第39話「大劇場なのじゃ」
リスタ王国 王都 大劇場 ──
パレードが無事に終ってから数日、帝国宰相一家は王国各地の観光に廻ることになった。本日は、リリベットが付き添い大劇場を訪れていた。アイラ皇女が本場の演劇「幼女王」が見たいと言い出したからである。
この大劇場の演劇は国民にとても人気があるため、基本的には当日チケットを取るのが難しいのだが、常に王室用の席が用意されているため、リリベットたちが入れなかったり待たなければならないことはなかった。
その特別席にはリリベットとレオン、そしてサリナ皇女とアイラ皇女が座っていた。レオナルドは演劇には興味がないとのことで、フェルトと宰相フィンが接待することになっている。
リリベットの左右を囲むようにサリナ皇女とアイラ皇女が座り、アイラ皇女の隣にレオンが追いやられていた。
「とっても楽しみです。叔母様と一緒に運命の紬糸の『幼女王の帰還』が観られるなんて感激です!」
「う……うむ、それはよかったのじゃ」
リリベットは苦笑いを浮かべていた。彼女もこの演劇自体が嫌いという訳ではないが、自分が主人公の幼女王シリーズを観劇すると、気恥ずかしい気分になるのだ。それでもゲストが行きたいと言えば付き合わなければならず、これまでも何度か観劇に同席していた。
今回の『幼女王の帰還』は、リリベットが八つの時に起きた事件、女王暗殺未遂事件をモチーフにした演劇で、三作の中では一番脚色が少ない劇だった。
しばらく雑談をしていると、開始の鐘の音が聞こえてくる。リリベットたちがステージを見ると、中年の男性と金髪の小さな女の子が中央に向けて歩いていた。
そして中央で止まってから客席を向くと、ゆっくり頭を下げた。
「皆さん、こんばんは、『運命の紬糸』団長のチョップスです。本日は我が劇団の公演にお越しになり、ありがとうございます」
このチョップスは、現学芸大臣ナディア・ノルニルの父親で、リスタ王国では一番大きい劇団『運命の紬糸』の団長でもある。そんな彼が金髪の少女の背中を押して前に出し
「この子が、本公演の主演女優のノエルです」
と紹介する。ノエルと呼ばれた少女はスカートの端を掴むと丁寧にお辞儀をした。彼女が「幼女王シリーズ」の初代主演女優を務めたナディア・ノルニルからみて、二代後の幼女王役を務めている女の子だ。
「それでは、お楽しみください」
チョップス団長とノエルは、もう一度頭を下げるとステージを後にするのだった。
しばらくして演劇が始まると、シーンの区切りで声援や口笛が鳴らされている。これは大衆演劇ならではの雰囲気ではあるが、演劇は静かに見るものという認識の両皇女は驚いていた。しかし、アイラ皇女は次第に慣れてきたのか、途中からは一緒になって声援を送り始めている。
この「幼女王の帰還」は、幼女王が平和な統治をしているところから始まり、悪役の登場、幼女王のパレード中の暗殺未遂、身を挺して彼女を護る騎士と、その騎士を助けるために奮戦する幼女王と仲間たちを描いた演劇である。
この悪役というのは、実はクルト帝国の子爵家の子息なのだが、リスタ王国と帝国側との協定で犯人は不明ということになっている。他の演目でもその傾向があり、リスタ王国とクルト帝国が争った形跡は全て曖昧なものにされていた。
劇の中盤に差し掛かり、リリベットはステージ上を観ながら呟く。
「あのノエルとかいう子もなかなかやるのじゃ」
「ふふ、可愛らしいですね」
比較的穏やかに観劇しているリリベットとサリナに対して、アイラ皇女は席から立って前のめりで声援を送っていた。そんなアイラ皇女だったが、途中で振り返り大人しく座って観ているレオンに手を差し伸べると
「ほら、レオン様もそんなところに座ってないで、こちらで一緒に観ましょう!」
と言って彼を引っ張りだして、自分の前に引き寄せると抱きしめるように抱えあげた。
「えぇ、ちょ……アイラ皇女殿下!?」
どぎまぎして抜け出ようとするレオンに、アイラ皇女は特に気にした様子もなく
「柵が邪魔で見えにくいでしょ? あっ、ほら次のシーンが始まりますよ!」
と言って離そうとしなかった。それを眺めていたリリベットはボソッと呟く。
「み……見た目反して、元気な子なのじゃ」
「あはは……お恥ずかしい限りです。あの子ったら、はしゃぎ過ぎてしまって、普段はもっと大人しいのですが」
サリナ皇女は恐縮した様子で頭を下げたが、リリベットは首を横に軽く振って答えた。
「いやレオンをあれほど振り回せる子も、なかなかおらぬのじゃ。あれにもよい経験になるじゃろう」
そんな子供たちを、優しく見つめる母親たちであった。
劇が終わり満場の拍手が送られると、アイラはリリベットに駆け寄り興奮した様子で話しかけてきた。
「凄かったです! 演劇とはこんな風に観客と一体になって観るものだったのですねっ!?」
「う……うむ、大衆演劇ではそうじゃな。ところで、レオンがそろそろ限界の用じゃから離してやってほしいのじゃ」
苦笑いを浮かべているリリベットに、アイラはハッとなって抱えていたレオンを解放した。ぐったりとしたレオンは地面にしゃがみこんでしまったが、アイラは彼の背中を擦りながら尋ねる。
「ご、ごめんなさい、大丈夫?」
「は……はい、ちょっと熱気に当てられただけです」
まだ恋というには拙い感情ではあるが、少し意識し始めているアイラに抱きしめられて、レオンは胸の高鳴りを覚えていた。しかし、まだ幼い彼にはよくわからず、彼女から発せられる甘い香りとぬくもりに、まるで母親に抱かれているような感覚だなと思ったのだった。
そんなレオンを見つめ、リリベットはボソリと呟いた。
「ふむ……まぁアリかもしれないのじゃ」
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 宰相執務室 ──
その頃、宰相フィンの執務室に、フェルトとレオナルドが訪れていた。三人は酒の入った盃を傾けながら談笑をしている。
「しかし、兄上……サリナ皇女についていかなくて、よかったのですか?」
「あぁ、たまにはサリナも羽を伸ばしたいこともあるだろうからな。……そういえばフィン殿は結婚はされてないと聞いているが、ご予定はないのですかな?」
レオナルドに話を振られたフィンは、盃を傾けたあと髪をかき上げてレオナルドたちに長い耳を見せる。
「今のところ考えていませんね。私は高貴なる森人ですから、相手が人種ではすぐに死別してしまうし……何より仕事が忙しい」
きっぱりと答えたフィンに、レオナルドは笑いながら答える。
「ははは、その点においてはどこも一緒ですね」
「いや、帝国のような大国となれば、また随分と違うでしょう」
そんな話をしながら、お互いの話や仕事の話をしながら、盃を交わして親交を深めていった。
しばらく後、机の上にはボトルが何個か空けられており、フェルトは珍しく酔いつぶれてしまい、机に伏して眠ってしまっている。
「なんだ、フェル? これぐらいでだらしないな」
「いやいや、かなり飲んでいましたからね。そっとしておきましょう」
フィンはレオナルドの開いた盃に酒を注ぎながら褒める。
「レオナルド殿は、随分酒に強いようだ」
「フィン殿こそ、私より飲んでると思うのだが?」
二人して笑いながら盃を開けると、少し神妙な顔でレオナルドが尋ねてきた。
「フィン殿なら知っているかもしれないが、『蛮王』という者を知ってるかね?」
「蛮王? 確か……ザイル連邦の盟主、獅子王ライガー・バルドバの異名でしたか?」
その答えにレオナルドはこくりと頷く。
「やはりご存知でしたか、それでは彼の最近の動向はご存知だろうか?」
「……多少は」
レオナルドは黙ったまま、フィンの空いた盃に酒を注ぐ。
「ライガー・バルドバ率いるザイル連邦が、どこかの海賊と手を組んだという噂ですかな?」
レオナルドはフィンを見て小さく頷いた。クルト帝国、ザイル連邦、ジオロ共和国は三大大陸の覇権国家である。その中で亜人と呼ばれる獣の特徴を持った人々が暮らすザイル連邦は、その驚異的な戦闘力と多くの商人を抱えた商業国家の財力により、統一国家の野望を持っているのではと噂されている国である。
しかし、亜人は水を嫌がる習性があり、各大陸を隔てる大海がそれを阻止していたのである。その連邦と海賊たちが手を組んだという話は、それだけで相当キナ臭い話だった。
「フィン殿は、この噂をどう見ていますか?」
レオナルドが真剣な表情でフィンに尋ねと、彼は盃をテーブルに置いて静かに口を開き始めたのだった。
◆◆◆◆◆
『甘える』
その日の晩、劇場から帰ってきたリリベットの元に、フェルトが倒れたという報告が届いた。慌てた様子で彼の部屋に向かうと、そこには酔いつぶれていたフェルトが眠っていた。
看病をしていた執事に、事の次第を聞いたリリベットは安堵のため息をつくとともに
「後は私が何とかするので、今日はもう休んでよいのじゃ」
と告げた。執事は丁寧にお辞儀をすると、そのまま部屋を後にするのだった。
リリベットはベッドに上がるとフェルトの横に座り、彼の頬をプニプニと突く。
「お主が酔いつぶれるなど、初めてのことなのじゃ。だらしない顔をしておるのじゃ」
「うぅ~……リリー?」
フェルトは寝ぼけているのか、リリベットに腰に手を廻して腹部に顔を当てる形になる。
「な、何をするのじゃ!?」
慌てて聞き返すが、フェルトは気持ち良さそうに寝息を立てていた。リリベットはため息を付くと、彼の頭を優しく撫でる。
「まったく仕方がない奴なのじゃ」
翌日フェルトが目を覚ますと、痛む頭を包み込むようにリリベットが幸せそうに眠っていたと言う。