戦が苦手なザイル連邦としては、他国と争いになった時にリスタ王国が動かないように、楔を打ちたいという思惑が今回の『不可侵条約』に見え隠れしているのだ。
「う~む、これは断ったら敵国扱いじゃろうか?」
「いえ、さすがにそこまで早急なことはないかと思いますが……」
リリベットは指で、トントンと机を叩きながら考え込む。
「……保留じゃな。フェルト、今回は議会が纏まらなかったと伝え、出来る限り先延ばしにするのじゃ」
「わかったよ。タイミングはこちらに任せてくれ」
フェルトが頷いて答えると、リリベットはシグルとフィンを見て告げる。
「宰相とシグルは、戦争の可能性等を探って欲しいのじゃ」
「わかりました」
フィンとシグルは頷いた。
リリベットの指示で皆が執務室を後にすると、彼女は大きくため息をついて呟いた。
「面倒なことになりそうなのじゃ……」
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 中庭 ──
翌日の昼過ぎ、リリベットが中庭でお茶を飲んでいた。周りにはヘレンとラリーが遊んでおり、マリーとマーガレットがついていた。中庭の入り口には、近衛隊のサギリともう一人の隊員が待機している。
そんな穏やかな時間に一人の訪問者が現れた。ザイル連邦の伝統的な衣装に身を包んだ黒猫族の女性、財務大臣のココロットである。
「女王陛下、お姿が見えましたもので……お邪魔でしたでしょうか?」
「いや、構わぬのじゃ」
リリベットは掌を向けて、ココロットに対面の椅子を勧めた。彼女はお辞儀をしてから椅子に座る。マーガレットは黙ってお茶を用意して、彼女の前に置いた。
「フェルトのところに行った帰りじゃろうか?」
「はい、まだ細かな取り決めがいくつかありますので」
その後しばらく歓談をしていたリリベットは、カップのお茶が無くなったのでスッとテーブルの隅に置いた。マーガレットは間髪入れずに紅茶を注ぐ。その紅茶を持ち上げた瞬間、リリベットはチラッと目に入った物に首を傾げた。
「ココロット殿、紅茶は嫌いだったじゃろうか?」
ココロットの前に置かれた紅茶が、一切手付かずの状態だったのだ。ココロットは慌てた様子で首を横に振ると、紅茶のカップに手を伸ばした。
「いいえ、陛下。その……実は熱いものは苦手でして……」
猫の顔では表情は掴めなかったが、どうやら照れているようだった。ココロットはジーっと紅茶を見つめて十分に冷めたのを確認するとそれを飲み込んだ。
「とても美味しい……ンニャ~!」
ココロットは澄ました顔で感想を述べようとしたが、急に立ち上がると叫び声をあげた。その弾みでカップが手から滑り落ちたが、テーブルの上に落ちる前にマーガレットがキャッチして割れずに済んだ。
ココロットが少し震えながら足元を見ていると、ヘレンが二パーと笑いながら彼女の尻尾に抱きついていた。
「おっきなノワなのじゃー!」
「あ、これ! ヘレン、やめるのじゃ!」
リリベットは慌てて立ち上がったが、その瞬間マリーがヘレンをココロットから引き離していた。リリベットは、ココロットを気遣うように尋ねた。
「娘がすまぬのじゃ、大丈夫じゃろうか?」
「あはは、これぐらい平気ですよ。か……可愛らしい王女様ですね」
若干震えながら答えたココロット、リリベットは再び頭を下げる。
「娘はいつも猫のぬいぐるみ持ち歩くぐらい、黒猫が好きなのじゃ」
その言葉にココロットは、庭の隅に置かれていた黒猫のぬいぐるみを見つけると、猫の顔が笑ったように見えた。
「私も子供は好きなので、大丈夫です。抱き上げてもよろしいですか?」
リリベットは少し考えたが、マリーを一瞥すると頷いた。マリーはヘレンをココロットに差し出すと、彼女は優しくヘレンを抱き抱えた。
「私の名前はココロットです。ヘレン王女殿下」
「ヘレンなのじゃ~」
お互い名乗るとヘレンは嬉しそうにココロットに抱きついて、その綺麗に整った毛並みを撫でるのだった。
◆◆◆◆◆
『川の字』
その夜、相手国の外務大臣に抱きついたことで、マリーに怒られたヘレンは眠れなくなってしまい。リリベットの寝室で一緒に寝ることになった。
リリベットは、寝息を立てているヘレンをポンポンと叩きながら呟いた。
「まったくこの子は……仕方がない子なのじゃ……」
「君も小さいときはこんな感じだったのかな?」
フェルトが意地悪そうにそう言うと、リリベットは頬を膨らませて反論した。
「そ、そんなことはないのじゃ!」
その後少し見つめあった二人は、ヘレンの上で手を絡ませるとリリベットが尋ねた。
「こ……今夜は、どうするのじゃ?」
「うん? 今夜はヘレンがいるからお休みかな」
リリベットは少し残念そうな表情を浮かべると呟く。
「そ、そうじゃな。わかっていたのじゃ」
こうして親子三人で川の字を作りながら、眠りについたのだった。